第90話「彼女の呪いが解けるとき」
──気がつくと、セシルは暗闇の中に立っていた。
右も左も上も下も、前も後ろもわからない闇の中。
地面があるのかもわからないそこに、セシルはぽつんと立っていた。
(どこだ? ここは……)
一瞬前、自分はたしか巨人の女に喰われたはずだが……。
(あの化け物の腹の中、とか?)
身体に痛みはない。怪我をした様子もなく、それどころかさっきまでじくじくと痛んでいた大きな胸の傷もなくなっている。
(というか、服が……)
さっきまで着ていた胸元の開いた白いドレスが、レザーのジャケットとパンツに変わっている。
解いていた髪も、いつものように頭の高い位置で結ってあった。
(これは……ルンベックの街を出たときの格好?)
「ふふふ……」
「っ!?」
顔を上げる。
目の前に、銀髪の女が立っていた。
「君は……?」
セシルと似た顔つきだが、耳が長く尖っており、見たこともない煌びやかなドレスを身に纏っていた。
(もしかして……)
「……エルフのお姫様……?」
女はぷっくりとした唇を開く。
「わたしは、あなたの中に流れる大厄災の意志」
「……は?」
「あなたには大厄災の意志が流れている。この世界を憎む気持ち。壊したいと願う気持ち。それがあなたの中にある。だから、
「……何言ってるんだよ? 世界を壊したい? 僕が? ……そんなこと思うわけないだろ。だって、僕は……」
「『この世界を愛している』?」
「……ああ」
お姫様は甲高い声で笑った。
「そうね。セシル。たしかにあなたはこの世界を愛しているわ。……でも、
お姫様は後ろ手に組んでいた手を現すと、その手に握っていたナイフ……先ほどまでセシルの胸に刺さっていたそれを足元に投げた。
「セシル……あなたにわたしが殺せる? そのナイフで、わたしを刺さる?」
セシルは戸惑うようにナイフを見下ろした。
と、お姫様が走って距離を詰めてくる。
その手には、足元に落ちているのと同じナイフが握られていた。
「っ……!」
避ける間もなく、セシルの胸にナイフを突き立てられる。
「──あなたがわたしを殺せないなら、わたしがあなたを殺すまで!」
あははははっ! とお姫様が笑う。
「あなたの希望など、すべて
ぐっ、とお姫様はナイフをさらに押し込む。
「がはっ……!」
「……許さないっ……!」
お姫様はセシルの胸元で、美しい顔を歪めて叫んでいた。
「許さない……許さない許さない許さないっ!! あなたはたしかにこの世界を憎んでいた!! それから目を背けることは、絶対に、許さないっ!!」
刺し込まれたナイフから、お姫様の悲しみが流れ込んできた。
うねる波のような古い記憶に、セシルの意識は飲み込まれていく。
──人を愛したこと。
愛した人と、もう二度と会えないこと。
世界を恨んだこと。
恨んだ世界に、一人取り残されてしまったこと。
そしてそれは時の川を急激な速さで下り、セシルの時代まで辿り着く。
(戦争、が……)
シュティリケの国がなくなってしまったこと。
愛する父が死んでしまったこと。
たった一人で生きていかなければならなかったこと。
(……僕は……)
セシルはゆっくりと、ナイフを突き立てる少女の背中に腕を回した。
「……君の言う通りだよ。たしかに、僕はこの世界を恨んでた。でも、もう……大丈夫だろう?」
腕の中の少女は、いつの間にか見慣れない服を着た
「
肩を震わせて泣く少女の頭を、セシルは優しく撫でる。
「大丈夫だよ。生きていれば、必ず大丈夫になっていくから……」
「そう、なの……?」
少女は揺れる瞳でセシルを見上げる。
「うん。……大丈夫。
「うん……」
セシルがその背を抱きしめると、少女は溶けるようにセシルの中に消えていった。
(お姫様、君は……ずっと寂しかったんだね……)
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