第2章 ううん、私、好きな人なんていないから。
1.
ゴールデンウィーク明けの月曜日。華は、緊張の極みにいた。
(ぅぅぅ、まさかわたしが、男子の下駄箱に手紙を入れることになるなんて……)
いや、あれは手紙じゃない、メモ。そうメモ。連絡事項を書いた、メモだ。華は必死にそう思い込もうとするのだが、しばらくするとまた、ぅぅぅ、に戻ってしまう。
華の下駄箱の君は、西沢だった。あの山小屋の寝室で起こった出来事を話したい、相談したいと思ったのだが、西沢の携帯のアドレスを知らない。改めて神社に訪ねていくのも気が引ける。というわけで、朝早くに登校して西沢の下駄箱に手紙、じゃないメモを突っ込み、ダッシュで教室に駆け込んできたのだ。
以来十数分、教室の戸が開く音がするたびに、びくっとする。それを繰り返してきた。女子からの挨拶も上の空。
(なにやってんだろ、わたし。メモメモ、ただのメモなのに……)
「ハナっち、おはよう」「華、おはよう」
「きゃっ!」
肩に手を置かれて、華は思わず叫び声を上げてしまった。クラス中の視線が華の赤面に集中する。
「どしたの?」
「な、なんでもない。ちょっと考え事してて……」
こういうとき定番の言い訳をしつつ振り返った華は、見てしまった。教室後ろの戸から入ってくる、西沢を。
西沢は自席に進む途中のクラスメイトに挨拶しつつ、華のほうをちらっと見た。それだけで、華の心臓が破裂しそうになる。
(なんで、なんでわたしがこんなことで……)
クラスの男子の1人。ワン・オブ・ゼム。むしろモブ。モブに、このあいだのことを相談するだけ。
華は自分にそう言い聞かせて、朝のホームルームを待った。
放課後、部活を終えた華は、心身ともに疲れ果てて自転車をこいでいた。目的地は高校の東に1キロメートルほど行ったところにある喫茶店だ。メモに、そこで話がしたいと書いたのは自分なのだが。
(はあ、こんなことならお昼に体育館裏とかにすればよかった)
授業中。放課中。お昼時。華は自分の右斜め後ろを意識しっぱなしだった。
西沢に、見られている気がする。実際2限目に、前から回ってきたプリントを後ろに回す時、彼と目が合った。むろん向こうはしれっとした顔で元に戻った。自分も戻った、はずなのだが。見られている、というドキドキは、なかなか収まらない。
(ぅぅぅ、やっぱ行くの止めようかな……)
それでも華はペダルを漕ぐ。こちらから呼び出しを掛けた手前、すっぽかすなんてできない。華は律儀な性格でもあった。
喫茶店に到着し、母校のステッカーが張られた自転車を駐輪場に発見。来ている。名前も『西沢』って入っている。
華はごくりとつばを飲み込むと、ドアを開けて中に入った。西沢はすぐに見つかった。というか、こちらをいち早く見つけて、はにかんだ顔をしながら手を上げている。
顔を赤らめながら急いで対面の席に座ると、マスターが「いつものでいい?」と聞いてきた。なんだかニヤニヤしている気がするが、気にしない気にしない。
「田仲さん、ここ、よく来るの?」
「え? あ、う」
突然西沢に話しかけられて、華は言葉に詰まる。
「大丈夫?」
西沢が心配そうな顔をするのを手で制して、華は胸に手を置いて深呼吸。
「うん、ごめんね。急に呼び出したりして」
「ううん、いいよ。別に予定もなかったし。それで、このあいだの事って?」
「実は、チサトと五月のことなんだけど――」
そう前置きして、華は要点を説明した。チサトは佐藤君、五月は伊藤君のことが好きで、その想いを成就させてほしいと鈷斐路石に願ったはずなのに、飛ばされた夜の寝室では、チサトは鈴木君、五月は高橋君に想いを寄せていた。佐藤君は? 伊藤君は? という華の問いを2人は笑い飛ばし、そのまま別の話題に流れてしまった――
「でもね、メールが残ってるの」
そういうと、華は携帯のメールを呼び出して、西沢に見せた。チサトや五月からのメールを2つずつ見せる。
「なるほど」西沢はうなった。「確かに佐藤君と伊藤君しか出てこないね」
「今まで、そういう話ってなかった?」
一緒に祈った友達の想い人が変わってしまった。そういう話はなかったか。華の問いに、西沢は眉間にしわを寄せて記憶をたどったようだが、しばらくしてかぶりを横に振った。
「聞いたことないな。『お参りしたのに告白してもダメだった』っていう電話なら、たまに来るけど」
「来るんだ……」
華が呆れてつぶやくと、西沢は笑った。
「こっちは一応謝るけどね。『うちの神様が到らなくて、どうもすみません』って」
「あはは、謝っちゃうんだ」
笑われて、西沢が少し顔を赤らめる。
「しようがないじゃん。コヒガミさまが直接謝れないんだから」
「そんな、いるかどうかも分からないのに」
からかうような華の言葉に、西沢は乗ってこない。
「じゃあ、コヒガミさま以外の誰が、君たちを御神木まで飛ばしたの?」
ギクリ。華は顔をこわばらせる。うちの祭神はコヒガミさまだけだよ、と西沢は付け加えた。
「なにか別の妖怪とか」
「だとしたらえらいこっちゃ、だよ」と西沢はいたってまじめに考え込み始める。
「あの山全てコヒガミさまの神域だから」
「……いや、あの、冗談だから」
そのまま押し黙ってしまった西沢に華は慌ててフォローを入れると、いつのまにやら運ばれてきたホットココアをすすった。
「じゃあ取りあえず、家に帰ったら親父と爺さんに、そういうケースが過去になかったか聞いてみるよ」
西沢もホットコーヒーを一口飲んでの、それが当座の結論だった。そして、華にとって驚天動地の言葉が西沢から発せられたのはそのあとすぐ。
「アドレス教えてよ。携帯の」
そのまま華を見つめる西沢。口をぽかんと開け、固まる華。どれほどそうしていたろうか。
「……なななな、なんで?」
パニックを起こした華が発した質問は、西沢を困惑させた。
「だって、今から帰って2人に聞けばすぐ分かるし。またこうやって待ち合わせて報告会でもないかな、と」
「あ、あああ、そうだよね」
自分が耳まで真っ赤になっていることを自覚しながら、華は慌ててスマホを取り出し、操作して西沢のほうに構えたところでまた固まる。今度は西沢が、きょとんとした顔をしているのだ。
「田仲さん、なにやってるの?」
「なにって、アドレス交換でしょ?」
怪訝そうな顔の華。やがて、腑に落ちた顔で華が確認する。
「もしかして、交換の仕方を知らない……?」
「……え? 電話番号とメアド、紙に書いて渡すんじゃないの?」
今日は驚きの連続だ。華はそう思いながら、やり方を西沢に教えた。
「――おお、本当だ。すげぇ」
素直に感心しているのを見て、ほっこりしている自分に気付いてまた赤面の華に、そういえばと西沢が聞いてきた。
「田仲さんは……その……大丈夫、だったの?」
「なにが?」
「いや……その……田仲さんは、好きな人が変わってなかったのかな、と」
「ううん、私、好きな人なんていないから」
きっぱり。華は断言する。だが、そっか、とつぶやいた西沢の表情が読めず、冷めてきたココアを飲むことで気持ちを落ちつかせることにしたのだった。
2.
西沢とはそのまま喫茶店の前で別れ、華は家の前まで戻ってきた。なんだかひどく疲れている。
(慣れないことはするもんじゃないな)
自転車を降りながら一人ごちる。クラスの男の子を喫茶店に呼び出して密談、なんて。
「華ちゃん、おかえり」「おかえりぃ」
家の近くまで来た何よりの証拠、託児所の保育士と子供たちが声をかけてくれた。『赤ちゃんの家』というそのものズバリなネーミングのこの施設、華はチサトたちと学校のボランティア体験でお邪魔して以来、気軽に声をかけてくれる。
自転車をこぐ足を止めて、華はしばらく保育士と雑談した。合間合間に幼児たちにスカートのすそを引っ張られる。
「こら! お姉ちゃんにやんちゃしちゃダメ!」
保育士が笑いながら叱り、子供たちも笑いながら逃げる。いつも歌と笑いが溢れているここが、華は好きだ。
そうこうしているうちに暗くなってきたので、名残惜しいが家へと向かうことにする。だいぶ暗くなっちゃったな。街灯の陰にあった小石に乗り上げてふらつきながら、華は思った。
彼はもう家に着いただろうか。『じゃ』って言って、少しはにかみながら自転車に飛び乗ると振り返りもせずに駆けていった彼。もう少し名残惜しそうにしてくれてもいいのに……って、またわたし、なんでここでモノローグ入れてるんだろ? 家の前に着いた華が眩暈でいささかふらつくと、
「華? 何やってるの、家の前で」
今度の声は背後から。母が玄関から顔をのぞかせている。華は首を振って自転車を玄関前に止めながら、ただいまを言った。
「今日は遅かったわね。何かあったの?」
「メールしたじゃん。部活の後、友達と『カトレア』に寄ってくって」
華が喫茶店の名を出すと、母はあっさりと納得して台所に消えた。華も自室に戻って、部屋着代わりのジャージに着替える。
母と2人での、いつもの夕食。父不在で夕食をいただくこと。そのことに罪悪感を抱かなくなったのは、いつからだろう。というか、父と話をしたのはいつだったか。父は仕事の関係で3、4ヶ月に一度しか家に帰ってこない。てことは、1月頃か。ああそういえば、雪がよく降った日だったな。
「華、珍しいわね」
「え? 何が?」
華の思考は、母の一言で中断された。
「食べが少ないみたいだけど……おいしくない?」
「そ、そんなことないよ! お母さんの肉じゃが最高! うん!」
華はそう言うと、目の前にテンコ盛りされた肉じゃがを目いっぱい掻き込んだ。母のほうをうかがうと、華の食べっぷりに満足したようだ。
(はあ……困ったもんだわ。いつものことだけど)
華の母は、とにかく多種多量の食事を毎食卓に出してくる。なんでも子どものころ家が貧しくて、いろんな料理が並ぶ友達の家がうらやましかったからだとか。
これでその食事がおいしければいいのだが、残念ながら……な現実。にもかかわらず、食事の量が少ないと『お母さんがあなたくらいのころはね』と長い説教が始まってしまう。よって、華は全ての食事を完食せねばならないのだ。
それともう一つ、母の母、つまり祖母の料理はとてもおいしくなかったらしく、『あなたの子には、私の受けた苦しみを味あわせたくないの』と言われて、隔週の日曜日には料理教室に行かされている。まあ学んでおいて損はないことなので、華にとってそれは苦ではないどころかむしろありがたい。ありがたいのだけど、ね。
母がまた話しかけてきた。
「それにしても珍しいわね。カトレアに行くなんて」
「ん」その質問は想定済み。
「たまには違うところに行ってみようってことになったのよ。駅前のハンバーガー屋もちょっと飽きたっていうか」
「ふーん……それにしては、随分早かったわね、帰るの」
「べ、別にいいじゃない」と声が裏返る自覚。
「ごちそうさま。お母さん、今日も美味しかった」
定番のお世辞を母に告げて、華は食卓を後にした。
3.
なんとなく早足で階段を上がる。途中で滑って脛を階段の角に打ち付けるくらい、早く。
(いててて、何してんの、あたし)
自虐しながらベッドの上に投げ出したスマホ視認。着信の証のチカチカと心拍がシンクロしてる。そんな自分をさりげなく無視して、華はメールを読んだ。
『祖父と父に確認したけど、想い人が入れ替わるようなことは聞いたことがないって。祖父が曽祖父の日記とかを調べてくれるから、また何かわかったらメールする。といっても、ものすごい量あるから、かなりかかるかも。』
……やっぱりないんだ。華はここでふと気づく。
チサトも五月も、山小屋から下りる道すがら、御神木まで飛ばされたことに『ありえない』の連発だった。でもわたしは、なんとも思ってなかった。
柵に開いた門をくぐった後、嫌がる五月に無理強いして、チサトがもう一度コヒガミさまに願掛けをしてみたが、今度は体が光ることもなく、御神木へひとっ飛びもなかった。再現性がないから、他人に話しても信じてもらえないのは確かだ。でも。
(なんでわたし、平然としてるんだろう?)
華は自分に対して抱いた疑問に答えを見つけられないまま、もうチカチカしない携帯を見つめていた。
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