その2

ゴールデンウィークも明け、晴れて私は弓道部の一員となっていた。

もともと弓道に取り組んでいた私としては、部活での弓道は少しばかり空気の違いに戸惑う場面が多かった。

近所の弓道場ではやはりというか、私よりも何十も年上のおじさんおばさんが多かったので高校らしい若いきゃっきゃとした活気は新鮮に見えた。

この中でも私が一番経験が長いので再び指導を受けるようなことも無くむしろ教える側に回るということもあまり無いことだった。

「案外なじんでるじゃない。」

凛とした彼女の道着姿は見惚れるものであった。

部活に入ってからと言うもの彼女と話す機会はより一層増していった。

「なんとかって感じかな。思ってたほど排他的じゃなかったね。」

「学校の部活ですもの。強豪校ではないしみんな楽しければいいのよ。」

彼女の言葉通りこの学校は部活動において目覚ましい活躍をする部活は無い。

唯一あるとすれば昔野球が甲子園に行っていたということくらいだろうか。

今では見る影もないが。

弓道部は彼女の個人の成績がこの部の成績そのものだった。

私が入部してからは顧問の先生も団体での入賞も望めると期待をかけられてるのが伝わってくる。

「みんなあなたに期待してるわ。一緒に頑張りましょう。」

そう言うと弓と矢を取り的の前に立つ。動作の一つ一つがしなやかで綺麗だった。

「あなたも立ったらどうかしら?」

声をかけられるまで彼女の立ち姿に見惚れていたことに気が付かないでいた。

目の前にいる彼女が無性に気になってしまう。

的に集中しようとしてもいつの間にか視線は彼女に惹きつけられていく。

そうこうしているうちにその日の練習は終わりいつもの黙想を終え道具の片付けを始めた。

「行きましょうか」

片付けを終えると彼女は一緒に帰ろうと誘ってくる。

もはやこれが最近の私の日常の一部となっていた。

帰り道でも私が一方的に話し彼女がそれをうんうんと微笑みながら話を聞く。

部活ではあまり見せない表情は私だけの特別なものに感じて優越感を感じるほどだった。

彼女は電車での通学のため一緒に帰ると言っても駅までなのでほんの10数分間の会話もその頃の私にとっては大切な時間となっていた。

「じゃあまた明日。学校でね。」

彼女と別れを告げ帰路についた。

彼女と別れた後はいつも彼女との会話を思い返していた。

もっとああしておけば。

ここ最近ではいつもそのような考えに時間を費やす。気付けば彼女のことを考えている自分に言いようのない悶々とした気分になる。

自分の気持ちが見えないうちはこんなことのくりかえしだった。

いや、本当の自分は分かっていたがただそれを認められない、認めたくなかっただけだったんだと思う。

私は、登校して早々に彼女の元へと行く。

これは日課のようなものなのだが、彼女はいつも早い時間に登校してきて人のいない場所で本を読んでいる。

もっぱら弓道場にいるのでひとまず足を運んでみる。

磨りガラスの引き戸から薄らと人のシルエットが見える。

確証は無いが彼女だと自信を持って言える。

私にはそれが解る。

そんな気持ちで満ちていた。

戸に手をかけようとしたとき、自分の表情が緩んでいることに気が付いた。

なんとなく緩んだ顔を見られるのは今更ながら恥ずかしい気がした。

会えることが嬉しいがなんとなく素っ気ない素振りで気持ちを否定しようとしていたのかもしれない。

1度深呼吸してから引き戸を開ける。

ガラガラと音を立て開く戸の音に彼女は顔を上げる。

私と目が合うと彼女は笑みを浮かべ本を閉じ、手招きする。

その彼女の笑顔に心臓がつよく鼓動を打ったのを感じた。

その感覚は自分でも不思議なものだった。

誰かにこんなに強く惹かれるなんて思ってもいなかった。

とりあえずそのまま彼女の隣に腰を下ろす。

顔が熱くなるのを感じる。

何か話さないと。

自然に振舞おうとする程に生まれる不自然にその時の私は気が付けないでいた。

「今はどんな本読んでるの?」

「最近はミステリーよ。犯人当てようと思って読んでもダメね。サッパリだわ。」

クスクスと可笑しそうに話す彼女。

「この話昨日もした気がするわね。」

言われて気付く。

当たり障りのない会話をしたつもりだったがそれが裏目に出てしまっていたようで、こんな所にも不自然さが現れる。

以前のような出会った当初であればこんなことも無かったであろうに、徐々に彼女に惹かれていく心が生むぎこちなさはどんどんと心から落ち着きを無くしていく。

彼女の目が真っ直ぐ私の目を覗き込む。

その透き通った目に見つめられると私の心の中、全てを見透かされているのではないかとさえ思ってしまう。

心の奥の深い深いところで芽生えている彼女への感情でさえ全て。

不意に彼女の手と私の手が触れ合う。

咄嗟のことで驚き手を引いてしまったがその反応に彼女は少し驚いたようだった。

「あ、ごめんなさいね?手がぶつかってしまったわ。」

あまりにも私が大きな反応を示したために彼女から謝罪されてしまった。

謝ることなんてないのに……。

「ううん、こっちこそ変に驚いちゃってごめんね。むしろ驚かしちゃったよね。」

慌てて笑って誤魔化してカバンを手に取り立ち上がる。

「先、教室行ってるね!」

どぎまぎとしながらその場を逃げるように飛び出して行った。

その時の私の背中を見て彼女は何を思っていたのだろう。

教室に戻ると生徒はほとんど揃っていて朝からガヤガヤと賑やかだ。

逃げるように弓道場を飛び出したものの彼女とはクラスが同じ以上顔を合わすのは避けられないわけで、私が教室に入ってから程なくして彼女も教室に来た。

この時ばかりは席が若干離れていたことを天に感謝せずにはいられない。

それ程までに私の心は大きく揺さぶられていたのだ。

それからは、最早授業どころでもなく気が付けば放課後になっていた。

教室から人が減っていく中、彼女も席を立つ。

今朝の一件があってからか、彼女も気を使っているのだろうか。

そのまま廊下へと向かっていく。

私もとカバンを手に部室へと向かう。

それからというもの、授業中と同じ練習に身が入らない。

気が付けば部活の時間も終わっている有様だ。

黙想も終わり、1日の片付けを終え帰路につく。

ここまで彼女とはまだ言葉を交わしていない。

そのことを後輩も気がついたのか、一人が声をかけてくる。

「お疲れさまです!いつも仲良さそうなのに今日先輩たちお話ししてないですよね?喧嘩でもしたんですか?」

言葉にして言われると実感する。

ここでの私の定位置。

いつも彼女の隣私がいて。私の隣には彼女がいる。

そんないつもが今日はない。後輩も不思議に思うことだろう。

「お疲れさま。そんなことないよ、必ず一緒にいるわけじゃないしね。」

自分の言葉が胸に刺さった気がした。

この答えに納得したわけでもなさそうだが、それ以上話すこともないのだろう。

そうですかと一言言うとあっさり帰っていった。

しかし、1番違和感を感じていたのは私自身かもしれない。

以前であればこんなこと思いもしなかっただろう。

寂しい。

今ここには、私のいつもがない。

私自身も意識しないうちに少しずつ変えられていってしまったようだ。

彼女がいるのがいつの間にか当たり前になっていた。

それこそ喧嘩したわけでもないし、いつも通り話しかけていけば良い。

でも、彼女を意識しすぎるあまりか話しかけることもできない。どうやって話しかけていたかも思い出せなくなってしまったようだ。

そんなことを思いながら帰路につく。

道の途中、彼女がいた。待っていた。

「帰りましょうか。」

何も無かったかのように彼女が言う。

そんな一言でも、嬉しくなってしまう自分が単純なようですこし恥ずかしくなってしまう。反面、私が作ってしまったこの不自然を私から解消出来なかったことが重りのような罪悪感となって感じてしまう。


彼女と肩を並べる帰り道はいつもより短く感じた。

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