第24話

「……あった!」

 理科室に無事辿り着き、前回と同じ手順で理科準備室に入り。件の棚に手を突っ込みながら奉理は嬉しそうに呟いた。

 瓶を取り出して、一旦机の上に置く。そして再び、奉理は棚の中を覗き込んだ。前回は怪しまれずに持ち帰るため、薬を半分だけ小瓶に移して持ち帰った。今回も同じようにするつもりだ。内容量が少なくとも、大きな瓶は持ち歩き難い。

 棚の隅に空の小瓶を見付け、奉理は中に異物が入っていないかを確認してから大瓶の中身を移し替えた。漏斗で一滴も漏らさず綺麗に移し、蓋を閉め。そこで奉理は、やっとひと安心する事ができた。万全の対策とは言えないが、これを手元に持っているというだけで、かなり心強い。

 蓋を閉めた小瓶をどこに入れておくか。数秒考え、奉理は制服の胸ポケットに突っ込もうとした。すると、上手く入らない。既に何かが入っていて、小瓶が入るのを妨害している。

「……あぁ、そう言えば」

 教室を出る時に、小野寺に渡されたメモ帳。読む前に呼ばれたので、とりあえず胸ポケットに入れておいたのだった。奉理はポケットからメモ帳を取り出し、代わりに小瓶を入れる。そして、小さなメモ帳をまじまじと見詰めた。

 嘘みたいだ。ほんの数十分前までは、いつもの教室で、いつもの顔と向かい合って、気軽に喋っていたというのに。なのに今、奉理は生贄になる者として追われていて、暗い地下校舎に隠れ、少しでも生き残る確率を上げようと毒薬を取り扱っている。

 あまりの落差に苦笑しながら、奉理はメモ帳の表紙を開いた。これからどうするかはまだ決まっていないし、どの道しばらくはこの地下校舎からは出られない。文字量がどれほどかは読んでみなければわからないが、多少の暇つぶしにはなるだろう。

「柳沼くん。それ、何ですか?」

 知襲が、興味深々といった顔で覗き込んできた。

「メモだよ。クラスの奴が、この学園の怪談みたいな事を調べてくれたんだ」

「え……」

 一瞬、知襲の顔が曇った事に、奉理は気付かなかった。気付かぬままに、メモ帳の文字へと視線を落とす。

 メモには、小野寺の性格を考えると別人ではないかと思えるほど読みやすい字が書かれていた。こんな時にクラスメイトの意外な一面を見て、奉理は思わずくすりと笑う。

 青の油性ボールペンで書かれたらしい、箇条書きの内容に、奉理はゆっくりと目を通した。

『鎮開学園が設立されたのは、今から二十八年前』

『この国に化け物が現れるようになったのは、更に二年前の三十年前』

『化け物は日本全国四十七都道府県全てに万遍無く現れているが、特にこの辺りは群を抜いている』

『ここに鎮開学園があるのも、この辺りに特に多く化け物が現れるため。生贄の移動時間や交通費、準備の手間などを考慮してこの場所に造られたらしい』

『実際、鎮開学園は生贄の儀の跡地に建っているらしい』

『当時この辺りで、若い女性が何人も神隠しにあって、それを解決するために生贄の儀を行ったのが現在の鎮開学園がある場所』

『その儀式は、公式記録に残っている最初の生贄の儀だったりする』

『元々は別の学校があって、それは現在埋め立てられて鎮開学園の地下にあるという都市伝説』

『地下にあるともっぱらの噂の元学校は私立の女子中学校。校名は清廉花女子中等学校。小さいながらも、マナーや礼儀作法をきっちり教え込んでくれるという事で、それなりに人気のある学校だった。ところで、マナーと礼儀作法ってどう違うんだ?』

『儀式後、清廉花女子中等学校は廃校になっている。在籍していた生徒は全員、場所があまり変わらず、同等の学校に転校』

『資料を見る限り、この清廉花女子中学と、この鎮開学園の理事長は同一人物。どちらも名前が白羽滉一郎になっている』

『多分、鎮開学園を建てるために清廉花女子中を潰す事になったので、白羽理事長を鎮開学園理事長に据えたのだと推理』

『どう見ても清廉花女子中の制服の方が、鎮開学園の物より可愛い。理事長を同じにするなら、制服もそのまま同じにしてくれれば良かったのに』

 ところどころに小野寺の主観が混じっている。女子の制服が可愛くても、男子である小野寺には関係無いだろう、と数秒だけ考えた。そして、目の保養か、と納得する。

 少しだけ呆れて、苦笑して。笑いを収めてから、奉理はメモのページを捲った。小野寺の箇条書きは、まだ終わらない。

『学校内を歩いていると、時々女の子の泣き声や、何かの動物の鳴き声やら唸り声やらみたいなものが聞こえてくるらしい』

『女の子の泣き声は三十年前に生贄にされてしまった子のものだとして、動物の鳴き声って?』

『鳴き声を聞いた生徒の話によれば、声の感じからして大型動物。しかも、肉食獣っぽい。尚、この話を聞かせてくれた子は小型の草食動物のような可愛い子。ウサギみたい。メアドを訊けない環境なのが辛い』

『清廉花女子中で、情操教育目的に象のような大型動物や、ライオンのような肉食動物を飼っていたという記録は無し』

『……って言うか、自分で書いておいてアレだけど。情操教育のために象やライオン飼ってるお嬢様女子中学校ってどんなんだよ』

 箇条書きのメモの中に、自前のツッコミまで混ざっている。小野寺は、もし鎮開学園が自由にインターネットを利用できる環境であったなら、ブログでもやっていたのではないだろうか。

『推測するに、この鳴き声の主というのは、三十年前の儀式で生贄を要求した化け物なんじゃないだろうか。化け物の姿形は記録に残っていないけど、それなら納得できる』

『若い女性が次々といなくなって、生贄に選ばれたのも女の子。つまり、この時の化け物は、静海の時と同じタイプの嫁寄越せ系』

『そして、儀式がこの清廉花女子中で行われて以後、化け物は現れていない。行方不明になった女性も、生贄になった女の子も、もちろん戻ってきていない』

『……という事は、鎮開学園の地下には、今も化け物が住んでいて。自分で攫った女性や、生贄になった女の子を周りに侍らせて。ハーレムを築いている可能性が』

 阿呆か。

 妄想と不謹慎の合わせ技に、奉理は本気で呆れた目をしてメモ帳を眺めた。小野寺は姉が鎮開学園の卒業生だという。だから妙に楽観的で、変なところで肝が据わっている。それは良い。しかし、これは据わり過ぎだろう。

 人間、環境に順応する事は大切だが、程度が過ぎるのはやはり駄目だな。そんな風に考えながら、奉理は更にページを捲る。

『!』

「……?」

 一行目に突然書かれたエクスクラメーションマークに、奉理は首を傾げた。先の文章を一行に書き切れずにページを跨いだとは考え難い。エクスクラメーションマークだけを跨がせる意味がわからない。

 まずは自分で、このマークが単体で書かれている意味を考えてみる。よく見れば、他の文字は読みやすい丁寧な筆跡だというのに、これだけは線が震えていて、走り書きをしたように見える。動揺して思わず書いた、という風だ。

 何故か、嫌な予感がする。エクスクラメーションマークを見詰めながら、奉理はそう思った。そして、躊躇いながら視線を下に動かし、続きに書かれた文字を見る。

『三十年前の、清廉花女子中等学校で行われた生贄の儀。そこで生贄になったのは、白羽理事長の娘さんだった』

「……!」

 目を見開き、同じ文章を何度も見直す。何度見ても、変わらない。奉理は、一文字も見間違えてはいない。

『娘さんは、当時中学二年生だった』

『通っていた学校は、父親が理事長を務める清廉花女子中等学校。つまり、現在鎮開学園になっている、ここ』

『だから、白羽理事長は現在、鎮開学園の理事長をしているのかもしれない』

『生きて元気にしていた頃の娘さんを思い出してしまうのが辛くて、清廉花女子中を廃校にして、鎮開学園に土地を提供したのかもしれない』

『死に別れても娘さんと一緒にいたくて、理事長として、この学園の敷地に留まっているのかもしれない』

『そうじゃなきゃ、何で自分が育て上げた、評判も良い人気の学校を廃校にしたりするんだ』

『でなきゃ、何で娘さんを生贄に追いやった政府が設立する学園に土地を提供したり、そこの理事長に就任したりするんだ』

 小野寺はすっかり白羽理事長に感情移入しているようだ。奉理だって、こんな立場でなかったら、きっと同じだろう。小野寺と一緒になって、当時の理事長の心情を慮り憤然としていたかもしれない。

 つらつらと、余計な事を考えながら、更に視線を下に遣る。そして奉理は、ハッと息を呑んだ。恐らく、このメモを読み始めた頃から、奉理が一番知りたかったであろう事が、書かれている。

『三十年前に、今は鎮開学園が建つこの場所で命を落とした、公式で最初の生贄。理事長先生の娘さんの名前は』

 文字が書ききれなくなったのか、文章はここで一旦止まっている。奉理は深呼吸をしてページを捲り、次のページに目を移す。そして、思い詰めたようにため息を吐いた。

「柳沼くん!」

 知襲に名を呼ばれ、ハッと顔を上げる。知襲が、険しい顔をして準備室の外を見ている。

「……知襲?」

「外……誰か、来ます!」

 そう言う知襲の顔は、どこか悲しそうで。まるで、見る前から誰が来たのかわかっているような風だ。

 奉理は、急いで準備室から飛び出す。狭く、扉も一つしか無いこの場所にいては袋の鼠だ。理科室ならば、教室の前方と後方に扉がある。

 メモ帳を胸ポケットに仕舞いながら奉理が準備室を出るのと、理科室前方の扉が開いたのは、ほぼ同時だった。ガラリという音に、奉理は心臓が飛び出しそうになる。油の切れたブリキの人形のように、奉理は首を扉の方へと巡らせた。

「あぁ、やはりここでしたか」

 ゆっくりとした優しい、しかし、張りのある声が、静かな理科室に響く。その声には、奉理の何倍もの時を生きてきた者特有の重みがあった。

 扉を開けて姿を現したのは、スーツを纏い、かくしゃくとした老人。六十代にも七十代にも見える。鎮開学園理事長、白羽滉一郎その人だ。

「あ、し……しらは、理事長……先生……」

「柳沼くん。私は、理事長室に来るように、と言ったはずですよ。山元先生から聞かなかったのですか?」

 声音は優しいのに、どこか冷たい。奉理は、思わず身構えた。

「……あぁ、大丈夫。ここに来ているのは、私一人だけですよ。他の先生方は、この場所は知りません。三十年前に埋め立てられた学校に、今でも入れる事を知っている、生きている人間は、私と君。そこにいる知襲の三人だけです」

 白羽はわざわざ「生きている」という言葉を強調した。その抑揚が意味する事は、ただ一つ。この場にいる三人以外で、この場所を知っている者は、皆、命を落としたという事。例えば、そう……理科準備室にあの毒薬を遺した、堂上明瑠のように。

「堂上さんは、本当に惜しい事をしました」

 奉理の心を読んだように、白羽は呟いた。その顔は、本当に残念そうだ。

「彼女の化学、生物に関する知識と探究心は、素晴らしいものでした。彼女が学び、更なる知識を得るためならば、学校側も特別扱いで援助をする事が惜しくありませんでした。生き残れば、必ずや歴史に名を残す研究者となり、この国の将来に大いに貢献してくれたでしょうに」

 そして、深いため息を一つ、つく。

「本当に……この場所の事さえ知らなければ、生贄に選ばれる事なんて絶対に有り得ませんでしたのに」

「……っ!」

 ぞくり、ぞくりと。今までに味わった中でも、一番の悪寒が。奉理の背を一瞬で駆け抜けた。

 殺される。

 元々生贄として死ぬ予定であるというのに、この時ほどそれを強く実感した事は無い。そして、それと同時に奉理は、自分が生贄に選ばれた理由を悟った。

 静海の生贄の儀で予定外の事をしたからではないし、ましてや、介添人を務めたからという理由では無い。勿論、小野寺や静海に頼んで調べ物をしてもらったからでもない。

 あの毒薬を使った事がバレたので目を付けられた、という答は、半ば正解で半ばハズレだ。正確には、あの毒薬が保管されている筈の場所を知っているとバレたので、生贄に選ばれた。

 今までの流れから察するに、あの毒薬を作り出したのは堂上明瑠だ。彼女は、何故あれほど効力のある毒薬を準備室に隠し、発表しなかったのか。あれを量産できるようになれば、多くの人が生贄にされずに済むかもしれないというのに。

 発表しなかったのではない。発表できなかったのだ。だから、隠した。隠し通して、卒業して。学園外部の人間とコンタクトを取れるようになった時、あの場所から取り出して発表するつもりだった。

 だが、卒業を迎える前に、彼女はこの地下校舎を知っている事を悟られ、ひょっとしたらあの毒薬を作り出した事もバレた。だから彼女は、生贄に選ばれた。この地下校舎の存在と、毒薬の存在を隠し通すために。生贄という名目で、殺された。

 そして今、同じ理由で、奉理は殺されようとしている。奉理が死ねば、地下校舎と毒薬の存在を知っている人間は、再び白羽と知襲の二人だけになる。

 だから、殺される。

 ジリ……と、身構えたまま。いつでも走り出せるよう、身を低くする。白羽が、ため息を吐いた。

「往生際が悪いですねぇ……。堂上さんも、お友達の竜姫さんも。生贄に選ばれたと知った時は、もっと潔かったですよ」

「……知襲も?」

 白羽の表情を探りながら、奉理は知襲の名を……小野寺のメモ帳に書かれていた、白羽の娘の名を口にした。白羽は一瞬、顔を顰める。

「柳沼くん!」

 一瞬の変化を隙と捉えたのか、知襲が大きな声で奉理を呼んだ。ハッとした二人は思わず知襲に目を向け、その間に知襲は、二人の間に体を滑り込ませる。

「……知襲。私と柳沼くんは今、話をしているんですよ。どきなさい」

 知襲はふるふると首を横に振った。

「……嫌です。どいたらきっと、お父さんは柳沼くんに酷い事を言いますから。酷い事を言った後に、優しい言葉をかけて。それで、柳沼くんを説得して、学園に戻らせるつもりなんでしょう? 柳沼くんを、生贄にするために。私や、明瑠さんにしたみたいに……」

 知襲は、振り向いた。その顔は、どこか凛々しい。

「柳沼くん、逃げてください! 早く!」

 その言葉に弾かれるようにして、奉理は駆け出した。白羽のいない、理科室後方の扉から廊下へと飛び出す。そのまま強く床を蹴り、元来た道を全速力で駆け抜ける。

「! 待ちなさい!」

 目の前を突っ切られた白羽が、急いで後を追おうとする。すると、知襲がするりと回り込み、通せん坊をして邪魔をする。

「お父さん、柳沼くんを見逃してください。じゃないと……アダムを呼びますよ」

 知襲の脅し文句に、白羽は一瞬怯んだ。しかし、すぐにフッと不敵に笑うと、迷わず前へ進もうとする。

「お父さん!」

 非難めいた知襲の声に、白羽は首を振った。

「アダムを呼べば、確かに私を止められます。しかし、知襲。それならば、何故すぐに呼ばなかったのですか? 私が来てすぐに呼べば、柳沼くんに要らぬ恐怖心を与えずに済んだでしょうに」

「……それは……」

 言い淀んだ知襲に、白羽は勝ち誇ったように言う。

「柳沼くんに、アダムを見られたくないのでしょう? 柳沼くんは、強くない。至って普通の人間です。アレを見れば、彼はきっと、恐怖で心に更なる傷を負う事となります。そして、アレを知襲が呼んだとわかれば、彼は知襲にも恐怖を抱く事になる。……それが怖いのでしょう?」

「……」

 知襲は、言葉を発する事ができずにいる。白羽は、深くため息をついた。

「今は呼べないとわかっている以上、その言葉は脅しにはなりませんよ。時間の無駄です」

 そう言って、白羽はスタスタと、理科室の廊下へと出て行ってしまう。奉理の逃げて行った方角へと足を向けると、特に急ぐ様子も無く、しっかりとした足取りで歩いて行った。

 あとに一人残された知襲は、がくりとその場にくずおれた。両手で顔を覆い、弱々しい声ですすり泣く。

「私……私は、どうしたら良いんでしょう……。明瑠さん……」

 その声に、答える者などいないかのように思われたが。

「グゥオォォオォォォオオォォ……」

 上の階……体育館から、唸り声が聞こえてきた。

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