第27話

 痛む足を引き摺りながら、奉理は懸命に体育館を目指す。この廊下を歩くのは、往路も復路も併せればこれで五度目。ほとんどの照明が点かず薄暗い状態であっても、迷わずに行けるほどには道を覚えている。

 それでも、微妙な勾配のある廊下を歩く時はやや辛い。階段を上り下りするのは、かなり辛い。辛いながら、奉理は懸命に歩いた。白羽と知襲、そして奉理以外はこの場所の事を知らない……というのは本当だったようで、誰にも道を阻まれる事は無い。

 かなりの時間をかけて歩いた末に、奉理は漸く階段を上りきり、体育館の前へと辿り着いた。足を引き摺りながら階段を上ったため、体力はもう限界だ。奉理は階段の最上段に座り、まずは呼吸を整える。

 呼吸を整えながら、頭の中を整理しようと試みた。この短い時間で、あまりにも様々な事が起こり過ぎている。

 ……いや、この数時間に限った事ではない。この一ヶ月だ。

 学園で謎の泣き声を聞き、クラスメイトが生贄に選ばれ、知襲に出会い、この地下校舎に入り、あの毒薬を見付けて。

 自分が介添人になり、化け物と対峙し、しかも倒してしまい。

 学園内で今度は謎の唸り声を聞き、あろう事か自分が生贄に選ばれ、逃げ出し、再びこの地下校舎にやってきて。

 白羽理事長に追われ、トラバサミで足を負傷し、目の前で白羽理事長が殺され、殺したのは化け物でそいつは地上へ出てしまい。

 そして今、奉理は、あの唸り声の主がいると思われる、体育館の前にいる。

 中学を卒業するまでの十五年間、こんな特殊な目に遭った事は無い。それが、この一ヶ月で次々と自分の身の上に降りかかっている。

「何か……気がおかしくなりそう……」

 呟き、苦笑する。こんな事態に陥っている中で冷静に呟いている時点で、既に気はおかしくなっているのではないか。

「まぁ……おかしくなってなきゃ、こんなところに突入しようなんて考えないよね……」

 そう独り言を呟いて立ち上がり、足を引き摺りながら体育館へ入る扉の前に立つ。扉の向こうからは時折、唸り声が聞こえてくる。

 あの唸り声だ。奉理は、そう思った。間違い無く、あの時グラウンドで聞いた物と同種の唸り声だと思う。それも、今回は地面を挟んでいない分、ずっと大きく聞こえる。

 奉理は、ごくりと唾を呑む。この先へ進めば、何が起こるかわからない。今なら、まだ引き返す事ができる。例え、一週間後には生贄なり飢餓なりで死んでしまうとしても、今恐ろしい思いをする事を避ける事はできる。

「けど……このまま知襲を放っておいたら、俺はきっと後悔する……」

 そう、自分に言い聞かせた。そして、鉄製の扉に、両手をかける。扉は両開きになっている。奉理は思い切って、両方を開け放った。いざ逃げ出す事になれば、脱出口は広い方が良い。

「……!」

 扉を開け放った出入り口から内へと足を踏み入れ、奉理は言葉を失った。言葉だけではない。動きも、呼吸をするすべさえ一瞬失ってしまった。

 そこは体育館であるはずなのに、体育館ではなかった。研究所か何かだと言われた方が、まだ納得できる。

 広いはずの空間だが、奥行きは体育館と言えるほど無い。入って十五メートルほどの場所に、幕のような物が張られているからだ。壁と見間違うほどに大きな白い幕が、薄暗い中に浮かび上がって見える。

 奉理は、まず幕よりも手前側に目を走らせた。両サイドの壁際に、何に使うのか全く見当もつかない機械類が所狭しと並んでいる。SF映画で見るような、円柱型の水槽のような装置もいくつか見える。中に並々と注がれている、蛍光緑の液体が気色悪い。

 機械よりも内部寄りに、箱が並んでいる。平たく、細長い箱だ。全部で十五、六はあるだろうか。色は、黒か白の二色。等間隔に並んでいるが、並び方の法則に色は関係無いようだ。

 見覚えのあるような、しかし身近には思い当たらないその箱に、奉理は近付いてみた。そして、箱の一つを間近で見ると、目を見開き跳び退る。

「これ……棺桶っ!?」

 それは、死人を安らかに眠らせるための寝床だった。漆塗りの黒い物。白木作りの白い物。二色あるのは、宗派の違いか、それともその時その時で手に入り易かった物なのか。

 考えたところで、わからない。考えたところで、意味は無い。問題は、何故こんなところに、いくつもの棺桶が並んでいるのか、だ。

 ぞくり、ぞくりと。背筋が凍り付いていくのを感じながら、奉理は棺桶の隙間を縫うように歩いてみる。どの棺桶も、サイズはそれほど大きくない。もし誰かが入っているとすれば、小柄な人間なのだろう。腐臭は……残念ながら、する。人間とは限らないが、何かが入っているのは明白だ。

 歩いているうちに、あの白い幕の真ん前に、ひと際大きな棺桶が設置されている事に気が付いた。黒く、そして他の棺桶よりも細かい装飾の施されたそれは、棺桶と言うよりもベッドのようで。

 そして、そのベッドのような棺桶は蓋が開いていた。怖いながらも好奇心が湧き、奉理はその棺桶に近付いた。

 何か、予感めいたものが脳裏を過ぎる。それは、近付くにつれどんどん強くなっていき。

 そして、その前に立った時。横たわる人物の顔を目にした時。奉理は、その予感が正しい物であったのだと実感した。

 そこには、知襲が眠っていた。奉理が知っている知襲よりもずっと白く、透明な肌に生気はほとんど無い。先ほどまで動いていたのが信じられないほど、目も口も固く閉じられている。胸の上で組まれた手は、まるで神に祈っているかのようで。

「……柳沼くん……」

 声をかけられ、奉理はハッと振り向いた。

 そこには、知襲が立っていた。悲しそうな顔で、奉理と、奉理の前に横たわる己の姿を見詰めている。

 立っている知襲と、横たわっている知襲。二人の知襲を交互に見てから、奉理は立っている知襲に向き合った。

「……知襲、これ……」

 俯く知襲に足を引き摺りながら近寄り、手を取る。だが、奉理の手は知襲の手を通り抜け、空を掴んだ。

「……はい……」

 知襲は、静かに頷いた。

「それは、私……。三十年前に生贄になった、白羽知襲の本体です」

 今まで奉理が見ていたのは、知襲の魂だった。だからこそ、音も無く奉理に近寄れた。誰よりも早く、誰にも見られずに移動する事ができた。だからこそ、扉にも何にも、触れようとしなかった。

「知襲は……幽霊だったんだね。……いや……」

 首を横に振ってから、奉理は棺桶の方へと戻った。覗き込めば、横たわる知襲の肢体には無数の機械が取り付けられ、管が何本も、棺桶の底へと伸びている。

「知襲の本体は、意識が無いだけでまだ生きているんだ。……だから……」

「幽霊ではなくて、生霊、と言った方が正しいんでしょうね……」

 静かに、知襲は呟いた。

「そうです……私は三十年前、生贄として捧げられました。その儀式が行われたのが、この学校……清廉花女子中等学校。私の父が経営していた、私の通う学校です」

「それが、公式記録に残る最初の生贄の儀……?」

 知襲は頷き、「柳沼くんのクラスメイトの方が調べた通りです」と俯いた。

「私が生贄となり、清廉花女子中等学校は廃校となりました。もう、授業ができるような環境ではありませんでしたから。その日から、清廉花女子中等学校は、アダムと私の家となりました」

「……アダム?」

 その名前は、先ほどから何度か聞いている。それに、確か……堂上明瑠の遺したあの毒薬。あれの名前は「アダム細胞破壊毒」だったはずだ。

「アダムって……あの、アダム?」

 旧約聖書に登場する人類の始祖。

「化け物達からすれば、そうです」

 そう言って、知襲は壁際に寄る。壁に、赤と緑のスイッチが一つずつあった。知襲は、意を決した顔をすると、緑色のボタンを押す。駆動音が響き、あの壁のような白い幕がするすると動き始めた。

「知襲? 何を……」

「……見ていれば、わかります。ここで何をしているのか、化け物達は、どこから来るのか。何故、先ほどの化け物は、私の事を母と呼んだのか……」

 幕が開く。今まで隠されていた体育館の奥が、薄暗いながらも見えるようになった。奥で、何かが動く。

「あれは……!」

 奉理は息を呑んだ。

 形容し難い。何に似ていると言えば良いのか、表現ができない。

 象の何倍も大きい。体表は、ゲル状になっているとでも言えば良いのか。ヌルヌルてらてらと、不気味に光っている。

 赤紫色の、ヘドロの山。それが、ごふりごふりと、不規則に、自発的に、動いている。あれが……。

「あれが……アダム……?」

 知襲は、何も言わなかった。視線は、ただアダムに注がれている。

 アダムがずるりと大きく動いた。横に回転している。紅く大きな、丸い物が姿を現した。アダムの体に埋め込まれているように見える。

「あれは、アダムの目、です」

「目……?」

 目が、ぎょろりと奉理の方へと向いた。目の下が、横一文字にぱくりと割れる。紅い丸が目なら、この割れ目は口か。

「チ、ガサ……ソレ、ハ……?」

 アダムには、知襲の魂が見えているのか。まっすぐに、奉理の横にいる知襲を見詰めている。

「私のお友達です、アダム。怪我をしているので、アダムに治して頂けないかと思いまして」

「アー……イイ、ヨ……」

 ゆっくりと頷き、アダムは幕による境界を越え、奉理達に近付いてきた。腐臭がすごい。アダム本体もどこかかび臭いが、この腐臭は……アダムの口からか。

「ち、知襲……治す、って……?」

 知襲は、答えない。ただ、アダムを見詰めている。

 アダムの側面から、緑色の細長い、触手のようなものが飛び出した。触手は奉理の元へと辿り着くと、あのトラバサミに挟まれた足の辺りをウロウロと彷徨い始める。

「なっ……何……!?」

「ジットォ……シテテェ……」

 アダムが間延びした声でたしなめる。触手は、奉理の足に巻かれていた止血用のハンカチーフを剥ぎ取り、露わになった傷口をペトペトと撫で始める。

「……っ!」

 傷口に触れられた痛みに、奉理は呻いた。だが、アダムがそれに怯む事は無い。

 やがて、触手の先端からどろりとした透明な液体が染み出てきた。触手はその液体を、軟膏のように奉理の傷口に塗りつける。

「……え?」

 塗られた傷口から、次第に痛みが引いていく。それどころか、傷口が段々塞がっていくようだ。

「これ……」

 驚く奉理に、アダムは満足そうに「グフフ……」と笑った。

「スゴイデショ……ケド、コレ、オナカ、スク……」

 そう言って、アダムは知襲を見た。知襲は、何も言わずにただ、頷いた。

「ジャア、イタダキマス!」

 言うなり、アダムは知襲の本体へと目を向けた。体の側面から、今度は紅い触手が伸びる。

「あれ……さっきの化け物が白羽理事長に刺したのと同じ……!」

 紅い触手は、棺桶に横たえられた知襲の本体に突き刺さる。小動物のような膨らみが二つ、アダムの体内に収まった。

 紅い触手を引っ込め、次いでアダムは緑色の、奉理を治した触手で知襲の傷口を撫で回した。紅い触手を刺した傷が、あっという間に癒えていく。

 緑色の触手を引っ込めると、アダムはぶるりと、身震いした。食事後に便意を催した人間を思い出す仕草だ。

「イケナイ……チョット、シツレイ」

 アダムの後方から、赤茶色い管が伸びた。管は、壁際に設置されていた、蛍光緑の液体を満たした装置の蓋を開けると、その中に先端を差し込む。

 赤茶色い管から、一片の肉片が吐き出された。あれは、もしかしなくても……先ほど知襲の本体から吸収した……?

「アダムは、内臓器官があまり発達していないんです。なので、必要な栄養素だけ抜き出すと、その滓はこうして、すぐに排出されるんです」

「ゴメンネ……スグニ、ケスカラ」

 消す? どういう事だ? この装置は水洗トイレのようになっていて、中に入っている物を蛍光緑の液体ごと流すのだろうか。

 アダムの側面から、今度は青色の触手が伸び出した。青い触手は装置の上に移動すると、その先端から何か、蒼い液体を一滴、ぽたりと装置の中に落とし込んだ。それが終わると、すっきりしたのか、アダムは落ち着いた様子で元居た場所に戻っていく。自分は寛いでいるから、友達同士仲良くお喋りしていてくれ、という事だろう。人間なら、良い旦那さん、という風情だ。

 それを横目で見てから、奉理は装置を指差した。正確には、装置に落とし込まれた蒼い液体を。

「あれは……?」

「……アダムの、細胞……とでも言うんでしょうか。アダムを形作っている、組織の一部です」

「アダム……細胞……?」

 それは、あの、堂上明瑠の遺した毒薬の……?

 蒼い液体は、装置の中に沈みゆく肉の塊にまっすぐ向かってゆく。そしてそれは、肉片を捉えると、スゥッと浸透していった。アダムの細胞が、知襲の肉片に吸収されていく。

 やがて、肉片に異変が起き始めた。ぼこりぼこりと、膨れていく。膨れに膨れ、それはやがて、人と同じほどの大きさにまで膨れ上がる。

「なっ……!」

 驚く奉理の眼前で、肉片は形を変えていく。ただの肉片から、四肢を持った生物の姿へと。

 やがて、猛禽類のような足が生えた。ワニのような鱗が、全身を覆った。トカゲのような顔から、蛇を思わせる舌がチロチロと伸びている。

「ば、化け物……」

 そうとしか、呟けなかった。たった数分のうちに、装置の中には一体の化け物が生まれていた。知襲の肉片を媒体に、アダム細胞を核として。

「これが……化け物の正体……?」

 知襲は、悲しそうな顔をした。

「父は、柳沼くんに語った通り……化け物を作り出して、その力で人々を自分が思う通りにしたかったんです。そのために作り出した化け物の第一号が、このアダム。食べた人間の滓に自分の細胞を差し込む事で、新たな化け物達を生み出す能力を持っています」

「じゃあ……知襲が生贄にされる前に行方不明になったっていう女の人達は……」

「生み出されたばかりのアダムが、夜な夜な外を徘徊しては、出歩く女性達を食べていたのです。その滓は全て化け物へと変わり、日本全国に散っていきました」

「知襲が、生贄にされたのは……」

「私が、偶然父の計画や、このアダムの事を知ってしまったからでしょう。父と政府は相談し、秘密が露見するぐらいであればと、私を生贄に選びました。……柳沼くんが生贄に選ばれたのと、同じ理由です。私が常にこの場所にいる事で、アダムは犠牲者を探しに外へ出る必要が無くなり、この辺りでの女性行方不明事件は終息を迎えました」

「……最初に、食べられた女の人達は……?」

「……そこに。皆さん、眠っていらっしゃいます」

 奉理は、ハッと知襲の指差す方を見た。あの、白と黒の棺桶達だ。中身は、全てアダムに食われた女性達だと言うのか。

「みんな、死んでる、の……? 知襲は、死なずにいるのに……?」

「最初は加減がわからず、アダムは一度の食事で女性を死なせてしまっていました。何人もの女性を死なせ、私が生贄になった頃にやっと、加減と、相手を生かしておく方法を覚えたのです」

「それが、あの……?」

 あの緑色の触手を、奉理は思い出した。

「あの触手から出る液体は、傷を治すばかりではなく、体内の老廃物を溶かす効果もあるようです。その影響から、私の本体はこの三十年、歳をとる事も無く、あそこで生きたまま、眠り続けているんです。……勿論、それだけでは人間は生きていけませんから。体に管をつなげられて、直接栄養を送り込まれているんですけどね」

 それが、あの棺桶から伸びていた管の正体か。

 アダムは知襲の肉を食べて生き続け。知襲はアダムに治癒され、致命傷を負う事も老いる事は無い。そして、アダムが食べた知襲の肉の滓からは化け物が生まれ、人々を苦しめる。人々は化け物を恐れ、生贄を差し出す。生贄を養成するために鎮開学園は存続し、その鎮開学園によって知襲の生命維持装置は稼働し続け、知襲は生き続ける。

 終わらない。負の連鎖が、これでは終わる事が無い。

「知襲は……それで良いの?」

「……」

 知襲は、答えない。

 奉理は、知らない。それが数ヶ月前、堂上明瑠が知襲に言った言葉と同じであるという事を。その言葉を口にした堂上明瑠がその二週間後に、生贄として命を落としたという事を。

「このまま、いつまでもここにいて……暗い場所で、肉を食べられ続けて、自分から化け物を創られて……その化け物が誰かを苦しめているって罪悪感で悲しそうな顔をしたままで……それで、本当に良いの?」

「……え?」

 知襲は、目を見開いた。その言葉は、堂上明瑠からは出なかった。明瑠の言葉は、知襲がこの校舎に執着する事を責めるものだった。だが、今の奉理の言葉は。

「柳沼くんは、私を責めないんですか?」

「責める? 何で!?」

 心外だと言わんばかりに、奉理が声を荒げた。

「むしろ、知襲が何かを責めるべきじゃないの? 俺だったら、嫌だよ。痛みは無いと言っても、自分の体を食べられたり。自分の体を化け物にされたり、自分の分身が誰かを傷付けてたり! 知襲だって、嫌なんじゃないの? だから、いつも悲しそうな顔をしてたんじゃないの?」

「悲しそう、ですか? 私……」

「少なくとも、今はどう見ても悲しそうだよ。笑ってる時だって、いつもどこか遠慮がちな笑い方だった!」

 そもそも、知襲が奉理に笑って見せた事などあっただろうか? 微笑んでいる時はあった。だが、笑った顔をなると……あったかもしれないが、思い出せない。

「そう、ですか……」

 そう言って、また俯いて。そして、力無く首を横に振って。

「けど、どうすれば良いんでしょう……」

 助けを求めるように、奉理を見た。

「……明瑠さんは、いずれはアダムを殺さなければいけないと言いました……」

「明瑠さんって……やっぱり、あの堂上明瑠さん?」

 知襲は、頷いた。そして、「けど」と呟く。

「それに私は、反発しました。だって、アダムを殺したら……私は独りぼっちになってしまいます。明瑠さんは、いずれ卒業してしまいます。明瑠さん以外の人に、私が見えるかどうかわかりません」

「そんな……知襲の本体はまだ生きてるんだし。騒ぎが収まれば……」

「私の本体が目覚めるかどうか、わかりませんし……。それに、本体だとしても、魂だとしても……私の事を受け入れてくれる人がいるでしょうか?」

 そう言って、知襲は蛍光緑の液体に満たされた装置を見た。先ほど生み出された化け物が意思を持って動きだし、蓋を自ら開ける。そして這い出すと、そのまま体育館の外へと飛び出して行った。今までの化け物と同じように、どこかに巣食って……そして、生贄を要求するのだろう。

「今まで生贄を要求し続けてきた化け物達は、そのほとんどが私の体を元に創られています。言わば私は化け物達の母親で、生贄にされた人達、化け物に殺された人達、その遺族、不安な日々を過ごす羽目になった人達……全国民の仇でもあるんです。そんな私が、この校舎を出て……受け入れて頂けるんでしょうか?」

「……大丈夫だよ」

 特に考えるでもなく、自然と、その言葉が奉理の口から出た。信じられない、という顔をする知襲に、奉理は言う。

「少なくとも、俺は知襲を拒絶しない」

「けど……柳沼くんは、生贄に選ばれているじゃないですか。それを回避できても、またいつ生贄に選ばれるかわかりません。柳沼くんが死んだら、結局私は……」

「死ぬ前に、俺の家族とかに頼んでおく。知襲を嫌わないように、ってさ。それから、クラスメイトにも頼んでおくよ。小野寺とか、静海とか、良い奴だよ。静海なんか、この前生贄にされた時、知襲が教えてくれたあの毒のお陰で死なずに済んだんだ。きっと、仲良くしてくれる」

「でも……」

「知襲が魂のままなら、幽霊同士で俺が仲良くする。生霊になれるんだから、死んだ後に幽霊になる事だってできるよ、きっと。それに、知襲が魂のままならきっと、堂上明瑠さんも、また知襲と仲良くしてくれる」

「明瑠さんが……?」

 奉理は、こくりと頷いた。それに対し、知襲は首を振る。

「そんな事は、無いです。私は、明瑠さんに酷い事をしてしまいました。私のせいで、明瑠さんは生贄にされてしまったんです。私が、父に明瑠さんが地下校舎で毒薬を作っている事を話してしまったから。だから……」

「大丈夫」

 きっぱりと、言い切った。そして、少しだけ申し訳なさそうに言う。

「あの時……知襲に教えてもらって、あの毒薬を手に入れた時。棚の中に、瓶と一緒に、堂上明瑠さんの生徒手帳が入ってた。……覚えてる?」

「……はい」

「あの手帳、あの後、俺の部屋に持ち帰ったんだ。急だったから手元に無くて、今見せてあげる事はできないんだけど……白紙のページには、こう書いてあったよ。また来るからね、って」

「……!」

 知襲の顔が、驚きに満ちた。

「なんとなく、だけど……堂上さんは多分、知襲とケンカをする前から、生贄にされる事を予想してたんじゃないかな? この地下校舎に入るだけでも、充分生贄の対象になるみたいだし。林に入るところを、誰に見られるかもわからない。知襲が白羽理事長に話しても話さなくても、いつかは……って。予想してたのに、生贄に選ばれたからって、知襲を恨んだりするかな? ……堂上さんって、ちょっとした事でも怒って、根に持ったりするような人だった?」

 知襲は、首を横に振った。

「なら、大丈夫でしょ? 堂上さんは、もう一度あの理科室に行くつもりだったんだよ。行って、知襲と仲直りをするつもりだったんだ。ただ、ちょっとタイミングが悪かっただけ」

「私は……私は、ここから出ても……独りぼっちにならずに済む……んですか?」

 奉理は、頷いた。

「だからさ、ここから出ようよ。アダムを殺すかどうかは後から考えるとして、まずは知襲がこの校舎から出るんだ。いつもみたいな一時的な外出じゃなくて、新しい生活を手に入れるために。そのためにも、まずは知襲の本体が目覚める方法を考えよう」

 そう言って、奉理は知襲の本体を見た。……つもりだった。

 振り向けば、いつの間にかそこにはアダムが佇んでいた。目が、赤黒く染まっている。

「あ、アダム……?」

「チガサ……ココ、デルノ?」

 話を聞かれていた。奉理はすぐに、そう悟った。……という事は、あの話も聞かれていたのか? アダムを殺す、殺さないと言った、あの話も。

「ボクヲ、コロスノ? ソノ、オトコト、イッショニナッテ?」

 ぶるぶると、ヘドロのような体が震えだす。怒っているのは、明白だ。奉理は、咄嗟に走り出した。

「知襲! 知襲も逃げて!」

「ウゥ……グゥオオォォォガアォォォァァォォォ!」

 アダムが、吼えた。空気がビリビリと振動し、辛うじて残っていた壁の窓ガラスがガタガタと音をたてる。

 アダムは、それまで奉理のいた場所に向かって、勢いよく倒れ込んだ。規則正しく並べられていた機器類が潰され、粉みじんになる。

 走り出した奉理を目で追い、アダムは方向を転換した。辺りを構わずに動き、知襲の本体をその体内に飲み込んでしまう。

「あっ……!」

「知襲っ!?」

 短く叫び、知襲の魂の姿が消えた。本体が損傷を受けたために、魂にも何らかの影響があったのかもしれない。

 アダムは知襲の他にも、並べられていた棺桶を次々と踏み潰し、取り込んでいく。体が、見る間に大きく膨らんでいった。

「シニ、タクナイ……ッ! コロサレル、ナラ……コロスッ!」

 叫び、そしてアダムは奉理に突進してくる。体の大きさの割に、動きは速い。奉理は、慌てて体育館の外に飛び出した。

 扉を閉める余裕は無い。奉理は急いで階段を駆け下りる。駆け下りながら、ちらりと、体育館を顧みた。

「……嘘でしょ……」

 あの図体だと言うのに。アダムは、扉を抜け出ている。見たところ体が柔らかいから、開口部の大きさに合わせて形を変える事ができるのか。

 このままでは、追いつかれ、潰される。そう確信した奉理は、逃げ場所を定め、そこを目指して全力で走り始めた。

 目指すは、地上。外部の人間に発見されれば、自衛隊か何か……助けが来るかもしれない。

 こうなったらもう、見付かったら生贄にされるとか、アダムが外に出たら何がどうなるかとか。細かい事は考えていられなかった。

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