喉へのキス 欲求

第8話 囚われの姫 

 硝煙と血の匂い、そして敵の勇み声──。

 ドアを開いたときにかすかに流れてきたそれだけで、戦況は分かってしまった。


「姫様」


 屈強そうな厳つい男が、私の手枷を外した。私は無言でそれを見る。


「お逃げください」

「…………」


 男の泣きそうな声に、私はため息をついた。


「ここに閉じ込めたのはどこのどいつだ」

「こうでもしないと、姫様は敵陣へ乗り込んでしまうでしょう?」

「当たり前だ。私は建国時から王をお守りしてきたレイグラーフ家の者。王を、国を脅かす存在は速やかに排除しなければ」

「あの大軍では、姫様のような剣の使い手であろうと死にに行くようなものです」

「それでも、私は何もしないでいるなんてできない。……今のように」


 私の名はベアトリス=レイグラーフ。レイグラーフ子爵家の息女でありアルトゥル王国で軍人だ。レイグラーフ子爵家では、王の騎士を務めていることに誇りを持っており、この家系からは男女関係なく軍に属していた。私も例外ではなく、むしろ最前線で戦っていた。


 王と密接な関係にあったレイグラーフ子爵家は、時にそこらへんの貴族とは比べものにならない権力を持っており、私も王にたいそう可愛がられていた。王女がいらっしゃらなかったこともあり、私は周りから『姫様』と呼ばれていた。


「この国はもう終わりです。お願いです、姫様だけでもお逃げください」

「私はすでにアルトゥル王国に身を捧げた。この国の運命と共にするべきだ」

「姫様……」


 アルトゥル王国は隣国のヴァロニア帝国と戦争をしていた。最初は勢力も均衡を保っていたのだが、だんだん旗色が悪くなり、ついにヴァロニア帝国からの奇襲を受け内部まで侵攻された。兵から報告を受けたとき、私も戦おうと剣を持ってドアから飛び出したのは覚えているが、そこから記憶がなかった。気づいたときには小さな小屋のベットで寝かされており、かすかに背中と頭に違和感を感じた。


「今からでも私は行く。剣を返してくれ」

「無茶です姫様!おやめください!!」

「そうだぜ姫様。せっかくの命を無駄にするのはいただけない」


 勝敗はもうついているしな。


 2人しかいないはずの小屋で、別の声がした。視線を巡らせると、ドアにもたれかかっている男がいた。男の服と持っている剣には血がこびりついており、男の服は──隣国の軍服だった。


「貴様っ──リクハルド!!どうしてここに……!」


 男はリクハルド=シネルヴァ、隣国の軍師だった。この男が現れてからだ、アルトゥル王国が形成不利になったのは。彼の考える策に我が軍は翻弄され、撤退することが多くなった。何度か男と剣を交えたことあるが、余裕のある含んだ笑いとともにひらりと躱されてしまった。いまいましい奴──我が軍最大の敵。


「おのれリクハルド!!同胞たちの仇!」

「よせマティアス!!お前じゃそいつの相手は──!」


 とっさに制止の声をかけたが遅かった。剣を持って突進したマティアスを避け、リクハルドは無造作に剣で切り捨てた。


「────!!」


 視界が真っ赤に染まる。よくも、よくも──!!私は枕の下にあった短刀を掴んだ。勝ち目はない。だがこのまま反撃もせず終われるはずがなかった。せめて最後まで敵に屈っすることなく逝きたかった。


「うああああああああああ!!!!」


 私は短刀を男のお綺麗な顔に刻み込んだ。まさか顔を狙われるとは思っていなかっただろう、リクハルドの頬に赤い線が入った。それを見て私はにやりと笑う。

精一杯の強がりだった。その後大きな衝撃を感じ視界が暗くなっていった──。


♦♢♦



「閣下。アルトゥル王国の制圧が終了しました」

「そうか」


 部下の報告を俺は振り返らずに、ベットで寝ている少女をじっと見つめていた。


「お言葉ですが、閣下。その方はアルトゥル王国の」

「ベアトリス=レイグラーフ嬢、だな」

「──!閣下、しかるべき処遇をすべきです。その方にどれだけわが軍の兵が失わされたのか、ご存じでしょう?」

「そうだな……」


 部下の意見はもっともだ。ベアトリスにはこの戦争で存分に苦しめられた。部下もたくさん失った。だが俺はそれでも──。


「吐かせる情報があるとしても、レイグラーフ嬢が目覚めてからだ。俺が手づからやってやるよ、今までの分もな。彼女がここにいることは、俺とお前しかいない。……分かっているだろうが、くれぐれも内密にするように」

「はっ!!」


 部下は敬礼をして部屋から出ていった。憎き隣国の相手、俺が直接制裁をしたいと思い込んだのだろう。


(誰にも触れさせたりはしない)


 戦場で彼女が戦っているところを見て興味を持った。女であるのに、誰よりも鮮やかな剣さばきには敵である俺でさえ見とれた。どんな逆境でも臆することのない瞳、指揮を高めるために上げる凛とした声、どこまでも気高い姿──気づけば彼女をどうすれば手に入れられるかを考えていた。


 その高潔な彼女が絶望に染まるとき、どんな顔をするのだろう?


 アルトゥル王国は滅んだ。レイグラーフ家の彼女を引き渡せば公開処刑が待っているだろう。もしくは拷問か──。みすみす他人の手に渡らせたりはしない。


 彼女に傷つけられた頬をゆっくりなぞると、ぴり、とした甘い痛みを呼び起こした。俺はいまだ目を覚まさない彼女の喉元に口づけを落とし、軽く歯を立てる。もし万が一殺さなければならなくなったら俺の手で殺してやろう──彼女は俺のものだ。



 俺がどこまでも堕としてやるよ──。



 彼女が目覚めたとき、まずはどんな顔を見せてくれるのか。俺は楽しみでしょうがなかった。







「…………ていう小説をみたんだ!!」

「はいはいはいはい」

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