2 深大寺でのこと

 夏であれば暑いし、秋ならば涼しい。冬ならば寒いが、春ならば暖かい。

 けれどもあの冬の日は、さすがに真夏のようではなかったが、比較的陽気に恵まれた日で、休日の習慣にしているわたしのウォーキングの脚も軽い。

 わたしの住む集合住宅は京王線笹塚駅のすぐ近くにあって、その京王線は始点の新宿駅から府中駅を過ぎるまで国道二十号線とほぼ平行して線路が走っている。

 ウォーキングでわたしがこれまでもっとも多く通ったコースは国道二十号線(|甲州街道)沿いに調布駅まで歩くルートだが、身体の調子によってはショートカットをして千歳烏山駅やつつじヶ丘駅くらいで終えたり、あるいは西調布駅、東府中駅まで脚を伸ばすこともある。他にも三軒茶屋まで行って、その先電車を乗り継いで適当なところでウォーキングに切り替えるリバビリコースや小田急線の経堂駅まで歩いてから線路に沿って登戸駅か向丘公園駅(|さらには生田緑地に)まで向かうの足長コース、他には吉祥寺駅まで先に電車で行って善福寺川経由で家まで戻ってくるお疲れさまコースもあったが、今回の目撃譚には無関係だ。

 前日のテレビ番組で深大寺特集を遣っていたのが悪かったのかもしれない。

 それで国領駅の辺りでコースを体感的には右、地図的には北から北西に変えて三鷹通り経由で深大寺を目指すことに決める(|深大寺を通過する通常のコースとは逆のはず)。目指すといっても特に思惑があったわけではない。目抜き通りに着いても蕎麦を食す気はなかったのだ。

 そんな心持だったからか、実際に深大寺通りに至ってみると人の多さに驚いてしまう。時刻は昼前だったが十一時に近かったので、観光客がいるのはわかる。バスツアーだってあるだろう。が、集まった観光客の数が尋常ではない。わたしがこれまで深大寺通りで見た中では一番ではなかったか、とさえ思う。

 道が狭いこともあって、景色は違うが、竹下通りに近い混雑だ。年配の団体客がもっとも多いように思われたが、子供連れの若い夫婦の姿も散見される。若い恋人たちの姿は見当たらない。

 はてさて、この混雑は昨夜のテレビの効果なのだろうか、とわたしが場違いな軽装で人込みの中をノンビリと擦抜けつつ、店の外にまで溢れ返った蕎麦狙いの客たちの会話を聞くともなしに聞いている。未だかつて入店したことはないが、水車小屋と手打ち蕎麦で有名な一休庵にも長い行列が出来ている。深大寺という土地は、わたしの住む笹塚の集合住宅からすぐ近くではないが、遠くでもない。だからなのか、観光地ではあってもわたしにはそう感じられず、それで名物と知ってはいても蕎麦を味わおうという気持ちが起きないのだ。

 もっとも夫と一緒だったら、また話は違うのだが、あのときわたしは独りきりだ。

 それで見つけてしまったのかもしれない。

 一休庵ではなかったが、その先の蕎麦屋の客席に母がいる。最初は人違いかと思ったが、どうやら間違いなさそうだ。

 もちろん休日の深大寺通りの蕎麦屋に母がいて何の不思議があろうはずもない。

 実際、小田急線経堂駅から程近い、母が住むわたしの実家に小用があって訪ねたときに聞いたことさえある。

 数年前からのことだったが、母は近所の小母さんたち数名と連れ立ってしばしばプチ観光を楽しむようになっている。プチといっても日帰りで河口湖畔まで温泉に浸かりに行ったこともあるようなのだが、やはりご近所巡りが多いようだ。こちらに関心がないせいで詳細は忘れてしまったが、護国寺やスカイツリーなどにも向かったらしい。その中の一つに深大寺(|蕎麦)もあったので、母が再訪しても何ら不思議はなかったわけだ。

 けれども母の連れに見覚えがない。

 見覚えがない上に男の人だ。

 年齢は母と同じか、それよりは上か。

 わたしがもうじき三十二歳で母が五十四歳だったから、上限でも五十六から七歳までくらいだろうか。

 六十歳過ぎにはまるで見えない。

 端麗な顔付きをしているが、内に秘めた凄みのようなものがわたしの立つ十メートル弱の位置からでも感じられる。それが余計にわたしに自分の目を疑わせる。

 母は父に請われて結婚している。

 母方の祖父母から漏れ聞いた話では、父が母を見初めたとき、母には婚約者がいたらしい。が、本人からその話を聞いたことは一度もない。

 現実には父と結婚して二人の子を成したのだから、父のことを嫌いではなかったのだろう。

 母は昔風だが丸顔の美人で、若い頃には着物が普段着で良く似合っている。父方の祖母、つまりわたしのおばあちゃんが、元役所務めのわりにズボラな性格の人で、母を自分の玩具のように連れ歩くときに着せて初めて定着したらしい。

 母は茶の湯も習っている。それも祖母の特命だったようだ。習い事は他にも色々あったらしいが詳細は忘れたようだ。

 そんな一風変わった姑がいたからでもなかろうが、母が浮気をしたという話をわたしは一度も耳にしたことがない。

 もちろん子供の耳にそんなことを漏らす年長の家族はいないだろうが、それでも噂は広まるものだ。

 真偽のほどは定かではないが、父は浮気をしたことがある。

 それがバレて親戚友人四方八方から、わいのわいの、と責め立てられて懲りたようで、その後浮気の話は聞かないが、母にはそれが微塵もない。

 もっとも母に対する男の人の熱い視線をわたしが感じなかったわけではない。

 いつだったか電車に乗って千葉県富津の親戚の家を訪ねたとき、母に向けられた年配の男の視線があからさまで、その手のことには疎かったわたしにさえ、とても穢いもののように感じられたからだ。

 男の視線に気づくと母は前にも増して表情を硬くしてしまったので、わたしも一層居心地を悪くする。

 約十分ほどして止まった駅から車両に乗って来て、母とわたしと同じシートに座った体格の勝れた小母さんがそんな男の視線に気づいて一括してくれなければ、もしかしたら年配の男はわたしと母が電車を降りる駅まで母のことを熟視していたかもしれない。

 母にだって男の人の知り合いがいないわけではなかろうが、少なくともわたしの知る限り、母が男の人と二人で出かけたことは一度もない。

 そもそも母が近所の小母さんたちとご近所観光するようになったのもここ数年の話で、それ以前はわたしが中学に入るくらいまでパートをしていた時期を除けば、基本的には家庭内にいる主婦なのだ。わたしが生まれる前のことは知らないが、父と結婚してわたしがこの世に出(いず)る二年ほどの期間に運命的な出会いがあったというのだろうか。

 わたしが咄嗟に運命的と感じてしまったのは、それまでわたしが見たことのない母の表情を垣間見てしまったからだ。

 わたしにとって母は毅然とした女といえる。

 父と喧嘩をして悔し涙を見せることはあっても決してヒステリーを起こさない。

 夫という男族にしてみれば、それは却って怖い女の反応なのかもしれないが、とにかく母はそういう人間だ。

 毅然で更に硬いのだ。

 幼い頃に絵本で寝かし付けられるときに聞いた母の声はただ冷たくて、幼いわたしにさえ感情が欠けているように思わせたほどだ。決して嫌々ではないのだが、愉しむという気配がどこにもなく、わたしには母が単に義務を遂行しているだけとしか感じられない。

 妹に対しては綻びた表情を見せることがある母だったが、それでもどこかに硬さが残る。少なくとも、わたしにそう感じさせる程度には……。

 そんな母が、わたしの知らない端麗な顔付きの男の前で笑っている。

 自然な艶かしさも溢れている。

 見せる仕種の一つ一つがどれも愉しそうで明らんでいて、わたしは呆気に取られてしまう。

 それでわたしは母の浮気を疑ったのだ。

 家での母は毅然とはしていたが、暗くはない。

 けれどもそれが自分の見誤りではなかったかと感じられるほど目前の母が明るいのだ。

 笑顔に幼女の面影がある。

 それでわたしが怖くなる。……と同時に腹立たしくもなってきて、悔しい想いも浮かんでくる。

 それで思わず母を睨む。

 すると、そんなわたしの想いを見透かしたかのように母が細い首をまわしてわたしのいる方向をついと見遣る。わたしはとても慌てたが、幸か不幸か母の視線はわたしを外れ、冬枯れた木々の通りを優しく長閑に彷徨うだけだ。

 母の視線が男の許に戻る前に、わたしは急に自分がそこにいる場違いを感じ、逃げ去るようにその場から消える。

 深大寺通りを抜けて武蔵境通りを下るまで、わたしは一度も振り返らない。

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