第22話

 午前の日差しが差し込む廊下を、奉理は一人、理事長室へと向かって歩く。先ほど出てきたばかりの教室が、現在重い空気に包まれている事を彼は知らない。

 しばらく歩き、一旦一階まで下りてから。奉理はふと、足を止めた。

「そう言えば……理事長室ってどこにあるんだっけ……?」

 入学したばかりの時にクラスごと案内されて説明を受けた気もするが、所詮は二ヶ月前に一度行っただけの場所。記憶はおぼろげで、はっきりと覚えていない。

「どうしよう……一旦教室に戻って、山元先生に訊いた方が良いのかな? ……あ、職員室まで行って訊けば良いのか」

 独りで疑問を提示し、独りで合点して。奉理は職員室のある方向へと足を向けた。職員室は、土間を通り越した、更に向こう。

 土間の横を通ると、外から声が聞こえてきた。小さくて、何を言っているのかよく聞き取れない。だが、誰かを呼んでいるらしい事はわかる。

「……くん!」

「……まくん!」

「……ぬまくん!」

 声は、次第に近付いてくる。しかも、声の調子が何やら自分を呼んでいるようにも聞こえる。何事だろうかと、奉理は土間の外へと目を向けた。

「柳沼くん!」

 知襲だ。知襲が奉理の名を呼び、グラウンドの方から大急ぎで走ってくる。

「知襲? どうしたの? 授業は? 一体何が……」

「柳沼くん、逃げてください! 早く!!」

「……え?」

 突然の警告に、奉理は頭が真っ白になった。呆けている間に知襲は奉理の元へ辿り着き、顔を見上げて必死の形相で言う。

「鎮開学園は、柳沼くんを次の生贄に選ぶ事にしたみたいなんです! このまま理事長室へ行ったら、柳沼くんは捕まって、閉じ込められて……そのまま、一週間後には生贄にされてしまいます! 早く逃げて!」

「何で……」

 頭が、現実についていけない。何故、奉理が生贄に選ばれる?

 やはり、先日の生贄の儀で勝手な行動を取ったからか? だが、結果として静海は助かったし、化け物は死んで報復される恐れも無い。それでも、駄目なものは駄目という事なのか?

 それとも、静海や小野寺に、堂上明瑠を初めとする諸事を調べてもらったのが悪目立ちしたのか? ……いや、二人に調べ物を頼んだのは昨日の事だ。それが原因で生贄に選ばれたのだとしたら、いくらなんでも決定が早過ぎる。

「ん? どうした、柳沼。お前、理事長先生に呼ばれているんだろう? 早く行きなさい」

 一時間目のさ中に職員室の近くで留まっているのが目についたのだろう。通りがかった教師が近寄ってきた。奉理は知らない顔だが、向こうが奉理の事を知っているのは、やはり静海の生贄の儀の事があったからか。

 奉理のクラスとは関わりが無く、どう見ても役職持ちでも無い教師までが、奉理が理事長室に呼び出された事を知っている。これは、鎮開学園の全教員……いや、全職員が、奉理が理事長室に呼び出された事――次の生贄に選ばれた事を知っていると見た方が良いだろう。

「お、俺……どうしたら……」

 近寄ってくる教師に、悪意は無いように見える。面に浮かぶ微笑みにそぐわぬ感情があるとすれば、それは同情、憐み、そしてほんの少しの、罪悪感か。

 足が震える。呼吸が早くなり、掌がじっとりと汗ばむ。口は乾いているし、全身鳥肌が立っていた。このままジッとしていたら、生贄にされるより先に、ストレスで死んでしまうのではないかと思えるほどに、体中が警告を発している。

「逃げてください! 早く!!」

 三度、知襲が警告を発した。その声に、奉理は弾かれるように駆け出した。理事長室ではなく、土間の外へ。上履きを履いたままで。

「あ! おい、柳沼!」

 呼び止める教師の声が、背に掛けられる。だが、その声に素直に従っている場合じゃない。

「誰か、来てください! 柳沼が逃亡しました!」

 教師が、応援を求めている。この調子では、授業が無く職員室に残っている教師全員……いや、ひょっとしたら授業を中断して学園中の教職員全員……最悪の場合、教師の指示によって生徒を含む学園中の人間が奉理を追いかけ、探す事になるのではないだろうか。何せ、今や奉理は学園の……いや、この国にとって大切な、国の将来を一時的に守る生贄なのだから。

「どうする? どうする!? どうすれば良い!?」

 半ばパニックになりながら。半ば、儀式の段取りを変えた時点で何となく予想していた展開に、落ち着きを持って。どこか矛盾した精神状態で、奉理は考えた。まずは、どこに逃げれば良い?

 パニックの頭で考えても。落ち着いた頭で考えても。結論は、一ヶ所しか無かった。

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