第37話 三本目の酒

 これはあくまでも人づてに聞いた話である。

 サンタン家のパーティが実質主役不在のまま終わった後の事、一族の人間とサンタン家いやレムネイドに近しい者だけが残っての二次会が行われた。

 新当主だけは子供なので挨拶疲れと緊張で眠ってしまったらしいが。


「諸君の協力でパーティはつつがなく終了した」


 とレムネイドは言うが、この場に残った者達の内心は、『アルフレイム男爵に利用されただけじゃね?』という本音で一致していた。

 一応新当主の後見人なので皆何も言わなかったが、この件はいずれ彼を後見人の座から引き摺り下ろす為のカードとして使うつもり満々であった。


「そこで諸君には私からのささやかなお礼として、こちらの酒を振舞おうと思う」


 そういってレムネイドが木箱から取り出したのは、ラベルの貼られていない酒の瓶だった。


「レムネイド殿、それは?」


 取り巻きが興味深げに酒を見つめる。

 彼等の疑問も当然だった。

 通常酒の瓶には酒蔵の名前や酒の銘が書いてあるものだ。

 銘というのはブランドであり、酒蔵が自分達が作ったものなんだぞという唯一最大の自己主張なのだから。

 だというのに、この酒にはラベルが貼られていなかった。


「これはとある方から頂いた市場に出回っていない新しい酒です」


「新しい酒!?」


「ええ、私のツテで運よく一本だけ手に入れる事が出来ましてね。量が無いので本日のパーティには出さなかったのですよ」


 つまりこの酒を呑めるのは選ばれた者だけだ、とレムネイドは言いたいのだろう。

 この場に残った者達はその酒の『味』という正体を知りたいと思うと同時に、酒を提供した何者かが誰なのかとも思った。

 もっとも、この状況でレムネイドに貴重な酒を送る人間など、彼等の脳裏には一人しか浮かばなかったのだが。

 そう、敵である筈のアルフレイム男爵である。


 こうなると人間の好奇心というのは危険な毒である。

 敵対する相手が提供してきた酒、それはどのような意味を持つのだろうか?

 まさか既に死に体であるサンタン家を滅ぼす為に毒の入った酒を提供する筈もあるまい。そんな事をしても彼にとってはデメリットにしかならない。

 だとすれば何故?

 残った者達はこう考えた。

 おそらくコレはアルフレイム男爵からの警告なのだろう。

 自分はこれほどのモノを提供できる力とコネを持っている。

 お前達は逆らったりしないよな? と。


 彼等は考えた。

 きっとレムネイドはそれに気付いていないと。

 サンタン家の本家で無いこともあって彼等は、事件を第三者の視点で見る冷静さが多少なりともあった。

 なにより新当主の後見人の座を奪われたので彼等にとってはレムネイドすらも敵と言えた事も、彼等にレムネイドの立場を対岸の火事として冷静に見せていた。


 ならば自分達はおとなしくしておけばよい。

 わざわざ好き好んで上がり調子の相手に喧嘩を売る必要もないではないかと。

 むしろ逆恨みして危ない橋を渡ったレムネイドがおかしいのだ。

 だから彼等はアルフレイム男爵に手を出さない事を心の中で誓った。

 そして、レムネイドの腕の中の酒の味にだけ、心を奪われた。

 きっとアレは美味いのだろうなと。


 その時、彼等は自分達が冷静な判断力を失っている事に気付いていなかった。


 ◆


「それで、どうなったんだ?」


 俺は、三馬鹿からサンタン家の二次会に誘われたという貴族から聞いた話の続きを促す。


「ええ、ラベルの無い酒を飲んだ彼はこう思ったそうです……『美味い事は美味いんだが……なんか普通だな』と」


 三馬鹿は主君の評価に対する不安げな顔を浮かべながら俺を見てくる。

 酒を売りにしている俺が渡した酒が普通の筈が無いと、そして同時に俺が自分の酒を微妙だといわれた事に激怒するのではないかと。

 そしてシエラも酒の味の評価に対し、同様の疑問を抱いていた。


「続けてくれ」


 俺はそれについて何かいう訳でもなく、三馬鹿に続きを促す。


 そして三馬鹿はその後の顛末を再び語り始めた。


 ◆


(なんか、普通だな)


(あのアルフレイム男爵の秘蔵の酒というのだから、もっと美味いかと思った)


(さっぱりしている訳でもない、雑味を強く感じるな。まぁ美味い事は美味いが)


 酒を振舞われた彼等は困惑していた。

 これは本当にアルフレイム男爵の酒なのかと。

 しかし、そんな疑問を抱かない者達もいた。


「いやー、これは美味い! すばらしい味わいだ!」


「ええ、まったくです! この酒はとても飲みやすい!」


 と言っているのか、顔を赤くした招待客達だ。

 彼等は手渡された酒を惜しげもなくグビグビと飲み干し、銘の無い酒を褒め称える。

 次いでレムネイドの取り巻き達が慌てて同じように酒を褒め始めた。


「わ、私もそう思います。酒に含まれた雑味が味わいをより濃厚にしていますね!」


「それに何倍でも呑めそうな口当たりの良さです!」


 正直そこまででも無いような、と思いつつも彼等は『アルフレイム男爵から譲られた秘蔵の酒』を無条件で褒め称える。

 褒めなければ自分達の舌がおかしいと思われると考えたからだ。

 上の人間が黒といえば白であっても黒、それは酒の味に対しても同じであった。


「これほどの酒を譲って貰えるとは、やはりレムネイド殿の人徳はたいしたものですな!」


 途中から賞賛の内容が酒の味に対するものから、レムネイド本人に対してのものへと変化してゆく。


「そうだろうそうだろう! なにせこの私だからな!」


 と、顔を真っ赤にしたレムネイドが酒臭い息を荒く吐きながら上機嫌に笑う。


「あの男も我がサンタン家にはむかう愚か者かと思っていたが、なかなかどうして、道理をわきまえた若者では無いか! 私が一族の中で最も優秀であると分かって手土産を持参してやってきたのだからな!」


 と、ここで聞き捨てなら無い発言を口にするレムネイド。

 当然周囲の者が耳ざとく注目する。

 勿論わざわざ促すようなマネはしない。

 ご機嫌な本人が自分から口にするのを待っていれば良いのだから。


「ほら、お前達もっと飲め!」


 酒で気が大きくなったレムネイドが自分を賞賛してきた者達に銘のない酒を振舞う。

 そしてレムネイド自身も銘の無い酒をグラスに注ぐ。


「ふははっ、主家がヘマをした時は無能が消えて私の時代が来るかと心躍ったものだ。だが蓋を開けてみれば新興の貴族に我が領土が奪われ、国王陛下は何というおろかな事をされたのだと憤ったものだ!」


「「「「っっっ!?」」」」


 まさかに国王批判に残った貴族達が慌てて周囲を見回す。

 もしもこの会話を外部の人間に聞かれでもしたら、それこそサンタン家のおとり潰しに発展しかねないからだ。

 もっとも、この会場の中にいるのは一族の人間と、レムネイドの取り巻きなので情報が漏れる心配は無い。一族単位で破滅してしまったら誰にとってもうまみがないからだ。

 だが、それでもレムネイド個人を一族の人間が攻撃するには十分すぎる材料である。

 冷静な判断力の残っている者達は、レムネイド達の会話に耳を傾ける。

 気が付けば、会場内で会話をしているのはレムネイド達だけになっていた。


「そういう意味ではアルフレイム男爵の兄も情けない! せっかく私が弟の領地を手に入れる事ができる様に取り計らってやったというのに、詰めが甘い為に失敗しおった。もっと上手くやれただろうに! それどころか私に迷惑がかかる所だった! これだから格の低い貴族の、それも跡継ぎにすらなれなかった者はダメだな。新しい家を興せた弟の方がまだマシだ!」


 シラフならば絶対に口にしなかったであろう、他家の乗っ取り未遂に協力したとの証言、他家の人間の直接的な批判。これだけでも既に醜聞といって差し支えない危険発言のオンパレードだ。


「ダメと言えばあの冒険者もダメだったな。せっかく私がアルフレイム男爵を陥れる為に雇ってやったというのに、それすらも失敗した。もっとマシな冒険者だったなら、この企みも上手くいって今頃アルフレイム領は私のモノになっていただろうに!」


 ここにいるのは自分のシンパだけなので、本音を口にしてもなんら問題ない。酒の力によってそんな愚かしい判断を下したレムネイドは、ペラペラと言ってはいけない言葉を次々に口にする。

 しかし利益でつながった貴族という生き物は、信頼とは程遠い生き物。

 もともと落ち目だったサンタン家が酒に酔った事で国王批判や他家の乗っ取りを画策している事を口にするなど、謀略上等の貴族達からすれば鍵の壊れた扉に等しい。


 気が付けばこれはヤバいと危機感を抱いた者達が、巻き添えを避ける為に理由をつけて会場を後にし、泥酔してレムネイドを褒め称えていた者達も比較的冷静だった家族に引っ張られて引き離されてゆく。

 結果、酔っているのが自家の当主だったりして逃げられなかった者達だけが会場に取り残されたのだった。

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