第2章「旅立ち」

第8話「騎士のすすめ」

 高さ五メートルほどもある鉄格子のような門の奥は、整えられた広い庭。そこから伸びる十メートルほどの一本道の終点には、金色の大きなドアノブのついた立派な扉がある。エントランスにはえんじ色の絨毯が敷かれ、頭上にはキラキラとシャンデリアが輝いていた。

 エントランス正面に構えた広い階段を上って、まっすぐに伸びた廊下の先の部屋に、セシルはいた。


 ルンベックの街、オベール地区の中でも一番大きくて立派なこの屋敷はもちろん、領主・ハーシェル子爵のものだ。


 初めて入った「お屋敷」にセシルはビビりまくっていた。

 今までこんな場所、縁もゆかりもなかったのだ。


 そんなセシルに対して、横に立ったラクロは余裕なものだった。

 当然か、とセシルは思う。ここは彼の職場なのだから。


 アンシーリー討伐から一夜明けた今日。

 ハーシェル子爵はラクロとセシルを自身の執務室に呼び出していた。


 なんの説明もなしにラクロに子爵の屋敷まで呼び出されたセシルは、じろじろと全身を見つめてくる子爵の視線に、居心地悪く縮こまった。


「で、この少年が今回の立役者なのか? ラクロ」


「はい。今回の討伐はほとんどこのセシルと俺で片づけました」


 負傷者はあれど、第五小隊は誰一人欠けることなく洞窟から出てくることができた。


 昨日、第五小隊がすでに洞窟を進行していることを知らなかった他の隊は、洞窟の近くで第五小隊が到着するのを待っていたそうだ。


 洞窟から出てきた、アウルベアの返り血で真っ赤になった第五小隊に、彼らは驚愕の視線を向けた。

 隊長が討伐は終わったことを伝えると、他の四隊はその真偽を疑いながら洞窟の奥に確認しに行った。そして確認が取れたのちに、アウルベア討伐隊はルンベックの街に引き返してきたのだった。第五小隊以外の四隊にとってはとんだ無駄足になってしまった。


 セシルはちらり、と正面に座る人物──大きな窓に背を向けて座っている小太りの初老の男、ハーシェル子爵を見る。


 立派な椅子に腰かけたハーシェル子爵は、上品なつやの木彫りの机に肘をついて、セシルの細い身体の上から下、下から上にゆっくりと視線を這わせる。


「こんな少年が、まともに戦えるとは思えないが……」


「彼は見事な弓捌きで俺を援護してくれました。セシルは間違いなく、俺が出会った中で一番の弓の名手です」


「……まあ、おまえが言うのなら本当なのだろう。少年、弓は誰に習ったのだ?」


 ハーシェル子爵が訊く。


「いえ、特に習ったわけでは……。でも、弓矢は生まれてから今まで一度も外したことはありません」


 もごもごと言ったセシルの言葉に、嘘はなかった。


 なぜかはわからないが、セシルは昔から弓が得意だった。

 誰に習ったわけでもないのに、初めて弓を引いたときから、的を外したことがないのだ。


 その代わり、どうしてか弓を扱ったあとはひどく身体が疲れる。

 理由はわからないが……無意識のうちに、ものすごい集中力を発揮しているのだろうか?


「ほう。神童か」


「いえ、そういうわけでは……」


「謙遜しなくていい。君のおかげで余計な手間をかけることなくアンシーリーを退治できたのだからな! 約束通り、報酬ははずもう」


「あ……ありがとうございます!」


 報酬、という言葉にセシルはわかりやすく元気になる。


(これでしばらくはカツカツ貧乏生活から抜け出せる!)


「ところでセシル少年。君はシュティリケの難民なんだってね。……もしかして、職に困っているのではないか?」


「え? ……あ、はい」


 予想だにしなかった質問に、つい生返事で答えてしまった。


 そうか! と子爵は笑顔になる。


「実は今、国王が武芸に達者な者を探しているものでな! ぜひ、君をうちの街から推薦したいのだが」


「……はい?」


「なんでも、王は今、アルファルド王国騎士団を強化しようとしているらしい。王国騎士になれたら、一生職には困らないぞ。それどころか名誉まで手に入る。どうだ、いい話だと思わないか?」


「え……ええ!?」


 国王?

 推薦?

 騎士?


(……私が!?)


「ちょ、ちょっと待ってください! 仕事がもらえるのはありがたいですけど……! でも、僕、弱いですし……!」


(ていうか、女だし!)


 騎士には男しかなれないのだ。


「ラクロが褒めているのだ、自信を持ちなさい」


 と、にこにこ笑ってハーシェル子爵。


(いや、自信とかじゃなくて……!)


「弓矢は今まで一度も外したことがないのだろう?」


「そ、そうですけど……僕、本当に弓しかできないですから!」


「一つの武器に通じていればそれで十分だろう。それに君はラクロと二人でアウルベアの群れを殲滅したのだろう?」


「そうですけど! あれはまぐ……」


「まぐれじゃねぇだろうが」


 口を挟んだのはラクロだった。


「まぐれで百パー命中させるなんてできるわけねぇよ。あれはおまえの実力だろ」


「む……」


 ……まあ、そうだ。

 まぐれなどではないと、セシルは自分でもわかっている。

 どういうわけか、セシルは弓矢だけは本当に外さないのだ。


(ていうか、戦いが得意な人なら……)


 自分よりも適任者がいるではないかと、セシルはすぐ隣に立つ男を見た。


「そ……それならラクロでもいいじゃないですか! ラクロ、強いし、僕なんかより絶対王国の役に立ちますって!」


「それはダメだ」


 子爵は厳然と言った。


「ラクロは私の優秀な兵士だ。手放す気はない」


「…………」


 なるほど。

 ラクロはお気に入りだから、手放したくない、と。

 だけど国王にはちゃんとゴマすりしたい、と。

 そういうことか。


「いいじゃねえか。王国騎士なんてそうそうなれるもんじゃないぜ」


 他人事のように言うラクロをセシルは睨み上げる。


(人の気も知らないで……)


「騎士にだっていろんな仕事がある。戦うだけが仕事じゃないんだぜ。……ま、戦争が起きなければの話だけどな」


(……でも、もしまた戦争が起こったら……)


 セシルは脳裏に嫌な光景が蘇りそうになるのを、慌てて打ち消す。


 子爵があとを継いだ。


「そういうことだ。騎士になったからといって必ずしも戦わねばならないとは限らない。……なあ、セシル少年。明日の仕事が見つかっているわけではないのだろう? 生きるためには、やりたくなくてもやらねばならないこともあるんじゃないのかね?」


「それは……」


 そう、なのだけれど。


(……それを、あなたが言うのか)


 ──ハーシェル子爵は領主で、お金持ちで。仕事にも、毎日の食事にも困っていなくて。


 そんな人に正論を諭されるのが、ひどく惨めだった。


(生きるためには……)


 やりたくなくてもやらなくてはいけないことは、ある。


 難民をやっていれば。

 セシルみたいな生活をしていれば。

 お金がなければ。

 力がなければ。


 嫌なことを声を大にして「嫌だ!」と言うことすらできないのだ。

 この世界では。


「……わかりました」


 ……だから、 もう開き直ってしまえ、と思った。


「僕、やります。……騎士に、なります」


 やるしかないのなら。


(……やってやる)


 セシルはぎゅっと拳を握りしめる。


 ──やるからには、とことんやってやる。

 性別だってなんだって、隠してやる。


 安全な隊に所属して、無難に立ち回って、そして──小賢しく生きていってやる。


 ラクロの紫の瞳とかちあった。


 涼しげだったはずのその瞳は、ぎらぎらと妖しい光を放っていた。

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