第72話「母」
「地下牢で何をしているのですか?」
十二歳になったエドウィンは、中庭で読んでいた歴史書から顔を上げた。
赤茶色の瞳が、じっ……と幼い頃から見知った世話係の顔を見つめる。
あまりにまっすぐな瞳に、世話係のギルバートはわずかにたじろぐ。
「……ギルバートだってわかってるんだろ? 兄弟に会いにいってるんだよ」
この頃のエドウィンは、ジスランと自分が血の繋がった兄弟であるということを確信していた。
誰かからはっきりと言われたわけではない。
しかし、エドウィンはジスランとの間に何よりも強い絆を感じていたのだ。
実の
悪びれもせずに言って本に視線を戻すエドウィンに、ギルバートはため息をつく。
「……エドウィン様。もう二度と、あの方と会ってはいけません」
「どうして?」
エドウィンは鋭い視線でギルバートを睨みつける。
「どうしてダメなんだよ。……いや、そもそも、どうしてジスランは地下に閉じ込められてるんだ? どうして、彼は僕とそっくりの顔をしているんだ?」
「…………」
「答えてよ、ギルバート。おまえは知ってるんだろ?」
ジスランがなぜ地下牢に軟禁されているのか、エドウィンはずっと知りたかった。
自分と瓜二つの顔の少年。
一週間だけずれた誕生日。
ここから導き出される結論は……。
「ジスランと僕は、腹違いの兄弟なんだろう?」
「…………」
エドウィンは構わず続けた。
「それは前からわかってたよ。でも、それだけじゃわからないことがあるんだ。……ジスランはどうして地下に閉じ込められてるの? 本当なら次の王になるのは僕じゃなくて、ジスランのはずだろ?」
一週間だけとはいえ、ジスランはエドウィンより年上である。
ということは、本来なら王位継承権は弟のエドウィンではなく長子のジスランにあるはずだ。
「……それは、ジスラン様が今は亡き王妃様の子ではないからで……」
「嘘だ」
エドウィンはきっぱりと言う。
「正室の子でないと王位を継げないという決まりは、
「…………」
「ジスランの母親は誰なんだ?」
「……それは、私の口からは……」
「──アンネ・ティモネン」
「っ!」
ギルバートの目が大きく見開かれる。
エドウィンはにっと笑った。
「……正解みたいだね?」
「どうして、あなたがそれを……」
アンネ・ティモネン。
それは、十二年ほど前までイルナディオス軍魔導部隊の元帥を務めていた魔術師の名前だった。
若くして元帥に就任し、数々の功績を上げた稀代の女魔術師。
そんな彼女の名前は、十二年前を境に唐突に国の資料から消えてしまうのだが……。
「ただの勘だよ。ジスランは魔術がとても得意みたいだし、ティモネン元帥の名前が消えたのは、ちょうど僕らが生まれた直後だったし……それで、なんとなく。
ねえ、ティモネン元帥は何をしたの? ジスランが地下に軟禁されてる理由はそこにあるの?」
ギルバートは生真面目な顔を困ったように歪め、
「……私の口からは、何も……」
「答えてよ、ギルバート。……これは命令だよ」
「…………」
エドウィンは低い声で言って、ギルバートをまっすぐに見つめる。
その揺るぎないその瞳に、ギルバートは諦めたようなため息をついた。
「……いいでしょう。しかし、これを聞いたら、あなたももう彼に会いたいとは思わなくなるでしょう。……それでも構いませんか?」
エドウィンはわずかにむっとした。
(そんなこと、あるわけないだろ!)
「いいから、早く!」
「では……」
今度は、ギルバートがエドウィンを見つめる番だった。
「ジスラン様が地下で暮らされているのは、彼の母親が罪人だからです」
「罪人……? ティモネン元帥が?」
「はい。ティモネン元帥は、王妃様を……あなた様のお母様を殺めてしまったのです」
「っ……!?」
頭を殴られたような衝撃だった。
──ジスランの母が、僕の母を?
「そんな……嘘だろう? だって、僕の母は僕を産んですぐ、病気で死んだはずじゃ……」
「ええ。あなたには皆、今までそうお伝えしてきました。……ですが、それは嘘なのでございます。幼いあなたにショックを与えないように、私たちがでっち上げた」
「っ……!」
(そんな……!)
「どうして……?」
ジスランの母、アンネ・ティモネンはどうしてエドウィンの母を殺したのか、という意味だった。
ギルバートはエドウィンの疑問を正しく汲み取り、「さあ……」と答える。
「私には、ティモネン元帥のお気持ちはわかりかねます。ですが……やはり、憎かったのではないでしょうか。愛する人の妻であり、同じ時期に子どもを身ごもったあなたのお母様が……」
「…………」
(……ジスランは、知ってるのか?)
自分がどうして地下牢に閉じ込められているのか。
(自分の母親が、僕の母を殺したことを……)
いても立ってもいられなくなり、エドウィンは跳ねるように立ち上がると、勢いよく扉を開けて廊下へと飛び出した。
「エドウィン様!」
ギルバートが叫ぶ。
しかし、エドウィンにその声は届かなかった。
(ジスラン……!)
頭の中では、屈託なく笑う兄の顔がぐるぐると回っていた。
(ジスラン! ジスラン! ジスラン……!)
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