第64話「たとえ傷ついたとしても」
ラクロはがっしりとした体格の大男と戦っていた。
男のサーベルを振り下ろす動きは速い。でかいからと言って、動きが鈍い相手でもないようだ。パワーもスピードもある、厄介な相手。
ラクロは涼しい顔で相手の懐に踏み込み、防御力の弱くなっている鎧の継ぎ目に一撃を浴びせる。
痛みに呻く敵の兜をむしり取り、次の瞬間、相手の素首が吹っ飛んだ。
ラクロが斬ったのだ。
(っ……!)
……大男を屠った彼の後ろに、別の敵兵が近づいていた。
ラクロはそれに気がついていない。
「っ……ラクロッ……!」
セシルは駆け出した。
ラクロの背後で敵が
(間に合えっ……!)
セシルはラクロに体当たりし、
「セシ……!?」
ラクロの紫色の瞳と、目が合う。
──瞬間、左脇腹が熱くなった。
「がっ……」
ガツン、と地面に倒れこみ、そのままぐらりと身体が沈み込む。
視界が大きく回転した。
天と地がひっくり返り、すぐに元に戻る。しかしまたすぐにひっくり返り返って、すぐ元に戻って……
セシルは敵に脇腹を刺された挙句、倒れた拍子に茂みで隠れていた急斜面を転がり落ちていた。
ガツンガツンと硬い地面に打ち付けられ、身体中が痛む。
冷たい土の臭いと血の臭いが、さらに苦しみに拍車をかけていた。
「……だっ!」
ようやく回転が終わり、視界に青空が広がる。
どくどくと脈打つ脇腹が、信じられないくらい痛かった。
あまりの痛みにセシルの意識は一瞬途切れ、次に目を開けたとき、
「ラクロ……?」
ラクロが鬼のような形相でセシルを覗き込んでいた。
「おい! セシル!」
「ラクロ……」
ラクロの鎧は少し汚れていた。顔には切り傷。
でも、目立った外傷はそれだけ。
「無事、だったんだ……。よかった……」
「よくねぇよ、馬鹿!」
身体を起こそうとして、力が入らないことに気がつく。
「無理に動かすな」
セシルは首だけを動かしてあたりを見た。
背の高い草の生えた急斜面。
どうやらあそこを転がり落ちてきたらしい。
争いの音が、一段高いところから聞こえる。
「……ったく、弱いくせに無茶すんじゃねぇよ」
「うるさいな……。しかたないだろ……」
(だって、僕はこのためにここまできたんだから……)
「……おまえ、もう逃げろ」
ラクロが低い声で言い放った。
「……横っ腹止血したら、この辺りでおとなしく隠れてろ。夜になって両軍が引き上げたら迎えにくる。ひとまず戦禍の及ばないところまで送ってってやるよ。そのあとは一人で逃げ……」
「……嫌だ」
言って、セシルはラクロを睨んだ。
「嫌だよ。僕は……逃げない。君を
「てめぇ、まだそんなことを……」
「怖いんだ。君がいなくなるのが」
ラクロの瞳が見開かれる。
「わかるだろ。君にも……大切な人がいなくなる怖さは……」
今までずっと、セシルは自分のことだけを考えて生きてきた。
自分の生活。
自分の安全。
自分の命。
それが何より大事だった。
だって、自分がいなくなったら、それは世界がなくなってしまうことと同じだから。
でも、それよりももっと怖いことがあると、知ってしまった。
「僕たち、友だちだろ……。一緒に過ごしてきた、仲間だろ。……僕は怖いよ。君を失うのが。嫌に決まってるだろ……もう、二度と会えないなんてさ……。こんなに一緒にいたのに……。君は、何度も僕を助けてくれたのに……」
──君はもう、僕の大切な人なのに。
「君のいない世界で生きていくのは、嫌なんだ……」
セシルは一度息を切り、だから、と続ける。
脇腹がジクジクと痛む。
喋るたびに血がどくどくと溢れ出す。
「だから、もう、逃げないんだ……。君がもう一度、生きたいと思うまで……君を助けられるまで、僕は……」
絶対に逃げないんだ──。
「……馬鹿野郎」
ラクロが怒ったように言う。
ためらうように一度口をつぐみ、キッとセシルを睨んで、
「俺は、もう……」
そのとき、地面が黒く光った。
「っ!?」
横たわるセシルを中心に、黒い円が浮かび上がる。
……何かが、足に巻きついた。
温度のないそれは一瞬でセシルの下半身を黒円の中に引きずり込み、
「ラクロ……!」
パチン、と髪を留めていた髪紐が切れた。
はらりと舞った銀髪が、黒円の中に沈んでいく。
「……セシルッ!」
ラクロが手を伸ばす。
しかし、その手が指先を捉えるよりも早く、セシルの細い身体は黒い光の中に飲み込まれていった。
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