いじめっ子、楯加部玄久の場合。

 「最初に言っておくが、俺は那奈代に手を出したことは一度もないからな」


 顔を合わせるなり、楯加部玄人たてかべくろひとは露骨に気だるそうな顔でそう言った。

 僕が何を言おうとしているのか予想していた……いや、違うか。たぶん、色んな人から何度も同じことを訊かれて、聞き飽きているのだろう。

 「人間には三種類いる――虐められる奴、虐める奴、そんで虐めちゃダメな奴だ」

 「那奈代さんは三番目だったってこと?」

 「だな。オーラっつーのか? 『あ、こいつを敵に回すとヤベェ」って、一目でわかっちまうんだよな」

 「まあ、那奈代さんは友達がイッパイいたしね……」

 「や、そーゆー話じゃねぇんだわこれが。そりゃ確かにあいつは人気者だったし、あいつの周りには大勢いたが、あんなヒョロっちいもん怖くもなんともねぇよ。大体ダチだったら俺にだっていくらでもいるしな……まあ、アレをダチと呼んでいいのかわかんねぇけどよ」

 楯加部はいつも数人の知人とつるんでいるが、そのメンバーは毎回のように異なっている。

 皆、楯加部の威光を笠に着ようと近づいている者ばかりだ。虐める奴の代表である楯加部のそばにいれば、自分は安全に過ごせる――そんな魂胆なのだろう。

 楯加部は彼らを拒まない。それでいて、決して深く交わろうとしない。

 楯加部が一体どういう心積もりなのか、気になるところではあるのだが……そういう話は今するべきことでもない。

 「だったら、どういう?」

 「口で説明するのはムズいんだよなぁ。……たとえばだ。お前がもし、ムッキムキのプロレスラーを前にしたとして、『こいつに勝てる』とは思えないだろ?」

 「それは、まあ」

 「そんな感じ」

 「ごめん、意味がわからない」

 言わんとしていることはなんとなくわかるのだが……そもそも彼女は筋骨隆々じゃない。

 「しゃーねぇだろ、俺語彙力ねぇんだから」

 「……要するに、楯加部は那奈代さんを見て、何らかの面で『絶対に勝てない』って思ったってこと?」

 「んー、なんか違うな。大体あいつ女だろ。勝てる勝てないって、簡単に比べられねぇよ」

 「ええぇ……それじゃあもう何が何だか――」

 ――と。

 そこまで言って。僕はふと、あることに気づいてしまった。

 「ねぇ。楯加部ってさ、那奈代さんと喋ったことある?」

 「あ? や……どうだったかな。ちょっとくらいなら話したことがあるかもしれないが、特に記憶に残ってるものはねぇな」

 「自分から話しかけようと思ったことは?」

 「ねぇよ。おかしいだろ、接点もないのに話しかけるなんて」

 ……あぁ、なるほど。そういうこともあるのか。

 楯加部は気づいていない――当然か。これは当事者であれば当事者であるほど気づきにくい問題だ。

 「あのさ。もしかして楯加部って――那奈代さんに惚れてたんじゃないの」

 「………………は? 俺が? あいつに?」

 「あぁ、ごめん。惚れてるって言っても、それは恋心的な意味じゃない。どちらかというと、憧れ――楯加部は那奈代さんを、自分より上の存在だと思ってたんじゃないかな」

 だから、恐れ多くて話しかけられないし、勝てるとも思えない。

 楯加部は確かにいじめっ子だが、同時に気さくで誰とでも仲良くなれる奴だ。そんな楯加部が、一年間同じクラスで過ごした人物と会話すらしていないというのは、楯加部本人が思っている以上に不可思議なことなのである。

 「――いや、でも……それは……」

 どこか納得のいくところがあるのか、楯加部も強くは否定できないようだった。

 結草さんが、彼女を『ヒーロー』と称したように。

 楯加部が無意識のうちに、彼女のことを尊いものとして見ていてもおかしくはない。

 人を惹きつける魅力――それは才能に近い。クラスの人気者だった彼女は、生まれながらにして、多くの人々から愛される力を身に付けていたのかもしれない。

 「楯加部は虐めちゃダメな奴って言ってたけどさ、どちらかといえば『虐められない奴』だったんじゃないかな。好きな女の子に嫌われたくない男の子みたいなもんさ」

 「はッ……俺はそこまで殊勝な人間でもないけどな。好きな子は真っ先に虐めたくなるタイプだよ」

 そう言った楯加部は、かすかな微笑みを浮かべ。

 「……まぁ。確かに、あいつのことは、嫌いじゃなかったけどな」

 二度と会うことのないクラスメイトを偲びながら、悲しげに呟いていた。




 「――そういえばさ。虐めちゃダメな奴って、他にもいるの?」

 「お前」

 「えっ、なんで?」

 あれから、益体もない会話を続けること三十分。

 何の気なしに呟いた疑問から、思わぬ答えが返ってきた。

 「お前、よくわかんねぇんだもん。人間誰だって、わからないものは怖ぇーんだよ」

 しかも、とびっきり意味不明な理屈だった。

 「そんな……幽霊を怖がる子供じゃないんだから」

 「いやいや、全然違う話だろ。大人が幽霊を怖くないって言うのは、単に幽霊の存在を信じなくなっただけだ。お前はホラ、実在してるし。しかもすっげぇ身近なとこに」

 「……僕ってそんなにわかりづらい?」

 「少なくとも俺にはサッパリだな。――あぁ、でも。俺にも簡単にわかることが、一つだけある」

 ニヤニヤと。

 普段、誰かを虐めている時と同じような表情で。

 ついさっき聞いたようなセリフを、楯加部は言い放った。


 「お前、あいつが好きだったんだよなぁ?」

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