第63話「開戦」

 翌朝、セシルたちは兵士隊に混じって敵軍が進行中の盆地へと向かった。


 諜報部隊の情報によると、敵とは数の上では互角らしい。


(でも、侵攻を決めたってことは何かしら勝算があるんだろうな……)


 視界一面に広がるなだらかな盆地は、険しい山々に囲まれている。


 イルナディオス軍は、この山を越えてアルファルドに侵攻してくるのだ。


 よく晴れた日の朝にこんなのどかな場所を歩いていると、まるでピクニックにでも来ているかのような気分になってくる。


(ピクニックって……)


 のん気な発想に、セシルは自分で苦笑する。


(これから戦争が始まるっていうのに……)


 ……と、突然アルファルド騎士団の歩みが止まった。


(……どうしたんだろう?)


 首を傾げるセシルの周りで、騎士たちがざわめき出す。


「まさか……」

「そんな」

「早すぎる!」

「どうして……」


「──イルナディオス軍が、もうここまで……!?」


「……え?」


 さっ、と背中が冷たくなった。


「前方に敵を確認! イルナディオス軍だ!」


 前列でダリアンが叫んだ。


 隊に緊張が走る。


 ──ついに、敵と接触するのだ。


(どうしてこんなに早く……!?)


 敵軍の進行速度を考えると、接触は明日の正午頃になるだろうと言われていたのに……。


「アクスビーク、ですね」


 テレジオが言う。


 イルナディオス軍は、大きなダチョウのようなアンシーリーに跨っていた。その嘴は斧のように凶悪で、脚は地面を這う大木の根のように力強い。


(アンシーリー操術……!)


 予想外に速い敵軍の進行は、やつらの助けがあってのことだった。


(やっぱり、やつらの勝算はそれか……!)


 どちらともなく雄叫びを上げ、両軍は互いに向かって駆け出す。


 セシルは背中に背負った弓を構えた。


(やらなくちゃ……)


 馬に跨ったまま矢をつがえ、


(死にたくなければ……)


 ……放つ。


(大切なものを守るためには……)


 音速の矢が、大きな槍の紋様が描かれた鎧の胸に突き刺さる。


(戦わなくちゃ!!)


 ──それは三年前、シュティリケの炎の夜に見た化け物の姿をしていた。


 剣戟の音。

 血飛沫。

 叫び声。


 戦禍。


(怖がるな……! 怖がったら、一瞬でも躊躇ったら……)


 ──死ぬぞ!


「赤い目……! 魔術師か!?」


 言った敵兵の兜の間に、つぷりと矢じりが突き刺さる。


 もう何人殺しただろう。気がついたら、セシルはなくなった矢を補充するために、死体に刺さった矢を引き抜いていた。


 命中させるのに魔力を消費しているせいか、視界がぐらぐらと揺れる……。

 

「しっかりしてください」


 ふらつくセシルの腕を、テレジオが掴んだ。


「セシル。自分を見失わないで」


 はっとする。


(そうだ……)


 恐怖に囚われてはいけない。

 憎しみに飲み込まれてはいけない。


(僕には、やるべきことがあるんだ……!)


「ラクロは……?」


「あそこです」


 テレジオが指差した先で、ラクロは体格のいい男と剣を交えていた。負傷した馬が倒れ、血濡れた腹をゆっくりと上下させている。


「あなたの後ろは、僕が守りますから」


 テレジオが、笑顔でセシルに襲いかかった兵士を斬り殺した。

 顔にかかった血をぺろりと舐めて、青年は穏やかな声で言う。


「あなたは彼のそばにいてあげてください。あなたがいれば、ラクロはきっと未来を願うはずですから」


「うん……!」


 セシルは立ち上がり、ラクロのほうへと駆け出す。


 その場に残ったテレジオは、一人つぶやく。


「……殺すことただの楽しみが、誰かを救うことになるなんて……。まったく、人生はわからないものですね」


 ──時間があれば一人一人解体して、死にゆく様を並べて見たいのに……。


 そうぼやいたテレジオの声は、目玉を抉られた敵兵の断末魔にかき消された。

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