3-3 四つの古ビルとトリイハニー
貸本屋「シロク」は青龍館の二階にある。
青龍館は、本屋横丁を構成する四つのビルのうちの東側にある建物だ。北東側が北側の玄武館、南東側は南側の朱雀館に接続されている。西側にある白虎館とはつながっていない。東西南北の建物はそれぞれがL字型をしていて、周辺の大型ビルにへばりつくように建てられていた。いや、むしろ元はこのぐらいのビルが連なっていたのだろうが、周りの開発が進むにつれて、この一角だけ取り残されたということなのだろう。トモエさんもバブル期の地上げブームでは、地上げ屋の嫌がらせが横行して大変だったと言っていた。その頃廃業に追い込まれた貸本屋も少なくないようだ。シロクのような外商型の貸本屋は、日中留守しているだけまだマシだったが、在店型の貸本屋や古書店には毎日のようにガラの悪い連中が押しかけて、辟易していたらしい。嫌がらせはされたものの、元来本屋というものはふてぶてしい連中が多い(トモエ談)らしく、のらりくらりとしていたらいつの間にか地上げ屋もいなくなり、取り囲むように大型ビルの建設が始まった。それらができあがる頃にはバブルは終焉を迎え、それでこの本屋横丁はビルの谷間にすっぽり埋められてしまったというわけだ。
シロクは青龍館の北東の端にある。一階へ降りるとすぐに丑寅門があるのだが、このゲートは昔から封鎖されているらしく、そこからは出られない。風水だか方位学の関係でそうなっているのか、単に出口の向こう側がビルになってしまったからなのかそれはわからない。ここから玄武館と青龍館の間を抜けてセンターの十字路から他の三つのゲートに出るしかない。今日は浅草線を使うので戌亥門へ向かう。
一階には古書店が多い。元は店番号と店舗の番が一致していたらしいが、一階にあった外商型の貸本屋が高値で店舗軒を譲り渡して上層階へ移転するケースがあって、今では必ずしも一致しているわけではない。三番のはずの「マルサン」ムロマチさんや十五番「苺堂」のスダさんが二階に店を構えているのかなと思ったら、そういう理由なのだそうだ。とはいえ、荷物の担ぎ入れは一階のほうが楽なのだから(本屋横丁にはエレベーターはない!)、今でも一階に店を構えている貸本屋はある。もっともその場合は店舗売りも行っていて、誰か店番を置いているか、隣の本屋と連結して共同経営のようにしていることが多いようだった。店の大きさにいまひとつ統一感がないなと思っていたので、トモエさんに聞いたらそんな事情を教えてくれた。
そんなわけで一階には古書店が多い。新刊書店も一店舗だけあったが、一昨年閉店してしまったらしい。今は空き店舗になっていた。少しエロ系の本を多めに取り扱っているややマニア向けの書店だったのだが、例のホワイトボックス法のあおりを受けてついに営業を断念したのだと、長髪マッチョのスエヒロさんが教えてくれた。シャッターの奥にまだお宝が眠っているのだと言っていたが、それをカンダさんに話したらとっくに中身は処分されて空っぽになっているということだった。夢を壊してはいけないのでスエヒロさんには黙っておこう。
その他の店はだいたい、古典籍を扱う古書店だ。古典籍とはざっくりいうと明治や江戸以前の古本のことで、貸本をやめた老店主が半数いたが、中には他所から入ってきた新参書店もあり、神保町の大手古書店の支店もある。神保町の店のはおそらく、買い付け用の拠点だろう。あまり品揃えはよくなく、逆に買取用の大きな窓口がある。実際、貸本屋でも取引先に頼まれた古書の山を、そこで処分することもある。古典籍以外もまとめて引き取ってくれるので、重宝するのだ。
本屋横丁に入ってる本屋はライバル同士でもあるのだが、それぞれが微妙に取り扱う種類や客層がちがうために、なんとなく持ちつ持たれつで生きながらえてきたのだそうだ。実際、自分のところの在庫を読み切ってしまった客を他の貸本屋に紹介することもあるし、連番で抜けているところを融通してもらったりということも珍しくはなかった。
カンダさんの店に入って三ヶ月。いろいろなことを学ばせてもらって、結構楽しかったのだ。荷物は重いけれど。あれから結構筋力もついてきたし、担ぎ方もうまくなったし、荷さばきも取り回しも慣れてきて、仕事もずいぶん楽になった。内容は変わらないけれど、まったく苦には感じなくなってきていたのだ。ただ、唯一気分的に重くのしかかってくるのは、あと一週間ほどでこの仕事から解放されてしまうということだった。カンダさんの腰痛はもうだいぶいいようだし、そろそろカンダさん本人が復帰しないと営業的にジリ貧になってしまうことも気がかりだったから、ぼくがこのままシロクに居続けることはできないと理解していた。
少し前からぼちぼち求人情報など探ってみたが、この本屋横丁には新参者を雇ってくれるようなゆとりのある店はないようだった。トモエさんの店だって、あんなに客がいないのじゃ経営は苦しいだろう。それにぼくを雇えるようならバイト代を巻き上げてまで講釈してくれるなんてことはないはずだ。あれはあの人なりの苦肉の策だと、ぼくは思っていた。空き店舗で商売をはじめてみようとも思って、賃料なんかもムロマチさんにそれとなく聞いてみたけど、来週から無職で貯金もたかが知れている若造のぼくにどうにかなるケタではなかった。名残惜しいけれど、ここからは離れることになるだろう。
戌亥門ゲートの手前に少し人だかりがあった。スダさんがいたのであいさつをすると、いつもの笑顔で手を挙げてくれた。
「ようタツヤちゃん、今日は何件?」
「あ、ええと五件ですね。……なんかあったんですか?」
「いや、新しい店が入るとかで下見に来てるんだそうだ」
「へえ」
「美人さんがきてるとかってんで野次馬がな」
「あ、そういう?」
タツヤも人のスキマからのぞき込んでみた。理事長のムロマチさんと、スーツ姿の何人か(たぶん不動産屋かその辺)と、客みたいな態度のスーツ姿の中に、女性がいた。というか知ってる女性がいた。
「あれ?」
「知ってる人?」
「あ、前の職場にいた人なんですが、似てるだけかな」
「どいつが?」
「あの女の人」
それが聞こえたのか、客のような女がこちらに振り返った。じっとぼくのほうを見ている。確かに元バイトリーダーに似ているが、当時とは雰囲気がだいぶ違うので、似てるだけとも言える。自分から声をかける気にはならなかった。女はこちらをのぞき込むようにしてメガネを直したりした。
「……ミエダ?」
「え、あ、はい」
「おー、生きてた?」
元バイトリーダーのハニーさんが近寄ってきた。似てるだけでなくトリイ・ハニーさん本人で間違いないようだ。
「まあ、辛うじて」ぼくは、運よくこのバイトにありつけたのでどうにか食いつなげたわけである。
「トリイさんは?」まあスーツ姿でここに来てるわけで、職にあぶれたりはしてないわけだろうがけれど。書店員のエプロン姿しか知らない俺にとっては、新鮮そのものだった。
「わたしは就職したよ」
「書店ですか?」
「まあそんなところだ。ミエダはここで何してる?」
「ぼくはアルバイトで」背中の屋号を見せた。
「貸本屋か」
「そうです」来週で終わりですけどね。
奥の方でトリイさんを呼ぶ声がした。トリイさんは返事をして、じゃ、またなとぼくに言い残してそちらへ戻った。
「なんだタツヤちゃん、スミにおけないじゃない」
スダさんが冷やかしてきた。
「いや、とくにそういう関係では……」単に同じバイト先にいたというだけだ。憧れの存在という感情はあったが、とくに浮いた話などはなかった。シフトもそんなに合わなかった気がする。それが巡り巡ってこんなところで出会うとは、世間が狭いのか、ぼくらが運命に導かれているのか、不思議なものだ。
「んじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
スダさんの見送りで、ぼくは戌亥門ゲートのガラスドアを押して出撃した。
〈続く〉
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