第71話「誕生日」
──ジスランとの出会いから、二年が経った。
エドウィンはポケットに手のひらサイズの小箱を潜ませて、城の廊下を速足に歩く。
隠されるように廊下の端にひっそりと佇む背の低い扉を開け、静かにその扉を閉めると、ダッ! とダッシュで薄暗い階段を駆け下りた。
地下牢の石畳を踏む足音が、タッタッタッと軽快に響く。
地下牢の奥の隠し部屋の前までやってくると、エドウィンは弾むような声で「ジスラン!」と呼んだ。
……返事はない。
(あれ……?)
いつもならすぐに返事をくれるはずの扉の向こうの少年は、その日は静かに黙りこくっていた。
鉄格子からはほんのりと明かりが漏れている。テーブルのランプの明かりだろう。
彼は自由にこの部屋から出られるわけではないし、部屋にいるのはたしかなようなだ。
それなのに……返事がない。
「ジスラン……?」
急に不安な気持ちになり、エドウィンはか細い声でもう一度少年の名を呼んだ。
小さく扉をノックしても、やはり返事はない。
「ジスラン……今日は君の誕生日だろう? 僕、プレゼントを持ってきたんだ。街に出ていろいろ探して、ようやく選んだんだよ」
……沈黙。
エドウィンは困り顔で、どうしたものかと考える。
すると、
「……ごめん」
しばらくして、ようやく扉の向こうから声が聞こえた。
無理やり絞り出したようなその声は、扉越しにもわかるほどに震えていた。
「ごめん……今日は、会いたくないんだ。悪いけど、帰ってくんねェかな」
「え……?」
突き放すようなセリフに、エドウィンは一瞬ぽかんとする。
次いで悲しい気持ちと、どうして? という思いが湧き上がる。
「プレゼントもいらねェ。だから、今日はもう帰ってくれ」
「どうして……?」
か細く、縋るような声が出た。
「いいから、帰れっつってんだよ!!」
「っ……!?」
地下牢の空気を震わすような怒声。
エドウィンの肩がビクリと跳ねる。
ジスランがこんな風に声を荒げたのは初めてだった。
驚きとショックで動けなくなっていると、耳にかすかな嗚咽の音が聞こえた。
(ジスラン……? 泣いてるの?)
扉の向こうで、ジスランが声を押し殺して泣いているようだった。
……不思議だ。
ジスランが悲しんでいると、なぜかエドウィンまで悲しくなってくる……。
「ジスラン……何かあったの?」
「ごめん……ごめんな……」
返ってきた弱々しい声は、涙でぐっしょりと濡れていた。
「お前は、何も悪くねェのに……」
ジスランの声を堪えたような嗚咽に、エドウィンの胸は痛くなる。
……いつからか、エドウィンは自分の幸福の裏側にはジスランの存在があると思うようになっていた。
実父母の愛を受けることはできなかったが、それでも一国の王位を継ぐべく王宮で大切に育てられた自分。
対して、暗い地下で隠されるように、息を潜めてひっそりと暮らしているジスラン。
同じ顔の僕たちは、まるで対照的だ。
日の当たる暖かな幸福は僕に、
暗く冷たい苦しみはジスランに、
生まれたときからそんな風に幸福が配分されているかのように……。
(僕にはジスランの苦しみはわからない……。だけど、僕は君の力になりたいんだ……)
「……わかった。今日はもう帰るよ。……プレゼント、ここに置いておくから」
エドウィンは扉の前にポケットから出した小箱を置く。
「ジスラン……誕生日、おめでとう」
「…………」
扉の向こうの少年は答えない。
エドウィンは静かに地下牢を後にした。
***
翌日、地下牢にやってきたエドウィンは、扉の前の小箱がなくなっていることに気が付いた。
ジスランが受け取ってくれたのだろうか。それとも、別の誰かに見つかってしまったのだろうか……?
「ジスラン……?」
格子窓から明かりの漏れる扉を小さくノックし、呼びかけるが、やはり中からの返事はない。
エドウィンはため息をつき、その日も鏡のような少年の顔を見ずに地上へと引き返した。
***
そんな日が六日間続き、そして、七日目。
「……よォ」
ようやく待ちに待った少年が、重い扉の向こうから姿を現した。
「ジスラン……!」
ぱぁっとエドウィンの顔に笑みが広がる。
感動のあまり涙声になってしまった。
たった一週間会わなかっただけなのに、ずいぶん長い間会っていなかったような気がする。
それだけ、エドウィンの中でジスランの存在は大きくなっていたのだった。
「なんで出てきてくれなかったんだよ……!」
「……悪かったよ」
ジスランは困ったように眉を下げて笑った。
「……ま、でも今日はお前の誕生日だからな。……十歳オメデトーって言や、また、元通りになれるかなって」
誕生日。
そんなこと、ジスランに会えないことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた。
しかし、それよりも……
「元通りって……?」
やはり、何かがあったのだ。
ジスランに、エドウィンとの関係を今まで通りではなくさせる何かが。
それを尋ねようとして、エドウィンは踏みとどまる。
ジスランは答えてくれないような気がした。
一週間しか歳の違わない少年は、エドウィンよりもずっと先に大人びてしまったような表情で、
「……俺、お前に謝らなきゃいけないことがあンだよ」
と言った。
「謝らなきゃいけないこと……?」
身構えるエドウィンに、ジスランは真剣な顔つきで口を開く。
「ああ。……俺、お前の誕生日のプレゼント、用意できてねェんだ」
エドウィンは一瞬きょとんとして、すぐに笑顔になる。
「……なんだ、そんなこと! いいよ、別にプレゼントなんて!」
プレゼントなんていらない。
だって、君がまたこうして会ってくれるだけで、僕はこんなに嬉しいから――。
それに。
「僕のプレゼント、使ってくれてるんだね!」
ジスランの耳には、金色の小さなピアスが光っていた。
ジスランは右耳のピアスをいじりながら、照れ臭そうに笑う。
「ああ。……言うの遅くなったけど、これ、あんがとな」
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