第5章 ――という嘘を吐いてみました。
1.
朝の教室。華はひたすらけだるかった。
眠い。
昨日の帰り道、西沢の前で醜態をさらしてしまった。もうそれだけでも鬱。いや、それだけじゃない。
(む、胸までさわられたッ……!)
西沢に悪気もその気もなかったことは分かる。一生懸命拭いてくれたんだし。分かるんだけど。
そんなこんなが、いつまでもいつまでも脳内でマイムマイムしていたおかげで寝不足な華。
友人たちは心配そう。
「ハナっち、ほんと大丈夫?」
「徹夜で勉強してたの?」
チサトと五月には、当然のことながら真相どころか発端すら話していない。だからここは勉強ってことにしておくか。
「うおお、ガリ勉だ~」
「ちょ、チサト、ガリ勉って超死語じゃん!」
盛り上がってる2人をよそに、華の背中に着いた耳は教室のドアの開閉音を聞き、足音を判別していた。違う。……違う。……ちが――
<<ほれ、西沢が来たぞ>>
敵は内側にいる。ほんとそうだわ。今は肩に乗ってるけど。
心臓が跳ねた胸を思わず押さえて恐る恐る振り向くと、別の男子生徒に続いて西沢が戸をくぐってきたところだった。通りがかりの男子に朝の挨拶をしながら自席に向かう西沢。その顔が、つと華に向けられ、すぐに正面に戻った。そのまま着席し、カバンから文庫本を出して読み始める。
<<華よ、西沢に朝の挨拶に行かぬのか>>
肩に乗ったまま、こともなげに言うコヒガミ。
(行けるわけないじゃないですか! ていうか、今席を立ったりしたら――)
などと心の中で反駁して、華は気付く。コヒガミが自分を見下ろして、ニヤリと笑っている理由を。
(あ、そうか。同調してないから聞こえてないんだ。ああめんどくさい)
コヒガミが今のように華の身体から抜けている、つまり華と同調していない時は、声に出して話しかけないとコヒガミに伝わらない。向こうの声は、華以外には聞こえないのをいいことにしゃべり放題。ああむかつく。
「華、ほんと大丈夫? 顔赤いよ?」
「気分悪いの? さっきからずっと下向きっぱなし――」
「おーい、朝のクラス会、はっじまっるよー!」
無駄に元気なクラス委員の女子が叫び、それでもなおチサトと五月は華を気遣いながら席に戻った。
2.
お昼。今日はチサトたち以外の女子とも一緒にお昼ご飯を食べる。この間見た動画のこと、土曜日に行く予定のお買物のこと、そしてやっぱり、コイバナ。
平和だな。華はそう思う。そしてそう思ったことに少し驚く。
(今までそんなこと、思いもしなかったのに)
その時、カバンの中の携帯が鳴った。誰からの着信かと確認した手が震えた。
「ん? ハナっち、どしたん?」
「顔真っ赤だけど、まだ調子悪いの?」
「ぅぅぅ……」
うまくしゃべれないし、しゃべるなんてとんでもない。なぜなら、送ってきたのは西沢だったから。
『昼休みに話がしたいんだけど、いいかな?』
ちょっとお花を摘みに。そう言って華は席を立った。
メールで指定された場所は、屋上。階段をとんとんとん、と足音軽く登るのは急いでるから。急いでるからだ。うん。
だから重い扉も勢い込んで押し開け、なんの面白味もない屋上空間へと飛び出した。
<<で、なぜにおらぬ?>>
華から抜けたコヒガミがきょろきょろと辺りを見回した。
「はぁ……急いで来たのに、もー」
落胆して、開いた扉に寄り掛かった。なんだか喜び勇んで来たみたいじゃない――
ぶにゅ、という違和感。ごつっ、という衝撃。「い、痛い……」という嗜虐感をそそる声。
「――じゃなくて、わあ! 西沢君!」
華が慌てて扉を戻すと、華に押された扉と壁にプレスされた西沢が、鼻と後頭部を押さえていた。
<<ぷ! っクククク! なんとベタな!>>
「笑わないでくださいコヒガミさま! きゃあ鼻血!」
気付いて前かがみになったのがいささか遅く、西沢のシャツの胸に鼻血が点々と垂れてしまっている。
「あああ、ごめん! ごめんなさい!」
と言いながら、華は急いでハンカチを取り出して血を拭き取ろうとするが、そう都合よくポケットのハンカチが湿らせてあるわけもなく。
「大丈夫だよ、洗えば落ちるし」
西沢はそう言ってくれたが、昨日みたいに帰り道ならいざ知らず、このまま授業を――昨日の帰り道?
<<昨日と役割が入れ替わっておるのぅ。それにしても、意外と厚い胸板ではないか。そう思わぬかえ? 華よ>>
一瞬理解の埒外にいた華は、自分が男の子に近接して、しかも服とハンカチ越しに、に、に、西沢君の胸を――っ!
跳ね上がった脈動の上昇点で、華は後ろに思いっきり跳び退った。顔は火照るなんてもんじゃないくらい熱い。
<<おお! すごいぞすごいぞ華! 今残像ができておったぞ!>>
何やら目をキラキラさせて驚嘆しているコヒガミを、華はにらみつけた。
「なにわけのわからないこと言ってるんですか!」
<<そうか分からぬか。まあよいわ>>
「まったくもう……」
「あの、田仲さん?」と西沢が話しかけてきた。
「コヒガミさまとのお話、終わったかな?」
西沢が、んん、とわざとらしい咳払いをして頭を下げてきた。
「昨日は、ほんとごめん。その……へたに話して、また薮蛇になっちゃうかもって思ったけど、どうしてもちゃんと謝りたかったんだ。ほんとごめん」
「ううん、大丈夫だよ。あの、ごめんね、汚いの見せちゃって」
いやいや、いやいや、としばらく互いに譲り合って、華は西沢の顔をようやくまともに見ることができた。のに。
<<ほれ、もっとくっつかんか。背中を優しくさすってもらった仲じゃろうが>>
いつのまにか華の背後に忍び寄っていたコヒガミ。耳元で囁かれたとたん、昨日の記憶が、それも嘔吐のそれではなく背中を温かい手でさすられる、あの何ともいえない喜悦感が甦り、そして一気に汗が噴き出た華はまた後ろに下がった。フェンスに背をぴったり付け、はぁはぁと呼吸を荒くする。
「あの、田仲さん? どうしたの?」
「コ、コヒガミさまに……その……」
言えない。
『あなたに背中をさすってもらって、うれしかった』なんて。ああもう、なんでわたし、こんなこと考えてるの?
「んと、話を続けていいかな?」
西沢が華を気遣う顔のまま、話し始めた。
「それでその、昨日の約束なんだけど、さ」
西沢君、どうしてそんなにわたしを追い詰めるの? 昨日の約束、すなわち『放課後にまた喫茶店で』。華の頭の中をその10文字がぐるぐる輪舞する。ぅぅぅ――
「ごめんなさい!!」
華は逃げた。
<<なぜ逃げる? そもそも、最初に誘ったのは華であろ?>>
華は早足で教室に戻りながら、コヒガミに反論する。
「あれはコヒガミさまがした入れ替えを西沢君に報告するためで、誘ったわけじゃないです!」
<<きっかけはそうかもしれぬ。じゃが、あの下駄箱に入れた手紙にすべてを書けばよかったのに、なぜせなんだのじゃ?>>
びくりと体を震わせて、華は立ち止まった。
「そ、それは、そうですけど、ですけど、その時はそんなこと考えも――」
「あれ? 華じゃん」
階段を下りて教室まで1メートル。さっきお昼を一緒に食べたクラスメイトがそこにいた。
「あれ? 華ちゃん、お花摘みに行ったんじゃなかったっけ?」
2人して不思議そうに見つめてくる。トイレに行っていたという言い訳は通用しない。なぜなら逆方向だから。
「あ、西沢君だ」
その女子の声に釣られて華が振り返ると、誰もいない。いや、階段の角からそーっと出てきたのは、西沢だった。実に気まずげに頭を掻いている。
<<ぬしが話しているのを見て、隠れようとしたんじゃがのぅ>>
「西沢君、その血、どうしたの?」
あ、いや、これは、その。西沢も上手く口が回らない。
「あれ? ハナっち、トイレ行ったんじゃないの?」
追い討ちにチサトたちまでやってきた。あああ、どーすればいいの?
<<華よ、ちと借りるぞ>>
何を借りるのか問うより早く、華の口が勝手にしゃべり始めた。
「えー、かわや……じゃなかったトイレに行ったらちょっと気分が悪くなったから、屋上で風に当たろうと思って行ったら、そこな……じゃない西沢……君がいて、屋上の扉を開けた拍子に西沢君の鼻にぶつけちゃって。で、謝って拭き取ろうと思ったのじゃ……だけどハンカチ濡らさないといけないから降りてきたの」
華がポケットから取り出した、西沢の血が少し付いたハンカチを見て納得した様子のクラスメイト2人は、何かを思い出したらしくぺちゃくちゃしゃべりながら教室に戻っていった。取り合えず、助かった――
「――という嘘を吐いてみました」
コヒガミさま、なに言わせるんですか?! 西沢、チサト、五月、3人とも呆然としてしまったではないか!
(ちょ、ちょっと?!)
「西沢君、ごめんね」
コヒガミ憑き華はイタズラっぽい目つきで西沢をチラッと見ると、親友2人に説明を始めた。授業再開まであと少し。
3.
部活までさぼって、ここは駅近くのカフェ。華の左隣に西沢。2人の対面には、
「まったく、ハナっちも隅に置けないね!」
とニヨニヨが止まらない様子のチサト。その右に座る五月は沈黙を保ってカフェオレをすすっているが、明らかにカップを持つ手が震えてる。
「五月、悔しいの?」
「ち、ちが、アハハハ! に、西沢君が、すっごい面白い!」
確かに、めっちゃ挙動不審である。
「い、いや、その、こういうとこに入ったの初めてだし、外からめっちゃ見られてるし、視界が全部女の子でどこに視線向けたらいいか分からないし……」
それを聞いたチサトも吹き出した。五月はもはや爆笑域に達した模様。
「み、み、右を向けばいいじゃん……華のほう……アハハハハ! も、もうだめ、お腹痛~い!」
いやそれも、と言ってしまって慌てて華にフォローを入れてきて更に2人に笑われてる西沢。
(コヒガミさま! なんてことしてくれたんですかっ!)
華の心中絶叫に、コヒガミの応答はない。ずるい。
コヒガミ憑き華は、またも嘘をついていた。部活からの帰り道、たまたま一緒に帰ることになった西沢が話しかけてきて、修学旅行のプランを話し合おうと誘ったことにしたのだ。コヒガミの存在はもちろん、2人の想い人取り替えを説明できないからなのは分かるけど。
(ぅぅぅ、西沢君、怒ってるよね?)
華がチラ見すると、西沢は目が合ったとたん、ぱっと顔を背けてしまう。でも彼の正面にはチサトが陣取っているわけで、
「ぎゃははは! ぼっち君、照れてる~! かっわいい!」
「こらこらミサト、華のカレシにチョッカイかけないの!」
「かかかかかかカレシじゃなーい!」
思わず絶叫して店中の注目を集めてしまった華であった。
「あ、うん、付き合ってないから」
またまたぁ。とツッコミが西沢に入ったところで、ようやく本題。ミサトが拗ねる。
「ちぇ、ハナっち水臭い。昨日メールしてくれれば学校に持ってきたのに」
どうも我らが班長殿は、皆に宿題を出しておいてまだ何も考えていないようだ。五月がため息一つ。しょうがないなあと言いながら、持ってきていたガイドブックをカバンから取り出した。
「おお、心の友よ!」
「ちょ、一緒に見ようよ!」
なんのかんのと言いながら仲のいいミサトと五月。華も実はしっかり持ってきていたガイドブックを取り出したところで、気が付いた。ぼっち君ならぬキョロ君と化していたはずの西沢が、カバンを太ももの上に置いたまま固まっているではないか。
「あの……西沢君、どうしたの?」
「あ……いや、その……」
西沢君、なんで顔赤いの? 華が聞くより早く、五月にシューズの先をこつんとされた。
「華、察したげなよ。一緒に見たいんだよ、華のガイドブック」
「そうそうそうそう、は・な・の・ガ・イ・ド・ブ・ッ・ク!」
「一字切りしないでよチサト! むかつく……」
<<まあそう申すな。ほれほれ華よ、にしざわがなかまにしてほしそうにこちらをみています、ぞよ?>>
「意味が分かんない!」と思わず叫んで失態に気づく華。
「ハナっち、なんか電波受信してるの?」とミサト。
「あ、ほんとだ、髪の毛立ってる」と五月。
華が手で探ってみると、確かに前髪が一束ピンと直立していた。手で押さえても直らない。
<<知らなんだのか? わらわが同調している時は、そうやって髪が立つもんなんじゃが>>
(知りませんよ! も~!)
コヒガミが同調しているうちは髪立ちが収まらないことに華が気付いたのは、しばらくしてから。その間、こちらをチラ見しながらコーヒーをすする西沢は当然のこと、華も見た目は無言だったため、ミサトと五月はガイドブックを見てあーでもないこーでもないとやっていた。
「えと、に、西沢君。見る? ガイドブック」
「え? うん、見せて」
努めて『しょーがないなぁ』という表情を作って、華はテーブルの上のガイドブックを左にずらしてやった。が。
「あ!!」
ガイドブックが水の入ったコップを押しのけてしまい、テーブルの縁にあったそれはひっくり返りながら西沢のほうにダイブしてしまった。
「あああ、ごめん! ごめん!」
「何やってんのよ華……」
「あはは! で、『わたしが優しく拭いてあげる』とか言って、ぼっち君のイケナイところを刺激しちゃうんだ」
「するか!」と妄想モードに入ったチサトをにらんだ華だったが、
「大丈夫だよ。カバンが濡れただけだから」と西沢がフォローしてくれた。
「え、でも、中に水沁みちゃったかも」
「大丈夫だと思うけど……」
「ぼっち君?」
にゅう、と伸びたチサトの細い手が、西沢がなぜか隠すように拡げたカバンの中のものを掴んでいた。
「この付箋一杯のガイドブックは何かね?」
「あ」
数分後。
「姉ちゃんが勝手に貼ったんだって。ほんとだから!」
「ふーん」
「オレがそんなところ、わざわざチョイスなんてしないよ!」
「ふーん」
西沢は困りきった赤面で、ふーんとしか発しないニヤツキクラスメイト2人に釈明している。が、華はそれどころではない。心臓の早鐘っぷりはもはや爆散寸前である。
「ほら、ハナっち、なに黙ってんのよ」
「そうだよ。西沢君の非実在お姉さんお薦めのデェトスポットを見てあげなさいよ」
「いやいや、ほんと姉ちゃんが勝手に貼ったんだってば」
華の目の前に、おずおずと差し出されたガイドブック。西沢君は意地悪だ。なんでガイドブックをぐるぐる回すの? あれ? あれ――
「きゃ! 華!?」
「おーい! ハナっち、寝るな!」
「ちょ、ちょっと田仲さん?!」
自分の鼻先が彼のガイドブックにタッチした感触を最後に、華の目の前は真っ暗になった。
「乙女にもほどがあるね」
「ぼっち君、こんなフツツカモノだけど、よろしくね」
「いやだから、付き合ってないし」
またまたぁ。その冷やかしの声が決め手となって、華は目を開けた。カフェ近くの公園。そこの芝生に華は身を横たえられていた。
「田仲さん、大丈夫?」
夕暮れをバックにした西沢の心配そうな瞳に、華の顔が映ってる。そのことに少し赤面して、額に乗せられた濡れハンカチを押さえながら上体を起こすと、華は友人たちに問うた。自分が目を回してからのことを。
「テーブルで寝たままにしとくわけにもいかないから、あたしと五月で支えて外に連れ出そうとしたんだけど――」
「華が意外と重くって」
西沢がなぜか慌てて手を振った。
「いやいや、意識のない人って重くなるっていうし。ていうか、そんなに重くなかったよ?」
そのフォローを聞いたチサトと五月が、おおー、とうなった。
「聞きましたか五月さん」
「聞きましたか華さん」
「……何を?」
「ノリがわるーいっ!」の声とともにデコピンの一斉射を食らう華。なんなのよ一体。
<<キーワード 壱。お姫様抱っこ。じゃ>>
コヒガミの声が聞こえる。
「お、お、おひめさまだ……っこ?」
? みんな、なんで目を丸くしているの?
「ハナっち――」
チサトが一転神妙な顔で華の肩に手をやる。
「よく自分をさらけ出した」
「は?」
「さ、西沢君? お姫様のリクエスト、聞こえなかったとは言わせないよ?」
五月まで、真顔で西沢の背中を叩いている。西沢は混乱しているようで、また挙動不審になった。
「え? え? なんで話が飛ぶの? オレは背負ってみた感想を言っただけ――」
「せおった、ってっ!?」
華の素っ頓狂な叫びを聞いて神妙顔が崩壊し、爆笑を始めた親友2人。その息を切らしながらの説明を総合するに、難儀している彼女たちを見かねた西沢が華を背負ってここまで来たらしい。
「あ、うん、ほんと重くなかったから」
西沢のフォローに顔を真っ赤にしてうつむく華。西沢はあの五右衛門風呂の炊き付けに使う薪を、山小屋まで自分で背負って昇らなければならないらしい。だからその苦労に比べてということなのだが、
「へぇ、ぼっち君、意外とたくましいんだねぇ」
目を細めたチサトは、五月にデコピンを食らった。
「チサト、他人様の持ち物を欲しがらないの」
「いや、オレ、物じゃないし」
西沢のちょっとずれたコメントを五月が打ち返す。
「なるほど、華のものであることは否定しないんだね」
「きゃ~! で、『もちろん華はオレのもの』とか言ってお姫様抱っこにつなげちゃうんだ!」
「相変わらず斬新な発想だね、辛島さん」
ついに西沢まで苦笑気味ながら笑い出した。つられて、華も。
そのあと芝生の上で、4人で自由時間のルートについておしゃべりしていたが、時間が来た西沢が先に帰ることになった。
「ごめん、山小屋の番を親父と交代しなきゃいけないから」
西沢の言葉につられて、華たちも立ち上がった。
「じゃあ、ね。西沢君」
「ちょっと待ったぁ!!」
「何よ?」と驚く華に、親友2人が詰め寄る。
「送ってきなさいよ、華」
「なんでそこでドライになるかなぁ?」
2人の剣幕にたじろぐ華を見かねてか、西沢が笑って助け舟を出してくれた。
「いいよいいよ、急がないといけないし」
じゃあ。西沢は手を挙げると自転車のほうへ走っていった。
それを見送った3人。
「……なんか、イメージと違う」
「ぜんぜんぼっちじゃないじゃん」
それぞれにコメントを出して、五月とチサトはくるりと華のほうを向いた。
「華――」
「な、なに?」
華の肩に手を置いた五月の顔は真剣そのもの。
「応援してるから」
「は?」
「うん、全力で」とチサトは五月と肩を組み始めた。
「は?」
「は? じゃない」「そこはありがとうでしょ?」
これを潮に帰ろうとした華の目論見ははずれ、土曜日の買物に気合を入れて臨むよう、こんこんと諭される羽目になったのであった。
4.
「疲れた……」
ぐったり。帰ってきて、ジャージへの着替えを活動限界に、華はベッドにうつ伏せで倒れていた。
<<そーじゃのぅ>>
コヒガミはその傍らで願掛けの処理をしている。
「そーじゃのぅ、じゃありませんよ……誰のせいだと思ってるんですか……」
もはや華には怒鳴る元気もない。
「だいたい、なんであんな嘘ついたんですか?」
<<嘘……どれのことじゃ?>>
紫の願掛けを弾き終えたコヒガミが、華のほうを向いた。
「どれって、お、お姫様抱っこですよ。もぅ、恥ずかしかった……」
あの時のみんなの表情が思い起こされて、枕に顔をうずめる華。
<<嘘なぞついとらんぞよ>>
「なにを白々しい……じゃあ、あれはなんなんですか?」
<<知れたこと>>
コヒガミが寄ってきて、華のまだ赤みの残る耳元で囁いてくる。
<<あれは『華が西沢にしてほしいこと』第1位じゃ>>
「なるほ……んん?! んなわけないじゃないですか! 勝手にわたしの願望をねつ造しないでください!」
がばっと跳ね起きた華の抗議を、コヒガミはニヤリといなす。
<<ねつ造なぞしておらん。ぬしの心のままに、じゃ>>
そんなはずは、と言いかけて俯いてしまった華を横目に、コヒガミは選別に残った桃色の願掛けに正対した。
祝詞の詠唱、そして発光。一連の流れを見るともなく眺めていた華には、どうにも気になることがあった。
「あの、わたしがこんなこと言うのも差し出がましいことかもしれませんけど、もうちょっといい顔というか、普通の顔できないんですか?」
どうにもやるせない。そんな表情のコヒガミを、願掛けの処理のたびに見てきた。うんざりする気持ちもわからないではない。でも、もうちょっと何とかならないのか。華の質問の本音はそこにある。
<<ん、ああ、すまぬな。わかってはいるのじゃがな。だが、わらわでもどうにもならぬのよ>>
いわゆる"純真"でない限り、ヒトの願いには我欲が混ざる。コヒガミの場合は"純愛"以外、ということになる。コヒガミはヒトの願掛けをその身に取り込んだのち、祝詞の詠唱によりそれぞれの願いを"フラグ"として昇華させるのだが、願掛けに織り込まれた我欲がコヒガミの身体に澱のように溜まって、彼女の御神体は穢れていく。コヒガミはそう華に説明した。
<<もうかれこれ100年、この身でヒトの願いを聞き届け続けておるからの>>
神様稼業も楽じゃない、とでも言うのだろうか。
「辞められない……のですか?」
<<辞め方がわからぬ>>とコヒガミは自嘲気味に笑う。
<<この身は死なぬ。ヒトのように殺されることもなく、ヒトに殺されることもない。願掛けをひたすら処理し、悠久の刻を生きるのみよ>>
その寂しさに満ちた表情は、憑りつかれて以来華が初めて見るものだった。
<<じゃからこそ、華をおちょくるのくらいは許してたもれ>>
「ま、そのくらいは……って何言わせるんですか! ていうか、所用とやらはどうなったんですか? さっさと済ませてくださいよ」
言われて、コヒガミはにっこり。
<<案ずるな。着々と準備は進んでおる>>
「準備……?」
華がコヒガミの言葉を聞き咎めた時、階下から母の声がした。夕食の準備ができたようだ。今日は確かロールキャベツのはず。
<<さ、参ろうぞ、華。ぬしの母御の食事は大概今一じゃが、煮物だけは評価できるぞ>>
「やっぱ今一なんだ……」
微苦笑しながらベッドを降りて、戸口に向かう華。その身が、つと止まった。
<<ん? どうかしたかえ?>>
「コヒガミさま……背、伸びました?」
確かこの間初めて相対したときは、華の目元までしか背がなかったはず。なのに。
<<うむ、伸びたのぅ>>
華と同じ目線。コヒガミはにっこり。
なんだろう。この笑顔の黒さ。腑に落ちないまま、華はコヒガミに憑りつかれて階段を降りていった。
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