第23話

 校舎から大勢の人間が出てくる前に林へ駆け込み、例のペントハウスに似た建物へ一直線に向かう。目当ての場所に辿り着いたら、辺りの様子を伺う事も、迷う事も無く。奉理は暗い階段へと駆け込んだ。

 半ば転げ落ちるように階段を駆け下り、地下校舎の土間へと転がり込む。地下校舎には前回同様、人の気配は無かった。

 ……いや、ある。人の気配がある。それも、前方にではない。奉理の背後にある。

 まさか、誰かにこの建物へ入るところを見られていたのか? もう、追いつかれてしまった?

 咄嗟に物陰に隠れ、様子を伺う。気配は階段を下りているのか、どんどん近付いてくる。足音も無く迫ってくるそれに、奉理は緊張による息苦しさを覚えた。

 やがて、気配は奉理が隠れている物陰の前でぴたりと動きを止める。奉理は、思わず口と胸を力強く抑え付ける。音をたてる呼吸も心臓も、いっそ止まれと思ってしまう。背中を、冷たい汗が滝のように流れていく。

「柳沼くん……無事、ですか?」

 知襲の声がして、奉理は堪えていた息をホーッと吐き出した。そして、辺りを警戒しながら、ゆっくりと物陰から出て行く。

「今のところは、何とか無事だよ。……知襲は? 直前まで俺と喋ってた事で、何か言われたりされたりしてない?」

「私も大丈夫です。柳沼くんが逃げてから、すぐに後を追い掛けましたから」

 その言葉に、奉理は少しだけ不安になった。ちらりと、階段の方へと視線を遣る。知襲が、にこりと微笑んだ。

「追いかけてくる人はいませんよ。柳沼くんが林に駆け込んだ事に気付いた人はいませんし。私も、誰にも見られていない自信がありますから」

「そ、そう? ……そう言えば、随分早かったよね、来るの」

 少なくとも、奉理の次に動いたのは知襲ではなく、あの教師だったように思う。奉理が逃げ出し、教師が追い。それから走り出して、教師を追い越し、更に目撃されないまま林に入り、この地下校舎まで来たと言うのか。女子中学生の足で?

「言ったじゃないですか。ここは、私の家みたいなものなんです」

 どういう意味だろう。勝手知ったる場所だから、近道や隠し通路のような物を知っているのだろうか。奉理が考えている間に、知襲は「それよりも……」と話題を変えてしまった。

「柳沼くんは、これからどうするつもりですか?」

 問われて、奉理は今、自分がこれまでとは違うピンチにも置かれている事に気付いた。今のところ、ここに隠れていれば見付かる恐れは少なく、捕まって生贄にされる事は無い。だが、いつまでも隠れているわけにもいかない。

 どういうわけか、この地下校舎には電気や水道といったライフラインが生きている。乾いて死ぬ、という恐れはとりあえず無い。だが、食料は?

 食べる物が無ければ、当然人間は生きる事ができない。知襲が、毎食ここに運んでこれるとは限らない。寧ろ、見付かる危険性を考えたら、一度だって知襲に食料を運び込んでもらうわけにはいかない。

 人間は一週間か二週間ぐらいであれば、水だけで生きていけるという。静海の時の流れを考えれば、生贄に選ばれてこう留されてから、儀式までの期間は一週間から十日ほど。ならば、一か八か……限界がくるまで隠れて、生贄の儀が終わるタイミングで外に出てみるか? ……駄目だ。恐らく保護された後にこう留され、次の生贄にされてしまう。

「わからない……。もう少し落ち着いてから、考えようと思う」

 その答に、知襲は「そうですね……」と視線を逸らす。逸らした視線の先には、前回来た時に歩いた廊下。この廊下を進んでいけば、あの毒薬が保管されていた理科室のある棟へと行ける。

「……本当に後の事を考えるのは置いておいて。まずは、理科室に行った方が良いのかな? 万一のために、持っておいた方が良いだろうし」

 あの毒薬を。そうすれば、もし捕まって生贄にされても、土壇場での逆転を狙う事ができる。

「……はい。私も、それが良いと思います」

 知襲が、どこか迷っているように見えるのは、気のせいだろうか。とにもかくにも目的を決め、奉理は「よし」と呟いた。そして、理科室のある棟へと足を向ける。心の中でこっそりと、あの鳴き声の主が現れませんように、と祈りながら。

 奉理と知襲が理科室へ向かってから、数分後。ひと気の無いその場所に、再び足音が響いた。

 足音の主は一旦立ち止まり、行き先を考えるようにしばらく動かなくなる。そして数十秒後には、再び歩き出した。迷いなく、まっすぐ、理科室のある棟へ。

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