3-8 留守宅と坂の上の麦茶

 三軒目はご新規さんのお宅だったのだが、留守だった。

 少しレトロなビルの二階に指定の住所があったので、とりあえず行ってみて呼び鈴を鳴らすのだが、誰も出ない。表札には何も書かれていないが、部屋番号はカンダさんのメモと一致していた。もう一度押すが、反応はなかった。

「もしもし、タツヤです」

『お疲れ様。どうした?』

「三軒目のご新規さんなんですが、部屋番号合ってます?」

『二〇一?』

「ええ、二〇一。合ってるかー」

『ビル名は?』

「ジャガービル」

『合ってるよ』

「時間指定ないんですか?」

『いや、いつでもいいはずなんだがな。まあいいや、居なかったら渡したものをドアポストへ』

「え? いいんですか?」

『集合ポストじゃなくて、ドアの方な』

「あ、はい。今、部屋の前なので」

 じゃあ頼むと言ってカンダさんは電話を切った。ぼくはもう一度だけ呼び鈴を鳴らし、返答がないことを確かめて、背中の荷物から指定の封書を取り出した。手触りから察するに、確かにいつもの貸本ではないようだ。ドアポストにはギリギリ入ることができたので、そのまま押し込んだ。ゴトンと中に入る。ぼくは店の屋号の入った付箋に、お届けに上がりましたがご不在なので、トウカンさせていただきました、と書いて、ドアノブの脇へ貼り付けておいた。とりあえずこれで誰からの品物かはっきりわかるだろうし、家主が戻ってきたらカンダさんに連絡がいくだろう。


 階段を下りてビルの裏手から路地に出た。振り返って、わずかに見える二〇一の扉を眺めていたが、ドアは開かなかった。やはり留守だろうか。

 大通り側に回り込んで二〇一を見上げてみたが、日光が反射して中の様子はまったくわからなかった。換気のためか窓は薄く開けられていた。中に居るかもしれないし、開けたまま出かけたのかもしれない。事情はわからないが古そうなビルだし、空調が不十分なのかもしれない。いずれにしても、何度も呼び鈴を鳴らしたのだし、カンダさんも投函すればいいと言ったのだから、この仕事はこれでおしまいだ。牛丼屋で昼飯を食おう。リストにはまだあと二件ある。


 四件目はあまり気が進まない。何度も行っているが、何度行ってもツライ。

 バウンティ・ハンターのトリイ氏の自宅は、坂をいくつも上ったり下りたりしないとたどり着けない。坂を登り降りする前に家の屋根が見えるのも、精神衛生上まったくよろしくない。こっちの丘から投げてしまえないかとか、ドローンかなにかを飛ばして届けられないかとか、バックパックにバーニア的なものを装備して飛んでいけないかなどいろいろ検討はしてみたのだが、どれも現実的ではなかった。

 投げてしまうという作戦は、直線距離で二〇〇メートル以上はあるので、人力では全然届かなかった。イグサに相談したら、何かパワードスーツ的なもので補強したらあるいは、と言うのでソウザ氏に介護用パワードスーツ的なもので応用できないか聞いてみたところ、あれはあまり瞬発性のある動作はできないとガチの返事があった。重いものを持ち上げたり、ってことはお手のものだが、何か投げたりジャンプしたりはできないそうだ。走るのが軽やかになることはあるとは言っていたが、いずれにしてもそのために重い装備を装着するのは本末転倒だ。

 ドローンを飛ばす作戦もマジメに考えてみた。イグサは、運べるものの重さと、本体の重さがだいたい比例するので、小型であれば荷物は軽いものしか運べないし、重い荷物を運ばせるのであれば、ドローン本体は大型になり、当然重くなる、と言った。しかもいくつか資料もくれたが、言うとおり、貸本を運べるようなパワーのあるものは二キログラム近くあった。さらに二〇〇メートルも飛ばすとなるとプロポが必要になるから、それも嵩張る。本末転倒だ。話にならない。スマホでコントロールできてポケットに入るようなドローンで本が運べたらよかったのだけど、人類の科学力はまだそこまでたどり着いていなかったのだ。

 バックパックのバーニアも、重量的な理由で却下となった。米軍が開発したとかいうフライトシステムに理想的なものがあったが、背負うべき重量と稼働時間のバランスが著しく悪かった。まったく本末転倒である。

 ぼくとイグサはたくさんの本末転倒の果てに、結局トリイ氏の家へは、根性で坂を下り、坂を上って、誠心誠意お届けするしかないことを深く理解した。だからぼくは今日も坂を下り、また上るのだ。上った後は、再び下り、また上がるのだ。たぶん、何かの徳が上がるだろう。わかんないけど。


「いつもご苦労さん」

 トリイ氏がいつもの調子で出迎えてくれた。そう思うのなら引っ越してくれませんかと言いかけたが、言葉を喉にとどめて、出された麦茶とともにゴクリと飲み込んだ。

「いえ、慣れました」

 慣れてなどいない。坂がキツすぎるのだ。上がって降りるのが辛いのだ。まっすぐ橋を設置するように行政に陳情してくれませんかと内心でボヤいて、貸した本を受取り、貸す本を渡した。もらった本も、渡した本もどちらも江戸幕府の禁書リストにあるものだった。つまりトリイ氏もまた太閤埋蔵金を狙っているということだ。しかし彼はまだぼくにそのことを打ち明けていない。故に、こちらもトリイ氏に情報を流すことはできなかった。太閤埋蔵金が手に入れば、こっちの丘とあっちの丘に橋を渡すことだって容易だったが、その金があればもっと有効な貸本の受け渡し方法が開発できるかもしれない。たとえば、ラブホテルの料金精算で使うようなああいうエアーでシュポーンと筒を送るような装置を、貸本の会員宅と本屋横丁で張り巡らせてシュポーンと送って、シュポーンと返してもらうようなそんな仕掛けだって夢ではないのだ。いや、ぼくは坂を上ってきて頭がどうかしているらしい。残った麦茶を飲み干して、荷物をまとめて担ぎ上げ、トリイ氏宅を後にした。

 あの遠くに見える白い家が、あっち側の頂上だ。そして、その手前の谷底にある黒い屋根が、谷底の最深部だ。そこまで下りて、あっちまで上るだけのカンタンなお仕事です。さあがんばろう!


〈続く〉

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