4-10 江戸通り国際通り
しばらく書院番の件で忙しくなりそうなので、今のうちにソウザ氏のところへ行っておくことにした。トモエさんのことも気になったが、今行ってできることはないし、ぼくよりも恋川さんに会いたいだろうし、見舞いは一段落してからにしよう。ひとまず病院と病室だけはカンダさんに聞いておいたので、行こうと思えばいつでも行ける。
ソウザ氏は昨日と同じように事務所兼研究所兼自宅で待っていた。昨日と違うのはぼくがほぼ手ぶらだというだけである。
「いらっしゃい」
「お邪魔します。何かあったんですか?」
「いや、貸本のことではないのだよ」
「と言いますと?」
ソウザ氏はちょいちょいと手招きして、奥の部屋へぼくを促した。たしかそっちは研究室のはずだ。
部屋をのぞくと人がいるように見えて一瞬ぎょっとしたが、何か人型の機械のようなものが中央に置かれていた。ロボット? いや違うな。なんだこれは。頭の部分はほぼダミーでコンソールのヘッドギアがついているだけだ。胴体や四肢も芯にダミーがある。というか機械部分は外装のようなところだけになっているようだ。ぐるっと見て回ると、背中にランドセルのようなものが付けられていて、そこから手足にケーブルというかホースが伸びている。
「PASだよ」
「ピーエーエス?」
「パワーアシストスーツ。いわゆる介護用の補助強化装置だ」
「おお、これが!」
「実はこれはちょっと上位モデルでね。試作用のWPL。ウェアラブル・パワー・リフトというものだ」
「パワー・リフトということはもはや介護用ではない?」
「そういうこと。いまは高齢化で介護市場は拡大しているけど、いずれはまた減少するからね。介護介護ってだけではこの先十年二十年のビジネスはできないのさ。だから用途を拡大していく必要がある」
介護用から貨物用にもってことか。これを着て荷物が運べたら、狭いところや階段の多いところでも楽ができるな。引越し屋さんとかにもいいんじゃないか。
「貸本屋で試してくんないかな」
「マジすか」
「瞬間的な荷重は二百キロぐらいまでは大丈夫なんだけど、どこにどういう負荷がかかるかまだわかってないところもあるし、長時間使ってみての耐久試験ってのがなかなかできないんだ。いろんなところへ行ってのユーザビリティの検証もしてもらいたいしね」
「それはご自分でもできるのでは?」
「他にも仕事があるしねえ。こればっかりやるわけにもいけないのだよ。それに」
「それに?」
「こんなの着て街中歩けるわけないでしょ」
「えー」
「貸本屋の荷物を背負って歩いて目立っても平気なら、このぐらい大丈夫かなって」
確かに最初の数日はちょっと気恥ずかしいとも思っていたが、慣れというものは恐ろしい。確かに今ではまったく人目が気にならなくなっている。
「とりあえず装着してみてよ」
「はい。何かに着替えますか?」
「長袖ならなんでもいいよ。そのまま着けちゃおう」
ダミー人形から取り外し、部位ごとにぼくに取り付けていく。背中の方など見えないところでパーツをロックする音がする。
「これって一人では着けられないんですか?」
「ああ、まだそこまでは開発が進んでないねえ。動作テストレベルだな」
「脱ぐのは?」
「脱ぐだけならそんなに難しくないね」
「トイレは?」
「トイレはそのまま行けると思う」
確かに股間回りには何もない。腰部はサイドにしかフレームがなかった。うまくズボンをずらせれば脱げそうだ。エッチだってできるかもしれない。そういうニーズもあるのかな。
「一人で装着できないとなると。毎朝ここに寄って取り付ける感じになりますか」
「一人暮らしだっけ?」
「あ、シェアハウスなので人はいますけど。あとはお店に脱いでおくようにしてカンダさんに手伝ってもらえばいいかも」
「すまないけど、ちょっと手伝ってもらってね。誰でもできる作業だから大丈夫」
「わかりました」
足首パーツのロックが終わった。ダミー人形はもうすっぽんぽんだから、取り付けるパーツはもうないはずだ。
「じゃあ起動してみるよ。変なところに荷重を感じたらすぐに言ってね」
「はい」
ヘッドギア・コンソールのバイザーを下ろす。サングラスをかけたぐらいに暗くなっている。視野が広いのであまり違和感はない。
「じゃ、3、2、1。起動」
コンソールに一瞬社名のようなロゴが見えた。WPLなんとかというモデル名か機体名が表示される。プログレッシブバーがツツーっと伸びて、満タンになったところでブラック・アウトした。中央に光点がうまれ、そこから格子状にラインが引かれ、顔の向きに合わせて3D表示された。中央に人型の表示が出る。各パーツ、関節部位を順にチェックしているようだ。末端側から順に赤、黄色、青、緑に変化していく。全身が緑になったところで人型表示が小さくなり左端へ移動した。半透明なので視界の妨げにはならないようだ。上端と左端、下側にも何か数字や文字が出ていてチラチラ動いているが意味はわからない。おそらくデバッグとかテスト用のものだから、使用者にはたいして意味が無いのだろうと思われる。なんかヤバかったらド派手にコーションがでるはずだ。
「じゃあ、その辺のものを持ち上げてもらおうかな」
「はい」
とりあえず両手で椅子を持ち上げてみる。
「ふぁッ?」
軽い。腕にはまったく重さを感じない。腰のあたりにやんわり荷重を感じるが、重いという感覚はない。片手に持ち替えてみるが、同様だ。すごい。
「これは、想像以上ですね」
「そうだろう。もっと重いものはないかな」
「冷蔵庫とか?」
「いいね。あまり傾けるとよくないけど」
事務室の隅にある2ドアの冷蔵庫の前にしゃがんで、下側に両手をかけ、立ち上がってみる。すっと持ち上がって、コンセントに繋がったコードが埃を巻き上げて、ピンと張ってしまった。張ったところで自然に動作が止まった。
「おっと、コードが。あれ? 抜けてない」
「止まっただろ。異常な抵抗の変化があると、一時的に動作を遅くするように制御ししているんだ」
「すごいですね」
「元々介護用だからね。そういうセーフティな制御は繊細なんだよ」
「いや、これ面白いです」
「じゃあモニター頼めるかな?」
「喜んで」
実際、こいつは楽だ。見た目はちょっと恥ずかしいけど、これから寒くなるし上からコートでも着てしまえばどうということはない。まあぼくは来週で辞めてしまうけれど、カンダさんたちには便利かもしれない。値段はちょっと張りそうだけども。
ぼくは、少し身体を動かしてみた。荷物がなくても、パワードスーツ自体の重量を感じさせないぐらいにはサポートしてくれるらしい。走ったらどんな感じになるんだろう。ジャンプは? あとで借り出したら試してやろう。このまま着て帰って、恋川さんに見せようかな。
スマホの着信が鳴った。画面に一瞬、恋川さんからのLINE通知が見えた。電話はカンダさんからだ。
「もしもし?」
『タツヤか? 今どこにいる?』
「馬喰町あたりです」
『そうか。マズいことになった。先手を打たれた』
「先手?」
カンダさんが珍しく慌てている。なにが起きたんだ。
『書院番がもう来やがったんだよ。本横を全シャッター閉鎖したが、完全に黒服に取り囲まれてる』
「来週って話じゃないんですか」
『リークがバレたんだろう。チクショウ』
本を移動する前に来られたんでは、根こそぎ押収されてしまうじゃないか。それこそ商売上がったりだ。とにかくすぐ動かないと。
「ぼくはどうすれば」
『しずくのところに行ってくれ』
「恋川さん?」
『家は知ってるな?』
「わかります」今朝までいたので。
『黒服が来てるらしい。急げ。後のことはまた連絡する』
「わかりました」
通話を切って、LINEを見た。恋川さんから何件かメッセージが来ていた。
なんかおかしい。
わりとやばそう。
来れる?
やっぱ来ないほうがいいかも
来ちゃダメ
そこまででメッセージは終わっていた。
「どうしたの?」
「すいません、すぐ戻ります」
ぼくはソウザ氏の事務所を飛び出して、エレベーターホールへ向かった。エレベーターは二基とも一階にいる。ぼくは階段室に飛び込んで段飛びで下りた。身体が軽い。少し跳ねてみる。ギュンと押し出されるように加速して、結構な段差を跳躍した。危うく壁にめり込みそうになったが、これはすごい。一気に一階まで下り、外に飛び出した。
数歩走って、ジャンプしてみる。感覚は電動アシスト自転車に近いように思う。軽く十メートルぐらいを跳んだ。これは着地のほうが危険だ。高さも試してみたいが、今は急いでいる。交差点まで車道脇をダッシュした。ガシュガシュという動作音が少しうるさいが、強化関節の反応は悪くない。あまり飛ばすと急停止できないので危なそうだ。
信号で停まったときに、スマホをチェックする。恋川さんからの新たなメッセージはない。「いまいく」と送ったところで信号が変わった。すぐに既読になった。
走りながらコンソールを見ていると、ボディ表示の下にあるバーがバッテリー残量表示だということがわかってきた。ちょこちょこと動いているのは瞬間的な消費電力量のようだ。足の動きと連動しているので間違いない。ボディ表示の各部がチラチラと色が変わるのはどの部位に負荷がかかっているかをリアルタイムで表示しているものだ。ただ走るぐらいなら緑と青の往復で済むらしい。ジャンプして着地したときは一瞬黄色くなることがある。少し慣れてきたので、ペースを上げる。これはいい。体が軽い。驚いて振り向いた通行人と目が合うが、バイザー内はコンソールの情報の方が目立つのでまるで気にならなくなった。
ジャガービルが見えてきた。大通り側にはとくに人影はない。手前の路地から裏手に入る。
角からのぞき込むと、入り口脇に二人黒服がいた。ぐっと首を伸ばしてさらにのぞき込むと、二〇一の前に三人ほど同じような黒服の連中がいた。そのうちの一人が見覚えのあるヤツだったので思わず声を上げそうになった。こんなものを着けていたら即座に怪しまれる。ひとまず後ろへ戻って、正面へ回った。
恋川さんの二〇一の真下に着いたところで、LINEアプリを開く。
くるならはやく
とメッセージが来ていたので
きた
と返した。すぐに既読になり、上を見上げると窓が開いた。
恋川さんが顔を出した。パッと花が咲いたように笑顔になる。
何かしゃべろうとするので、しーっとハンドサインを送る。
LINEが鳴った。
外に何人いる?
すぐに顔を出してきた。片手を広げて五人だとサインを送った。
ぼくは抱くようなジェスチャーで飛び降りるように合図した。
は? という顔をしたが、うなずいて一旦引っ込んだ。
にょきっと何が筒状のものが窓から生えた。和傘が広がった。
恋川さんは窓に足をかけ、ひょいと宙に飛び出した。
和服の袖と裾が風圧で舞い広がる。黒基調の振袖の柄は相馬の古内裏だ。
宙を舞う恋川さんは、まるで鈴木春信の錦絵のようだった。
飛び出して約一秒で恋川さんはぼくの両腕に乗ってきた。タイミングよく放り投げた傘が宙を舞う。
一フレームごとに各関節の負荷がレッドゾーンに飛び込む。コンソールのゲージが赤く点灯するたびに落下のGを軽減していく。すべてのショックアブソーバーの能力を使い切って、残った重量はぼく自身が支えた。
ぼくの腕の中の恋川さんは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。目だけがキョロキョロと動く。ぐっと握りしめていた手をパッと開いて、にぎにぎしてみせた。ぽんぽんと自分の肩と胸のあたりを確かめる。足をくっと伸ばしてみる。
ゲージが徐々に黄色から青に戻っていく。負荷の少ないところは緑まで回復している。少し焦げ臭いが、機能は失われていないようだ。
「とりあえず、逃げましょう」
恋川さんがぼくの顔をつかんだ。ぐっと引き寄せてキスをしてくれた。
「きみは、受け止めてくれると思っていたよ」
とびきりの笑顔がぼくに力をくれる。そうだ、この笑顔のためならなんでもできるんだ。こんなWPLがなくても受け止められた気がする。たぶん。
「おい!」
角の方で声がした。振り返ると黒服が北川から通り側へ回り込んできていた。仲間を呼んでいるのが聞こえた。
「ヤバっ」
「逃げましょう」
ぼくは恋川さんを抱きかかえたまま、南へと走り出した。
〈第五章へ続く〉
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