第10話「オーガと解体魔」

 翌日、セシルとラクロとテレジオの三人は、コルネの森を歩いていた。


 この森を抜ければ、王都までは街道が続いている。

 予定では、夜までに森を抜けるはずだったのだが、旅慣れないセシルの足がもたついたせいで、今夜は野宿することになりそうだ。


「……ねぇ」


 少し前を歩くラクロに声をかけたセシルは、わずかな生活必需品を詰めた背負い袋と弓矢だけを担いでいた。


「子爵に黙って出て来て、本当に大丈夫だったの?」


「大丈夫だろ。もう戻る予定もねぇし」


 ラクロがしれっと答える。


「せっかく目をかけてもらっていたのに、もったいないですねぇ」


 テレジオが残念そうに言う。


「そうだよ。部屋だってあんないいところに住んでたのに……」


 セシルはラクロとテレジオが住んでいた家を思い出した。


(あんなところに住めるんだったら、私なら王都になんていかないけどな……)


 スラム街の小屋に住み、毎日職に困っていたセシルと、高級住宅街に住み領主の屋敷で働いていたラクロ。


 力のない者とある者で、同じ難民でもこれほど生活に差が出るのだ。


 ……そう、先ほどテレジオから聞いたのだが、ラクロとテレジオもシュティリケ難民なのだという。


(ていうか、この二人ってどういう関係なんだろう?)


 一緒に暮らしているようだが、顔も似ていないし、家族というわけではなさそうだ。


(友だちとか、仕事仲間……とかなのかな)


 そんなことを考えていると、不意に少し先を歩いていたラクロが足を止めた。

 同時に、テレジオも歩みを止める。


「……え?」


 ──遅れたのは、セシルだけだった。


 ぐちゅっ。ガキン。


 柔らかくて湿ったものを断ち切る音。

 直後に、固いもの同士がぶつかる音がした。


「……っ!!」


 左右に一体ずつ、セシルより二回りほど大きな体躯の鬼が立っていた。


 オーガだ。


 右のオーガの首にはラクロの刀身が、左のオーガの首にはテレジオの持った刃渡り六十センチほどの短剣が、深々と肉に食い込んでいた。

 さっきの音は、二本の刃物がオーガの骨とぶつかる音だったようだ。


 棍棒みたいなものを振り上げた態勢で、オーガ二体の首は断ち切られそうになっていた。


 固いはずの骨が、人間の腕力でバキッときしむ。

 オーガたちは赤黒い血を吐き出して、にちゃっ、ごろっ、と嫌な音を立てて、重たそうな頭を地面に落とした。

 数秒遅れて、バランスをコントロールする力のなくなった巨体がどしんと地面に倒れる。


「……オーガは、この森にはいないはずなんだが」


 頬についたオーガの血をぬぐいながら、ラクロはセシルの方を向いた。


 ……違う。セシルを見たのではない。

 セシルの向こう側にいる、敵陣営を睨み付たのだ。


「ひっ……」


 セシルはオーガの群れを振り返り、悲鳴を上げそうになる。


「ビビるなら引っ込んでな」


 セシルの方を見もせずに言ったラクロに、


「……ラクロ」


 テレジオは笑顔を向ける。


「僕にやらせてもらえませんか?」


 ……それは、いつも彼の顔に浮かんでいる穏やかな微笑ではなかった。


 怪しく光る金色の瞳に、ラクロは眉ひとつ動かさずに返す。


「……好きにしろ」


 テレジオが地面を蹴るのと、オーガが飛び出すのが同時だった。


 テレジオはいつの間にか両手に短剣を掲げていた。


 一番前のオーガの巨大な拳が、テレジオの頭めがけて襲いくる。

 金髪の頭はそれをするりとかわし、オーガの懐に飛び込んで、目玉に両の剣を突き刺した。


「オオオオオオ……!」


 低く痛ましい悲鳴が夕暮れの森に響く。


 テレジオは二つの剣でオーガの首を挟むと、ガッとそれを交差させた。

 ぶしゅうっ、とおもしろいくらいに首から血を吹きだして、そのオーガは命を落とす。


 テレジオは間髪入れず、ダンスのステップを踏むように二体目のオーガに襲いかかった。


 巨大な拳を振り上げたオーガの腕を、スパンと肘から斬り落とす。


「わ……」


(笑ってる……)


 の、だった。

 化け物を殺しながら、テレジオは。


 口元に笑みをたたえたまま、テレジオはオーガの残った方の腕の肩口に短剣の刃を差し入れる。


 にちゃっ、バキッという音がして、オーガの腕が血をしたたらせながらごろりと地面に転がった。

 オーガは落ちた自分の腕を呆然と目で追って、断末魔を上げる暇もなく、喉元を短剣に掻き切られて死んだ。


 金色の瞳を爛々と輝かせて、テレジオは次の獲物へと向かっていった。


 ……不意に、胃の中のものが込み上げてきた。


(血の、臭いが……)


 肉の裂ける音が。

 骨の砕ける音が。


 あまりにリアルで……


(気持ち、悪い……)


 ふらり……と身体がよろめく。


 と、巨大な影がセシルの足元を覆った。

 吐き気を堪え、わずかに視線を上げると、


「あっ……」


 目の前に、強烈な臭いのする巨躯が立ちはだかっていた。セシルの顔ほどもある大きな拳は、棍棒のようなものを握っている。


 オーガだ。


(近い……!)


 弓を引くのは、間に合わない。


 ──死ぬ。


 そう思った、そのとき。


「ぼーっとしてんじゃねぇっ!」


 ……目の前のオーガが振り上げた腕に、ラクロの剣が食い込んだ。


 オーガよりもずっと細いラクロが、オーガの巨体を押し切る。

 斬撃を受けたぶっとい腕から破裂するみたいに飛び散った鮮血が、セシルの顔にかかった。棍棒を取り落したオーガの心臓を、ラクロは間髪入れずに突き刺す。


「引っ込んでろとは言ったが、自分の身くらいは自分で守れよ!」


 赤黒く染まったバスタードソードを引き抜いて、ラクロが言った。


「っ……!」


(そうだ……)


 ──私を守ってくれるひとは、もういない。


(自分の身は、自分で守らなくちゃいけないんだ……)


 それはわかっている。

 わかっているけれど。


 身体はガタガタと震えるばかりで、まともに言うことを聞いてくれなかった。


 気がつけば、あたりにはオーガの死体ばかりが転がっていた。

 戦闘はやみ、あたりには夕方の静けさにシンと沈んでいる。


「すみません。実は僕、解体こういうのが趣味で……」


 頬に返り血を貼り付けたテレジオが、申し訳なさそうにしゃがみ込んだセシルに手を差し伸べた。


「あの……少々、刺激が強すぎたでしょうか?」

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