3-4 貸本屋のお仕事

 少しだけだがラッシュの時間を過ぎたあたりになると、地下鉄の下り線は急に乗車率が下がる。ガラガラだったり座れたりということまではないが、この大荷物でもあからさまに嫌な顔をされたり、咳払いをされることは少ない。逆方向のホームはまだ混んでいるが、こちら側はもうまばらになっていた。ここまでは想定通り。だいぶ慣れてきたと自分でも思う。

 三ヶ月前は結構悲惨な状況だった。所要時間をあまり計算せずに訪問時間を取り決めたりしたために、満員電車に突撃せざるを得なくなったり、遅刻してクレームをもらうなどのトラブルに苛まれた。ほうほうの体でたどり着いたぼくを見たお客さんは同情的になってくれはしたが、仕事は仕事。きちんとせねばならない。


 ウルザード・オンラインで騎士ライブラ・イグサタケシに相談したところ、少し待てと言い、三日後に「コンドル・イベイダーβ」という試作のスマホアプリを送ってきた。詳しい仕組みは言えないということだが、リアルタイムで電車の混雑状況がビジュアル的なUIで示されるというアプリだった。つまり、今いるところへ向かってくる電車の乗車率がだいたわかるというものだ。それが次のものだけでなく、運行中の任意の列車の状況がそれぞれ表示されるという極めて便利なものだったので、非常に助かった。イグサの説明では、同時にリアルタイムで把握し続けるのはムリだが、ぼくが任意の列車を指定してデータを取得するぐらいならトラフィック的にも大丈夫だろうとのことだった。端的に言うと自社アプリにピンを飛ばして取得している所在地のビッグデータをどうのこうの、と言っていたが、端的に言われてもぼくにはさっぱりだ。あいまいな返事だけ返しておいた。とにかく使えればそれでいい。

「コンドル・イベイダーβ」にリクエストを送ると、そのホームに次に来る電車がどのぐらい混んでいるのかが、ざっくりしたマップで表示される。多少の誤差はあるにしても、だいたい空いている車両があらかじめわかるので、そこへ移動しておけば無理なく電車に乗り込むことができた。本屋仲間にも教えてやりたかったが、それはイグサに厳禁とされたので内緒にした。ただ、一緒に行動するときはこっそり確認して、「次の電車にしよう」などと言うことはあった。不思議そうな顔をする相手には、「寺田寅彦の法則」だと説明しておいた。一週間ほどあちこち回っていると、電車の様子がわかってきて、どうにかパンパンの満員電車には乗り合わせなくて済むようになった。


 貸本屋の荷物は重い。重くてデカイ。一箇所の階段ならどうにか登れるが、一日中上ったり下りたりしていると、午後にはバテてしまう。エレベーターやエスカレーターはなるべく利用して、体力を温存する必要がある。イグサに相談したら、「東京全駅バリアフリー・ガイド」というアプリを送ってくれた。これは一般には公開されておらず、駅のメンテナンスを行う業者が外注して作ったものの横流し品だということだった。もちろんこれも本屋仲間には内緒だ。エスカレーターなどの場所だけでなく、二地点を指定すると、最も高低差の少ないルートや、距離の少ないルートを表示してくれるというスグレモノだった。駅の構内でしか使えないが、ありがたい。これを使うようになって半月ぐらいで、だいぶ夕方の疲労度が変わってきた。仕事に慣れてきたということもあるかもしれないが、これらのアプリの効果も大いにあるだろう。イグサに礼を言ったら、ぼくがモニターになって利用データの収集もしているということで、逆に礼を言われた。それでさらに快適になるのなら願ったりかなったりだ。リクエストはないかというので、駅構内以外の場所でも使えるようにならないかと頼んでおいた。イグサは、調査データのない場所は難しいかなぁと悩んでいたが、先週になって、うまい対策が見つかったので今度試してくれとメールが来ていた。いまさら遅いかなとも思ったが、よかれと思ってのことなので、素直に感謝しておいた。明日あたりイグサのところへ行ってみよう。


 地下鉄を乗り継ぎ、目的の駅へ到着する。地上出口に出たところで、スマホのマップアプリを確認する。今まで行った客先はすべて登録してあるので、二度目以降は無駄なくたどり着くことができる。十件めまでは記憶に頼ることができたが、それを越してくると完全には覚えきれない。初期のころは、近所をうろうろ探し回ったところが、思っていた建物とまったく違う外観だったり、お客さんのいる階をすっかり忘れたり間違えたりを繰り返して、ムダに体力を消耗することもあった。カンダさんと相談してこまめにマップ登録して、詳細をメモするようにしたらスムーズに訪問できるようになった。その頃には今と同じように指定マップではなく、客先をリストで運用るすようになった。だいたいの仕事は慣れた頃に終わる。ようやくスムーズにこなせるようになったのに、もったいないなと思ったが、元々ピンチヒッターだ。仕方がない。


 カンダさんに飲みに誘われて、今後のことを聞かれたことがある。

「俺が復帰したら、お前さんはどうする?」

「ああ、そうですね。まだ何も考えてはいませんでしたけど」

 カンダさんと駅の階段で出会ったときのことを思い出した。そもそもぼくはすぐにでもバイト情報誌を読み漁るか、ハローワークにと飛び込んで他の職を探すつもりだった。運良くカンダさんの代役に拾ってもらったので、すぐには職探しをしなくて済んだが、それは執行猶予のようなものだ。

 ぼくは、新卒で入社した会社を三ヶ月で辞め、しばらくプラプラしてる時に再開したイグサとIT関連の事業を起こそうと画策したものの、途中でなけなしの貯金が底をついてそのベンチャーを離脱し、いくつか面接で落ちてからイズミヤ書店にアルバイトとして雇われていた。短期ばかりの職歴に特技も真っ白のズタボロの履歴書だ。こんなハンパな学歴、ハンパな職歴ではこのご時世いろいろ厳しい。少しでも盛るために、貸本屋シロクのことも書いたほうがいいのか、伏せたほうがいいのか迷っていた。ただでさえしょうもないのに、三ヶ月の職歴を付け加えたところで結局しょうもない気がした。いや、三ヶ月もニートしてたと思われるよりはマシだろうか。一応書いておくかな。でも、貸本屋とか言ったところで、この業界を知らない人に伝わるのだろうか。


 客先のマンションに着いた。ここはエレベーターがある。

 ここの客は、今日の客の中でも、ぼくにとって最も重要な客である。七階でエレベーターを下り、回廊をぐるっと回って目的の部屋へ行く。チャイムを鳴らすと、すぐに返事があった。

『はい』

「シロクです」

『ああ、入んな。ドアは開いてる』

 ぼくは重い鉄の扉をギイと鳴らして玄関に入り、いつものようにスリッパに履き替えると、奥へと進んだ。

「おはようございます」

「ご苦労さん。座ってくれ」

 ソウザ氏が、応接用のソファにぼくをうながした。背中の荷物を降ろして腰掛けた。カバーを剥がして、一番ケースを開けるようにした。今日は裏里見八犬伝の最終巻を届けるためにやってきたのだ。

 ソウザ氏が、デスクの袖机から本をくるんだ帙の入ったプラケースを取り出した。読み終えたそれと、こちらの本を交換したらここでの仕事は完了だ。来週引き取りに来れば、このお客さんはぼくと同時に貸本屋シロクを卒業することになる。

「拝見します」

 ソウザ氏から受け取った本をプラケースと帙から取り出して確認する。ぼくがみてもわからないので、スマホのカメラで裏表を撮影する。取った画像はカンダさんとイグサが共同で開発を進めている、古典籍チェッカーのサーバーに送られて、簡易的な損傷チェックが行われる。貸す前の状態と比較して、破損箇所が増えたりしていないかを自動的に確認するためのものだ。当初は今ひとつだった精度も、二ヶ月の試用と開発でだいぶよいものになってきたと、カンダさんは喜んでいた。うまく完成にこぎつけたら理事会で導入を検討するのだと話しているのを聞いた。

「異常はないようですね」

「ああ、ありがとう」

「では、こちらが最終巻です」

「来週までで頼む」

「はい、登録しておきます」

 ソウザ氏はプラケースを受け取ると、すぐに中身を取り出して本を開いた。

「わかりそうですか?」

「まだ、わからない」

「そうですか」

 やはり、太閤埋蔵金は、そうやすやすとは見つからないようだ。


〈続く〉

 

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