第26話

「よし、できた!」

 理科室の中で明るく声を弾ませ、堂上明瑠はできあがったばかりの液体を漏斗でビーカーから瓶に移し替えた。傍らでその様子を見ていた知襲は、好奇心に満ちた瞳で明瑠を見詰めて問うた。

「あの、明瑠さん。それは一体、何のお薬なんですか?」

「え? ……うん、そうだなぁ……」

 少しだけ、困ったような迷ったような顔をして。明瑠は手元の鞄から、真っ新なルーズリーフを一枚、取り出した。

 ルーズリーフを小さく折り、折り目を爪で念入りにしごいて、その折り目に沿って破っていく。あっという間に、名刺サイズの小さなカードが出来上がった。

 鞄から今度は黒の油性ペンを取り出して、丁寧に文字を書いていく。知襲が、明瑠の後からカードを覗き込んだ。

「アダム細胞……破壊毒……? ……え? 明瑠さん、毒って……それに、アダムって……」

「……うん」

 サッと顔色を変えた知襲に、明瑠はどこか申し訳なさそうに頷いた。セロハンテープを鞄から取り出し、四本切り取るとカードの四辺に半分はみ出すように貼り付ける。そして、それを瓶の側面に貼り付けた。

「アダムって言うのは、知襲ちゃんのあのアダムの事。……この毒にはね、アダムの細胞を破壊する効果があるはずなんだ。皮膚から吸収されるから、飲ませる必要も無い。例えば武器に塗って、それで傷を付ける事ができれば一番良いんだけどね。……これを使えば、アダムは勿論、あの化け物達の細胞も破壊する事ができる」

「明瑠、さんが……学園に、特別に取り寄せてもらってた薬品類……。全部、これに使うため、だったんですか? アダムを、殺すために……?」

 知襲が震えている事に、明瑠は気付いているのか、いないのか……。黙って立ち上がり、理科準備室に入り。瓶を入れてから、棚の鍵が折れ曲がっている事に気付いた。廃校になる以前にこの部屋の主だった者がいい加減に扱ったのだろうか? これでは施錠ができない。

 ため息をついて扉を閉める。振り向いて、追ってきた知襲の目を見詰めた。

「……そうだね。いずれは、アダムの事も殺さなきゃいけないと思う。けど、それよりもまずは全国に散っちゃった化け物達だよ。あいつらをどうにかしないと、私達鎮開学園の生徒は、今後も生贄にされ続ける。……そうでしょ?」

「……はい」

 知襲は、小さく頷いた。明瑠は、知襲の顔をジッと見詰めた。

「……知襲ちゃんはさ、アダムに死なれたくないんだね?」

「……はい」

 もう一度、知襲は頷いた。

「……どうして?」

「どうして、って……アダムが死んだら、私はこの校舎で独りきりになってしまいます」

「そうかな?」

 明瑠は首を傾げた。そして、姉が妹に言い聞かせるような顔をする。

「そもそも、知襲ちゃんがこの校舎にいるのは、アダムがここにいるからだよね? 知襲ちゃん、地上にも出てきてたし、この校舎から出れないってわけじゃないんでしょ? なら、アダムが死んじゃった後は、人がたくさんいる賑やかな場所にいけば寂しくないよね?」

「え……」

 知襲が言葉を発する前に、明瑠は言葉を重ねた。その顔は、少し怒っているようにも見える。

「知襲ちゃんの気持ちも、わからないわけじゃないよ? 長い事アダムと一緒にいて、情も移っているんだろうし。情のある人と別れるのは辛い事だよね。……けどね、そんな辛い想いをする人が、アダムがいる限り、増え続けるんだよ? 私も、クラスの友達が生贄にされた時は辛かった。ただの友達でも辛いんだから、あの子の家族はきっと、とても辛かったんだろうと思う。そんな人が、これからもどんどん増え続けるんだよ? 知襲ちゃんは、それでも良いと、思う?」

 尋ねてはいるが、答が決まっている。知襲が、目に涙を滲ませた。

「……って、ないじゃないですか……」

「……え?」

「私の気持ち、ちっともわかってないじゃないですか!」

 爆発したように知襲が叫び、明瑠はしばし硬直する。驚いた顔をして、しばし言葉を探すように目を泳がせた。

「えっと、知襲ちゃん……?」

「アダムがいなくなる事が、私にとってどれだけ怖い事なのか……明瑠さん、ちっともわかってないじゃないですか!」

 明瑠に二の句を継がせまいと、知襲は懸命に喋る。明瑠の事を拒絶するかのように、懸命に。

「アダムがいなくなった後は賑やかな場所に行けば良いとか、アダムがいると悲しむ人が増え続けるとか……確かにそうです! 理屈で言えば、明瑠さんの言う通りです。けど……けど! 賑やかな場所に行っても、私と話をしてくれる人が一人もいなかったら? その方が、ずっと寂しいじゃないですか! アダムがいなくなったら、私が悲しいです! 大勢の人のために、私には悲しいのを我慢しろと……明瑠さんは、そう言っているんですよ!?」

「それは……そうだね。知襲ちゃんにだけ我慢させるような言い方だったよね。それは、ごめん。……けど、誰も話をしないっていう事は無いと思うよ。ほら、現に私はこうして、知襲ちゃんと話しているし」

 半分だけ非を認め、明瑠は謝罪する。そんな明瑠を、知襲はキッと睨み付けた。全然わかっていない、そう言いたげに。

「明瑠さんは……あと何年かしたら、卒業しちゃうじゃないですか。鎮開学園は、卒業生と言えども部外者は入れないんですよ。明瑠さんが卒業したら、私と明瑠さんは永遠にお別れです。明瑠さん以外に、私と話せる人がいるという保証はあるんですか? その人が、私と仲良くしてくれるっていう保証は?」

「……」

 答える事ができず、明瑠は黙り込んだ。その態度がまた癇に障ったのか。知襲は踵を返し、理科準備室から出て行こうとする。

「知襲ちゃん!」

 明瑠の呼び掛けに、知襲は一度だけ足を止めた。だが、すぐに首を横に振り。そのまま、外に駆け出してしまう。

 明瑠はしばし呆然とし、それからため息を吐いた。そして少しだけ考えて……制服の胸ポケットから、小さなボールペンと生徒手帳を取り出す。そして、手帳のメモを取るための白紙のページを開くと、丁寧に文字を綴った。

「また来るからね」

 ただ、それだけを書いて。明瑠は先ほど瓶を仕舞った棚の扉を再び開けた。瓶の近くに手帳を置いて、再び扉を閉める。こうしてしまえば、明瑠は何があってもまたこの部屋に来ざるを得ない。生徒手帳を置きっぱなしにするわけにもいかない。

「こうでもしないと、逃げそうだからさ」

 自分に言い聞かせたのか。明瑠はそう呟き、理科準備室を出た。施錠して、その鍵を教室後方のスチール棚に隠し、また施錠する。更にその鍵を教員用スチール机の引き出しに仕舞い、それもまた施錠して。最後にその鍵を、教室中央の実験用机の、シンクの中に隠した。遊び心も手伝って、この教室や理科準備室で実験をしたり物を仕舞うようになってからは、いつもこのように鍵を隠している。この隠し場所を知っているのは、明瑠の他は知襲だけだ。

 どのタイミングで再びこの教室を訪れれば、知襲に会う事ができるだろう。そんな事を考えながら、明瑠は地下校舎を後にした。

 しかし、その後明瑠が理科室を訪れる事は二度と無かった。

 それから約一週間後、堂上明瑠は生贄に選ばれ。そして更にその一週間後、命を落とした。

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