「即興」1 月と小悪党

 月が出ていた。


 夜中のパーキングエリアは人の姿もなく、端っこの方ではトラックの運ちゃんがベンチを寝台にしていびきをかいていた。

 俺は自動販売機でカップ麺を買い、反対側のベンチでそいつを啜り始める。

 休憩所は壁一面がガラス張りで、外が丸見えになっていた。

 パーキングはまだ新しくて、地面のタールは黒々として、まるで大きな沼みたいだ。

 オレンジの街燈がポツポツと駐車された群れを照らしていた。


 広々と、閑散とした駐車場には大型トラックが数台と、ワゴンが数台停まっていて、そのうちの黒いワゴンが俺の車だ。

 月がまんまるで煌々と白く輝いていた。


 夜食を食ったらワゴンに戻って、再び仕事の続きだ。春になったってのに、まだ気候は安定しなくて今夜はちょっと肌寒い。車内灯を消して、手許でケータイを操作した。真っ暗闇が好都合だ。


 ケータイは飛ばしが利く専門業者から買い付けたもので、ちょいと割高だ。

 リストに挟んだ栞の場所を開いて、飯の前の作業に戻る。電話帳から無作為に、いや、ちょっとした経験則に従って名前を選び、電話を掛ける。

 少しのあいだ、呼び出し音が鳴っていた。


『もしもし、』

「あ、もしもし、オレだよ、オレ、」


 今どきこの手法に引っ掛かるお年寄りってのも少なくなっちまった。


『浩二かい? あらあら、珍しい。元気だった? 今度はいつ帰れるの?』

「あ、えーと。」


 チラリと電話帳を確認したら、住所は北海道だった。


「ごめん、ちょっと金なくてさ、帰れないんだ。事故起こしちゃって、それで相手がヤクザでさ、全部持っていかれちゃったんだよ。それでまだ足りなくって、なんとかしないといけないんだけど、貸してくれないかなぁ、おばあちゃん。」


 あんまり長い会話をしたら別人だってバレちまうんだけど。

 多少のリスクは仕方ない。


「すぐに10万、送ってほしいんだけど、ダメ?」

『10万円かい? そんなこと言われてもねぇ……、』


 場所的に、タンス預金あたりを狙ってみた。10万くらいなら持ってるだろう。北海道じゃあ都心のようにお財布代わりに銀行利用ってわけにはいかないはずだもんな。


「ダメ? 今、幾らある? あるだけでもいいんだ、送って貰えない? 頼むよ、おばあちゃん、」

『今は、ええとね……、8万円ならあるよ。』

「それでいいよ! 助かるよ、後はなんとか工面するから、それすぐに送ってよ!」


 やった、引っ掛かった。


『けどねぇ、どうやって送ったらいいかねぇ? おばあちゃん、よく解からないんだけど。』

「コンビニで送金とか出来るんだよ、ばあちゃん。俺、今、外から掛けてんだよ、ほら、聞こえるでしょ? 車のエンジン音とか。だからさ、悪いけどコンビニ行って送ってくれない? 先方の振込番号を教えるからさ。それと、ヤーさんだからさ、警察は勘弁してくれよな?」


 銀行に行かせるのは拙い。最近はどこのATMにもご丁寧な張り紙がしてあるし、不審な老人には速攻で銀行員が張り付いて警察に通報させやがるからな。

 コンビニはその点、まだ安全だ。バイトはそこまで親切じゃないし、老人の振込依頼なんて珍しいとも不審とも思わない鈍感が多い。


『ヤクザなんて……。お前、いったい何をしたんだい?』

「ちょっと相手の車に自転車のペダルでこすっちゃったんだよ、ちょっと傷が付いただけなんだけど、なんせヤクザだろ? 警察とか行って逆恨みされてもさ、だから頼むよ、ばーちゃん。」


『こんな夜中に開いてる店があるかねぇ……。』

「コンビニは24時間営業だよ、ばあちゃん!」


 つべこべ言わずに出かけようよ、ばあちゃん!

 コンビニなんてちょっとご近所へお散歩する程度だろ、8万持って、店員に操作方法聞いたら振り込んで、そんでアンタの仕事は終了だよ!

 あとは俺が仲間に電話して、入金の確認して、通帳飛ばして、おしまいっ!


「いいから、ばーちゃん。メモある? メモ。振込番号わかんねーと、入金出来ないからさ。」

『メモかい? ちょっと待っておくれ。……ああ、浩二。お前さぁ、今度なにを食べたい? 送ってあげるよ。おばあちゃん、浩二の好きだったものを忘れちゃってねぇ、たしかトウモロコシは好きだったよねぇ?』


 トウモロコシ。

 そういや、相手のばーさん、北海道だっけ。高校の修学旅行でしか行ったことねーわ。

 3月って、向こうはまだ雪とか積もってんのかな。

 世帯主の名前、ハツなんて昭和初期とか明治な名前だから、年寄りの一人暮らしってのがバレバレなんだよな。寒い北国で一人で住んでんのか。北海道ナンタラ市? この漢字、なんて読むんだ?


「トウモロコシ……は、えっと。そーいや俺、随分ばーちゃん家に行ってなかったりする?」

『そうだねぇ、もう10年くらいは顔を見てないねぇ。元気にしてるのかい? 妹のナオミはちゃんと学校に行ってるかねぇ?』

「どうかなぁ? あいつももう将来の事とか、しっかり考えていい年じゃねぇの? 大丈夫だよ、ばーちゃんが心配するほどでもないって。」


 やべぇ、やべぇ。

 ついつい要らんこと言ってヘタに会話しちまうとこだった。浩二の好きな食い物だとか、俺が知るわけねーって。まぁ、10年も会ってないなら嗜好が変わっても不思議じゃないから、なんとでも誤魔化せるけど。

 て、10年? ちょっと待て。10年も帰ってないヤツがなんで連絡してきたとか思うんだ?

 頻繁に連絡してきてるヤツなら拙いぞ、さっさと会話を打ち切らないと、バレる。


『どうしたんだい、浩二? だんまりになっちゃって。ああそうだ、ばあちゃんね、最近は畑仕事が辛くてねぇ、近所の田中さんに畑を貸しちゃったんだけど、もしばあちゃんが死んじゃったら、揉めないかどうか心配なんだよ。いっそ田中さんに売ってしまうほうがいいかねぇ。』

「え、そ、それは。」


 そんな事を俺に相談されましても。


『向こうはね、今なら言い値で買いますって言ってくれてるんだよ。けどねぇ、ご近所付き合いがあるしねぇ、そんな風に言われちゃ逆にねぇ……。』


 あざといな、田中!


「いやいや、ばーちゃん。それはさ、ちゃんとした弁護士さんとかさ、間に誰か入って貰わないとダメだよ、ばーちゃん。役所で相談してみたら? 相談窓口とかあるべ?」

『そうだよねぇ、俊夫に言っても売るな売るなの一点張りでねぇ。ああ、俊夫、お前のおとうちゃんだけど、あの子はまた帰る帰る言って、ぜんぜん帰ってこないねぇ。嘘なら言わなきゃいいのにねぇ。』


 俊夫はダメ親父だな。

 しかし、このばーさん、あちこちからカモられてんじゃね? ひょっとして。


『俊夫もね。帰って農業継いでくれるって、言うばっかりでね。自分のものになるんだから売るなとか言ってても、一度も畑を見に来ないんだよ。ばぁちゃん、いつまでも畑を守っていけるもんでもないんだけどね。』

「ご、ごめん、ばーちゃん。親父には俺から文句言っとくよ。」


 だからさ、そろそろ出かけてくれねーかな?


「ばーちゃん、あのさ、俺もそろそろ時間がキツいってか、電話代がさ、だからその、出掛けて貰えないかな? コンビニ。すぐでしょ。8万あったら助かるんだよ、この件が片付いたらちゃんとそっち帰るからさ、頼むよ、ばーちゃん。8万。」

『ああ、そうだったね。忘れてたよ。8万円ね。ちょっと待ってておくれ、取ってくるよ。』


 早めにお願いします。


 この時間帯が緊張だ。近頃の年寄りは侮れねぇ。電話で待たせといて、ケータイ使って警察に通報なんてハイテクな真似してくれやがる。だからこっちもこういう場所でお仕事しなくちゃいけない羽目に陥ってんだよな。

 警察は区割り捜査だから、県をまたぐと逃げ切れる。


 ああ、月が大きくて綺麗だ。


『もしもし、浩二?』

「あ、はい! ばーちゃん、金あった?」

『ばっちりあるよ。ほら、ひー、ふー、みー……』


 ばーちゃんのカウントはキッチリ8を数えて止まった。


「じゃあ、ヤクザが指定してきた振込番号を教えるからね。ええっと。」


 ヤクザ、の一言を強調して。

 こっちもメモした番号を読み上げた。

 よっしゃ、これで本日、俺の仕事は終了ですよ!

 あとは時間を置いて仲間に連絡するだけだ。もう面倒だし明日でいいべ。


 これが終わったら俺、家に帰ってゆっくり寝るんだ……。


『ところで浩二。コンビニまで4kmあるんだけどね、明日じゃ駄目なのかねぇ? ほら、田中さんに車で送ってもらうことになるだろうし。田中さん家まで1kmあるし。明日でいいかい?』

「あー……。うん。明日でいいよ……。あ! けど、くれぐれも警察には言わないでくれよな! 俺、殺されるかも知れないから!」

『はいはい。大丈夫だよ、じゃあ明日送っておくからね。おやすみ。』


 電話はばーちゃんの方から切られた。

 なんか、不安が。

 殺されるかも! なんて聞いたら、普通のお年寄りは腰抜かすんだけど。

 これは、もしかしたら、馬鹿されたかな。



 こもった空気を追い出すためにワゴン車の窓を全開にした。

 白くて大きな月が煌々と光ってんのが見えた。


 世知辛い世の中です。


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