第2話 出会った三人

 やがてこの島にも夜がやってきた。あたりは物々しいまでの月光に照らされ、城下に灯りがともっていく様が見てとれる。隠し持ってきた扇をボナポルトにあおがせ、その月光に濡らされるジョセフィーヌはまるで美神のようである。彼女が先ほどから何かイライラしていることはボナポルトにもアランにも伝わってきた。月がさしのぼった時からそれは始まったらしかった。先ほどから呪文のように彼女は唱える。

「早く、早くここを出ないと……」

「あの、ジョセフィーヌ」

「様をつけなさい」

「あ、はいジョセフィーヌ様」

「なあに」

 ジョセフィーヌはかれこれ二時間ほど扇をそよがせている男を睨んだ。ボナポルトがおもねるような目つきを返す。

「あの、もう扇ぐのやめてもいいですか」

「ダメに決まってるでしょう」

「でももう手首のスナップがきかなくなっているんですが」

「何を言っているの。もっと手首がはじけ飛ぶくらいの勢いで扇ぎなさいな」

「うっ……そんな」

 ついにボナポルトは膝から崩れ落ち嗚咽をあげた。彼の儚いメンタルはもう限界であった。下士官としてただ王族の側にいただけなのにこの僻地に送られ、部下にはなめられ、知り合った美女には下僕のごとく扱われる。その現実に耐え兼ねたのであろう。

 しくしく……月光射しこむ牢で泣かれると、他の者もテンションが下がってくる。次第にジョセフィーヌが苛立ち始めた。

「いい加減にしなさいこの弱虫眼鏡!! いい加減涙をお拭きなさい、ほらっ」

「あっ」

 ジョセフィーヌがボナポルトの眼鏡をかなぐり捨て、その瞳をごしごし手ずから拭いてやらんとしたとき。ジョセフィーヌは驚いた。今度はジョセフィーヌが魅入られる番だった。男の眼鏡を取り去って現れた瞳! なんと美しく、凛々しい瞳だろう! 顔立ちが整っているのは認めていたが、このまなざしはなんと力強く、男らしい魅力にあふれていることだろう! そのうえボナポルトは、甘いテノールでジョセフィーヌにこう囁いた。

「どうしたい、可愛いバンビーノ」

 それからジョセフィーヌの細い顎をすくい、にやと笑んでみせた。なんだこれは。それがジョセフィーヌの率直な感想であった。

「ねえ、アラン、とやら。この人、キャラ違くない?」

「……思いのほか冷静だな」

 ふん、とアランが苦笑を漏らす。それから彼は話を切り出した。

「まあ、バレちまっては仕方がないので話そうとしようか。俺の主君、ナポレオン・ボナポルトは普段はうだつのあがらない、弱気でめそめそしたさえない男だが、眼鏡をとるとどうも、別人格になるらしい。その、つまりは」

「ちゃらちゃらした、強気の俺様軍人になるってわけね」

「まあ、そういうことになる、か」

 ジョセフィーヌがたやすく主君の本性を見抜いたので、アランは少し驚いた風を見せた。どうも、この女は頭の悪い女ではなさそうだ、と思った。ジョセフィーヌは、なぜかシャツをはだけさせ、こちらに秋波めいたまなざしを送る男へ、ふふと笑んでからこう言い放った。

「……いいわ。悪くないわ、いえ、とてもいいわ! むしろ二千倍くらいいいわ! 」

「二千倍も!?」

 思わずアランが叫ぶ。その後でこの猛き男に成り代わった主君と、それにうっとりする美女の間に淫靡なムードを感じて、すぐさま話題を変えた。

「ところでばーさん、さっきあんたが言っていたことだが」

「ば、ばーさんですって!!」

 これにはさすがのジョセフィーヌも激高する。その七色に色合を変じそうな瞳で、アランを強く睨み据える。

「誰がばーさんよ! あたくしはまだ二十六よ二十六! お肌は曲がりかけてるけどまだ二十代よ! だいたい、そう言うあんたたちはいくつなの!!」

 ボナポルトが髪をかきあげつつ、答える。

「二十四だぜ。ベイビー」

 続いてアランも。

「俺は十九だよ、ばーさん」

「だいたい四捨五入したら似たようなもんじゃない! なに、あなたあたくしの何が気に食わない訳!! この薔薇のような美貌? 慈愛に満ちた性格? それとも豊満な体つき!?」

 きいいと喚くジョセフィーヌへ、アランがうんざりしたような目つきを見せる。

「いや、俺は十四から上は全員ばーさんで呼称は統一してるからな」

「あんたはすべての二十代以上の女性に謝りなさい!!」

 今にも噛み付こうとするジョセフィーヌを、ボナポルトが後ろから抱きとめ、なんとか押しとどめようとする。ロリk……ではなくアランは、そんな彼女など歯牙にもかけず、再度先ほどの話を話題にする。

「で、何なんだよばーさん。フルムーンの夜、ってのは」

「はあ? 何のことかしら~」

 ジョセフィーヌは当初歌ってごまかす作戦をとったが、ボナポルトに後ろから腕を絡めとられ、甘い声音で、

「教えてくれ俺様の可愛いバンビーノ。フルムーンに何があるんだい」

と囁かれると。

「気持ち悪い」

と早速免疫が出てきてしまったことを知らせた。

(でも、切れ者の俺様軍人と、腕の立つ護衛……もしかしたらうまく利用できるかも)

 そう思いなおした彼女は、またあの歯を見せない微笑を浮かべ、こう切り出した。

「ねえ、あなたたち、神の恵みが欲しくはなあい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る