3-6 恋川さんのこと

 ぼくはスマホの専用アプリでソウザ氏分の返却処理を済ませた。こいつはアプリのような顔をしているが、実際はブラウザのブックマークにすぎない。サーバー上でスクリプトを走らせているそうなので、動作が鈍い。あと、いろいろ不便だ。ここまでIT化を進めるなら、もう少しやりようがあったろうにとも思うが、それなりに紆余曲折があってこの形に落ち着いだのだと、カンダさんが言っていた。

「あ、ソウザさん」

「どうかした?」

「ぼく、実は来週までなんですよ」

「ああ、もうそんな経ったか。お疲れ様でした」

 元々三ヶ月ほどの臨時アルバイトだということは言ってあった。ソウザ氏はメカトロニクス系のベンチャー企業を経営している。介護用機器の開発だとかなんとか、以前聞いた気がする。ぼくにバウンティハンターの副業をカミングアウトしたとき、開発資金欲しさに埋蔵金探しをはじめたなんて嘯いていたけど、たぶんそれは違う。この人は宝探し自体が好きなのだ。

「こいつの返却には来てくれる?」ソウザ氏は手にした黄表紙を掲げて見せた。丸尾緣兵衛という戯作者のもので、このシリーズで痛烈に幕府批判をしたカドで彼の全作品が「禁書目録」で指定されたというツワモノだ。内容はそれほどシニカルでもないのに禁書指定になっているそうで、ソウザ氏の見立てでは「答えに一番近い」そうだ。つまり太閤埋蔵金に関しての何らかの符牒が書かれてるため、それを隠すために幕府が取り締まったのではないかと仮説を立てている、と以前ソウザ氏は言っていた。

「そうですね、たぶんまだいます」

「いい知らせを期待してくれ」

 ソウザ氏が右手を差し出したので、ぼくは握手をした。来週あまりこの人のがっかりした顔を見たくはないなと思った。でも、この人は「禁書目録」自体を持ってはいない。と、ぼくは思っていた。


 彼が手にしているのは、誰かが作った「禁書リスト」だけだと思う。隠し持っている可能性は否定しないけれど、リストを元に貸本屋から借り出して調査をしていると思われる。このタイプの貸本客は多い。この辺の見立てはカンダさんの受け売りなのだけど。禁書リストは何種類かあって、貸出し傾向を見ていると、だんだんどのリストを元に動いているかがわかるようになるとカンダさんは言っていた。

 リストだけでは真相にはたどり着けない、とカンダさんは考えているらしい。やはり禁書目録そのものが鍵を握っていると。カンダさんとはたまに太閤埋蔵金の話をするけれど、それはぼくが太閤埋蔵金についての質問をしたからで、カンダさん自身が財宝を狙っているかどうかを明言したことはなかった。その禁書目録や埋蔵金に関する知見が、貸本屋業のためのものなのかどうか、カンダさん自身もまたバウンティハンターとしての顔を持っているのか、ぼくにはわからなかった。

 ただ、はじめて会ったあの日、トリイ氏から買い取ったものが「禁書目録」で、それが恋川さんの手に渡ったということをぼくは理解していた。ぼくが現物の所在を把握している禁書目録はその一点だけだ。どうにかして見てみたいものだ。


 ソウザ氏のマンションを出る。リストにある次の訪問先は、ソークン先生の例の豪邸だった。

 

 恋川さんとは、シロクに勤めることになったあの日からまだ会えていない。

 カンダさんに頼まれて、日本画家のガマゴオリ・ソークン先生に貸本を届けに行ったあの日だ。


 恋川さんのあとについて、ぼくは本屋横丁を出た。すでに夕方だったが、あの頃はまだ日が高かった。人が増えてきたので少し歩きにくくなっていたせいか、ぼくらは歩きながら話せなかった。地下鉄のホームまで来て、ようやく少し会話ができた。

「とりあえず」

 恋川さんが話しかけてくれた。この声が好きだ。この声を出す声帯の埋まった首の形も好きだし、言葉を発するくちびるも好きだった。また、キスしたいと思ったけれど、ここではできない。

「とりあえず仕事決まってよかったじゃん」

「あ、ホントです。ありがとうございます」

 そもそも、あのとき恋川さんがぼくにカンダさんの名刺をすぐに返してくれなかったら、この仕事にありつけなかったわけだし、なんというか恩人である、ということになる。それで、会話が止まる。何を話せばいいんだろう。何をしゃべればぼくはこのひとを喜ばせることができるのだろう。わからない。

 車両接近のランプが点灯し、アナウンスが注意を促す。電車がホームに滑り込んでくる。ホームの客が、なんとなく乗降位置に吸い寄せられていく。地下鉄が止まる。扉が開く。乗客がバラバラと降りてくる。前方の空間が開けて、恋川さんがすっと乗り込んだ。ぼくも慌ててあとに続く。それまで立っていた乗客が先にシートに座ったので、開いている座席はなかった。恋川さんがドア脇に立ったので、ぼくもその内側の吊革につかまった。荷物が軽くないので少し辛いが、なんとなく置くわけにもいかないし、網棚に上げるのは憚られた。こんなもの失くしても弁償できない。そんなに長く乗っている訳でもないので、この姿勢でがんばることにした。


「重くない?」

「平気です」

「重いでしょ」

「重いけど平気なんです」

「背負えるといいのにね」

「ああ、背負子あればラクですね。結構重いのに背負うと気にならない」

「あれさ、箱の寸法がキモらしいよ」

「そうなんですか?」

「四つ積んだときに、重心がだいたいちょうどいいところに来るんだって」

「中身の重さに関係なく?」

「あ、どうかな。そこまでは知らないけど」

「不思議な感じですねえ」

「今度試してみてよ。担ぎやすいバランスとか」

「そうですね」

 その後実際にいろいろ試してみたのだけど、空箱でも満載でも取り回しはあまり変わらなかった。もちろん重いことは重いのだけど、軸が安定しているとかそういう感じで、ひょいっと取り回しができるのだった。カンダさんに聞いたら、この寸法は江戸期から変わってないらしい。明治の頃にいろいろ実験したという記録が見つかったが、結論としてこの寸法の箱の四段重ねが最も扱いやすいということになっていた。今はショルダーストラップの素材もよくなって、担ぎ手の負担も少なくなっているとのことだ。それで荷物が軽くなるわけではないけれど、肩が痛くないのはありがたい。


 他に、とくに会話も弾ませることができず、ぼくらはソークン先生の屋敷へ着いてしまった。駅から近かったので、世間話もたいしてできなかった。古本のウンチクでもあれば楽しませられたかもれないが、きっと恋川さんのほうが詳しいだろう。そういう場合は教えてもらえばいいのだろうけど(きっとそのほうが僕らの関係性にはマッチしている)、何を教えてもらえばいいのか、その時のぼくにはわからなかった。三ヶ月経った今なら聞きたいことはいくらでもあるけれど。

 

 ソークン先生が何をしている先生なのか知らなかったが、お屋敷はとてつもなく大きかった。正面に回り込むまで美術館かなんかの外壁だと思っていた。それが個人宅だと気づいたとき、ぼくはすっかり萎縮してしまったのだ。

 物怖じしているぼくに替わって、恋川さんがソークン先生宅の呼び鈴を鳴らしてくれた。貸本屋だと名乗ると、すぐに門扉が開かれた。インターホンの声に促されて二人で入っていくと、中からメイド風のおばさんが現れて、玄関ではなく庭へと案内された。屋敷を石畳に沿ってぐるっと回り込むと、大勢の人の気配がした。薄暗い植え込みの先に照明に照らされている芝が見えたと思ったら、そこには二十〜三十人ほどいて、ガーデンパーティが開かれていた。プールもある。絵に描いたような豪邸じゃないか、とぼくは思った。タキシードを着た若い男性と赤いワンピースにネックレスのマダムが談笑している。白いスーツの中年男性は葉巻に火を点けて、取り囲むロングドレスの若いレディらに何かを言ってから大きく笑った。その他、経済的にゆとりがある感じの人々が集って楽しげにしていた。たぶん雇われ書店員のような身分の人は、この中にはいない。ケータリングの配膳をしている人らはぼく側の人間だったかもしれないが、そのときのぼくには見えていなかった。ただただ大金持ちの集団としか認識していなかった。


「ちょっと待ってて」恋川さんはそう言うと、芝生のふちで足を止めたぼくを尻目に美しく刈り込まれた芝の上をひょいひょいと歩いて、パーティの中へ乗り込んでいった。いままですぐ近くにいた彼女が、急に離れていってしまった気がした。

 恋川さんが集団の中央あたりにいた着流しの老人に話しかけると、老人は大声を上げて相好をくずした。恋川さんは後ろ姿しか見えないけれど、何か話してくれて、老人がこちらを見た。ぼくが会釈をすると、老人はうなずいて、使用人か執事か知らないが端にいた黒服の男性を呼びつけて、何かを指示した。そして、恋川さんと二人でこちらへと歩いてきた。

「カンダさんが人を雇うとは珍しいな」

「あ、臨時でお手伝いをすることになりました」

「腰やっちゃったんだって?」

「みたい。まあ若くないよねあの人もさ」

 恋川さんが言うと、老人は高らかに笑った。老人はガマゴオリ・ソークンと名乗った。あとで知ったが相当有名な画家らしい。名乗ったときぼくの反応が薄かったので気を悪くしたのかもしれないが、ソークン先生はぼくに対してはあまり愛想がよくなかった。いや、あるいは恋川さんと一緒に来たので快く思わなかったのかもしれない。いずれにしても、歓迎されない空気はぼくをさらに萎縮させていた。


 すぐに使用人の人が貸本の入ったパックを持ってきたので、それを受け取り、カンダさんに持たされたアタッシュケースを開いた。

「カンダさんは、ここから選んでもらうように言っていました」

「ああ、なるほど。たくさん持ってきてくれたんだな。……いいセレクトだな。じゃあこれを借りよう」

 ソークン先生は、日に焼けた黄色い表紙の本の中から一冊を取り上げた。表紙に何か書いてあるがまったく読めない。何を借りてもらったのかメモでも取るべきだろうか。でも読めないし、借り主に聞くのもなんかかっこ悪い。

「写メでも撮る?」

「あ、はい。そうですね」

 恋川さんが端末を取り出そうしたので、慌てて自分の端末をポケットから出して、ソークン先生が選んだのを撮らせてもらった。これをあとでカンダさんに見せれば話が早いじゃないか。

「もういいかな」

「はい、ありがとうございます」

「カンダさんによろしく」

 ソークン先生に言われて、はい、とぼくは返事をした。これでこの屋敷から抜け出せる。どうにもここは居心地が悪い。ソークン先生は貸した本を使用人さんに渡して、軽くぼくに手を振ると、パーティへと戻っていった。よし、仕事は終わった。ぼくらの世界へ帰ろう。恋川さんと夕食でも食べようかな。仕事が見つかったお礼もしたいし。駅前にいい店はあるだろうか。

「じゃあ行きますか」

 とぼくが言うと、恋川さんが、

「あ、ごめんわたし残るね」

「え」

「じゃ、カンダさんによろしく」

「あ、はい」

 恋川さんはスタスタとパーティの輪へと歩いていった。ソークン先生は彼女に気づくと、嬉しそうにして、ウェイターに何か注文をした。すぐにカクテルグラスが運ばれてきて、恋川さんをそれを受け取って、他の連中と乾杯した。それで恋川さんの登場に気づいた高級そうな男たちがわらわらと集まってきて、ぼくから恋川さんは見えなくなってしまった。


「もうよろしければご案内しますよ」

 メイドのおばさんが話しかけてきた。出入り業者のぼくは、

「はい、もう帰ります」

 と答え、屋敷を後にした。それきり恋川さんとは会っていない。


〈続く〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る