第73話「人殺しの息子」
ギルバートは追ってこなかった。
エドウィンは人目も気にせず廊下を駆け抜け、地下牢へと続く階段を下る。
ジスランの部屋の前までやってくると、ドンドンと拳で扉を叩いた。
「……ジスラン! 開けて!」
「んだよ? そんなに大声出して……」
きょとんとした顔のジスランが扉の向こうから現れる。
「もーちょっと静かにしろよ。じゃねェと誰かに……」
「ジスランは知ってたの!?」
エドウィンはジスランの両肩を掴み、泡を飛ばす勢いで兄に詰め寄った。
「君のお母さんが、僕のお母さんを殺したって!!」
「!!」
ジスランの目が大きく見開かれる。
「お前……聞いたのか? それを……」
ジスランの震える声に、エドウィンは確信する。
(知ってたんだ……)
「どうして……!」
涙が溢れる。
悲しかった。
何が悲しいのか、よくわからなかったけれど、とにかく悲しかった。
ジスランの母が自分の母を殺したということか。
それとも、そんな大きな秘密をジスランが今まで隠していたことか。
何が悲しいのかわからなかったけれど、とにかく涙が溢れて止まらなかった。
ジスランは困ったような怒ったような、それでいて自分まで泣き出しそうな顔になって、
「……来いっ!」
と、エドウィンを部屋の中に引っ張り込んだ。
扉を閉め、弟の肩に両手を置いてジスランは問いかける。
「エドウィン。……俺が憎いか?」
エドウィンは涙に濡れた瞳でジスランを見つめる。
「俺のことが、嫌いか?」
「ううん……」
エドウィンはゆっくりと首を横に振る。
ジスランは安心したように笑い、エドウィンの頭にぽんぽんと手を置いた。
「俺もだ。……なァ、エドウィン。これ、読んでくれよ」
ジスランは本棚から本を一冊抜き出すと、その中に挟んであった封の切られた封筒を差し出した。
「おまえは、読んでいい気はしねーだろうけどさ。……でも、読んでくれよ。頼むよ」
封筒を差し出すジスランの手は震えていた。
エドウィンは封筒を受け取り、中の紙を取り出す。
(手紙……?)
便箋には、女性らしい丁寧な字で「ジスランへ」と宛名が書かれていた。
『あなたがこれを読む頃、あなたはもう十歳になっているでしょう』
……それは、ジスランの母、アンネ・ティモネンが遺した息子への手紙だった。
エドウィンの視線が綴られた文章を追っていく。
次第に、紙を持つ手がガタガタと震えてきた。
手紙には、
『あなたは王妃殺しの息子として育てられているでしょう。
しかし、私は本当は王妃様を殺すつもりなどなかったのです。
私を殺そうとしたのは、王妃様の方でした。
王妃様は私とあなたを殺そうとした。
私は、まだ幼いあなたを守るために王妃様に反撃するしかなかったのです。
そして、私は魔力の加減を誤り、王妃様を殺してしまった……。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、本当に殺すつもりなどなかったのです。
あれはただの悲しい事故でした。
私はただ、あなたを守りたかっただけなのです。
あなたにだけは、どうしてもそれを知っておいてほしかった。
ジスラン。覚えておいて。
あなたは決して、人殺しの息子ではないのです。』
……その後、自分は処刑になること、息子のジスランは類稀な魔術の才能のおかげで生かされることが決まったこと、自分の処刑は家族にも知らされずひっそりと行われることが記されていた。
そして、最後に、
『ジスラン。強く生きてね。』
「……人殺しの息子は、僕だ……」
エドウィンは震える声で言って、手紙から顔を上げた。
ジスランは穏やかな表情でエドウィンを見ていた。
「……俺、その手紙を読んで、『おあいこだな』って思ったんだ」
「え……?」
ジスランはニカッと笑う。
いつもの、エドウィンの大好きな屈託のない笑顔で。
「俺、昔から、なんで自分がこんなところで育てられてるのか聞かされてたんだ。俺のお袋が
でも、十歳の誕生日にその手紙が届いて……誰かが届けたのか、それとも十年越しの魔術かなんかなのか知らねェけど、とにかくその手紙がそこの格子窓から入れられたみたいに落ちてて、で、それを読んで……俺、『おあいこだな』って思ったんだ。
お前のお袋が俺のお袋を殺そうとしてさ。でも、死んじゃったのはお前のお袋の方でさ。で、俺のお袋の方も処刑になって、結局二人とも死んじゃってさ。
俺もお前も同じモン失ってる。結局、俺らの母親って、どっちも同じくらいどうしようもなかったんじゃねェの? ……って」
まあ、殺したとか殺そうとしたとか、やっぱ最初は受け止めるのに時間がかかったけど……と、少し恥ずかしそうにジスラン。
「……だからさ、やめにしようぜ」
ジスランは笑う。
「どっちが殺したとか、人殺しの息子だとかさ。俺たちのお袋はたまたま巡り合わせが悪くて、二人とも死んじまった。……それでいいんじゃねーの?」
一度引っ込んだ涙が、また
(僕は、なんて浅はかなんだ……)
──僕の母を殺したのが君の母だと知って、僕は……。
(それなのに、君は僕を許してくれるというのか……?)
ジスランは続ける。
「お袋たちはああなっちまったけど、でも……そんなの、息子の俺たちには関係ねェよな? 俺たち、仲良しじゃん? うまくやれてンじゃん? ……だったら、それでいいんじゃねェの? 無理に『どっちが悪い』ってことにしなくても。だからさ……」
ジスランが手を差し出す。
「これからも仲良くやっていこうぜ、兄弟」
「っうん……!」
エドウィンはその手をとり、反対の手の甲で溢れた涙をぐいっと拭った。
「だぁーっ! もう、泣くなって!」
そんなエドウィンをジスランは笑って強引に抱き寄せて、ほとんど身長の変わらない弟の背をぽんぽんと叩く。
「……なァ、エドウィン。いつか、俺たち二人で城のみんなをびっくりさせてやろうぜ」
頭の横で、兄がいたずらっぽく言う。
「大人たちは『許す』ってことができねーみてェだからさ……だから、俺たちがやってやろうぜ。俺たちにはあんたらにできないことができるんだぜってことを、見せつけてやろうぜ!」
「……うん!」
二人は身体を離し、ニヒヒッといたずらっ子のように笑い合う。
(ジスラン、ありがとう……)
そして、エドウィンは思う。
(僕たちは、これからもずっと一緒だ)
──そんなエドウィンが、兄の人殺しの場面を見たのは十五歳の頃だった。
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