第3話 プリン狩り

(正式タイトル)

今晩はスープとサラダで済ませたのにプリンを狩りに向かうコンビニ



 そうだ、ぷりん、喰おう。


 ……これはあかんやつや。覚えたての似非関西弁で呟いてみる。

 そもそもここ最近、何かと面倒ことが多かったのが悪いのだ。発表のグループでは仕事をしなかったメンバーの尻拭いをする羽目になったし、入ったばかりのサークルはなんだか思ってたよりもチャラい雰囲気で気疲れするし、何よりまだ新しい生活が始まってから二か月もたっていないのだ。 

 そりゃあストレスだって溜まる。甘いものだって食べたくなるわ。

 ダメだってことくらいわかっている……それでもスーパーでは百円均一のお菓子お徳用袋が、信じられないくらいの魅力を持って彼女を誘惑してくるし、コンビニのチョコレートパフェのおいしさがサッと脳裏をかすめあっという間に頭の中を支配してしまうし。何より進学のためにやってきたこの町には、見た目も、名前も、由緒もとにかく素敵なたくさんの和菓子がある。

 思ったよりも学食でのお昼代が痛いのにさらに食費がかさむというのもあった。食べた分がすぐにニキビとなって、その愚行を責めたててくる辛さもあった。まだ確認してはいないが、確実に重くなっている恐怖もあった。とにかく、正しい食生活を取り戻そう。彼女はまず野菜たっぷりスープを作った。液体でもいい、とにかくお金のかからない方法で、おなかを満たすことこそが目的であった。しかしこれは、なかなかにおなかのすく献立であった。

 そんな生活が始まって三日目。週の真ん中水曜日のことだった。講義にサークル、バイトを終えてくたくたの彼女を待っていたのは、コンソメの海に揉まれ轟沈した、くたくたのキャベツとにんじんたち。

 帰りがけにスーパーで買ってきた、五十円引きシールが貼られたちょっとおしゃれぶったサラダを取り出して、遅めの夜ご飯。ご飯は炊くのを忘れていた。

 十分で食べ終わった。

 ――駄目だ、おなかすいてる。あたし尋常じゃなくおなかすいてる。

 すでに六時ごろ、おなすいピークという戦場は乗り越えてきたはずだった。だが、それから六時間という年月(?)を経ても未だ古傷が疼きだすかのように、満ち足りない飢餓感が彼女を襲う。

 野菜は大好きだ! でもお米もお肉もお魚も、何より甘味はもっと大好きだ!

 冷蔵庫を開けて中をじっとのぞき込んだり、ひとまず牛乳を飲んでみたり、何をしても抗うことは難しかった。とにかく、何か、食べたい。飢えたる食欲。

 高校時代のジャージ姿だが、幸か不幸かコンビニはアパートを出て二分ほどのところにあった。しかも、少し細い道に面しているから余計に、見た目を気にする必要はない。

 ああ、もう、どうしよう。まじか。どうしよう。

 食べちゃダメだ食べちゃダメだ……呟いてみても、頭は本能のまま、食欲に支配されてうーうー唸ることしかできない。

 どうにかしようと思って、意味もなくまだ起きているであろう友人にメッセージを飛ばしてみた。

〈ねえおなかすいたんやけど〉

〈は? なにが〉

 唐突過ぎる言葉に対し、当然のそっけない返答。しかしその態度に油断するなどとんだ誤算だった。もはや無我に至り始めた彼女の眼前にあるものがスッと飛び込んできた。

 彼女のスマホに映し出されたのはコンビニ新商品のきゃらめるぷりん。税込324円なーりー。

友人が送ってきた画像だ。

わかってらっしゃる、人の弱点を……。

〈おいこらやめろ〉

 勇ましく親指を立てたスタンプと、〈いい夢見ろよ〉という意味深な言葉だけが四角い画面で光っていた。

 ダメージは深刻だった。友人の狙い通り、彼女の頭の中はきゃらめるぷりんでいっぱいだった。おいしそうだった。甘くてとろとろな感じだった。素材にこだわっていた。新製法だった。その辺はよくわからないけれど、とにかくおいしそうだった。

 待機画面に代わってスマホの画面が暗くなり、彼女はため息をついた。

 理性的な部分は、こんな夜中に甘味を摂取する危険性を理解していた。だが同時に、夜中に空腹状態で食べる甘味がいかにおいしく魂を癒すものであるかも理解していた。

 もはや我慢の限界だった。

 いざゆかん。


 そういえば昔コンビニっていう曲流行ってたなあ、なんてぼんやり考えながら、ジャージにサンダルのだらだらした格好で夜道を歩く。白いイヤホンを装着して、ポケットに手を突っ込んじゃう徹底したスタイルだ。

 静かな住宅街のなか、蛍光灯の行列に出向かれられながら歩くのはなかなか楽しい。初夏の涼しい夜、空には立派な月がかかっていた。

 ぺたぺた、ぺたぺた。


まんまとお目当てのきゃらめるぷりんを手に入れてしまい、そのまま深夜のお散歩に出かけたのは、カロリーを気にしたというより、夜の雰囲気に惹かれたからだった。

アパートとは逆方向、とりあえず川のほうへ向かってみる。歩くたび耳から下がるイヤホンのコードが揺れる。意味もなく空を見上げてみたり、立ち止まってタバコの自販機を覗き込んでみたり。セブンスター、マルボロ、ラーク(と読むのかな)、名前だけ知っている銘柄の上を、ガラス越しに虫たちが蠢いている。

 視線を闇に戻す。一瞬の暗闇の後、瞳が順応していく感覚。歩を進めては光と闇、交互にそれぞれの領域を通過する。光の輪郭は夜を完全に晴らすことはできなくて、零時の彼女は時折不安になる。でも紛れ込ませてくれる暗がりが落ち着くのも事実で、なんだか不思議な気分だった。

 耳元では透明感のある男性ボーカルが孤独を歌っていた。いい夜だ。



 行く先には川べりへと降りる階段が続いていた。その先の真っ暗に思わず足を止めてしまった。

 本当のことを言えば、少し怖かった。でも心の奥のどこかで、何かが起こるかもしれない、というささやきが聞こえた気がした。何か恐ろしいことでもわくわくしている自分がいた。足元の段差に一瞬肝を冷やしながら、街灯の届かない暗闇を見据えた。

 誰かがいるかもしれない、何かがいるかもしれない。

 それでも、静かに高揚した心は、流れていく水の音に吸い込まれるように足を進めた。

 暗く光る川面を、意味もなく見つめていた。

 彼女の故郷にも大きな川があったけれど、それは少し遠いところにあったので、あまり身近なものではなかった。通学路には小さな川が流れていて、コンクリートで舗装された道から鯉を眺めて登校する毎日だった。

 耳元で歌う歌声をかき消してしまう、ごおぉぉ、ともざぁああ、とも表現できない水音。幾度か木の影を人間に空目してはびくびくしながら、その音をBGMに、川を上流へと遡る。

 橋の下には濃い暗闇が澱んでいるようだった。真っ暗、だった。

 暗闇の中で何かが蠢いた気がした。

 中学時代に、顧問の先生が言っていた、「あったかくなると変質者がわいて来るのよね」という言葉を思い出した。

 こんな夜中に誰もいないし……だい、じょう、ぶのはず…………。

 引き返す気分ではなかった。お化けに怯えてるみたいで情けないし、来た道をそのまま戻るなんてつまらないし。

 無意識的に息を吸って、止めて、彼女は歩き出した。


 心臓がばくばくしてるのがわかった。まるで毒の霧の中でも歩いているかのような気分だった。緊張感と、昂揚感。油断した瞬間に恐怖で心臓がキュッとなるのがわかった。ポケットの中のiPodを握りしめた。とにかく速足で、早く。

 橋の下を出て、月の光を吸い込むように安堵の息をついた。その瞬間、目の前に人影に気が付いた。今度こそは見間違いではなかった。

「――あれ、」

 彼女が悲鳴を上げてしまう前に、人影は聞いたことのある声を発した。

「え、もしかして」

 彼は、同じ高校から進学した知り合いだった。


「なんでこんな時間にこんなところいるの。危ないやろ」

「いや、それこっちの台詞だろ」

 彼とは少しだけ話したことがある程度の知り合いだった。声と、あと背の高さが彼を判別できた要素だった。印象的だったその声を、彼女はずっと忘れていなかった。

思いがけない事態にどうしたらいいか困ってしまった。さっき以上に心臓がばくばくしているのがわかる。

「あたしはちょっと買い物してただけだし」

「へえ、何もってるの?」

 しまった、と思った。欲張ったツケをここで払うことになるとは。遠慮なくビニール袋を覗き込む彼の様子に心中で舌打ちしながら、彼女はなんとも複雑な感情を抱きながら、おずおずと申し出た。

「プリンだよ。一個食べる?」

「おお、くれるならもらうわ」

 彼に、プラスチック容器とスプーンを渡す。

 いいんだ、食べ過ぎないし一緒にプリン食べるなんてイベントできたからこれでいいんだ……。もしかすると深夜にプリン二個も買ってるやつとか思われてるかもしれないけど……。

 並んで河原に腰掛ける。お尻がひやりとした。なかなか開かない蓋に苦戦する彼を見かねて、べりっと剥がしてやってから自分のプリンに取り掛かる。暗くて表情が見えないのが幸いだった。

「……」

 思っていたのとは少し違った、というのが正直な感想。あまあまではなく、大人っぽい苦みのあるキャラメルプリンだった。しかし上品な舌触りといい口どけといい、十分満足できる逸品だ。

「ところでなんでキミはこんなとこにいるの」

「え? いや、ふらふらしながら月でも見てたのさ」

「へえ、そう……」

 訊いたはいいものの上手く言葉を返せなくて、水の音が二人を包み込む。

「……今日の月は綺麗だ。出かけるにはうってつけの月だね」

「こんな夜中に出かけるもなにもないでしょうよ。あたしが言えた事じゃないけどさ」

 プラスチックのスプーンの根元を軽く噛みながら、訝しむように彼女は返した。

「キミってそんな自然を愛するキャラだったっけ」

 遠くを見遣る彼を、上目遣いにジトッと睨みつける。

「さあ。君のなかで僕がどんな風に映ってるのかはわからないけど、」

 空を見上げていた顔がこちらを向いた。目が合って、息をのんだ。

「僕の中で君はどんな風に映ってると思う?」

 黄金色に輝く一対の眼がらんらんと、こちらを見ていた。




〈……んで川の妖怪に食われたら嫌なのでわざわざ出かけたりしたくないですおなかすきました〉

 ビニール袋をゴミ箱に突っ込み、ベッドへダイブ。うつぶせになって足をパタパタしながら、彼女は掌の画面を眺めていた。

〈寝たか〉

 途中までついていた既読のマークはもうつかない。

 疲れてハイになっている自覚はある。糖分が足りなくて考えも足りてない自覚もある。夜中に、仮にも女子大生がふらふら暗い川辺を歩くなんてしちゃいけないにきまってる。

 でも夜の川べりって素敵だと思うしそこで偶然誰かに出会っちゃうのってなんかいいなって思うんだけどね。妖怪にも会えるものなら会ってみたいかも。でもこれじゃあ妖怪っていうか吸血鬼か狼男か。まあいいや、楽しかった。

 腹筋を使って起き上がり、ポケットに手を突っ込んでキッチンへ向かう。もうちょっと冷やしなおそうかと思っていたけれど、もう我慢できなかった。

 まあ、今日くらい、ね。

 冷蔵庫を開けて、プリンに手を伸ばした。



                   おしまい

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