第四章 禁書の目録

4-1 居酒屋サダヨシ

 居酒屋サダヨシは、ぼくの古巣であるイズミヤ書店の真向かいにあった行きつけの店だ。過去形なのはイズミヤがなくなってしまったからで、サダヨシはまだある。行きつけといっても店員はちょくちょく替わる。あっちはこっちを覚えちゃいないだろう。それにそもそも美人元バイトリーダー・トリイハニーとはシフトが違っていたので、一緒にこの店に来たことはほとんどない。胡椒を聞かせた黒鶏唐揚げが名物で、シークワーサーハイボールが人気の店だった。シークワーサーとは沖縄地方で収穫される柑橘類でかなり酸っぱいが、爽やかな香りで近年人気が高まっている。ハイボールとはウイスキーのソーダ割りのことだ。最近では居酒屋も分煙が進んでると聞いたが、ここはまだ普通にタバコを吸うことができる。灰皿は安っぽいステンレスタイプなのだがぼくは割りと好きだ。大阪ではパチパチパンチとかいう芸で使われるのと同タイプであるが、あれが得意な芸人さんは亡くなってしまったのだったか、どうだったか。

「トリイさん、シマキジョージって亡くなりましたっけ?」

「知らんよ。ググりなよ」

「あ、そうですね」

 ググってみたら真相はすぐにわかった。最初からそうすべきだった。しかもそんなに最近でもなかった。

「あのですね」

「なん?」

「誰か待ってるんですか?」

「いや、別に」

「酔ってます?」

「そうでもない」

 トリイハニーはこんなキャラだっただろうか? 柚子手羽先にかぶりついて、骨をしゃぶっている。ああ、こんなキャラだったかどうか思い返したところで一緒に飲みに行ったことなどわずかしかなく、一緒に飲んでても席が遠かったではないか。ほとんど初飲みである。さっきから会話がまったく弾まず、ぼくはもうどうしていいかわからなくなっていた。

「タツヤくんさ」

「あ、はい」

 ようやく会話をする気になったか。

「あたしのこと好きだったでしょ」

「は?」

「嫌いだった?」

「あ、いや、嫌いってことはないですけども」

「じゃあ好き?」

「酔ってます?」

「そうでもない」

「まあ美人だなとは思いましたが、ホレタハレタを思うほど接点なかったかと」

「ホレタハレタねえ」

 中ジョッキを飲み干して、店員におかわりを注文した。ぼくもハイボールを追加注文した。このペースだと先に酔い潰される。それはダメだ。

「イズミヤさんどこ行ったか聞いてる?」

 イズミヤ氏は、ぼくが貸本屋になる前に勤めていた書店のオーナーだ。突然行方不明になり、結果として書店は潰れて、ぼくらは無職になったのだ。そして、ぼくらが住んでいるシェアハウスの大家兼寮母兼同居人の元夫である。ややこしい。

「いえ、全然情報ないです。奥さんも連絡ないって」

「元奥さんね」ハニーが訂正してきた。いつも細かいんだよな。

「ああ、元ですね」どっちでもいいだろそんなの。

「給料の残りは?」

「全然振り込みはないですね」

 先月の末に記帳して見たときはまだなかった。この数日で振り込まれている可能性もあるが、もともと月末入金だったので、入金があるとすればやはり月末だろうから、しばらく何も入ってこないだろう。

「トリイさんにも?」

「ないない」

「どこ行ってるんですかねえ。海外ですかね」

「海外じゃないらしいけどね」

「なんで知ってるんですか?」

「そいつぁ言えねえなあ」

 ふざけてんのかこのアマ。

「タツヤくんさあ」

「だからなんですか」

「なんで貸本屋やってんの?」

 うっ。

「なんでっていうか、行きがかり上というか、偶然っていうか、たまたま?」

「ふうん」

 正しくは、恋川さんにお近づきになるためだったが、それは内緒だ。全然近づけてないし。

「トリイさんこそ、なんで本横に来てたんですか?」

「まあ、仕事だよ」

「仕事? 今何やってんですか?」

「公務員」

「マジすか。フリーターから公務員になれるんすか」

「いや、なんていうか、元々公務員だったんだけど、しばらく離れてて、そんでヒマだからバイトしてただけ」

 じゃあイズミヤがなくなってもこの人だけは安泰なんじゃないか。なんかずるいなあ。ずるくはないか。うらやましいなあ。

「生粋のフリーターのぼくとは違うんですね」

「タツヤは元々なにやってたんだっけ?」

「前はIT会社にいましたよ」

「その話前に聞いた?」

「そんな会話する仲でもなかった気がしますよ」

 そもそも今ここでこうして飲んでいるのもレアケースだ。

「そうだっけか」

「酔ってます?」

「そうでもない」

 トリイさんはまたジョッキを空にして店員におかわりを注文した。ぼくは少しペースを抑えることにしたので、ハイボールの追加注文はしなかった。

「まあその、あんたがあたしに惚れてて、仲良しで、ラブラブって前提でいいんだけど、教えてほしいんだ」

「前提条件が全然事実と異なりますが、なんでしょう?」

「太閤埋蔵金と禁書目録ってどういう関係があんの?」

 は?


 しばらく意識が飛んだらしい。トリイハニーがぼくの手を掴んで、こっちを見つめている。いつもはひっつめにしていたので気づかなかったが、思ったよりも長かった黒髪。いつもはメガネをかけていたので気づかなかったが、思ったよりも切れ長だった目。いつも気づいていたが、意外に大きなバスト。見た目通りスリムなヒップ。見た目通り長い足。白い肌。その元書店員とは思えない細い指。そういえば力仕事は男性アルバイトに振り分けていたかもしれない。なるほど、美人は得だ。ちなみにトリイハニーとは本名である。漢字でどうか書くかまでは知らない。

 いやいやいやいや、そうじゃない。そうじゃない。

 何故知っている? 今、トリイハニーは「太閤埋蔵金」、「禁書目録」ってはっきり言った。すでに動揺は隠せない。初耳を装ったところで、すぐにバレる。トリイさんもハンターなのか? の? トリイ?

「トリイさんって、あのトリイさん?」

「質問に質問で答えるな」

「あ、いや、すんません。太閤埋蔵金と禁書目録の関係はわかりません」

 嘘は言ってない。だいたいそれがわかれば苦労はない。この人が何者かはともかく、ひとまずぼくがすでに埋蔵金ハンターだってことは伏せたほうがよさそうだ。そりゃ仲間になれたらいいかもしれないが、ここは慎重にいきたい。ぼくは、氷の溶けたハイボールを飲み干す。

「ふうん。少なくともこの二つについては知ってるわけだな」

「……そりゃ、貸本屋やってれば嫌でも耳には入りますよ」

「お前も欲しいか?」

 いつのまにかだいぶSな口調になっているが、酒のせいなのか、本性が露わになったからなのかはわからない。

「どうですかねえ。金額が多すぎてピンとこないし、禁書目録って言ったって実物見たことないし。手がかりになるとも思えない」ここは無難なことを言っておくべきだ。

「そうか。そうだよな。二兆円じゃあまりピンとはこないよな」

「いやいや、そこは二百兆円ですってば」

 徳川埋蔵金が二十兆円だからな。二兆円程度で驚くわけがない。トリイさんも適当だな。特に何か知ってるわけでもないのか。誰かに聞きかじってカマかけてきてると思って間違いないな。

「あ、ああそうだったそうだった」

「そんな金額の埋蔵金とかありえないでしょう?」

「どうしてそう思う?」

「運ぶにしても、隠すにしても多すぎるからですよ。いいですか? 太閤豊臣秀吉が生前に埋蔵金を隠すことを命じたのならば、それは天正大判で可能性が高い。天正大判は一枚で十両です。二百兆円ってのは、四億五千万両ですからね。四千五百万枚の天正大判ということになります。一枚が一六五グラムなので、単純計算しても七〇〇〇トン以上ってことになります。一〇トントラック七〇〇台分の金貨を四〇〇年前にどうやって運んだのかってことです」

「どうやって運んだかわかれば解決か?」

「それに天正大判は一〇万枚程度しか作られていません。残りの四千四九〇万はどうしたってんですかね。荒唐無稽すぎて馬鹿馬鹿しいとは思いませんか」

「なるほど、つまり金額が多すぎるから、ホラ話だと判断したわけか」

「そんなところです」

 本音を言えば、天正大判ではない別の何かならもっと重量を抑えることができたかもしれないし、埋蔵金のために大量に金リソースを食われたので、一〇万枚「しか」天正小判が作られなかった、のではないかとも考えていた。しかしそれをトリイハニーに伝える必要もない。とぼけても無駄なら数字でケムに巻いたほうがいいだろう。

「おっと、もうこんな時間か」

 え? っとスマホを出して見たが、そんなに遅くもなかった。

「今日はありがとう。楽しかったよ。明日早いのでわたしは帰るね」

「あ、はい」

「………………」

「……」

「………………」

「……?」

 なんだこの沈黙は。引き止めればいいのか? 意外に据え膳だった? そんなわけない。金額とかテキトーだったけど、トリイさんだって埋蔵金狙ってる一人に違いない。どこかでぼくが貸本屋やってるって聞きつけて情報を取りにきたのだろう。さっきはスルーされたが、ハンターのトリイのおっさんと関係があるに違いない。親戚か。いや、ちょうど親子ぐらいか。そういやトリイ氏の奥さんとちょっと似てる? 似てない? なんで黙ってんだ? あ。

「……えと、ここはぼくが持ちますよ」

「そうか、すまんな、ありがとう。じゃまたな」

 トリイさんは、別れ際にキスをするどころか、おごらせといてボディタッチもなしでさっさと店を出ていった。とほほ、である。それなりに出来事を期待して、ATMで金を下ろしたり、ホテルまでのルートを考えながらここまでやってきたのだが、びっくりするぐらいなにもなかった。ヘタなキャバクラでぼったくられるよりはマシだったとプラス思考で考えるほかない。ハイボールのおかわりを頼むか、もうかえって寝るかと迷ったところに、LINEが鳴った。

 テーブルに置いていたスマホの画面表示を見た。

 トモエさんからだ。

『仕事は終わったかね? 今から赤線資料館まで来られる?』

 うわー。赤線資料館って吉原んとこじゃん。そこそこ現金持ってるときにそんなエリアに行きたくないなーっと思ったが、モヤモヤを残したままで眠れるはずもなく、それはそれでアリかとも思った。恋川さんに操を立てる義理だってない。

 行きますと返事をして、ぼくは店を後にした。


〈続く〉

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