第4章 やっぱ、うかつに話題を振るもんじゃないな。
1.
放課後の喫茶カトレア。西沢は、テーブルに突っ伏す女子高生、田仲華を目の当たりにしていた。
自分は突っ伏すどころではない。今、華から聞いた話をまとめると『うちの祭神であるコヒガミさまが華に憑りついていて、しかも何か下界に用事があるらしい』のだ。
「あの、田仲さん」と西沢は頃合いを見て、華に声をかけた。
「今もしかして、コヒガミさまって君の背中に乗ってたりするの?」
「ええ、そうよ。重いわよ」
そう嘆いて、華はパッと跳ね起きた。ショートに切りそろえられた黒髪が跳ね回る。
「見えるの? 見えるの? 西沢君」
華の勢いにちょっとたじろぎながら、西沢は笑って答えた。
「ううん、見えないよ。何となく、そう思っただけ」
なぁんだ、とうなだれる華。そんなにがっかりすることなんだろうか。西沢はその疑問を華にぶつけてみる。
「そうよ、ちょっとがっかり。姿が見えて、コヒガミさまとお話ができるなら、説得して憑りついてるのをやめさせてもらおうと思ったのに」
「そっか……ごめんな、役に立たなくて」
西沢が華に謝った次の瞬間、華がまた跳ね起きた。眼を怒らせて。
「何を謝ることがあるのじゃ! ヒトの分際で神をどうこうしようなど、おこがましいにも――」
「ああーっ、もう! 勝手にしゃべらないでください!」
なんなんだ、これ? 西沢が目をパチクリさせると、華は真っ赤になってまたテーブルに伏せてしまった。
「おまちどうさま。……華ちゃん、どうしたの? 何か叫んでたけど」
ホットコーヒーとココアを持ってきたマスターが心配そう。華は真っ赤な顔のまま起き上がると、ダイジョブデスとぎごちなさを隠しきれない声色で答えた。
なおも怪訝そうなままカウンターへ帰っていくマスターを見送って、西沢は身を乗り出し気味に、少し声を落として華に尋ねた。
「今の……コヒガミさまなの?」
「そうなのよ」と身を起こし、西沢と同じくテーブルの上に乗り出した華の声も低い。
「私の身体に同調してるときにね、勝手にしゃべっちゃうのよ。この間、修学旅行の班決めしたときもそれなの」
「えーと、つまり……オレを誘ったのは田仲さんじゃなくってコヒガミさまだったってこと?」
華の顔色が変わる。
「あ、いやその……」
「しようがないのぉ」
と華の顔がきりっと引き締まり――いや別に普段の華がだらしない顔をしているという意味じゃなくて――口調が改まった。
「あれはの、華の気持ちも半分入っとる」
「な?! ななな何言ってんですか?!」
また赤くなって華が叫び、すぐお澄まし顔に戻る。
「何を言うとはこちらのセリフじゃ。ぬし、わらわが立ち上がらせねば、ずーっとそこな男をチラ見し続けるつもりだったのか?」
ああ、確かに見られてたな。西沢はその時の状況を思い出す。どうせ最後は強制的にどこかの班に割り振られるんだからと、周りの喧騒をよそに小説を読んでいたのだ。
だが、ふと視線を感じて顔を上げると、華の視線とぶつかった。すぐ逸らされた。また見られた。さっと逸らされた。また見られた。つと逸らされ……の繰り返しがしばらく続いた後、お誘いを受けたわけだが。
「まあでも、うれしいよ。誘ってくれて。ありがとう」
それは素直な気持ち。西沢は軽く頭を下げた。ぎごちなく会釈を返してきた華に尋ねる。
「ところでさ、えーと、辛島さんとか波早さんの想い人が別の人になっちゃったのは、わかったの? 理由」
西沢の問いかけに、劇的な反応を華は見せた。ひくっ、と顔が引きつったかと思うとたちまち顔が青ざめる。そしてみるみる萎れていくではないか。
まさに青菜のごとくなってまたテーブルに突っ伏してしまった華。
(オレ、なんかまずいこと言ったのかな?)
西沢が戸惑っていると、ぴょこん! 華が跳ね起きた。
「わあ!」
「あ、すまぬ。驚かせてしもた」
華、ではなくおそらくコヒガミは大して悪びれた様子もなく謝ると、話し始めた。華は話せる状態ではないから、と。
2.
聞くんじゃなかった。それが西沢の正直な感想だった。話し終えて(そして多分コヒガミが抜けて)また伏せた華を気遣って近寄ってきたマスターにお冷やを2人分お願いして、西沢は目を閉じた。今聞いた話が思い起こされる。
チサトが恋していた男・佐藤は子どもが2人いた。過去形なのは、孕ませた女の子に中絶させたから。堕胎の費用は慰謝料と口止め料込みで、佐藤の親から支払われていた。
五月の元想い人・伊藤はDV野郎。これまたオイタが過ぎたときの支払いは親のフトコロ。
そしてこの2人プラス数人で女の子を誘って、ついてこなければ半ば拉致して無理やり関係を迫ることもしている。大事になる前に連絡するようにと携帯を1つ親から渡されているというから、まことカスと呼ぶにふさわしき奴ばらじゃ、とコヒガミ憑き華は苦虫を潰したような顔で吐き捨てていた。
コヒガミは、自分に願掛けした者の記憶をその身に取り込む。伊藤や佐藤の被害にあった女性が、後日別件で願掛けに来た際に得た記憶らしい。
「知っている以上、あのおなごたちの願いをそのままかなえてやるわけにはいかぬ。どんな形でも恋愛であるとはいえ、な」
それゆえ彼女たちの想い人を、彼女たちが佐藤や伊藤の次に憎からず想っている男に代えたのじゃ。コヒガミ憑き華は、そう説明を結んでいた。
西沢は佐藤や伊藤のことを、顔くらいしか知らない。というか、学校中の男子も女子もほとんど交友がないのだけれど。
「なんというか、そんなことしてる奴ら、ほんとにいるんですね」
まるで小説かマンガに出てくるキャラのようで、西沢には現実感がない。
華が突っ伏しているのは、この現実感のない、でも現実問題として自分が通う高校の同級生の話に嫌悪感しか沸かないからだろう。
西沢には懸念がもう一つある。というか、それは今、できた。
『コヒガミが自分に願掛けした者の記憶をその身に取り込む』
ということは、もしかして、オレの……
それはともかく、話題を変えよう。変えたい。このどうにも澱んだ空気を。華の気分を。でも、どうやって? 今更ながらに会話スキルのない自分に気付いて、そのことに生まれて初めて焦りを覚えた西沢。彼の考えに考えた末の話題選択は、実に無難なものであった。
「あ、あのさ、田仲さん。そういえば、『修学旅行の自由時間をどこに行くかってプラン考えといて』って班長が言ってたけど、もう考えた?」
修学旅行は京都3日間という実にオーソドックスな行き先で、自由時間は京都で6時間ほど設定されている。班長であるチサトが『各自行きたいところを5つくらい出して、被ったところを回るルートにしよう』と言い出したのだ。
こちらの意図を酌んでくれたのだろう、華がまだ青い顔ながらも微笑んでくれた。
「ううん、まだ何も。西沢君は?」
「実はオレも、まだ」
そういって西沢も笑う。期限は明後日放課後のクラス会までなので、前日の夜にでもやっつけようかと思っていたのだ。だから、その次のセリフが自然と口を突いて出たことに、西沢は驚いた。
「じゃさ、明日の放課後、ここで検討しない? オレ、家にたしかガイドブックがあったはずだから」
しばらく考えるように首をかしげた後、華はうなずいた。照れ隠しなのか、包み込むようにお冷やを持って飲む姿がかわいい。
西沢は華がどうにか持ち直したことに安堵しながら、自分もお冷やを一口飲んだ。
3.
夕焼けに染まる帰り道。前回は店の前でバイバイして、さっさと自転車のペダルを踏んだのだが、今日はなんとなく会話が続いて、西沢と華は分かれ道までの用水端を、並んで自転車を押しながら歩いていた。
華の端正な顔も白いワイシャツも、道や塀と同じく夕焼け色。きっちり前を閉じたブレザーだけが濃紺のままで、なんとも言えない不思議な感じ。というか、
(女の子と一緒に帰るって、小学校の集団下校以来だな)
遠い目になっていたのだろう、怪訝そうな顔の華に思い出を語ると笑われた。
「そういえばわたしも、男子と帰るのって小学校以来だわ。……なんか、不思議な感じ」
そう、不思議な感じ。あの時はひたすら世話を焼いてくる女子がウザくて、黙々と歩く女子の存在すら忘れてて。
はぁ。華のついたため息にドキリとして見ると、彼女は重たげに片腕を回していた。
「……もしかして、コヒガミさまが肩に乗ってる?」
「そーなのよ」
実に迷惑そうな華。難儀そうだな。彼女の沈んだ表情を見て西沢は言った。
「大変だね。外にいれば肩が重いし、同調されれば勝手にしゃべられちゃうし」
苦笑いながらも西沢に同意してくれた華。そうこうしているうちに、分かれ道が近づく。だから、もっと話がしたい。そう思った西沢が放った言葉は、事態を悪化させる基になった。
「おまけに、大変なこと聞かされちゃったしね、田仲さん」
びくん。華が突然立ち止って震えた。
「……違うの。き、聞いたんじゃないの」
もっと最悪。文法的に怪しい表現であることもお構い無しに、表情を硬化させた華は話し始めた。
「見たのよ、ミサトと五月の願掛けを。コヒガミさまに身体を乗っ取られて、直接」
直接? まさか――
「さ、佐藤君や伊藤君にされたことの記憶を、コヒガミさまが持ってる記憶が、わたし――」
押していた自転車のスタンドを立てるのももどかしく、華はすぐ傍の用水へと走った。
西沢が呆然と見守る中、しゃがみこんだ華の嘔吐する音が聞こえる。
我に返った西沢は少しだけ躊躇したが、眦を決すると華のもとへ駆け寄り、そっと背中をさすった。ごめん、ごめんと繰り返しながら。
2分ほどして、ようやく収まった様子の華に西沢は深々と頭を下げた。
「大丈夫。もう、大丈夫だから。ごめんね、汚いところ見せちゃって」
華の言葉が西沢の心に突き刺さる。背中をさするなんてやりすぎだったのだろうか。答えの見つけられない西沢はフォローに走った。
「あ、制服……」
華のブレザーに飛び散った吐瀉物の残滓を、西沢は慌ててハンカチを出して拭いた。幸い華はじっとしてくれているが、意外とこびりついててきれいにならないな。そう思った西沢が拭く手にいっそうの力を込めた瞬間。
「あ、あの! そこ、胸……」
「わ! ご、ごめん!」
華はじっとしてたのではなく、硬直していただけだった。涙目でうつむいた華の顔は、もはや夕焼けより真っ赤。そして、自分の顔がそれより真っ赤になっていることに妙な確信のある西沢。
2人してうつむいたまましばらく、やがてどちらともなく自分の自転車に戻り、2人は歩き始めた。 夕焼けに染まる分かれ道までのほんの10メートルほどが、西沢にとっては人生初めての痛い沈黙の帰り道となった。
4.
今日は珍しく父が夜番を志願した。ボトルシップの制作が佳境を迎えているらしい。そのため、山小屋に登る必要がなかった西沢は自宅で夕食。祖父、母、姉と4人で久しぶりに食卓を囲む。
へこんでいる西沢を慮ってか、話を振ってこない祖父と母。そしてこういう時に空気を読まないのはいつも、
「昂、あのハンカチ何? 吐いたみたいだけど?」
西沢の姉が、うつむいて飯を食っている彼の顔を覗き込んできた。別に、とそっけなく言おうとしたが、この機会に今日華から聞いたことを祖父たちに報告することにした。
「むぅ。コヒガミさまが山を下りていらっしゃるとはのぅ」と祖父。
「ふーん、難儀だね、その子も」と姉。
「で、その女の子、タナカさんだっけ? 住所は? ご両親はどんな方? ご職業は?」
「なんでそういう質問になるかな……」
母のとんちんかんな問いかけに西沢はあきれたが、
「当たり前です! うちの子が粗相したんだから、もしもの時のためにちゃんと確認をしとかないといけないの、親は」
ねえお義父さん? と同意を求められた祖父が、曖昧なうなずきもそこそこに、西沢に話しかけてきた。
「昂、コヒガミさまは『下界に所用がある』とおっしゃられたのだな?」
「え? ああ、はい、田仲さんの話ではそうですね」
答えを受けて、難しい顔を作った祖父。何かが引っかかっている。そんな表情だ。
「タナカさん……新興住宅街の方かしら? 記憶にないわね……」
母の思案顔を放っておいて夕食の残りを掻き込むと、西沢はごちそうさまを言って席を立った。自分の部屋に戻ろうとして喫茶店での会話を思い出し、姉に京都のガイドブックの所在を尋ねる。
「あとで部屋に持っていってあげるわ」
姉の返事に何かしら浮き立つものを感じる。ちょっと嫌な予感を覚えながら部屋に戻った。
机に向かい、宿題に取り掛かる。でもなかなか身が入らない。
久しぶりに、本当に久しぶりに自分から他人にコンタクトを取ってみたら、このざま。
(やっぱ、うかつに話題を振るもんじゃないな)
自分が"ぼっち君"と呼ばれていることを、西沢は知っている。それでいい、とも思っている。毎日々々、よくあんなにしゃべることがあるもんだ。しかも時々同じ話題をループまでさせて。
祖父の時代なら"寡黙"と形容されただろう。父の時代なら? 自分に付いたあだ名を知って、以前そう父に尋ねた時、ふっと父は笑って教えてくれた。
「"ネクラ"だな。とにかくひたすらしゃべりまくって、明るく振る舞うのがヒトとしての最低条件。そういう時代だったから」
俺もそう呼ばれてたよ。父の言葉と表情を思い出しながら宿題を進めようと気合を入れなおした次の瞬間、スマホが鳴った。従妹の
『ヤッホー! 昴、元気?』
元気かと聞き返す必要もないくらいのハイテンションボイスが耳に飛び込んできて、西沢は苦笑しながら着信音量を下げた。
「元気だよ。何か用?」
『んもー! 昴、ちっとも電話かけてこないじゃん!』
「あのな、彼氏持ちに電話なんかしないっつーの。用も無いのに」
『えーひどーい! 未来のお嫁さんに向かってー!』
“未来のお嫁さん”。西沢が小学生の時からずっと言われ続けているのだが、西沢にまったくその気が無いうえに舞花もそれ以上何か詰め寄ってくるわけでもない。よって今回もさっくりとスルーして、西沢は話題を変えた。
「お前、修学旅行どこ行くんだ?」
『んとねー、東京と日光だよ』
「へー、中学校は遠くに行くんだな。オレは京都だよ』
『えー、高校生なのにつまんないところ行くんだね』
「そうか?」
『そうだよ!』と舞花がなぜか得意げな仕草をしているのが、電話越しでもわかる。
『あたしはねー、もっといいとこ行くつもりなんだ! 羽羅宿とか、四部谷とか、秋庭原とか、そーゆー所!』
「……お前それ、修学旅行じゃなくなってるだろ」
『あ、そーいえばさー』
今度は舞花が話題を変えてくる。彼女の場合、西沢と違って突然会話を切り替えてくることが多い。
『今週末、暇? 遊びに行っていい?』
「ダメだな」と西沢はにべも無い。
「先週も今週も来週も、週末は山小屋番だから」
ちぇー、と明らかに落胆の声が聞こえたが、切り替えも早い。
「じゃ、若葉祭りならいるよね? ね? また今年も行くから! じゃねー!」
そしてこちらが応答する暇も無くブチ切り。
(あいつに彼氏がいるって……どんな男なんだろうな……)
前々から思っていたが会った時には忘れている疑問をまた脳裏に思い浮かべると、西沢はスマホをクレードルに置いた。
それから気合を入れなおして勉強に励むこと1時間、部屋の戸がノックされた。姉だ。手にはガイドブック。渡されたそれを眺めて、西沢は眉をひそめた。付箋が冊中のところどころに貼ってある。試しに開いてみて、ため息一つ。『先斗町で一押しのスィーツはこれ!』にべったり付箋が張られているではないか。
「何これ?」
「何って、その子と一緒の班なんでしょ? 修学旅行」
微妙な顔をしたのが気に入らないのだろう、姉は力説する。自分が修学旅行に行った時、今も付き合っている彼氏が女の子向けのスポットをいかに知らなかったか。そして、仕方なく巡った各寺院にて、安置されているみ仏についてどれだけ詳しく語ってくれて、それが全然うれしくなかったことを。
「だからね、これは必要なの。その田仲さんって子に、私と同じ苦しみを与えたくないの」
「いや、あのさ……」
やっと姉が一息ついて、西沢は反論する。
「オレ別に、その子と遊びに行くわけじゃないんだけど」
「まあいいからいいから……あ、そうだ」
姉は突然何かを思い出すと、付箋を絶対にはがすなと言い置いて部屋を出て行った。自分の手に残されたガイドブックを見て、西沢の気持ちはまた沈む。明日の華との約束、それが果たされるはずがないから。
(まあでも、自分の候補は選んどかないといけないのか。はぁ、憂鬱だな……)
西沢は机の上のクレードルに立てたスマホを見つめる。確認、すべきなんだろうか。それとも、掛かってくるまで待つべきなんだろうか。
そして、田仲さんはオレの“あのこと”を知ってるんだろうか。このあいだ、参拝者が誰もいない隙を狙って鈷斐路石にした願掛けを、コヒガミは田仲さんに話しているのだろうか。
宿題の残り。風呂。ネット。そのつどちらちらと気にしていても、携帯が着信音を鳴らすことはなく、夜は更けた。
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