SECRETary
じゃが
SECRETary
僕の一日は、日が昇ると同時に始まる。速やかに身支度を整え、隣の部屋のドアをノックもせずに開ける。
ノックしたところでどうせ聞いちゃいないのだ。
「――先生ぇーっ、おはようございます!」
「……おはよう、ございま……す……すぅ……」
ベッドの上で体を起こしたはいいものの、先生は放っておいたらそのまままた寝てしまいそうだ。
「先生! 寝ないでくださいよ! ほら朝ですよ朝!」
勢い良く部屋のカーテンを開ける。気持ちのいい陽光が差し込んでいる。
その光は先生を直撃し、先生は歳の割に可愛らしい顔立ちを、眩しそうに歪めた。
「ん……」
「ほら、起きて着替えてください! 僕は下で準備してきますから」
そう言い置いて、部屋を後にする。さあ朝食の支度をしなくては。炊事場に向かい、水を汲んで石の上に置く。石に刻まれた火の紋章を手で撫でながら短い呪文を唱えると、紋章が赤く発光し始めた。これで、しばらく待てばお湯が湧く。
その前にパンを準備して、それから、それから――。
慌ただしく支度をしていると、先生が食堂に現れた。先ほどとは別人のように、しっかりした足取りだ。
「あら、おはよう、タカ。今日も早くからありがとうね」
「いえ、これも仕事ですから」
先生は僕が起こしに行った時のことなど全く覚えていない。毎朝のことなので、僕ももうなにも言わない。
食卓の支度を整え、僕も先生と向い合って座る。寝ぼけて唸っていたのと同じ人物とは思えない、力強い瞳と穏やかな表情を持つ彼女は、嬉しそうににっこりと笑った。
「いただきます」
※
「――さて、今日の私の予定は何かあったかしら。お家でお昼寝してもいいのかしら?」
「今日は午前中に王宮で軍略会議に呼ばれています。新魔法に関する中間報告の日ですよ。それから午後は魔導院で講義があります」
「あらら、タカったら今日は忙しいのね」
「僕じゃありません、先生の予定です!」
先生はいつもこんな調子だ。
予定を覚えていたことなど一度もない。だから僕が彼女の予定を全部覚えて、その都度伝えている。そのくせ、真顔のままで呑気に昼寝がしたいだの何だのと言うのだ。
「王宮まで行くから、今日はもうすぐ家を出ないといけないですね。先生、支度していてください。僕は流しを片付けます」
「もう? 今、朝ごはんを食べたばかりなのに」
「いつも行く魔導院はここから近いですけど、王宮は街の反対側です。いつもより時間がかかるんですよ」
不服そうに口をとがらせる先生を自室に追いやる。まったく、いい年して。
流しを片付けていると、瓶にためてある水の残りが心もとないことに気づいた。あとで汲んでおかないと。それから先生が用事を済ませている間にパンを買って、あと野菜も買わないといけない。貯蔵庫の中身は全て頭に入っている。
行動予定を頭のなかに組み上げながら、自室に戻って上着を羽織る。そしてすぐに部屋を出て、隣の部屋の戸を叩く。
「先生、準備出来てますか?」
すぐに扉が開き、先生が出てくる。外出できる用意はしているようだが、手には何も持っていない。
「ええ、出かけられるわ」
「それじゃあ行きましょう。……報告書と文献、どこにありますか?」
「さあ、どこにやったかしら」
「……大方机の上の何処かですね。失礼します」
ずかずかと部屋の中に入り、床に散らばった衣類や
「今日持っていく本のタイトルと、報告書のタイトルは?」
「『空間魔法大全』と『呪文学』と、『時間干渉魔法に関する中間報告』よ」
こういうことは覚えられるんだけどなあ、この人。背表紙を目で走査し、目的のタイトルを探す。
「……ありました。よっ、と」
水平に本を引き抜き、それから広げられた論文を退かして下敷きになっていた報告書を取り上げる。
報告書は先生に渡し、本は二冊とも僕が抱える。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい、先生」
町外れにぽつんと建つこの家から、魔導院を通り過ぎ広場を渡り、王宮へ。衛兵はもう顔馴染みだ。
「おはようございます、先生。タカ、いつもご苦労さん」
「おはようございます。衛兵さんも、お疲れ様です」
そんな挨拶を交わしながら、王宮の議事堂区域に入る。
この建物には会議場が7つある。当然、そのすべての場所を僕は覚えている。そしてこれまた当然、先生は一番使う第二会議場の場所も、たぶん覚えていない。
「……つきました。もうすぐ始まるはずです」
「ありがとう、タカ」
「午後の講義で使う本のタイトルは?」
「『四大属性と呪文』をお願い」
「わかりました。僕は一度帰るので、会議が終わったらこの辺りで待っていてください」
会議場へ入る先生を見送る。後ろ姿は凛々しく、本当に、家での様子とは大違いだ。
「……さて、帰ろう」
僕は僕で、やることは山積みだ。行動予定を頭のなかで反芻しながら、急ぎ足で王宮を出た。
※
市で買い物をして帰り、水を汲み、洗濯をして――もちろん先生の部屋の衣類も回収した――そろそろ日が高く登る頃だ。昼を告げる鐘が鳴る前に、また王宮へ向かわないと。
世話のやける人だ。だがそれが僕の仕事だから。それに自分で自分にあっている仕事だと思うし、だからこそ続けられている。
出かける前に、
「四大属性と……呪文、だっけか」
今朝と同じ本の山からその名を探す。魔道書はどれも分厚くて、一冊一冊が石みたいに重い。慎重に探していくと――
「あった。またこんな下に埋まってるのか……」
せえの、と声をかけながら、いつもの様に本を引っ張る。
しかし、いつものようにはいかなかった。
ほとんど一番下の方に積まれていた故か、本の山は一気に、崩れ落ちた。
「うわわわわわーっ!」
壮絶な音を立てて本が倒れてきて、僕は下敷きにこそならなかったが、何冊か足の上に落ちてきた。痛い。
「いって……なんでこんな日に限って、こうなるんだ……ん?」
分厚く、固い表紙に包まれた魔道書に混じって、一冊だけ、薄っぺらい本がある。論文だろうかと思ったが、表紙には何も書かれていない。
「なんだこの、薄い本……」
拾い上げてみる。開くと、それは論文ですらなかった。どうやら小説だ。だが先生の字ではない。そもそもあの人が小説を書けるとは思えない。
「へえ……先生、こんなものも読むのか」
もう3年以上ここで働いているが、これは初めて知った。そして興味が湧いて、ぱらぱらとめくっていく。どうも挿絵が付いているようだ。絵を見ればすぐに内容がわかるかもしれないと思って、とりあえずそのページを開く。そして、思考が停止した。
「……先生、こんなものも、読む、のか……」
先ほどと同じ言葉を繰り返すことしかできない。
若い男性2人が抱き合い、頬を赤らめているその絵は、僕にはちょっと、その、早すぎたというか、刺激が強かった。
そしてなんでこの男たちはハダカなんだ……。
思考も動作も停止することしばし。不意に外から、鐘の音が聞こえてきて、僕はようやく我に返った。
「あっ、やばい、行かないと……」
手に持ったままの薄い本を、机の上に置く。そしてその上に、元のように分厚い魔道書たちを積み上げていく。
目当ての一冊だけを手に持ち、僕はダッシュで家を出た。
世の中、知らないほうがいいことがあるのだ。僕はまた一つ、大人になりました、先生。
SECRETary じゃが @potato_man_02
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