第9話「付き人テレジオ」

 明日、王都に向けてルンベックの街を発つことになった。


 王都までの付き人を紹介してくれるとのことで、セシルはラクロに連れられてオベール地区を歩いていた。

 ハーシェル子爵の屋敷がある一帯ほどではないが、今セシルが歩いている一帯もやはり上品な造りの落ち着いた家々が並んでいる。


 ラクロの案内でセシルは三階建てのビルの外階段を上った。

 ポケットから鍵を取り出して、ラクロは三階の扉を開ける。


「おかえりなさい、ラクロ」


 中の部屋で窓際の椅子に腰かけて本を読んでいた、くすんだ金髪の男が上品に微笑んだ。


「おや、お客さんだ。今、お茶を淹れますね」


「あ、いえ……」


 お構いなく……と恐縮してしまったところで、ん? と。


(おかえりなさいって……ここ、ラクロの家? あの金髪の人はルームメイトかな……? ていうか、付き人を紹介してくれるんじゃなかったのか?)


 ラクロは着ていた真っ黒いコートを椅子の背もたれに乱雑にかけて、金髪の男がそれをハンガーに吊るす。


「その辺に座っててください」


 男はまたニコリと笑ってセシルの方を向いて、大きな窓の横にある通路に姿を消す。


「茶はいい」


 とラクロが言う。


「こいつは、おまえに紹介するために連れてきたんだ」


「僕に?」


 男は一度、ひょっこりと隣の部屋から顔だけを覗かせて、


「では、やっぱりお茶を。少々お待ちくださいね、お嬢さん」


 と、再び隣の部屋に姿を消す。


「こいつは男だ」


 ラクロが言って、


「……おや?」


 男はもう一度、ひょこ、と頭を出す。

 そして、金色の瞳でセシルを見て、


「……これは失礼。あんまり綺麗だから、ついお嬢さんかと思ってしまいましたよ」


 にこりと笑って、今度こそ本当に向こうの部屋へと消える。


 セシルはラクロが腰掛けた椅子の正面に腰を下ろして、


「…………」


 そのまま、沈黙。


「…………」


「…………」


(……気まずい……)


「お待たせしました」


 気詰まりな沈黙を、ティーセットを持ってきた金髪の男が破った。


 セシルとラクロの間にある小さな円卓にカップを置き、再び隣の部屋に戻って自分の分の椅子を取ってきて、三人で卓を囲んで腰掛ける。


 セシルがカップに口をつけるのと、


「……テレジオ」


 ラクロが口を開くのが同時だった。


「……わっ」


 思わず、セシルは声を漏らす。

 紫と金色の視線がセシルに集まり、


「おいしい……」


 セシルは驚くほどおいしいその飴色の液体を、目を丸くして見下ろした。


「それはよかった!」


 テレジオという名前らしい、金髪の男は大げさにパチンと手を鳴らして喜んだ。


「おかわりもありますから、いくらでも言ってくださいね」


「あ、はい……」


「……おい、本題に入るぞ」


 ラクロが仕切り直して言った。


「テレジオ、こいつはセシル。領主が選んだ例の推薦騎士だ。おまえには、王都までこいつの付き人を頼みたいんだとよ。……つーことで、明日この街を出ることになった」


 テレジオは困ったように眉根を寄せ、


「子爵……また急だなぁ。で、ラクロは?」


「行く」


「え?」


 間抜けな声を上げたのはセシルだった。


「……君、ここに残るんじゃないの?」


「いや、俺も行く」


「でも、子爵は……」


 あの言い方だと、ラクロを手放す気はなさそうだったが……。


「あの小デブの言うことを聞く気なんて、ハナからねぇよ」


「な……」


 すごい言い草だ。


「つーことで、俺もおまえと一緒に王都に行くから。よろしくな、女男」


「なっ……!? 誰が女男だっ!」


 ラクロはセシルを無視して、再びテレジオに向き直る。


「……昨日のアウルベア、やっぱり様子がおかしかったぜ」


 にこにこと笑っていたテレジオが、すっと笑みを消す。


「囮を使って兵士を洞窟の奥におびき寄せ、袋叩きにしようとしたんだ……あの低脳なアウルベアが」


「人間を罠にはめようとしていたということですか? それは……妙ですね。やはり、すでに何かが起こっているのでしょうか……」


「わからない。わからないが……こいつの持ってる子爵の推薦状が、俺たちの鍵になることはたしかだ」


 ラクロは、セシルが握っている封筒──子爵の推薦状に視線を落とす。


 テレジオが、優しげな双眸に暗い影を落とした。


「ラクロ……本当に行くのですね。……そして、始まるのですね」


「……ああ」


 涼しげなラクロの瞳が、燃え上がったようにセシルには見えた。


「何が……?」


 嫌な予感がして、つい口を挟む。


 ラクロは一瞬、迷うようにその瞳を揺らして、セシルを見た。


「……何も知らないで巻き込まれるのは、可哀想だからな。教えておいてやるよ」


 こいつはシュティリケ難民だ、と付け加えた声は、テレジオに向けられていた。


「なるほど……」


 テレジオはため息のようにつぶやく。

 ラクロはまっすぐにセシルを見つめて、


「戦争だ」


 ぱん、と頭を叩かれたような気がした。


「……戦、争?」


 ──三年前の明るい夜の光景が、セシルの脳裏によみがえる。


 突然聞こえた大きな音。

 明るくなった窓の外。

 家の外で、誰かが叫ぶ声。

 熱い風。

 燃える街。

 大きな槍が胸に描かれた、鈍色の鎧。

 鎧が持った剣に胸を貫かれた、隣の家のおばさん。

 斧で頭をかち割られた、毎朝通っていたパン屋のおじさん。

 私の手を引いて走るお父さん。

 迫りくる熱風と炎と、ガチャガチャ笑う鎧の音。


 たくさんのものが失くなった、怖い夜。


「……終わったんじゃ、ないの?」


 震える声で、セシルはつぶやいた。


「終わってねぇよ」


 ラクロの声は冷たい。


「停戦してるだけだ。まだ終わったわけじゃない」


「……また、始まるかもしれないってこと?」


「そうだ」


「……なんで?」


 ラクロのバイオレットの瞳が、睨むみたいに細くなる。


「……誰も、何も、許しちゃいねぇからだ」


「……?」


 セシルは首を傾げ、夕陽に照らされた精緻な顔を見つめる。


 しかし、出会ったばかりのセシルには、彼が何を考えているのか、さっぱりわからないのだった。

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