第6章 華よ華よ、ゆめ忘れるでないぞ。
1.
朝の陽射しが、閉めたカーテンの隙間から洩れてくる。
華は寝覚めがあまりよいほうではない。それでもむくりと起きて、枕元に置いてあった電子体温計をすっと口に含んでしばらく。コール音とともに表示された体温を、机の上にあらかじめ置いておいた表に書き込んで――
(んんん? コヒガミさま! なにさせるんですか?!)
<<なにって、基礎体温を測っとるんじゃが>>
(だ か ら)
華の身体からすっと抜け出たコヒガミが澄ました顔で答えた。
<<おなごのたしなみじゃろ? それにしても便利になったのぉ>>
「なにがですか?」
<<100年前は、前回の生理から指折り数えることしかできなんだのに、という意味じゃ>>
表を見れば、もう1週間続けている。まったく覚えがないから、華が寝ぼけてるのにおかまいなく、コヒガミは彼女の体温を測っていたようだ。
「まったく、わたしがなんでこんなこと……」
愚痴った後、華は背伸びをするとパジャマからジャージに着替えた。そのまま階下に下りる。母はすでに起きていて、お味噌汁とハムエッグで迎えてくれた。
朝の軽いドタバタから立ち直って朝食をおかわり。今日は気分がいい。友人との久しぶりの買物なのだ。
身支度を終えて駅に向かった華は、改札前でチサトや五月と落ち合った。2人とも、なぜか気合の入った格好をしている。
「なんで服買いに行くのにキメキメなの?」と華が首をかしげると、
「愚か者」とチサトにデコピンされた。
「ぼっさいの着ていったら、素敵な出会いが逃げてくじゃん!」
「ていうか、うちの生徒に会う確率、結構高いじゃん」
そう言いながら五月もスカートの皺がないかどうか気にしている。
そういうもんなんだ。華にとっては目から鱗だ。と言ってみたら、ぐぬぬと返された。
「なぜ、こんなにラフなハナっちにはカレシがいるのに――」
「だ か ら カレシじゃないって! そんなんじゃないんだってば!」
「じゃ、なんなの?」
五月の問いが華の胸に刺さる。
「ま、カレシじゃなくても、気になる存在ってことでしょ?」と五月が続ければ、
「つか、『わたしの班においでよ』って誘っといて、ねぇ」
とチサトも華をあげつらうのをやめる気配が無い。
それは……と口ごもる華がふと顔を上げると、改札の向こうで2人が舌を出して笑ってるではないか。
「ちょ、置いてかないでよ!」
華は慌ててパスカード入れを取り出した。
2.
華たちは電車で10分ほどの街にあるショッピングモール『フェイバレッツ タカトリ』に来ていた。この国最大手の、あまりオシャレとはいえないスポットだが、若者向けの店がない華たちの住む街――とどめを刺したのが件のショッピングモールなのだが――からすれば、十二分に魅力的なあれこれが揃う場所である。
<<ほほぅ……>>
華の身体から抜け出ていたコヒガミが、建物の上のほうを見てうなっている。
(コヒガミさま、どうしたんですか?)
少し前を歩く友人たちに気取られないように小声で尋ねると、
<<いや、なんでもない……>>
「ハナっち、エレベーター乗るよぉ!」
コヒガミとやり取りしている間に、先行したチサトと五月はエレベーターのボタンをさっさと押していた。扉の開いたエレベーターへ急ぐ。
3階から順に巡りながら、浮き浮き気分の華たちはそれぞれの"あれこれ"を堪能した。
「チサト、これどう? サイズもぴったりだし」
華が選んだワンピースが気に入ったらしく、いそいそと試着室に向かうチサト。いつの間にやら五月がいないと探してみたら、一人で髪留めをいろいろ試していた。
「ねぇねぇ華、これどうかな?」
艶のある黒髪に、髪留めの光沢がよくマッチしている。華がそう答えると、五月は嬉しそうに微笑んだ。
「ちょっと大きすぎないかな?」
「そんなことないと思うけど」と華が背中を押してやっていると、
「おーい! 華ぁ! 五月ぃ! 見て見て!」
ワガママ姫がでっかい声で呼んでいる。華と五月はちょっと赤面しながら、これ以上騒がれないように現場に急行した。
「どう?」
しっかりポーズまで決めて、ご満悦のチサト。細身な彼女はフリルやリボンがいっぱいくっついてる服が好きだ。曰く『ガリに見えるのが嫌だから』と。
華と五月が似合うと褒めると、たちまち笑顔になってお買い上げ決定。こういうところで余計な駆け引きをしないのがチサトのよいところだと、華は思う。さっさと脱ぎ始めたので、慌てて試着室の戸を閉めてやったのはご愛嬌。
先に髪留めの会計を済ませてきた五月が華に聞いてきた。
「華は? 服見ないの?」
「え? ああ、わたしはちょっと……」
効いて、五月の眼が見開かれる。
「何言ってんの! せっかくの夜の逢瀬をオメカシしないなんて」
「逢瀬って?」
華には見当もつかない。五月はそんな華に、さらに呆れた様子だ。
「忘れたの? 修学旅行! 2日目の晩ご飯の後、8時までフリータイムだったでしょ? 私服で出歩けるんだよ? 西沢君と」
「だだだだだから! なんでそこで西沢君の話になるのよ!」
華は顔が熱くなる。今までこんなのさらっと流せてたのに……わたし、いったいどうしちゃったんだろう?
「おっ待たせ! さ、次行こうぜ、次!」
会計を済ませてきたチサトが空気ガン無視で親友2人の肩を叩くと、そのままの勢いでお店の外へと飛び出した。が、様子がおかしい。
怪訝に思った華は五月と顔を見合わせると、お店の前で立ちすくんでいるチサトの目線を追った。その先には――
「おにいちゃん、これこれ! ね、ね、これが欲しいの!」
おさげをフリフリ、少女が『おにいちゃん』と呼ぶ青年の腕にすがりつきながら、ショーウィンドーの中の白いワンピースを指差している。アクセントに水色がちょっぴり入った、なかなかに夏らしい服だ。
「あー! あれ!」
チサトが大声を張り上げた。
「あたしが先に目ぇ付けてたのにぃぃ!」
なんてチサトが歯噛みしているのが聞こえてるのかどうか、兄妹はその店のスタッフを呼んで、マネキンからワンピースを外してもらっていた。そのまま店内に入っていく。
「チサト、他人の物を欲しがる癖、止めなさいってば」
五月にたしなめられて、ぷぅとかわいく膨れるチサト。とそこへ、
「あ、波早さんたちじゃん」
クラスの男子たちが、4人で声をかけてきた。修学旅行で同じ班の男子もいる。ちょっと早かったが、7人でフードコートにてお昼ご飯とあいなった。
確か晩ご飯はカレーのはず、と考えあぐねた華は、ロコモコセット大盛りをチョイスした。
テーブルについてそのまま、何の気なしに食べていると、みんなの視線が痛い。
「ハナっち、相変わらず大食いだね」
「フライドポテトまでトッピングしてるし」
改めて言われると恥ずかしい。男子の前だし。よく食べるのは、『母の手料理は残さず食べるルール』のせいもたぶんある。たぶん。
<<ロコモコ……確かハワイの料理じゃの。なかなかに美味であるな。ちとくどいが>>
コヒガミは華の飲み食いするものに、いつも興味津々である。
味や匂いをコヒガミも味わえるらしく、あれは美味いだのそれは辛すぎるだのと、きゃあきゃあいいながら楽しんでいる。この間サイダーを飲んだら思いっきり頭の中でむせられて閉口したが、実は華も意外と楽しい。母はそういう方面に興味が全くない人で、今まで友達以外にそんな話をしたことがなかったから。
コヒガミのことも食が進む原因だな、と華が勝手に理由づけていると、視線に気づいた。同じテーブルを囲む男子がみんな、華を見て目を丸くしている。
「な、なに? 何か変?」
「田仲さん――」
「はい?」
「マジで西沢と付き合ってんの?」
「はいー?!」
今度は華が目を丸くする番だった。
「くっそー、西沢の野郎、いつの間に……」
「オレ、実はちょっと狙ってたのに」
「だだだだだだから、カレシじゃないって!」
「そういえばこないだ、西沢と一緒に自転車押して帰ってなかった?」
と男子の一人が会話に参加してきた。男子はおおぉ、女子はええぇ。たちまちテーブルは騒然となる。
「聞いてない。聞いてないよハナっち」とチサト。
「何その青春純愛路線」と五月。
「ぅぅぅ、違うんだって! それは――」
言えない。
<<クククク、大変じゃのぅ、華よ>>
(誰 の せ い だ と 思 っ て る ん で す か !)
コヒガミへの怒りで顔が真っ赤になった華。
「もー男子、華いじめないで。真っ赤になっちゃってるじゃん」
「自分たちだってあれこれ言ってんじゃん」
勘違いされてるし。
華は気まずく、かといって打ち明け話をしてすっきりもできない、微妙な気分で昼食を過ごした。
3.
男子とはフードコートで別れて、華はその後もう一度ショップに戻って、あれこれ2人に言われながら服を選んだ。
「うん、可愛くなったよ華。前より、ずっと」
「くそぅ、今のセリフを、ぼっち君の声で脳内再生余裕なんだ」
「んなわけないって」ともはや疲れて声も張れない華。
<<ではなぜ、浮かれ顔で試着なぞしておる?>>
浮かれ顔。華は試着室の鏡に映る自分の顔を見つめる。
(わたしも女だから。服を選ぶのにウキウキしてちゃだめなんですか?)
<<わたしも女だから――よくぞ申した。華よ華よ、ゆめ忘れるでないぞ>>
コヒガミの言葉の真意を問うも、反応が返ってこない。仕方なく華は心にもやもやを抱えたまま、一番気に入った組み合わせで服を一揃え買った。
お茶して帰ろうと、1階にあるスタバでテーブルに着いた時にはもう3時半。
「んー、フラペチーノがおいしい季節になってきたね」
五月は健康的な体つきに違わず、アイスクリームが大好き。だから彼女の感想は季節的にはマッチしていて、それ以外にはアンマッチ。だって大雪が降るなか買い出しに行ったコンビニの店頭で、我慢できずにアイスを頬ばれちゃうんだもの。
「はぁ、今日は混んでるね」
チサトがそう言い、アチアチとこぼしながらホットコーヒーを飲んでいる。彼女は『大人の女はホットを飲む』というわかったようなわからないような信念の人。実は胃腸が弱く、冷た過ぎるものに耐えられないのはヒ・ミ・ツ、らしい。
<<んー、これまた甘美じゃのぅ>>
華がモカフラペチーノを一匙口に含むと、コヒガミが華の中で歓声を上げた。
「……お昼に会った男子だけどさ」と五月が切り出した。
「やけにチサトのこと気にしてたけど、どうよ?」
「えー」と口を尖らせながらも、まんざらでもなさそうなチサトがおかしい。
「五月こそ、その隣の男子をさぁ、名前忘れちゃったけど、チラチラ見てたじゃん」
「いや、あれは、その……」
チサトの反撃に五月が慌てる。いつも冷静な彼女にしては珍しい。
「なに? なに?」と華も興味が湧いてきた。
「……ナイショ、だよ?」
上目遣いの五月が切り出した。もちろん頷き返す華とチサト。
「……中学の時、好きだった男子」
五月が言うには、自分が好きになったときにはもう彼女がいて、その子とずっと卒業まで続いてたはずなのだとか。華は手をポンと叩いた。
「いいじゃん! 休日に男子とつるんでるってことは、もう別れたんじゃない?」
「そうだよ! 言っちゃえ行っちゃえ五月!」とチサトも煽る。
「な、なに言ってんの! 鈴木君がいいって言ってんじゃん!」
「えー、鈴木君よりずっとイケメンじゃん」
頬を真っ赤にした五月というレアものを拝みながら過ごす、午後のまったりかつ賑やかなひと時。駐車場の喧騒が、華には遠く聞こえる。
4.
華が家に着くと、母が車に乗り込むところだった。
「あ、華! ちょうどいいところに来た! 買い物手伝って」
そう言われて素直に車に乗り込んだ。買い出しは母一人ではきつい。
車は華の住む住宅街を抜け、国道へと入っていく。向かうのは、その道沿いにあるホームセンターである。何を買いに行くのかと母に渡されたエコバッグ内のリストを見たら、
「なにこのカラス除けって?」
「ああ、それ」と母は話し始めた。
「最近、うちの屋根とかにカラスがいっぱいとまってるでしょ。夜もなぜかカァカァ鳴きながら飛び立ってうるさいし。ご近所に迷惑だから、それでカラスが来ないように――」
「それは困る!!」
(ちょ、ちょっとコヒガミさま?!)
「ああいやその、鴉はほら、ああ見えて街の掃除屋なんじゃ、ゲフゲフなのよ。それに、ほら、鈷斐神社の御神鳥だし。やっぱりそれを無下な扱いするのって、良くないと思うし。普段は家に集わないようによく言っとくから!」
信号待ちをいいことに華を驚愕の面持ちで見ていた母が、ぷっと吹き出した。
「華、あなたいつからカラスとお話しできるようになったの?」
「ああいやその……とにかく困る!」
(ああもうコヒガミさま、ムチャクチャ過ぎ!)
華は心の中で頭を抱えたが、破れかぶれな抗議と嘆願がどういうわけか通じ、母は「じゃあちょっと様子を見るわ」と言ってくれた。
それからしばらくして、前をまっすぐ見つめながら、母が華に話しかけてきた。
「お買い物は、いいもの買えた?」
「うん、まあまあかな」
華の返事に、母は不満そう。
「んもぅ、せっかく素敵な出会いが舞い込んできたのに、そんなことでどうするの」
「な、なんのこと?」猛烈に嫌な予感の華。
母は、ちょうどまた信号待ちで止まったタイミングを捉え、横目でウィンクしてきた。
「午前中にね、訪ねていらっしゃったのよ。西沢さんが」
「え?!」
顔が熱くなったのを、窓の外を見てごまかす華に、母が畳み掛けてきた。
「あら? その顔、まんざらでもなさそうね」
「何言ってるのかさっぱり分かんない!」
華の抗議もどこ吹く風。母は顛末を話し始めた。午前中に西沢の母親が家を訪ねてきて、先日のことを謝られたらしい。
「先日のことって?」
「ほら、華がブレザーを汚してきたことあったじゃない。……何があったの? その西沢さんと」
「な、なにって……西沢君のお母さんから聞いてるんでしょ?」
華は焦る。口裏を合わせていないから、西沢の母がなにを言ったかわからないのだ。
まずい。何か良い言いわけを――
「帰り道に、その、西沢君と話しながら帰ってたら急に気持ち悪くなっちゃっただけ、だよ」
ふーん、と車を発進させながら母はあまり納得していないよう。すぐに問いかけてきた。
「華……まさか、つわりじゃないわよね? その前の夜も部屋で吐いてたでしょ」
「んなわけないじゃない。ていうか、そんな関係じゃないし」
窓の外を見ながらではあるが、意外と冷静に答えている自分に驚く華。母はまだ何か言いたそうだったが、車がホームセンターの駐車場に止まったことで会話は途切れた。
華はホームセンターの店内に入ると、すうっと息を吸い込んだ。実はこの、ありとあらゆるものが置いてある感満点の匂いが好きなのだ。
カートを押して母に追随することしばし、母の歩みが止まった。母の背中越しにひょいと華がのぞくと、お向かいのおばさんがいた。手に持つリストとにらめっこして、天井から吊るされた案内表示板を見つめる。その繰り返しをしている。
華と母が近づいてご近所の挨拶をしたあと、おばさんが助けを求めてきた。同居している姑から買い出しのリストを渡されたのだが、1つだけどこに置いてあるのかわからないのだという。
華も興味が沸いて、リストをのぞいてみた。おばさんが指差す先には、"五徳"とやら。なんだろう? これ。
<<織田信長の息女で、松平信康の妻じゃな>>
「そんなもの売ってるわけないじゃないですか……」
思わず放った、華の呆れが混じった声におばさんが反応する。
「やっぱりそうなの? 困ったわ……」
「あ、いや、そうじゃなくて」
と慌てて訂正する華。肩の上で爆笑しているコヒガミがマジむかつく。
ピンポーン
やや離れたところで鳴ったチャイムに華とおばさんが驚いて振り向くと、母が店員呼び出し用ボタンを押していた。
「あ、そうか」
店員を待つあいだ、母とおばさんの世間話を聞き流していた華は、突如自分の名前が出てきたことに驚愕した。
「華ちゃんって、そういえば、彼氏とかいるの?」
「んふふ、どーなの? 華」
お母さん、なんでわたしに振るの? 華が答えられずにいると、おばさんの眼が輝きだした。
「うちの子がね、華ちゃんのこと、気になるみたいなの。あ、別に付き合ったらって言ってるんじゃなくってね、ちょっとどうかな、って」
「え、いや、それは――」
<<いると言え>>
肩の上を見上げると、そこにはコヒガミの、今まで見たことのない真剣な表情があった。
「?」
華につられて上を見て、何もないことにいぶかしむおばさん。どうしよう、と考えるまでもなく、
「いますよ」
とだけ短く答えた。がっかりしたような安心したような、微妙な表情のおばさんを眺めながら。
その後しばらくして駆け付けてきた店員に案内してもらって、お向かいのおばさんは去っていった。
<<ああ、ちなみに五徳とはな、鍋や薬缶を火にかけるときにコンロとかに置く金物じゃよ。足が3本付いておって――>>
したり顔で解説していたコヒガミに、華は聞いてみた。もちろん、母とは距離をとってから、小声で。
「どーしてあんなこと言わなきゃいけなかったんですか?」
<<わらわが困るから、じゃ>>
「どういうことですか?」
<<秘密じゃ>>
またこれか。華は憂鬱になる。じゃあ出て行けと言えないし、無理やり華の体から引き剥がす、というか除霊(?)する手段もわからないのだ。華がむっつりしたのをこれ幸いと、コヒガミもだんまりを決め込んだ。おかげで買い物ははかどったが。
帰りの車中も、コヒガミは黙りっぱなし。代わりにというわけではないが、母のニヤつきが気になる。
ついに華はこらえきれなくなった。
「何よ? お母さん」
「なにって? そりゃもう。『いますよ』なんて。ついに娘にも春が来たんだから」
「ぅぅぅ……あ、あれは違うの! お向かいの子のこと、何とも思ってないから、変な期待持たせちゃだめだと思って……」
我ながら最低な言い訳だと華は思う。
「んふふふ、お父さん、帰ってきたらどんな顔するかしら。楽しみだわ」
「だから、西沢君とはなんでもないんだってば! もぅ!」
「あら」と母が見せた流し目はいかにも面白そう。
「お母さんは西沢さんだなんて一言も言ってないけど?」
「ぅぅぅ」
うなる娘。くすくす笑う母。車は初夏の家路を急ぐ。と思ったら、早々と右へターン。街中へ向かい始める車に、華は慌てた。
「ちょっと、お母さん? どこ行くつもりなの?」
「永束屋さんよ」
呉服屋に、なんの用なんだろう。母の浮き浮きした表情に、華は猛烈にいやな予感がする。
「行くでしょ?」
「どこへ?」
母の顔が、いよいよ輝いてきた。
「若葉祭りよ。来週末じゃない」
それは、鈷斐神社で5月下旬に行われるお祭り。この地域の遅い春を祝い、若葉の芽吹きを若人の伸びやかな成長に見立ててとかなんとかの理屈を付けて、カップル限定のイベントや、普段と違う出会いが欲しい男女を見合わせるゲームイベントなども開催される。恋愛成就の神様がご祭神というポイントを強調したお祭りだ。
呉服屋とお祭り、ときたら、そう。
「お似合いですよ」
本気で言ってるのかどうかわからない店員さんの言葉を真に受けるほど、華はウブじゃない。……なんか、以前にもそんなことを考えてたら、ひどい目にあったような。
<<ひどいとはなんじゃ! 神に向かって不敬とは思わぬかえ?>>
コヒガミの抗議を聞き流しながら、浴衣姿を姿見に写してみた。
「この前仕立ててもらったのが中1の時だから」と母が言えば、
「ええ、ええ、この時期の女の子はほんと成長が早いですものね」と店員が相槌を打つ。
「発育も順調だし」
「お嬢さん、スタイルが良くていらっしゃるから、浴衣が映えますわね」
褒められるのがかなりこそばゆい華は、聞こえていない振りをしてちゃっかり全方位から浴衣姿をチェックした後、別のを試着してみることにした。当然のことながら1週間で仕立てが間に合うはずもなく、既製品の丈を詰めるだけなのだが、それでも新しい服を着られるというのは心が浮き立つ。
<<ククククク>>
(なんですか。その妖怪みたいな笑い方、やめてくださいよ)
試着室の中で別の浴衣に袖を通しながら、華は唇を尖らせた。
<<いやいや、華はおなごじゃな、と>>
……反論できない、自分がいる。
<<ほれ、ちゃんと回ってチェックせぬと。西沢は、ぬしの後姿が気になるようじゃぞ?>>
(な、ななななななななな?! 何言って――!)
考え事でも絶句できるんだ。などと感想を抱いている余裕などなく、華は真っ赤になって固まってしまった。
「華~? いつまで自分に見とれてるの~?」
母の呑気な声に、
「い、いま出るから!」
ようやく我に返った華は、急いで振り返って、
「きゃあ!」
仮止めしていないゆえ当然に長いままの裾を踏んで、スっ転んでしまった。
「あれ? ハナっちじゃん」
聞き慣れた声に華が顔を上げると、これまた浴衣姿のチサトが、不思議そうな顔をして立っている。
「あら華ちゃん、こんにちわ」
チサトの母もいて、母親同士挨拶が始まった。華は慌てて立ち上がって返礼。あっという間に世間話に花が咲く。
(なんか、モーレツに嫌な予感……)
「あれ? ハナっち、若葉祭りには行かないって言ってなかったっけ?」
「こ、これはお母さんが勝手に連れてきて――」
華の動揺しながらの釈明は、チサトのニヤニヤを生んだ。
「付き合うと言いわけまで似るんだね。ぼ……西沢君もお姉さんがどうとか言ってたしぃ」
「あら、やっぱり付き合ってるの?」
母たちまで笑顔になって、華はもう真っ赤になって反論する。
「付き合ってないってば! みんなで勝手に盛り上がってんじゃん!」
ああそうか、とチサトがわざとらしく手をポンと打った。
「鈷斐神社だもんね。行くよね、当然」
五月にも声かけよっと。涙目の華をよそに、話は勝手に進んでいく。
家のカーポートに止めた車から、買い出しした大量の荷物を2人でふうふう言いながら屋内に運び込んだ時には、陽はかなり西に傾いていた。さっそく夕食の支度にかかろうと足早に台所に向かう母の後を追おうとした華だったが。
<<華、ちと借りるぞ>>
否も応もなく。コヒガミ憑き華はスマホをポーチから取り出すと、西沢のアドレスを呼び出した。
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