6 比内くんとのこと

 あの日、比内くんの部屋には行っていない。妹がその部屋を訪ねてきたときに、どんな証拠を探し当てるかもしれなかったからだ。またわたしの部屋にも行っていない。回数は少ないだろうが、それも同じ理由からだ。

 互いに別の相手とラブホテルに泊まった経験はあったが、わたしも比内くんも二人ともそれを望んでいない。それでシティーホテルに連絡すると、偶々なのか、それとも季節の間隙なのか、かなり上層の階に部屋が取れる。一晩とはいえ、片や学生で片や入社三年目の社員の身だったから、たいそうな出費となるが、その点で互いに後悔はなかったはずだ。

 部屋に入ってからベッドを寄せて広くする。それからぎゅっと抱きしめられる。次には子供のように鼻の頭を舐めてくるので、わたしも同じように舌で舐め返す。すぐにわたしのうなじに比内くんの唇が走る。トップスの隙間から窮屈そうに右手が入ってきて、すでに硬くなり始めていたわたしの右の乳首をやんわりと揉む。でもキスはまだだ。気づけば、今度は反対側のうなじに比内くんは唇を這わせている。窮屈そうな右手は同じ位置で同じ行為を少しエスカレートさせながら繰り返す。それで我慢できなくなって、わたしは比内くんに、

「キスして」

 と言う。するとすぐさま比内くんの生暖かい息がわたしの唇に熱く触れる。ついで軽い接触が……。それから徐にわたしの上下の歯を割って、にゅるり、と比内くんの舌が侵入。行き場を探すように、何箇所ものわたしの口腔内を突付いてくる。それでわたしも舌を絡める。二対の軟体動物が互いに相手を愛撫する。それから、この前歯の裏はわたしだけのもの、この左頬の内側はわたしだけのもの、と心の中で何度も甘く唱えながら、わたしが比内くんの同じ場所を何度も何度も味わい続ける。比内くんの下半身はすでに熱く固くなっている。わたしの下半身と内臓もかなり高熱を放っていて、急速に湿って濡れる部分が広がってゆく。互いの心臓の鼓動もドキッドキッと早くなり、それで胸が苦しくなって、息も苦しくなって、はあはあ、はあはあ、と喘ぎながら二人同時に唇を離す。ついでわたしの目の前を大きく塞ぐ比内くんの唇が震えるので、

「ダメ、それを言ってはダメ」

 とわたしが比内くんの言葉を毀す。でもわたしの耳には聞こえているし、届いている。

 好き、なんて言ってはダメよ、比内くん、それに、キレイだ、も、ダメ、愛しているなんて持っての他。だって、もしも現実にわたしの耳がそんなあなたの言葉と声を捉えたら、わたしはこの一夜を一夜では済ませなくしてしまいそうだから……。妹の茜を裏切り、何としてでもあなたを奪い、妹を傷つけてしまいそうだから……。だから比内くん、あなたは言葉を発してはダメ、ギリギリで言っていいのは、いつものように、お姉さん、だけよ。そしてわたしもあなたのことを、いつものように、比内くん、とだけ呼ぶわ。

「シャワー、浴びてくる」

 やんわりと比内くんを押し返しながら、わたしが言う。すると、

「じゃあ、オレも一緒に……」

 と日内くんが腰を浮かすので、

「ダメ。まだ、わたしを見せない」

 とわたしが強く拒絶する。それでもバスルームまで日内くんが付いて来るならわたしに拒む気はなかったが、比内くんは賢い犬のようにわたしの言いつけを守っている。熱い湯を身体に浴びて、わたしが少しだけ現実に戻る。すると忽ち罪悪感が擡げて来る。湯気で曇った鏡の上に掌を乗せ、一気に湯気を拭き取ってみる。斜めに拭き取られて現れた鏡の表面の中にはわたしの硬く締まった右の乳首が映っている。まだ硬く締まってはいない左の乳首も移っている。わたしは鏡の中の自分の胸を見ながら、左の乳首にもゆっくりと指を添えて同じ硬さに尖らせ始める。ついで、わたしは鏡の中で大きく両胸を張って呟いてみる。

「大丈夫よ、わたしは綺麗、失望なんかさせないわ」

 胸を見ながら自身を励ます。

 あの日、実家に寄る途中のターミナル駅のデパートで香料入りの石鹸を買ったのは本当に単なる偶然だったのか、それとも期待があったのか。強い薔薇の香りに包まれつつ脇の下や下半身を丁寧に洗っていくと、一種の酩酊間がわたしを襲う。それで罪悪感を洗い流す。

 一晩だけならいいでしょう。ねえ、妹よ。あなたは自分ではまったく気づかずに、これまで何度もわたしの恋を奪ってきたのだから……。ただの一回くらい、わたしがあなたに仕返ししたっていいわよね。

 そう思いながら自分の身体で一番熱い一点を探り当て、これが幸せ、これが恋、と小さく囁きながら愛撫する。そうするうちに、わたしの幸せの部分も両の乳首のように指先を押し戻すほどの弾力性を帯びてくる。それで慌ててシャワーで石鹸を洗い流そうとすると声が出る。それは自分の声ではないようだが、確かに自分の声でもあるようだ。いつもは居ないが、時折密かに顔を覗かせるシャイで且つ大胆なわたし自身の声らしい。それで益々、わたしの身体が敏感になる。だから少し怖くなってシャワーを止めて、息を吐きながらピンクのバスローブに身を包む。その格好で鏡を見ると、シャワーの湯で肌が薄赤く染まっている。それをしっかり確認してから、わたしが優雅にバスルームを後にする。くるりと部屋を回ってベッドの上でじっとしている比内くんに声をかける。

「さあ、比内くんの番よ。でも早くしてね……」

 するとわたしのその声に弾かれたように比内くんはその場でシャツもズボンも脱ぎ捨てて、それから決心したようにパンツも脱いで、わたしに裸体を見せつける。どうしてそうなるんだろうと思えるくらいに屹立し、身体を動かす度に面白いように腹を打つ比内くんの性器はわたしの想像と違って長過ぎも太過ぎもしなかったが、わたしにぴったりのサイズとしか思えない。それからわたしの横を優雅に擦り抜けて比内くんがバスルーム内に姿を消し、わたしがベッドに潜り込む。ついでものの一分もしないうちに比内くんがベッドに戻る。布団を剥いで、バスローブの上からわたしを捕まえ、抱きしめる。シャワーを浴びて、そのとき一瞬は萎えたはずの比内くんの性器が忽ち元の大きさと形を取り戻す。その怒張の感覚を、わたしはバスローブ越しに肌で感じて眩暈する。本当はそれだけが欲しいのではないのだけれど、でもそれだけで我慢するしかないのだ、というようなことを考える。比内くんの目は優しい。わたしがホテルの部屋から逃げ出さずにベッドの中にいたことに、すごく安堵をしているようだ。だけど、そんな目の色もすぐに見えなくなる。比内くんの唇がわたしの耳を、それから首や顎を襲ったからだ。最初は擽ったいだけだったその唇の動きが、わたしの下半身の熱と湿りを刺激して、低速飛行だったが徐々に官能の波へと変わっていく。そう感じると声にならない声が出る。比内くんの唇はすでに顎の裏を通過して鎖骨経由で右の乳首にまで達している。舌を這わせて軽く歯で噛んで、今度は舌の裏側を使ってゾロリと舐める。その不可思議な感覚に、わたしが全身で身悶える。そのまま緩く性の感覚に溺れてしまうのがもったいなくて余計なことを口にする。

「知らなかった。比内くんってプレイボーイだったのね。いったい何人の女の子が比内くんに征服されたことか」

「お姉さんが一番いい」

「そんな上手いことを言ってもダメ」

「でも、お姉さんが一番いい」

「わかったわ。ありがとう」

 それから比内くんはバスローブを脱いで、わたしの分も優しく剥がし、ふたりは初めて生まれたままの姿で肌と肌とを密着させる。比内くんの肌はとても熱くって、だけどわたしの肌もとても熱かったから、それはおあいこ。わたしの胸を弄りながら一旦は臍まで降りた比内くんの唇がそこから一気に上に昇り、わたしの唇と一つになる。舌が入ると歯が震える。さっきのキスでは何ともなかったはずなのに可笑しなわたしの反応だ。わたしの唇を塞ぎながら比内くんの右手がわたしの乳房を味わって、比内くんの左手がわたしの下半身に下りていく。遂に見つけたわたしの一番柔らかい部分をそっと掌全体で覆って、わたしの突起に力を与える。するとわたしの突起が持ち上がり、萌え出た豆の芽を摘むように比内くんが執拗に触ると弾け始める。唇を合わせたままのわたしの口から声が漏れる。結局その声は鼻から抜けて、自分でも吃驚するくらい艶っぽい響きに変わる。それが何度も繰り返される。そのうちに豆の芽は完全に割れ弾け、むくむくと自己を主張し始める。比内くんが身体をずらして豆の芽を食べる。

「ひゃあぁ」

「ああ、ごめんなさい」

「ううん、痛かったんじゃないの。でも、もう知らない」

 比内くんはわたしの敏感な豆の芽を食べたり、舐めたり触ったりを繰り返し、それから徐々にわたしのもう一つの敏感な部分に近づいて行く。それはわたしの身体の中心、そしてわたしの幸せの中心。比内くんはツボを外さずわたしの身体の中心を指でなぞってしっかりと形を確かめた上で、体感的には湯気が立っていそうな性器の襞に舌を這わせる。

「いいの、比内くん、いいの……」

 わたしの気持ちがフワフワと漂う。

「比内くん、本当にいいのよ」

 と言葉にならない言葉が思わず口から漏れ出てしまう。けれども比内くんは優しいから、わたしに恥をかかせない。わたしのどこがいいのかを、決して聞いたりはしないのだ。だからわたしも優しく続ける。

「わたしはもういいから、比内くんも気持ち良くなって……」

 それでも比内くんはわたしを高みに昇らせ続ける。愛撫を止めずにわたしのことを大切に扱う。比内くんが語らぬ言葉が行為となって、わたしを内から外から充たす。わたしが幸せに溺れてゆく。と、不意に一回目の絶頂が遣って来る。それは高い山ではなかったが、わたしの全身をずぶ濡れにするには十分だ。あわあわとわななく自分の身体を味わって、しばらく経って気持ちが少し落ち着くと別の感覚が襲って来る。比内くんが遂に入って来ようとしているのだ。思わず目を見張る比内くんはコンドームを付けている。いつの間にか、とも思ったが、わたしには本当に嬉しいショック。だからわたしは出来るだけ腰を持ち上げて、比内くんのわたしへの侵入を容易にしてあげようと頑張ってみる。けれどもそれは容易ではない。けれども容易ではないそのことが、素直にわたしの快感にも繋がっていく。やがて二つの蠢く幸せな生物同士の下半身が最適の位置で重なって、比内くんとわたしが一つになる。やっとのことで一つになる。それから比内くんの喜びの分身がわたしの奥深くにまで入って来る。わたしは虚ろに声を上げつつ、比内くんを逃がすまいと両足を閉じる。

 さあ、どうする比内くん。しばらくわたしから逃げられないわよ。

 仕方なく比内くんはわたしの太腿を外側から挟み込む作戦に出る。その状態で根元が締め付けられた自分の性器を小刻みに動かす。妙な我慢比べが続いたが、比内くんは決して力尽くでわたしの両足を割ろうとはしない。それでわたしも観念する。大きく息を吐いから両足の拘束を解いて比内くんを自由にし、同時に自分の身体も自由にする。比内くんが大きく身体を動かし始めて、わたしは必死にしがみ付く。比内くんの身体にぴったりしっかりとしがみ付く。あうおうあう、と顎が揺れる。汗が流れて、髪が頬に張り付いてくる。そのままの状態がしばらく続き、ついで比内くんが絶妙のタイミングでわたしの豆の芽を摘むものだから、わたしのすべてが蕩けてしまう。さっきよりも大きな絶頂の予感があって、予想があって、それが襲う。崖から飛び降りたような、宇宙が開闢したかのような意識の爆発が身体を覆う。強く深く。その瞬間、比内くんも一緒に……、とわたしが叫んだかどうか。

 コンドーム越しだったので比内くんの精液がわたしの膣内壁を強く叩き、ついで溢れる感覚は得られなかったが、わたしは比内くんの声からそれを知っる。

「ああ、お姉さん……」

 と比内くんが声を漏らす。それまでの逞しい比内くんのセックスからは想像できない可憐な少女のようなか細い声だ。

 初めての二人のセックスが終わって不意に現実に戻ると互いにずいぶん気不味くなる。が、気不味くなった理由は棚上げにして仲の良い恋人の振りをすることは可能だろう。だからだろうか、わたしの方から、

「もう一回したい」

 と比内くんにそっと訊ねる。比内くんはわたしのその言葉が殊の他意外だったようで、文字通り、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見せる。

「いいんですか」

 とわたしに問い返すその表情は不審気だ。

「いいわよ。ちゃんとコンドームを付けてくれたお礼」

「ああ、なるほど……」

「でも不思議よね。比内くんはいつもそんなものを持ってるの」

「それが今日、たまたま歯磨きと歯ブラシを買いにドラッグストアに寄ったついでに……」

「ふうん。じゃ、わたしの石鹸とおんなじか。わたしたち、出会うの失敗したね」

「あの、オレ、本当は……」

「アー、ダメダメダメダメ。そこから先は言っちゃダメ」

「……」

「でも何も言わないでくれるのなら、今夜はわたしを比内くんにあげるから、ねえ比内くん、それでいいでしょ」

 比内くんは茜の方に合っているから……、とは付け加えない。互いの罪悪感を呼び覚まして何になろう。

「比内くん、わかったの」

 と念を押すようにわたしは言って比内くんの返事を待つ。が、どんな言葉も返って来ない。代わりに比内くんがわたしを強く抱きしめたので返事を貰ったも同然だったが……。

「待って待ってよ、今度はわたしの方から遣ってあげる。それでね、比内くんの精液を一滴残らず絞り上げちゃうから」

 はしたない、あの夜のわたしの言葉は結局嘘にならずに実現される。

 わたしの方には最後には少女の声で果てる比内くんの姿を目の裏に焼き付ける思い出だけが残ったが、比内くんの方は後に性器に違和感を覚えて月曜日になってから泌尿器科に通ったようだ。結局病気ではなかったが、妹からその事実を伝え聞いたわたしは浮かべて良い表情を遂に発見できずに困り果て、比内くんと似たような罰が自分にも当たるのではないのかと理系とは思えない不安定な気持ちのままその後一週間を過ごすことになる。

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