「描写練習」2
(食堂入ってきて、食事して、食い終わりまで。)
市役所の食堂は地下にある。薄暗い陰気な階段を降りて角を曲がれば、まるで倉庫か何かだったような飾り気のない空間が現れる。両開きの扉は開け放たれており、年季の入った黄土色の壁にお勧めのメニューが貼り出されている。本日のランチは酢豚定食。メニュー表には他にも幾つかの料理名が並んでいた。
ここが人気なのは、ボリュームがある上に美味しいからだ。それでいて良心的な値段とくれば、市役所に努める職員以外にも利用する市民は多い。彼もそんな市民の一人であり、別にここに務めているわけではなかった。彼の職場は市役所の目と鼻の先、道路を隔てたすぐ向かいのビルだ。
ワンコインで腹がそこそこには満たせる貴重な場所、という事で彼はこの食堂を気に入っている。実際にはそれだけでなく、もう一つ、彼の気に入りポイントが存在していたが。
「いらっしゃいませー、」
薄暗い陰気な空気を吹き飛ばす、陽気な声が掛けられた。彼の順番はまだ三人ほど待たねばならないから、この言葉は別の誰かに掛けられたものだ。上着の中に虎を飼う中年の婦人がランチを注文していた。受け答えをしているのは、カウンターの中にいる白い割烹着のお姉さんで、愛くるしい笑顔を向けて客の要望に頷いていた。おばさんと次のおばさんは連れ合いらしく、二人同時にカウンターを離れる。その分だけ距離が縮んで、彼はそわそわと落ち着きを失くした。順番に一人ずつ片付いてくれないと、心の準備がおぼつかなかった。
「B定食を。」
下を向いたままで彼は答えた。ご注文はと聞く彼女の声は、天使の祝福を得た気分にさせてくれるのだが、その微笑みを真正面から受け止めるだけの勇気は彼になかった。はつらつとした声が奥のスタッフに復唱を伝え、彼女の気配は少し遠くなった。ちらりと盗み見たところでは、柔らかで小さな手がしゃもじを握ったところだった。
「ご飯は大盛りでよかったんですよね?」
「はい、大盛りです。」
さらりと交わされた言葉の中に福音があった。心臓が、一段階、高いところで鳴り始めた。嬉しさに小躍りしそうになりながら、彼は緩む口元を懸命に抑えた。
てきぱきと茶碗を用意し、定食の皿を四角いトレーへと並べる彼女は、それ以上の無駄口を叩いたりしない。けれど、たった一言の中に含まれた重大な意味だけで、彼は今日一日のあいだ幸福な気分でいられるだろうと思った。
「おまたせしました、」
笑顔の気配だけで満足し、彼はトレーを受け取ってカウンターを離れた。
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