第10章 コヒガミさま、ちょっと黙っててください。

1.


 朝。華は母に揺り起こされた。

「んもぉ、何よぉ。日曜日くらいゆっくり寝かせてよぉ」

 朝が弱いことを承知の上で起こしに来ているのだ、この母は。

 身体が重い。夜中に生理が始まったことを思い出し、華はダブルで憂鬱になる。

「華。早く起きて朝ご飯食べて。大事なお話があるんだから」

 今日はお料理教室もない日なのに。

「今ここで、聞かせて……」

 布団に再び潜り込む。頭までひっかぶった掛布団の向こうから、母の声が聞こえてきた。

「じゃあ、いい? 今日からあなた、バイトだから」

 ……え?

 意味が分からない。バイト? 今日から?

「巫女さんバイトよ」

 巫女ねぇ……確かにちょっとあこがれのバイトではあるわね……でも、眠い……

「鈷斐神社の」

 ――――――え?

「9時に社務所に来て下さいって、昨晩西沢さんのお爺様がおっしゃってたわよ」

「な、な、な――」

 華は、跳ね起きた。

「なに勝手に人のバイト決めてんのぉぉぉぉっぉ!」

 華の心からの絶叫は、部屋の壁紙が優しく受け止めてくれた。

 その後超特急で朝食を掻き込み、不平不満は盛大に並べながらもちゃんとシャワーを浴びて着替えた末に、華は自転車に飛び乗った。

「まったく、なんでよりによって、鈷斐神社の……」

 まだ口を突いて出る愚痴も、5月の朝の爽やかな空気に吐き出された途端、後ろに飛ばされて尻すぼみになる。

 尻すぼみになるわけは、華が自転車を立ち漕ぎしているせいだけでもない。昨晩あんなものを見てしまった場所へ、また行く。あんなひとの、家に。

 胸のもやもやは、完全に晴れたわけではない。だが。

「……確かめなきゃ。確かめて――」

 どうしたいの? わたしは。でも。

 西沢君に会える。会いたい。それが、華の立ち漕ぎの原動力なのだから。


2.


 9時ぎりぎりに社務所に飛び込んで、ぜいぜいと息を吐く華を、神主装束の男性が2人で出迎えた。

「おお、あなたが田仲さんじゃな? 初めまして。昴の祖父です」

「父です」

 ああ、そういえば、西沢君って"すばる"って名前だっけ。ドギマギしながら華は息を整えて、挨拶を返した。

「ぬぅ昴め、こんな可憐な子といまだに喫茶店でお茶するだけとは。唐変木め」

「父さん、無理言わない無理。うちの男ですよ? そんなチャラいことできるわけないじゃないですか」

 “とーへんぼく”って何だっけ? 多分女心に疎いとかだな、と当たりを付ける華。神主2人はいたってにこやかに、

「まずは、衣装からじゃな」

 華は西沢父に先導されて社務所をさらに奥へと進み、西沢家の一室に招き入れられた。

 1人になると、生あくびが出る。

<<しゃきっとせんか、しゃきっと>>

(そんなこと言ったって、眠いものは眠いんです)

 コヒガミに抗弁しながら生あくびをまた1つしていると、訪いの声の後、縁側の障子が開いて20代前半くらいの女性が入ってきた。小脇に抱えているのは巫女装束らしき服と気付く。

「初めまして。昴の姉です。サイズはMでいいよね?」

「え、いや、それだとちょっと大きいんじゃないかと――」

 チサトほどではないが小柄で細身な部類に入ると華自身は思っているのだが、西沢の姉の眼はなぜ光っているのだろうか?

「なるほど、小さめを着て胸を強調したいと」

「そんなこと言ってません!」

 あそう、とあっさり引いた姉に促されて、華は服を脱いだ。立ち姿のまま後ろから姉に襦袢を着せてもらう。

「あぁ、いいわぁ」

「え? 何がですか?」

 目の前の姿見を見ても、まだ巫女さんスタイル完成には程遠いはず。あの、おねぇさん? 顔がちょっと近いんじゃ――

 スリスリ。

「華ちゃんって、餅肌なんだね☆」

「きやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 華は身悶えして姉の手から逃れようとするが、後ろから回された姉の腕が華の胸囲をがっちりホールド。華のほっぺたや首筋に自分のほっぺたを摺り寄せてくるのがたまらなく気色悪い。と、そこへ。

「姉ちゃん、なんか悲鳴が聞こえたけど、大丈夫?」

 家の奥のほうから西沢の声が聞こえてきた。そして華が大丈夫と答える間もなく――

「昴! ちょっとこっち来て! 大変よ!」

「え?! どしたの姉ちゃ――わあっ!!」

 襖にピッシャーンと快音を響かせて、西沢は怒鳴った。

「姉ちゃん! 何やってんだよ! 呼ぶなよ!」

 ぅぅぅ見られた……華は泣きたくなった。

「なーにこのくらいでおたついてるのよ。これだから童貞は」

「んなこと関係ないだろ!」と襖の向こうで西沢が絶叫する。

「またバイトの子辞めさせる気かよ!」

「だーいじょーぶ」とコヒガミが華の口を借りてしゃべり始めた。

「わらわが引きずってでも連れてくるによって」

「あはは! ほんとにコヒガミさまキター!」姉は実に楽しそう。

 その後、騒ぎを聞きつけた西沢の母に姉が怒られている横で着替えを済ませて、華は西沢とともに、お守り札やおみくじのお授け所に勤務となった。

「ほんとごめんな、田仲さん」

 お守り札を求める参拝客をさばきながら、西沢の真実すまなそうな顔に華がくすりと笑うと、彼が言葉を継いできた。

「姉ちゃん、ガチでバイの人だから。二人きりにならないように気をつけて」

「 GACHI DE BAI ? 」

<<バイセクシュアル。つまり、男女どちらもイケるクチ、という>>

 ぞわぞわっと鳥肌の華。

「で、さ……その……」

「うん?」

「そんな端のほうで座ってると話しづらくない? もうちょっとこっち来たら?」

 華は窓口のぎりぎりに座っていたのだ。言われて少し頬を赤らめながら、華は椅子1つ分くらい西沢のほうへ寄ったのだが、

<<何をしておる。もそっと近う寄れ。近う>>

 コヒガミにさらに接近させられてしまった。華と同じく和装に着替えた西沢が間近にいて、直視できない自分がここにいて。それでも勇気を出してちらと横目で見たら、やや赤い顔の西沢がこっちをまっすぐ見ていた。

「あ、あの、なに?」

「ん……その……似合ってるな、と」

「そうーやって言え、ってお姉さんに言われたんでしょ?」とヒネテみる華。

「え? ち、違うよ! ほんとに似合ってるって思ったから」

 いつも見ているはずの、西沢のまじめに焦った顔。なのに、自分が褒められているというだけで、こんなに気恥ずかしく、胸がドキドキするなんて。

「ありがと……」

 彼のほうを向いてはとても言えず、お授け所に近づいてきた妙齢の参拝客に気が付いたふりをして、華は場から逃げた。

 天気が良いせいもあるのか、本殿や鈷斐路石へ向かう女の子たちが結構な数いる。あの子たちの祈りがまたコヒガミによってフラグになるのか。

「田仲さん? どうかしたの?」

 西沢の心配そうな顔に笑って手を振り、華は説明した。"我欲"がコヒガミの身体に溜まっているため、憂鬱そうな顔で願掛けの処理をコヒガミがしていること。その御尊顔を、また自分が拝まねばならないこと。

 神様も大変なんだな、という西沢の言葉がツボに入った華は思わず笑ってしまった。

「なんで笑うの?」

「だって、月並みな感想なんだもん」

 むぅ、と難しい顔になってしまった西沢の姿にさらにくすくす。華は心が軽くなったような気がした。そういえば、コヒガミのことを話せるのは西沢一家だけなのだ。だがそれだけじゃない。西沢と打ち明け話ができるのが楽しい。

 境内に礼装の人が増えてきた。本日はお日柄も良く、本殿にて婚礼が執り行われる予定。その、どこか華やいだ人々の流れを見るともなく見ながら、華は西沢といろいろな話をした。家族のこと、友達のこと、部活のこと。そういえば……

「西沢君……」

「ん?」

 お守りの代金をお客さんからもらった西沢がお金をレジにしまうと、華のほうを向いた。

「あの、さ。教えてほしいことがあるんだけど、ていうか、失礼なこと聞くんだけど……」

「うん? なに?」

 聞きたい。あの子のことを。でも、聞けない。華はもう1つの疑問を選択した。

「どうして、いつも一人でいるの?」

 しばらく困ったような顔をした後、西沢は言った。なんで、いつも誰かといなきゃだめなの?

「そんなに毎日話すこともないし、誰かがいなきゃできないこともないし」

「わたしが声をかけたことも、今日ここでお話ししたことも、……迷惑だったの?」

 思わず口を突いて出たその言葉は、西沢を驚かせたようだった。

「そ、そんなことないよ! その……」

 あわあわして手がブンブン振られるが、華の厳しい視線に射られてそれも止み、黙りこくってしまった。

(ていうか、なんでそこで黙るのよ……)

 しゃべる気がないなら、嫌でも話をさせてやる。華はまたしても前がかりになった。

「じゃあ、このあいだの子はなんなの? 誰かと一緒にいるのは嫌なんじゃなかったの?」

 ここで女子の4人連れがお札と御神籤を求めに来て、西沢は客の応対に追われた。その穏やかな表情も、華には作った顔のように感じられてならない。

(ぅぅぅ、言い過ぎたかな? でも、でも、はっきりさせなきゃ……)

 華の脳裏に、あの晩の光景がフラッシュバックする。西沢の笑顔が特にクローズアップされて、心臓がじりじり焼けるように痛む。

 女子たちに続いてやって来た客をようやくさばいた西沢が、一転表情を引き締めた。

「“このあいだの子”って、誰のこと?」

 どうしてこう、華の神経を逆なですような言葉を選ぶのだろう。西沢の言葉が、焼けただれた華の心臓にくさびを打ち込んでくるかのように刺さる。我知らず胸を手で押さえながら、華は言葉を絞り出した。

「社務所の前で楽しそうに話してた、浴衣の子よ。ピンク色の。誰よあれ! 誰? とぼけるつもりなら――」

「ちょ、ちょっと田仲さん?! なんで泣いてるの?」

「泣いてない! 質問に答えて!」

 また我知らず西沢に詰め寄った華。驚きで見開かれた彼の瞳には、涙が頬を伝う華の顔が映っていたが、彼女はそれをあえて無視した。

「従妹だよ、舞花は。いつも若葉祭に合わせてうちに来るんだ」

「従妹……ほんとに? それだけ?」

 黙って頷く西沢。黙って見つめる華。とその時、奥の戸ががらりと開いた。

「こらぁ、昴! なに華ちゃん泣かしてんだぁうら!」

 西沢姉登場、というか乱入。つつつと間合いを詰めると、西沢にヘッドロックを極めて締め上げ始めた。

「痛い痛い! やめろよ姉ちゃん! オレ泣かしてないって!」

「あああああのお姉さん、わたし別に、その――」

「いいのよ、華ちゃん」

 西沢の頭を右脇に挟んだまま、姉が手で『待った』のポーズをする。

「男はねぇ、最初が肝心よ」

「はあ……」

「まず痛めつける。それからじっくりと料理する。分かる?」

「いや、あの、お姉さん。そろそろやめないと」

「昔の人は言ったわ。『まず吊るせ。それから調べればいい』って。甘い顔するとすーぐつけあがる――」

「お姉さん、後ろ、後ろ」

 華の指摘に姉がようやく従って、窓口のほうを振り向いた。そこにはこめかみに青筋を浮かせた――

「あさひ! 昴! 何やってんの!!」

 西沢母の怒号が、境内の鴉を飛び立たせた。


3.


 ドタバタを越えて空腹。華は西沢とともに他の巫女さんバイトと交代して、奥でお昼をいただくことになった。

 黙々。モクモク。

 6畳間に、西沢と2人きり。お互いに『いただきます』を言ったきり、口は箸が運ぶお昼ご飯を受容する役目に専念している。

(何か言ってくれればいいのに)

<<ぬし、自分が話題を振らないのを棚に上げておるな?>>

(ぅぅぅ……)

 午前中にお互いのことはある程度話してしまって、話題がない。いや、舞花とかいう女の子のことはあるけど、せっかく美味しい食事をいただいているのに、また愁嘆場になるのも気が引ける。それにしても。

「美味しい」

「ん? そうなの?」

「うん。うちね、お母さんがお料理苦手なの」

 そこから話が弾んで、目の前に並ぶ炒め物は西沢姉が作ったものであることなど、西沢家の食卓事情も聞くことができた。

「へぇ、お姉さん、お料理上手なんだ」

 ふるふる、と首を振る西沢が可笑しい。

「お菓子類はひどいもんだよ。こういう分量が大雑把でいいのはイケるんだけど」

「ああ、ゴーカイさんなんだ」

 西沢姉に対する親しみを覚えると同時に、朝のスリスリを思い起こしてまた鳥肌が立つ華。

<<ま、同居するならしっかり貞操は守らんとのぅ>>

「ど?! どどどど?!」

「わあ! どうしたの?……もしかして、コヒガミさまになんか言われた?」

 言えない。

 頷くだけはして、黙々昼食に戻る華であった。となれば西沢も黙るわけで、部屋の外の廊下を走る足音が、やけに大きく聞こえる。……ん? 近づいてくる?

「ちぃーす! わ、ほんとだ! 昴の彼女、発見!」

 昨晩の噂の女子・舞花が目をキラキラさせて、華をビシッと指さした。

「あ、舞花」

「え?! え?!」

「きゃーもう2人でご飯食べてる~! で、で、コヒガミさまはどこ?」

「ここじゃ」

「ん? あれえ?」

 と大げさに首をかしげた舞花は、コヒガミ憑き華の意表を突く行動に出た。部屋の縁からの跳躍で間合いを詰めてきたと思ったら、華の身体を人差し指でつついてきたのだ。

「……西沢よ」

「はい?」

「この不届き者に神罰を下してよいかぇ?」

「だめっすよ」と西沢は笑って、つつきを止めない舞花を止めた。

 てへへと笑って座り込んだ舞花曰く、西沢姉からの通報らしい。

(お姉さん……)

「あのおなごは……何がしたいのじゃ?」

「オレに聞かれましても」

「あ! そうだ!」

 突然、舞花が両手をパチンと打ち鳴らした。

(よくしゃべる子だなぁ)

<<ちょっとバカっぽいがな>>

(口に出さないでくださいよ、絶対)

 見た目は完全に華なわけで、その口からネガティブな言葉が出れば、恨まれるのは華なわけで。

「コヒガミさま! お願いがあります!」

「! うむ」

 御名を呼ばれて、居住まいを正すコヒガミ憑き華。その姿に手を合わせて舞花は祈る。

「舞花と昴を結婚させてください!」

「却下」

「速っ!」

 恋愛成就の神様による即行否定に驚く西沢とその従妹。だが。

「……ちょっと待て。今のはわらわではないぞ?」

「なにいってるんですかこひがみさま」

「華よ華よ、わらわとの同調から抜け出すとは、なかなかやるのぉ」

「なんのことですかわたしにはさっぱり」

 同じ体を使った華とコヒガミの口論を呆然と眺めていた西沢が、我に返った。

「つか舞花、お前彼氏いるんだろ? なんでオレと結婚て話になるんだよ?」

「えーだって」と舞花は平然としたもの。

「やっぱほら、旦那様は安定した人がいいじゃん! 彼氏には彼氏の良さがあるから、そこはキープで」

「西沢君?」華にはわかる。自分がかつてないくらいジト目で彼をにらんでいるのを。

「キミの周りには、こんな女の子しかいないの?」

 なぜ西沢も舞花も眼を見張っているのだろうか。

「華よ華よ」

 コヒガミが主導権を取り戻して口ずさむ。己が体を借りている、その乙女に向かって。

「ぬし今、自分を全否定したんじゃぞ?」

「あ」


4.


 午後もお授け所勤務。婚礼の場での舞踊その他諸々は、もっと慣れてからだそうだ。

「やっぱほら、お客様にとって一世一代のハレの場じゃん? こちらに何か手違いがあると、ね?」

 西沢姉はそういってケラケラ笑っていた。

(何かやらかしたんだろうな、きっと)

<<舞の最中に自分の裾を踏んで転んだんじゃよ。新郎の頭を、手に持った鈴で強打までしおってのぅ>>

(うわぁ……)

 他人事ながら、いたたまれない気分の華。西沢が心配そうに華の顔をのぞき込んできた。

「大丈夫? またコヒガミさまに何か言われたの?」

 今コヒガミから聞いた顛末を西沢に話すと、どうやら3年ほど前の実話だったらしい。

「ほんと、爺さんも父さんも平謝りで大変だったよ」

 苦笑気味ながらも笑い合う、華と西沢。これで背後の小姑さえいなければ。

「あたしの未来の旦那様と、楽しそうにぃー」

 いつのまにか巫女装束に着替えた舞花が、お授け所の柱に取りついてこちらを見つめている。お昼休憩を終えてからこっち、約2メートルの距離を保って監視の態なのだ。

 西沢が振り返って言った。

「お客さんが不審がってるから、帰るかこっち来るかどっちかにしてくれよ」

 言われた舞花はぴょん! と一跳び。見事華と西沢の間に着地して割り込まれてしまった。

「へっへっへー」

「西 沢 君 ?」

「ぬしは馬鹿かね?」

 同じ体を使った華とコヒガミの連撃が、舞花を越えて西沢を直撃。がっくりうなだれてしまった。

「むー! 昴を苛めるな!」

「舞花ちゃんは、どこに住んでるの?」

 へ? と虚を突かれた態の舞花が、華をにらんできた。

「あたしの住所特定して、どうする気ですか?」

「わたしね、皆賀田町に住んでるの」と華は構わず続けた。警戒心を隠さない様子だった舞花も、しぶしぶ打ち明けてくれる。隣の市の中心街に住んでいるようだ。

「へー、いいなぁ。そこってたしか、『コロネール』がある辺りだよね?」

「ふっふっふ、『コロネール』はもう古いのです! 今は『ピジョン・ブラッド』がアツイ!」

 華の表層に、コヒガミが出てきた。

「――西沢よ、こやつらは何の話をしておるのじゃ?」

「さあ」

「えー! 昴知らないのぉ? コヒガミさまもだめですよぉ、恋愛の神様なのに!」

「というと?」

「美味しいスイーツのお店ですよ、もー!」

「知るか! それとわらわの業と――」

「コヒガミさま、ちょっと黙っててください」

 と華はコヒガミを追い出した。といっても西沢たちには見えないのだが。

<<わらわを弾き出した、じゃと?!>>

 何やら驚いているコヒガミを放っておいて、華と舞花はお授け所に来るお客を捌きながらケーキ屋談義に花を咲かせたのであった。

 その後、3時過ぎに休憩が入って、今度は他のバイトさんも一緒におやつをいただく。華が進学を考えている大学の学生がいて、いろいろと有意義な情報を聞くことができた。

「華ちゃんって、落ち着いてるねー」

「ねー」

「そうですか?」と驚く華。

「だって、ねー?」と大学生2人がにやりと笑う。

「昴さんと舞花ちゃん、販売所に置き去りなのに」

「ねーねー、もう将来を誓い合ってるって、マジ?」

「いや、別に付き合ってませんよ? わたしと西沢君」

 どうして、この2人は不可思議そうな表情になるのだろう。

「あさひさん、『華ちゃん、早くうちに嫁いでこないかな』って夢見顔だったよね?」

『あれってもしかして、あさひさんとこに、ってこと?」

「んんんんなわけないじゃないですか!」と溜めを作ってツッコミを入れる華であった。

 賑やかにさざめく社殿奥の披露宴会場。それを横目に見ながらお授け所に(ちょっとだけ急いで)帰ってみると、舞花がいない。

「舞花ちゃんは?」

「彼氏から呼び出しがかかって、帰ったよ」

 と西沢が参拝客におじぎをしたあと言った。メールを一読するや、ぴょーん! と戸まで跳んで出て行ったらしい。

「バッタみたいな子だね……」

<<なるほど、あのおなごは梯子状神経系であったかや>>

 また西沢と2人きり。

「実は残念?」と西沢に振ってみる。

「何が?」

「舞花ちゃんが帰って」

「ん、別に。何で?」

「別に」

<<駆け引きの出来ぬ男じゃな……良いのやら悪いのやら>>

「それでいいの」

「何が?」

 不思議そうに問うてくる西沢をちらりとだけ見て、華は社殿のほうを見つめた。


5.


 5時を過ぎて、そろそろ夕方へと移ろいかけた空を眺める。華は一息つくと、流れゆく雲の一つに従って、自転車を走らせた。

 田植えの終わった水田に吹き渡る風が、水面からちょこんと顔をのぞかせた苗を揺らしている。それを眺めるともなく眺めながら、華は帰路を滑るように走った。

 何も音が聞こえない。いや、聞こえないのではなく、自転車を大過なく運転する機能が別に働いているからこそ、“滑るように”なのだ。では、華本来の意識はどこへ行ったのか。

 今日は、西沢君といっぱいお話できたな。

 お姉さんは……なんとかしないと。

 お母さんは、ちょっと厳しそうな人だったな。

 お爺さんとお父さんは、逆に穏やかそう。西沢君はそっちに似たのかな。

 似合うね。……無理しちゃって。もう。

 華の住む街へ進む、銀色の自転車。そのサドルにまたがる桃色頬の乙女は、彼女に憑りついた神が厳しい表情でその浮かれた様を見つめているのを、やがて、

<<決行は土曜日、か>>

 とつぶやいたのをついぞ気づかぬままであった。 

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