3-2 本屋横丁の人々

 カンダさんの貸本屋「シロク」の倉庫兼事務所兼店舗のある本屋横丁は、四つの建物が連結されてできている。外側から見ると一つの建物に見えなくもないが、十字に交わる私道に、一階から三階までをフロアごとに床を繋いで往来できるようにしてあるだけだ。上層階までつなぐ案もあったようだが、その頃戦後の出版景気が一段落してしまったため、計画だけで終わってしまったそうだ。

 三フロア一〇八軒の店舗の内、今でも貸本屋をやっているのは二十四軒だ。そのうち一軒は無期限休業状態。実稼働しているのは二十三軒ということになる。これらの貸本屋はそれぞれ番号がある。カンダさんの「シロク」やムロマチさんの「マルサン」も店番号からつけられた屋号だ。


 たとえば、ちょっとマッチョな白髪巨漢のマツナガさんが経営する「苺堂」は店番号が十五番だ。一五でイチゴということだと思われる。全般にそういう語呂合わせが多い。苺堂は「赤本」の専門店だ。

「赤本」と言っても、あの受験生必携の大学入試過去問集のこと、ではない。江戸期に刊行された草紙本のうち、子ども向けに出版されていたもののことだ。童話や絵解き本などが多く、表紙が赤い紙で作られていたことでこう呼ばれるようになった。とマツナガさんから聞いた。ここは江戸期だけでなく、明治から大正、昭和初期の絵本や紙芝居なども取り扱っている。月イチで古い紙芝居を子どもたちに見せるという活動もしているんだとか。なんだか楽しそうだ。店のあちこちにイチゴをあしらった意匠が施されていて、格闘マンガの達人みたいな風貌のマツナガさんとはチグハグだが、当人はとても物腰が柔らかいので、意外にハートは乙女なのかもしれない。


 店番号十八番のスダさんの店は「ボックス・アプロックス」という屋号になっている。昔は「おはこや」としていたらしいが、戦後、今のご主人に代替わりしたときにこの「ハイカラ」(店主談)な店名にしたそうだ。ここは戯曲の専門店で、各種演劇、ミュージカル、ドラマなどの台本を多く取り扱っている。だが、元々は歌舞伎台本の専門業者として創業された店だ。江戸の頃は、上演が終わった後に契約を打ち切られた端役が小金稼ぎに台本を売りに来たり、人気役者のものとされる台本が高値で取引されたりとそれなりの需要があったらしい。数は少ないが能の謡本も、相当年季の入ったものが店の奥のショーケースに収められていた。値段は怖くて聞けない。博物館行きの代物なんじゃないだろうか。テレビドラマの台本は、俳優・女優の書き込みがされたものなんかも取り扱っていて、ぼくでも知ってる元アイドルの名前が添えられた台本が、ちょっとしたコレクター価格で置かれていた。あまり数が多くないのは、一度入手したファンはまず手放さないためにめったに市場には出回らないからだという。ちなみに「ボックス・アプロックス」は改名当時上演された演劇のタイトルから拝借したとスダさんは言っていた。ここは貸本はほとんどやっていないので、スダさんはだいたい横丁にいることが多い。カンダさんの店にヒマつぶしに来ていることが多いので、ぼくが昔話を聞いていたのだ。


 スエヒロさんの「栃面屋」の店番号は二十九だ。主な取扱いは十返舎一九の草紙本ばかりなのだが、十返舎の十と一九(十九)を足して二十九だと言っていた。店番が先なのか、取扱いが先なのか定かではない。スエヒロさんはまだ三十代と若い。創業者直系だった先々代店主のひ孫だか玄孫だそうで、先代のトグロさん(故人)が探し出してあとを継がせたのだそうだ。まだ造詣が浅く必死で勉強しているとスエヒロさん本人は言っていた。ぼくと歳が近いので、いろいろ親身になって教えてくれるいい先輩だ。


 親身になってくれるといえば、横丁の最長老、店番号六九「巴屋」のトモエさんだ。いつもぼくを「カンダさん、あんちゃん借りるよ」と言っては連れ出し、少しだけ店の手伝いをさせてから、「あゝ疲れた。一杯行くかね」と言っては晩酌に付き合わせるのだ。手伝いのときには「お駄賃やろう」と言って金をくれるのだが、晩酌のときに春画本(艶本)の講釈を語ったあと、「勉強料は払わんと身につかんよ」と言っては取り上げる。ぼくとしては春画の知識は欲しいから、バーターで全然かまわないのだけど、どうやらトモエさんはぼくとそういうやり取りがしたいらしい。ちなみにいまだにこの人が爺さんなのか婆さんなのかわからない。トモエというのが名字なのか名前なのかもわからない。ひょっとすると本名ではなく、屋号を名乗っているだけなのかもしれない。とはいえ、トモエさんのおかげで、それなりに春画のウンチクが語れるようにはなってきたのだ。シロクが忙しい時でもカンダさんがトモエさんの要求を突っぱねたことは一度もないので、ひょっとしたらカンダさんが頼んでくれたのかもしれない。


 しかし、本屋横丁の人々はそういう気のいい人ばかりでもない。


 店番号七十番「もののふ」のモトイシさんは、うちのカンダさんと同世代で、組合の次期理事長の座を狙っているらしく、カンダさんにライバル心むき出しだ。ぼくにもちょくちょく絡んでくる。カンダさんの見立てでは、こないだ腰をやったときにガッツポーズしていたらしいので、このままシロクが傾いて廃業になればやすやすと理事長になれるという算盤を弾いていたところへぼくが現れたために、その野望が遠のいた、だから八つ当たりをしているのだろうとのことだった。当のカンダさんは理事長などまっぴらごめんだと常日頃言っているので、ぼくにとってはとんだとばっちりだった。現理事長のムロマチさんは方針ではカンダさんと対立しているので、いつもバチバチやりあっているけど、実務上は信頼はしているのでなにかとカンダさんに仕事を振ってくる。逆にモトイシさんとは少し距離を置いているようなので、それがまたモトイシさんの対抗心に油を注いでいるのだろう。ムロマチさん曰く「モトイシは仕切りたいだけ」だと言っていた。

 モトイシさんの「もののふ」はいわゆる「物の本」が専門である。「物の本」とは江戸期に発刊されていたお固い学問書のことだ。モトイシさんは医学生時代に、江戸期の医療の歴史に惚れ込んでそのまま医大を中退し、文学部に入り直して書誌学を学んでこの世界に飛び込んだ変わり種らしい。「もののふ」は先代までは伝奇物や武芸書を中心に扱っていたのだが、モトイシさんの代になってからは医学書が中心となって、今ではすっかり医学書博物館のようになっていた。独自のデータベースは厚労省からも問い合わせがあるほどで、その筋では一目置かれているということだった。ただ、本屋横丁の移転を強く主張するなど、理事会では少々煙たがられているらしい。

 移転派には五十一番「磯和」のホリドメさん、六十三番「ロクサン」のコアミさん、八十三番「左文吾」のニシキさんらもいた。仕事をはじめてから、どうもぼくに愛想の悪い人たちがいるなあと思っていたら、どうやらそういうことのようだ。カンダ派はみな敵だということなのだろう。


 二十四軒の貸本屋のうち、休んでいる一軒が「conifer」だ。読み方はコニファーだろうか。看板にはそう書かれていた。店番号は九十九番。シャッターはないが、ガラス戸の向こうにレースのカーテンが引かれていて、中はよく見えない。ただ、なんとなく本が大量に積まれていることはわかった。休んではいるのだが、溜まっている郵便物がたまになくなっているので、誰かが管理はしているのだろう。


 他の貸本屋の紹介もしたいところだが、カンダさんの支度が終わったようなのでもう出発しなければならない。ぼくはケースを積み上げてゴムバンドで結束し、背負子にくくりつけて、屋号のついたカバーをかぶせた。がっと持ち上げて体を潜り込ませるようにして背負い上げる。コツはだいぶわかってきた。カンダさんからルートのリストを受け取る。今日は五件のようだ。その中に初めて行くところが一件あった。住所は添えられているので問題ない。

「じゃあ、行ってきます」

「よろしくな。新しいとこわかんなかったら電話くれ」

「わかりました」

 ぼくは店を出て、本屋横丁の通路に踏み出した。


〈続く〉


 

 

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