4-2 赤線資料館

 浅草橋は浅草ではない。浅草寺へ向かう橋があるから浅草橋である。浅草にある橋ではない。浅草にある赤い橋は吾妻橋だ。浅草から吉原はすぐだが、浅草橋からは結構距離がある。しかし、電車の便が悪い。というか吉原自体が、どの駅からも遠いので交通の便が悪いのだ。

 かつて吉原と呼ばれた一角に、吉原という町名はない。だから地図で吉原を探してもたどり着けない。今の町割りだと千束四丁目という地名のあたりになる。吉原のお店のウェブサイトには、鶯谷から電話すればお迎えに上がります、だとか、鶯谷からタクシーに乗れだとか書かれている。鶯谷より入谷のほうが近いかと思う。いや、三ノ輪のほうが近いかもしれない。しかし、いずれも浅草橋から一本で行ける駅ではない。浅草からバスもあるけど、この時間だと本数も少ないだろうし。とりあえずタクシーに飛び乗った。

「吉原のあたりまでお願いします」

「かしこまりました」

 ソープに行くと思ってんだろうなあ、運転手さん。なんだか落ち着かないが、運転手さんはいちいち客がソープに行くかどうか興味を持っていないかもしれない。そうだ、持ってないだろう。持ってないことにしよう。そうしよう。


 赤線資料館とは、戦後あった公娼地帯「赤線」に関する各種資料や当時の文化を後世に残すべく蒐集していた、元米軍佐官クリムワイヤ・ブラッドラインのコレクション、いわゆる「BLコレクション」を展示・公開している私設博物館である。古いマンションをまるごと買い上げて、二階までの各部屋を展示室にしている。三階より上は倉庫らしいが入ったことはない。一階にはカフェや図書館、書店もある。ホワイトボックス法の施行後、看板の撤去を命じられ(施設の存続は問題ない)、運営団体と行政で係争中である。赤線の関するものだけでなく、江戸期の吉原遊郭や、全国の岡場所に関する資料も多く置かれていて、ぼくも貸本屋を始めてから勉強のためにと何度か来ていた。月イチでくずし字の勉強会もあり、まだ二回だがぼくも通っている。トモエさんが関係者だと聞いていたので、ここに呼ばれることは意外なことではないが、なんの用件だろう。


 吉原大門のところでタクシーを下りて、少し歩く。二百年前はここから先に勝手に入ることはできなかったし、左右には「おはぐろどぶ」が張り巡らされていたのだ。おはぐろどぶとは、吉原遊郭をぐるりと取り囲んでいる濠のことだが、墨を浮かべてあることでそのように呼ばれていた。これは、遊女が脱走しても濠で着物を真っ黒に染められて、すぐに発見・通報されるようになっていた、ということらしい。今はもう埋め立てられている。吉原大門に番人はいないし、門もない。

 ゆるやかなカーブを道沿いに歩いていくと、急に前方が明るく開けた。ネオンサインが暗い街角に急に浮かび上がる。それまでほとんど人気がなかったのに、ここから先は日本最古の繁華街だ。建物の前や路地の入り口には黒服が立って、客を案内している。呼び込みは一応禁止されているんだったかな。昔はまっすぐ通り抜けるのはムリだなんて言われていたが、今はあまり強引なのはいないらしい。その辺は条例やらによる警察の取締りの結果だろう。あと、以前は深夜十二時までに入店すればよかったらしいが、今は十二時までに退店しないとならないルールらしいので、この時間に来るともう入れないことが多いそうだ。ただし、日の出営業というものもあるので、なんだかよくわからない。


 これ以上行くと客引きに引っかかる、というところで路地に入る。ここはギリギリ現代吉原のエリアではない。あまり明るくない路地を少し行くと目的のマンションがある。それほど新しくはない。むしろ古い。おそらくバブル期以前の建築物だろう。オートドアなんて気の利いたシステムはなく、四角いノブがついた両開きのガラス戸が入り口になっていた。鍵はかかっていないので、中には入れる。

 赤線資料館のマンションには着いたものの、資料館はすでに閉館になっていた。カフェの営業もとっくに終了している。管理人もすでに帰宅したようで、エントランスは薄暗い蛍光灯がときおりしゃっくりでもするように明滅するだけで、ひっそりとしていた。どこかの部屋でなにかやってるのかと思ったが、そもそも建物に人の気配がなかった。LINEでトモエさんに「着きましたけど」と送ってみたが、すぐに返事はなかった。


 人が住んでいるマンションであれば、なんとなく気配と言うか、生活ノイズが漂うものだが、ここにはそれがない。壁にはワークショップのポスターやチラシ、特別展の告知などが並ぶ。戦後の赤線に関するセミナーなどがメインだが、浮世絵や春画の企画が多い。数年前にやってた春画展は結構な人気だったらしい。今にして思えば、行っておけばよかった。当時はこの分野に興味がなかったから仕方ないけれど、こんな面白い分野があるなんて学校では教えてくれなかった。

 葛飾北斎や喜多川歌麿の浮世絵は知ってるけれど、彼らがエロい浮世絵もやっていたなんて、全然知らなかった。というかエロい浮世絵ってものの存在を知らなかった。なんとなくたまに全裸でタコに絡まれる絵を見たことはあったけど、それはあくまで特殊なアートであって、こんな春画という一ジャンルとして確立するような、そんな世界があるなんて想像もしていなかった。

 だからカンダさんに会えたことは幸運だったと思っているし(経済的な意味以外にもね)、トモエ師匠に会えてよかった。それになにより、恋川さんに会えたことが、よかったんだと思う。そもそも、ぼくはもっと彼女に近づきたくて春画の勉強を始めたのだ。結果的に近づけてないけど、今度会ったらもっと彼女から春画や艶本の話を聞き出せるぐらいには、このジャンルの予備知識が身についていると思う。だからぼくは恋川さんに会いたいし、もっと話がしたかったんだ。このままトモエさんから連絡がなかったら、この辺のお店に行ってしまおうかと思っていたけれど、やはりぼくは恋川さんにしか興味がないのだと気づいた。明日晴れたらLINEメッセージを送ってみよう。どかでランチをして、どこかに遊びに行こう。デートをしよう。断られたらやけ酒でいいや。なにもないまま、ただ終わるのだけはいやだ。


 トモエさんからLINEメッセージが届いた。

 ここからすぐの居酒屋にいるということだったので、資料館を出てそちらへ向かった。キラキラした街角とは逆方向だから今日は散財しないで済んだようだ。トモエさんのことだ。何か掘り出しものがあってぼくに見せたいか、あるいは、大量の古書を仕入れてしまって移動できないから手を貸せとかそんなことだろう。飲み代ぐらいはお駄賃代わりにおごってくれるだろうから、それでもいいや。トリイハニーに奢らされて意味がわかんなかったけど、今日の帳尻はギリギリ合いそうだ。

 角を曲がると、商店街の一角に居酒屋鉄蔵があった。ここは前にもトモエさんと来たことがあるが、店主が北斎好きで、それで屋号が鉄蔵になったらしい。店内には北斎の絵がたくさん飾られている。もちろんレプリカだろう。というか印刷物だろう。いや、浮世絵自体が印刷物か。なんて言えばいいんだ。カラーコピーよりはきれいだったけど、シルクスクリーンとかそういうやつかな。まあそういう偽物の類だろう。


 まだ営業中なので、ほっとした。のれんをくぐって中を見るとトモエさんが見えた。誰かと飲んでいるようだ。引き戸を開ける。ガラガラという音に、その誰かが笑いながら振り返った。キラキラした笑顔がすっと消えて、きれいな顔でキッっと睨みつけられた。


 恋川さんだった。


〈続く〉

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