3-10 曲亭馬琴
「だから、『地球戦記』の後半は実際はぼくが書いたんだよ」
「え、だってそれは衛兵先生から聞いて後述筆記だったってどこかで読みましたけど」
「それな。文芸四季の記事だろ。あれは正確じゃないんだよ」
「じ、実際はどんな感じなんですか」
「親父が正伝の途中で倒れたのは知ってるっけ?」
「ええ、まあ」
その辺はウィキペディアに書いてあった。おそらくは文芸四季の記事から引っ張ってきたのだろう。
「最初はさ、親父もやる気はあったんだよ。腕が動かなくても口述で、なんて」
「それで正伝全部と外伝まで書き上げたとか」
「世間的はそういうことにしてるけど、ひと月も経たないうちに親父が『疲れたからもういい』って言い出してさ」
「えー」
「プロットだけ言うから、あとは頼むとか、そういうことになったんだけど」
「マジすか……」
「正伝終わってないうちに、プロットすら『あとは上手くやってくれ』なんて言い出して、結局ボクがまるっきり代筆してたわけなんだよ」
「外伝は?」
「あれは、正伝がわりとテキトーなところがあって、伏線回収してなかったり、急に重要キャラが出てきたり、補完が必要になったわけだよ。親父はあとで辻褄合わせるつもりだったんだろうけど、すっかり忘れててどうしようもなくてなあ」
なんということだ。こんなこと知らされて生きて帰れるんだろうか。
「じゃあなんで続編まで始めてるんですか?」
「それは正伝にはもともと残り半分があったんだよ」
「口述テープが残ってるっていう?」
「うはは。世間的にはそういうことになってるのか」
「違うんですか」
「正伝の後半もボクが書いてるのに、そんなことあるわけないじゃない」
無かったんかーい。衛兵先生は現代の曲亭馬琴、みたいに書かれていたけど、やっぱムリだったんだなあ。誰だデマ書いたのは。
「ついでだからぶっちゃけると正伝を途中で切り上げて、それで終わるはずだったんだ。親父の名前で書き続けるのも嫌だったし」
江戸時代後期、『南総里見八犬伝』を書いた曲亭馬琴は亡くなる十年前に失明し、先に死んだ息子・宗伯の嫁(未亡人)に口述筆記させて作家活動を続けたとされている。失明しても諦めなかったその作家魂にあやかりたい、という現代の作家は貸本屋の客にも何人かいるらしい。しかし、衛兵先生は脳溢血で倒れて利き腕を失ったしまったばかりか、やはり脳にも影響があったんだろう。創作意欲も同時に失ってしまっていたというわけだ。無念だっただろうか。いや、無念と思うことすらなかったのかもしれない。
「それで、さっきの人と揉めてたのは?」
「そうそうそれそれ。これまで印税一〇%なのを、親父が死んだあとの新刊分から五%にするって言ってきやがったんだよ。そういう社内規定があるからって」
「新刊分って」
故人の新刊ってのがよくわからなかった。普通は新作はもう出ないわけだし。あ、でも野窓親子の場合は少し事情が複雑そうだ。
「『地球戦記』の新装版とか、デザイン変えた文庫版とか、いろいろ出すんだけど、そいうの。続編の方は新しく書いてるから初版は一〇%って言ってるけど、それだってどうなるか」
こないだ買おうと思ってたやつだ。なぜか恋川さんが脳裏をよぎった。うっと思ってすぐに脳内をリセットした。
「それってボウトさんが書いてる分もってことですか?」
「そう、そこが問題なんだ。親父が書いた部分だけなら、まあそういうこともあるかなって仕方ないとも思うけど、後半の俺が書いてる部分も一緒くたなんだよ」
「ややこしいですねえ」
「世間的にはあくまで親父の口述筆記ってことになってるからなあ。版元内部でも担当編集と文芸部長しかしらない。今回は経理部だかそっちからクレームというか指示が来たとかなんとか。今度経理サイドに会わないとならない」
「いっそ公表しちゃったらどうですかね」
ぼくもこんな秘密を抱えるのは重い。誰かに話したい! イグサなら普通に驚いてくれるだろうし。ルームメイトもファンだから、『野窓衛兵』はまだ生きている(中の人は)ってことなら大いに喜ぶ。つまり『野窓衛兵』は親子の共同ペンネームということになってこれからも生き続けるのだ。そしてボウトさんのお子さんが三代目野窓衛兵として後を継げば、さらに未来永劫『地球戦記』は続くことになる。素晴らしいじゃないか。
「うーん。それは嫌かなぁ」
「駄目ですか」
「うん。やっぱりボクは野窓防人として世に出たいんだよ」
作家とはそういう人種なのだな。
「デビュー作、期待しています」
「ありがとう」
ぼくは先生と握手をして、マンションを出た。今日の仕事はこれでおしまいだ。
本屋横丁に帰って、荷物を下ろそう。
さっきまであんなに重かった背中が、急に軽くなった気がした。
ボウトさんの話を聞いて少し気分転換になったのかもしれない。
十八時を過ぎると本屋横丁の大半の店はもう閉店になっている。一部営業中のところもあるが、そこに客でいるのは横丁でよく見かける他の店主ばかりだ。一般客だって立ち入れるが、平日はあまり見かけない。そもそも存在があまり知られていない。
ウェブサイトを見たことがあるが、ビルダーっぽい感じとでも言えばいいのか、なんとなく古めかしい雰囲気だ。ブリンクとかマーキーなんかも多用されていてにぎやかである。これを見て足を運ぶユーザーはレアなので、マーケティング戦略は失敗しているように思うが、これを改善する予算も人員もないらしい。組合と言っても寄り合い所帯で事務局の仕事は持ち回りだし(だから休養中のカンダさんに仕事が集まったりする)、前述の通りここいらの人は往々にしてITに弱い。
通路の蛍光灯がなんだか薄暗いのもよくないな。いっそ消してしまって、店の明かりを目立たせたほうがマシなんじゃないかとも思う。そういえば出入り口の上の看板も照明がないから外から見ても営業中に見えない。看板あたりの管理は誰がやっているのだろう。組合費とか、施設管理費とかそういうのはないのだろうか。それとも、もうそこまで商売に熱心ではないのだろうか。ただ、先細って、このまま終わってしまってもいいと思っているのだろうか。
ホワイトボックス法が施行されてから、現代出版界は一気に斜陽化した。あからさまなエロ本はもちろん、水着やセクシーポーズの表紙は皆無になり、グラビアタレントはもはや絶滅危惧種だ。ぼくの勤めていた書店のラインナップも、ぼくらが十代の頃とはがらっと変わっていた。学習参考書に挟んで買っていたちょっとエッチな写真雑誌はもうのきなみ休刊に追い込まれていたし、僅かに残っているものも表紙は着衣での真面目そうな女優の肖像写真ばかりだ。扇情的なキャッチコピーもなくなっている。特別な認可を得ていない書店では成人向けの出版物は売れないのだから仕方がない。あの日から、本屋ってのは楽しいレジャー空間から、クソ真面目な情報の集積場になったのだ。書店数は去年、全国で五千店舗を下回った。コンビニの店頭からはまずエロ本が消え、ついに雑誌も消えてしまった。通販は順調だが、通販に慣れると電子でいいやという風潮になり、結局エロい出版物ってもの自体が作られなくなってきたのだ。結局、「エロはウェブで」が常識として取って代わったんだ。いろんなメディアはエロを原動力に普及する。そしてまた、エロが離れると衰退するのだ。ぼくらは、まさにその瞬間、その現場に居合わせているわけだ。簡単に言うと、ホワイトボックス以降の世界はつまらない、ってことだ。
カンダさんはもう帰っていた。店の鍵を開けて中へ入る。灯りを点ける。荷物を下ろして、カバーを外す。ロックを解いて、貸本ボックスをデスクに並べていく。
今日はたったの五件なのに、ずいぶんと疲れた。冷蔵庫から缶コーヒーを出す。カンダさんが自由に飲んでいいと言ったストックだ。椅子に腰掛けて栓を開ける。グビリと飲み込むと、甘味料が疲れた体に染み込んでいく。ああ、心地いい。
どこかからシャッターを下ろす音が聞こえた。ときおり顔見知りの店主が、軽く手を振りながら店の外を通り過ぎていく。ぼくもそろそろ腰を上ることにした。明日は休みだ。昼まで寝ていよう。
LINEが鳴った。
ポケットからスマホを取り出して画面に光る表示を見た。
トリイハニーからだ。
『仕事終わった? 浅草橋のサダヨシこれる?』
行きますと返事をして、ぼくは店を後にした。
〈第四章に続く〉
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