第21話
「おはよ! 柳沼、昨日言ってた件なんだけど……」
翌朝、教室へ入った途端に、奉理は静海に呼び止められた。手には花柄の可愛らしいメモ帳を持っている。
「おはよ。昨日の件って言うと……?」
「ほら、堂上さんの話よ。私、先輩達に話を訊いたりして、調べてみるって言ったわよね?」
「ああ。……もう調べてくれたんだ!?」
仕事の速さに奉理が驚くと、静海は「どうって事ない」と言うように手をひらひらと振って見せた。
「思い立ったが吉日、って言うでしょ? それに、私の場合……早い方が聞き込みもやりやすかったし」
「? どういう事?」
「生贄の儀の時の事を聞きたがる人、たくさんいるのよ」
「……ああ」
納得して、奉理は頷いた。情報は、魚や野菜と同じで鮮度が命だ。時が経てば経つほど、その価値は値下がりしてしまう。
昨日三週間ぶりに登校した、史上初の生還した生贄、竜姫静海の話を聞きたがる人間が多いのは、容易く想像できる。それを聞くためなら、既に存在しない人間の事を手当たり次第話すぐらいは屁でもない、という人間は、残念ながら多そうだ。
それにしても、その話を聞いたところで彼女達が得る物は何も無いだろうに。流石は女房を質に入れてでも初物のカツオを手に入れたがった民族の末裔、とでもいったところか。
「それでね。堂上さんの事だけど……」
話を元の軌道に戻し、静海はペラペラとメモ帳をめくり出した。
「えーっと、まず性格なんだけど。明るくて、結構お茶目な人だったみたいよ。ちょっとしたイタズラとか、時々仕掛けては周りの人を笑わせていたみたい。小野寺ほどではないけど、ムードメーカーみたいな人だったんでしょうね」
「へぇ……」
思わず、呟いた。生贄の儀の時に見たあの映像からは、想像し難い。何と言うか、穏やかで物静かな人物だとばかり思っていた。
「成績は、中の上、って感じだったらしいわ。ただ……」
そう言って、静海は声を潜めた。不思議に思って奉理が眉を寄せると、静海は内緒話をするように、こそこそと周りの様子を伺いながら言う。
「ここからが不思議なんだけど……この堂上さん、化学とか生物の成績が、もの凄く良かったらしいのよね……」
「? それのどこが不思議なの?」
成績が良い事を不思議がるのは、失礼ではないだろうか。だが、静海は「そうじゃなくって」と首を振る。
「この場合の化学や生物の成績が良い、って言うのはね。五段階評価で五を取れる程度に成績が良い、ってレベルじゃないのよ。今すぐどこかの研究所に入って、新薬の研究に携わっても良いんじゃないかってレベル」
「へぇ……!」
奉理が目を丸くしてただただ驚いていると、静海はじれったそうな顔をした。言わんとする事が全く伝わっていない、と言いたげな顔だ。
「あのね、柳沼。私達がこの鎮開学園に入学する事になった経緯を、覚えてる?」
「え? ……勿論だよ。忘れられるわけがない。強制推薦枠で、逃げられなくって……」
奉理が最後まで言う前に、静海は「それよ」と言って言葉を遮った。
「その強制推薦枠に選ばれる条件は? まずは、それなりに容姿が整っている事。そして、問題行動を起こすような性格じゃ無い事。それから?」
「えっと……確か、成績が……あ!」
ここで、奉理も気付いた。この鎮開学園に強制推薦で入学する者は、成績が可もなく不可もなく……という生徒の中から選ばれる。下限を設けるのは、儀式の手順などの覚えが悪く、粗相をしてしまう事が無いようにするため。成績が特に優秀な者は、生贄にするよりも国の将来の為に生かしておきたいという政府の考えから、鎮開学園に入学させられるという事が無い。
「そんな……今すぐにでも研究所で大人に交じって研究ができるぐらいの知識や知恵を持っているなら、何で鎮開学園に……?」
「中等部の時からの強制推薦入学者なんだそうよ。中等部からずっと同じクラスだったって先輩の話によるとね。何でも、中学二年生の辺りから、急に理系の成績が伸びてきたんだって。……時々いるわよね。ある日いきなり、目覚めたように勉強の才能を発揮するようになる人」
堂上明瑠は、それだったのだろう。中学二年生の時、化学と生物に目覚めた。そして、生贄にされるまでの三年にも満たない時間で、大人と張り合えるほどの知識を身に付けた。
「そんなに成績の良い人を、何で生贄に選んだのかしら? この国は今、特に理系の人材育成を課題としているもの。専門家の大人と対等の知識を身に付けた高校生なんて、是が非でも残しておきたいはずじゃない。……実際、堂上さんが生贄に選ばれるまで。学園は理系に関しては堂上さんを特別扱いしていて、特殊な薬品や機材も、堂上さんが希望すれば特別手配して入手できるようにしていたらしいわ」
卒業後は国の将来を担えるよう、金の卵を大切に育てるつもりだったのだろう。そう考えれば、彼女が生贄に選ばれる可能性は限りなくゼロだったはずだ。
だが、どこでどうなったのか……堂上明瑠は、生贄に選ばれ、そして死んだ。
「本当だ……何でだろう……」
首を傾げて唸り考えるが、そんな事で答が出るはずがない。静海と二人で頭を抱えていると、扉が開き、小野寺が入ってきた。
「柳沼、静海、はよっす。……なぁ、昨日の話だけどさ」
「昨日の話って……堂上さんの事なら、今静海に聞いて……」
奉理の言葉が終わる前に、小野寺は「そうだけど、違ぇよ」と苦笑した。
「幽霊だよ、幽霊。柳沼、言ってただろ? 堂上さんの幽霊が言ってた言葉のお陰で、静海を助け出す対策を考える事ができたって」
そんな事は言っていないが、昨日の話を要約するとそんな感じにはなる。
「あれから気になって、ちょっとそこらで聞き込みしてみたんだけどな。……やっぱりこの学校、本当に幽霊が出るらしいぜ」
「……え?」
少しだけ奉理が引くと、小野寺はその腕を捕まえる。
「引くなよ。本当に、色んな奴が言ってたんだって」
「言ってたって、何をよ?」
「誰もいないのに女の子の泣き声が聞こえる、とか。どこからともなく、大型獣のような鳴き声が聞こえてくる、とか」
「!」
奉理も聞いたあの声の事だ。やはり、奉理だけに聞こえる錯覚ではなかったのだ。
「女の子はわかるけど……大型獣ってなによ? この辺りには住んでても精々犬ぐらいの大きさの動物しかいないって、先生が……。昔の儀式で、生贄と一緒にクマか何かを供えた儀式でもあったって事?」
「俺に訊くなよ」
苦笑しながら、小野寺は胸元に手を遣った。衣替えが済んで夏仕様になった制服の胸ポケットから、手帳を取り出す。静海の手帳とは印象が違う、青いプラスチックの表紙がついている以外は極シンプルな物だ。
「まぁ、そんなわけで、幽霊は本当にいるかもしれないし、その声を聞ける奴も何人かはいるから、人がいない場所でも油断はするなっつー話。それと、これは昨日図書室で調べてみたんだけどな……」
そう言って小野寺が手帳を開こうとした時、扉が開いた。担当教師の山元が入ってきて、生徒達は慌てて席に着く。
「……っと、もうホームルームの時間か。悪い、柳沼。メモやるからさ、自分で勝手に読んどいてくれよ」
奉理が頷くと、小野寺はメモ帳を手渡して自分の席へと歩いていく。自身も席に着こうと歩き出した奉理を、山元が呼び止めた。
「あー、ちょっと。柳沼くん?」
「? はい」
立ち止まり、振り返って。返事をした奉理に、山元は教室の外を指出しながら言う。
「君は今から、理事長室へ行ってください。何でも、理事長先生が直々に話を訊きたい事があるそうです」
「あ、はい。わかりました」
先日の生贄の儀の時の事だろうか。既に散々話した後だが、それでもまだ聞き足りないのか。それとも、まさか知襲や毒薬の事がバレたのか?
首を傾げながら、奉理は小野寺から渡されたメモ帳を胸ポケットに突っ込むと、そのまま教室を出て行った。奉理を見送って少しだけざわついた教室を収めてから、山元は教壇に立ち、見覚えのある暗い面持ちで口を開いた。
「えー……今日は、皆さんに寂しいお知らせがあります。今日から一週間後に、美野霧市の湖畔で生贄の儀がある事は先日皆さんにお知らせしましたね?」
デジャヴ。この時、クラスの全員が、それを感じた事だろう。山元は、奉理が出て行った後の扉を眺めながら、暗いながらも慣れているという顔で、躊躇う事無く淡々と言葉を続けた。
「その生贄に、この一年A組で先ほどまで皆さんと共に学んできた、柳沼奉理くんが選出されました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます