第4話
「さあ、どうぞ。上がって」
創一は玄関の扉を押し開くと、アパートの自室に少女を通した。
「……お邪魔します」
少女はそう言うと、遠慮がちに玄関の扉をくぐる。
創一は通学先の学校から近い位置にあるアパートで一人暮らしをしている。部屋の大きさは一般的な一人暮らしの部屋に比べると、多少手広だ。玄関の扉を開けると、左手の一方にはトイレ、もう一方には脱衣場と浴室がある。正面の廊下はリビングに続いている。リビングの一角には簡易的なキッチンが設けられており、リビングの上部には、寝室となるロフトが付けられている。
「ちょっと待って。今、タオルを持ってくるから」
創一はリビングに入ると、タンスの中から適当なタオルを二本取り出して、靴脱ぎ場に佇む少女にタオルを手渡した。
「……ありがとう。気を遣わせてしまって悪いわね」
「いや、別にたいしたことじゃないから。それに、さっき助けて貰った恩もあるからね。気にしないで使って」
「……そう」
少女は報恩ということで納得したのか、濡れた髪の毛を拭い始めた。
「先にリビングに上がって、ソファーにでも座って寛(くつ)いでいてよ」
創一は濡れた髪の毛をわしゃわしゃと拭きながら、キッチンに向かった。コンロにヤカンを掛けて、お湯を沸かし始める。冷蔵庫にビニール袋から取り出したパンと牛乳、弁当を入れると、リビングにいる少女のもとへ向かった。
少女は部屋の中が物珍しいのか、部屋の中央に立って部屋の間取りや家具を眺めている。
「何か可笑しなところでもある?」
「あ、いえ……。学生が一人暮らしをするにしては、結構広めな部屋だなって。ロフトの付いている部屋なんて初めて見たわ」
「ああ、それはね……」
創一は部屋の隅に置かれた勉強机の方からキャスター付きの椅子を引っ張って来て、そこに腰を下ろした。
「僕の……うん、僕の祖父母の配慮なんだ。どうせ一人暮らしをするなら、不便が無いように、友達をたくさん呼んで遊べるようにって。僕はもっと手狭な所で構わないって言ったんだけど、どうせならって……押し切られちゃってさ」
「……そう。良いおじい様とおばあ様を持ったのね」
「……そうだね。人の好い祖父母なんだ。……きっと」
「……きっと?」
少女が怪訝そうな表情を浮かべる。
「あ、いや……。それより、座ったら?」
創一は二人掛け用のソファーを指差して、少女に着座(ちゃくざ)を促した。
「ええ、お言葉に甘えさせて頂くわ」
少女はそう言うと、しずしずとソファーに座った。その仕草に、気品のある印象を受けた。
「それで、さっきの……外での話の続きだけど。あ、そう言えば、まだ名前を言ってなかったっけ。僕は暁創一って言うんだ。君は?」
「私の名前は神代(かみしろ)……神代繭羽(かみしろ まゆは)」
「分かった。じゃあ、神代さん」
「……いえ、繭羽(まゆは)と呼んで構わないわ」
「え……。いや、でも、初対面みたいなものじゃないか。それだと、慣れ慣れし過ぎるような……」
「私はそちらの方が良いわ。あまりその苗字を呼ばれたくないし……。それに、御互い、少しでも親しくなっておいた方が良いと思うわ」
「えっと、それは……?」
創一は眼前の少女から親交を深め合おうという旨の提案を受けて、不随意に緊張してしまった。
少女も自分の言い回しが誤解を招くことに気付いたのか、少し焦り気味に捲し立てる。
「あっ……。か、勘違いして欲しくはないけれど、別に互いの親愛を深めるという意味ではないわよ! あくまで、目的は信頼感。あなたを狙って、再びあの幻魔が襲ってくることは間違いないわ。だから、その幻魔を討滅するまでの間は、勝手な話だけれど、私はあなたの護衛に付かせてもらうわ。その時、互いに――特にあなたが私に確かな信頼感を抱けなければ、何か敵の術策(じゅつさく)に翻弄(ほんろう)される危険性も生じてしまうかもしれない」
「ああ、そういうことか……」
危機的な状況に置かれている今、創一は薄々そうではないかと気付いていた。けれど、どこか落胆を覚えている自分自身がいるような気がして、少し情けなく感じた。
「ま、まあ……そういうこと。だから、私のことは繭羽と呼び捨てにして構わないわ。こちらも創一と呼び捨てにさせて貰うから」
「分かった」
創一は頷いて見せた。
繭羽の言(げん)には一理ある。しかし、それはそれとして、まるで恋人のように互いの名前を呼び合うことを意識すると、何やら面映ゆいものを感じてしまう。
「じゃあ、話の続きだけれど……街中に突然現れた、あの化け物たち……奴らはいったいなんなんだ?」
「あの化け物は、貪り喰う者……魔術師の世界ではディヴォウラーと呼ばれているわ」
貪り喰う者。
創一は化け物たちが人々を襲って食らい殺していたことを思い出した。
「ディヴォウラーは、私たちが暮らしている世界の隣側にある世界――パンタレイと呼ばれている異次元の世界の生物。パンタレイに対して、こちらの世界は現実界と呼ばれているけれど、現実界の秩序に歪みが強くなり過ぎて、両界の境が曖昧になると、その部分に裂け目が生じる。この裂け目は『カズム』と呼ばれているわ」
繭羽の発言は耳慣れない単語が多く、創一は即座に理解が追いつかなかった。
仕切り板の入ったある容器の中に、赤と青の液体を入れておいたら、仕切り板が壊れてしまって、互いの色が混じり合ってしまった……そう考えておけば良いのだろうか。
「パンタレイ……。それって、その……霊界みたいなものかな? カメラで写真を撮ると、まれに心霊写真が写るって聞くけれど」
「参考例としては、それでいいと思うわ。とりあえず、異世界と思っていれば間違いないわ」
「分かった。にわかには信じがたい話だけど……。それで、その……ディヴォウラーって化け物は、どうして人間を襲うんだ?」
「そうね……。一言で表せば、単なる栄養摂取としての食事かしら。人間を食べて、その体と魂を取り込んで、自分の存在を確固たるものにしようとする……そう考えられている」
「……栄養摂取」
創一は、わずかに寒気を覚えた。地球における食物連鎖の頂点たる人間は、食べる側に君臨している。勿論、人間が獣に食い殺される事例が無い訳ではないけれど、あの化け物のような脅威によって捕食されることは、未だかつて無かった。
「……そう言えば、魂を食べるって言ったけれど……なんでそんなことをするんだ?」
「それについては……まずはパンタレイが存在してしまっている理由から説明しないといけないかもしれないわ」
繭羽がパンタレイについて本格的に語り出そうとする前に、キッチンの方から、ヤカンの汽笛の音が聞こえてきた。
「ごめん、ちょっと待って。今、温かい飲み物を持ってくるから」
「あ、そんな気遣いは……」
「いいって。一応、客人でもあるんだからさ」
創一はキッチンへ赴くと、ヤカンの火を消して、戸棚からカフェオレスティックを取り出した。二人分のマグカップを取り出すと、カフェオレの粉末を入れて、お湯を注ぐ。
「おまたせ」
創一はカフェオレが入ったマグカップを両手に持って来ると、その内の一つを繭羽に手渡した。
「……ありがとう。なんだか色々と気を遣わせてしまって恐縮だわ」
「いやいや。だから、たいしたことじゃないって」
創一は自分の椅子に座りつつ、繭羽の態度に多少の違和感を覚えていた。
繭羽は礼儀作法を身に付けていて世間慣れしているように感じられたのだけれど、どうも同年代との接し方には慣れていないように思われる。
「話を遮っちゃってごめんね。続き、お願い出来る?」
「ええ。まずは結論から言った方が良さそうね。パンタレイは、想念によって構築されていると考えられているわ。人々が抱く思考、感情、想像や空想、祈りや願い……そういった心の働きに伴って想念は発生する。ほら、たとえば、不機嫌な人って、なんとなく近寄りがたい雰囲気を発しているし、近くにいると、自分も不機嫌になってしまうことに思い当たる節がないかしら?」
「あー、なんとなく分かる。逆に、いつもニコニコしている人の近くにいると、こっちも不思議と笑顔になるよね」
「そう。それは、その感情の持ち主の想念に当てられて、自分の感情が共振させられたから。感情に限らず、思考も想像も同じ。お腹が空いて美味しいものを思い浮かべれば、その性質を帯びた想念が生まれる。何かを願えば、その願いの性質を帯びた想念が生み出されるわ」
「ふうん……。想念の発生か。まるで生体電磁波の精神版みたいだな」
「生体電磁波……というのはよく分からないけれど、たぶん、そんな感じ。心の働きには、必ず想念の発生が伴う。そして、想念には重要な性質ある。それは、同じような性質を帯びた想念は、互いに引き合うこと。気の合う人同士が自然と集まったり、まるで運命のように男女が惹かれ合うことも、この想念が引き合う性質の為だと考えられているわ。波調が合うとも言うわね」
「へえ……。それで、その想念が引き合う性質がどんな風にパンタレイ……だっけ? その世界の誕生に繋がるんだ?」
「さっきも言った通り、人の心の活動に伴って、様々な想念が常時生み出されているわ。それは、あなたも私もそうだし、この世界に生きている全ての人間にも言えること。当然、膨大で多種多様な想念が生み出され続けている。そして、互いに似た性質を帯びた想念は結びつき合って、集合を重ねて、次々と大きくなっていく。それが何年、何十年、何百年という月日で繰り返されることによって……」
「想念で出来た世界が……生まれた?」
創一の推測に、繭羽は頷いて見せた。
「創一の読み通り、想念が長い年月をかけて集積することによって誕生したものこそ、ディヴォウラーが跋扈(ばっこ)するパンタレイだと考えられているわ。どんなディヴォウラーがいて、どんな景色の世界なのか……もう知っているでしょう?」
黄味掛かった空、異常な色彩に染まった景色、廃れた姿に変わってしまった街並み。
あの光景は、現実界とパンタレイが入り混じってしまった果てに生まれたのだ。
「そうか……。あの景色は、パンタレイに侵食された現実の景色だったのか」
「その通り。 まあ、景色に関しては、現実界の景色も混ざり合っていたから、純粋なパンタレイの景色という訳ではないけれど」
「じゃあ、そのディヴォウラーって化け物は、どうして生まれたんだ?」
「……簡単な話よ。ディヴォウラーは,人が生み出す様々な性質の想念が寄り集まって生まれた者たちよ」
創一の思考が一瞬だけ止まった。
ディヴォウラーの正体は――人々が発した想念の集塊。
「え、じゃあ、あの化け物たちは……僕たち人間が生み出したってことなのか?」
「間接的にだけれど、その解釈で間違いないわ。人の心の活動によって生み出された副産物……それこそパンタレイとディヴォウラーの正体」
創一の脳は、それらの真実を理解することを拒んでいた。
自分に襲い掛かり、殺そうとしてきた化け物の正体は、自分を含めた多くの人々が生み出した存在だと言うのか。
では、ディヴォウラーが人を襲うことは、見方を変えれば――一種の共食いになるのではなかろうか。
「人の想念が……あんな化け物染みた存在を生み出すものなのか」
「ディヴォウラーの姿が異形なりやすい理由は、よく分かっていないわ。ただ、現在広く受け入れられている説では、人々が自分たちを襲うような危険な生物が登場するならば、そのような異形の怪物を想像するだろうから……そう言われているわ。東の妖怪、西の魔物。鬼や悪魔、最近では雪男などの未確認動物。小説や漫画、映画やゲーム……そういった創作物に触れる中で、人々は人外の生物に思いを巡らせ、印象を深めて、それに伴う性質を帯びた想念を生み出してしまう」
「じゃあ、ディヴォウラーをあんな化け物にまで成長させてしまった原因は……人間自身の空想や願望にあるってことなのか」
「一概にそうだとは言えないわ。さっきも言った通り、ディヴォウラーが異形になりやすい理由というのは明確に分かっていない。……でも、何百年も昔に比べれば、現代のディヴォウラーは獰猛性も複雑性も上がってきていると言われているわ」
今思い返してみれば、街中に溢れて返っていたディヴォウラーは、どことなくゲームや漫画の中で見かけるようなモンスターに似ている気がしなくもない。
そして、もう一つ――ある共通点も持っていた。
「街中にいたディヴォウラーを見ていて……疑問に感じたことがあるんだけど」
「何かしら?」
「気のせいかもしれないけれど、みんな……どことなく人間に近い姿をしているように見えたんだ。二足歩行で人の形をした奴も多くいた気がしたし、二足歩行じゃない奴でも、人間の頭や腕とか、人と同じような要素を持っていたんだ。これって気のせいなのかな」
「……そうね。確かに、私もそう感じているわ。それについては……幻魔の話をした方が良さそうね」
「幻魔? そう言えば、何度かその幻魔って言葉を聞いたけれど、それはディヴォウラーとは違うのか?」
創一がそう尋ねると、繭羽は眉を顰(しか)めて思案するように顎の先に手を添えた。どう言ったものか悩んでいるらしい。
「うーん……なんて言えば良いのかしら。違うけれど、完全に違うとは言い切れないわ。幻魔もディボウラーも本質は同じなの。ディヴォウラーが幻魔に進化する……とでも言えば良いのかしら?」
「あの化け物が……幻魔に?」
「ええ、進化するって表現した方がしっくりくると思う。さっきも言った通り、ディヴォウラーは、己の存在を確固たるものにする為に人間を襲って、血肉や魂を摂取しようとするわ。ディヴォウラーは、元々想念の塊だから、存在が非常に不安定なの。そこで、ディヴォウラー同士で共食いをしたり、想念の源である魂を持った人間を食って吸収することによって、自らを構成する想念の密度と複雑性を高めようとする習性があるわ。一種の生存本能ね」
繭羽の話は続く。
「基本的に、ディヴォウラーは共食いで成長していくわ。今回みたいにカズムが生じない限り、人間を捕食出来る機会は無いから。そして、ディヴォウラーを構成する想念がある一定の密度と複雑性を獲得すると――幻魔に成長する」
「ああ、進化というのは、そういう訳か。それで、ディヴォウラーから幻魔に進化すると、何が変わるんだ?」
「ディヴォウラーと幻魔の違いは、明確な自我を持ち、最低でも言語を解する程度の知能を持つことね。そして、一番の違いは、幻魔は物質的な肉体を得て、現実界に進出して放縦(ほうじゅう)の限りを尽くすこと。基本的に、現界で自由に跋扈(ばっこ)している人ならざる者は、幻魔と考えて間違いないわ。あなたが昼間に出逢った金髪の女……あいつも幻魔よ。メイドも似たような気配を持っていたわ」
「幻魔って……あの金髪の子が!? いや、だって、どこからどう見ても完璧に人間にしか見えなかったけど」
あの異形なディヴォウラーが、あんな可憐な容姿の少女に変貌するとは思えない。
「それは当り前よ。幻魔は食らった人間の血肉を再構成して、自らの体を作り上げるのだもの。容姿は好みに合わせて変えられるわ」
「……そうなのか。じゃあ、実はとんでもない醜悪な姿をした幻魔が少女に変身してこともある訳か」
「そういう場合もあるかもしれないわね」
「ふうん……まあ、なんでもいいけどさ。それにしても、なんで僕はあの金髪の子……リリアだったかな? 彼女に狙われなきゃいけないんだろう」
「それは……私にも分からない。奴らが何を目的として活動しているのか分からないけれど、あなたがその目的を達成する上で重要だということだけは間違いなさそうね。だからこそ、創一を護衛させてもらうことにしたわ」
「幻魔が僕のことを狙いに襲ってくる筈だから……か」
「そういうこと。一通りの事情は呑み込めたかしら?」
「まあ……なんとか。現実離れした話ばかりだから、あまり現実味が湧かないけれど」
しかし、ディヴォウラーが市街地に出現して、そこにいた人々を襲ったということは、紛れもない事実だ。
「そう言えば、なんであれだけディヴォウラーが街中で暴れていたっていうのに、誰も騒がないんだろう。警察が駆けつけたって可笑しくはない騒ぎだったけれど」
「それは仕方ないわ。世界の修正力が働いているのだもの」
「世界の修正力?」
また新たな聞き慣れない言葉が飛び出した。
「そう。何故かは解明されていないけれど、ディヴォウラーに襲われた人は、後になって、その時の記憶を綺麗に忘れてしまう。忘れるというよりは、書き換えられるに近いかもしれない。たとえば、『ディヴォウラーに襲われて足に怪我を負った』とすれば、後で『道端で転んだ時に怪我をした』って具合に記憶が改竄されてしまうわ。コンビニの窓ガラスが割れれば、誰かが石を投げ込んだとでも改竄されるでしょうね。その修正力は、魔術に関する記憶にも働くことが確認されている。時々、起きたことを憶えている例外もいるけれど。そういった人は、霊的な体質の持ち主か、どうやら十代になる前の子供に多いらしいわ」
「……そうか。だから、繭羽はどうせ忘れてしまうって言ったのか」
「そうね。……一応確認しておくけれど、創一は魔術師ではないわよね? 親しい人にそういう人がいたってことはないかしら」
「いや、ないない。そんな憶えは無いし、そんな知り合いも……いない筈だ」
創一は最後だけ少し言いよどんだ。自分が忘れてしまった人たちの中に、もしかしたら、そのような人がいたかもしれないからだ。
「……そう。じゃあ、昼間のことを覚えていられた理由は、体質的な問題……かしら」
「世界の修正力が働かないことと魔術師であることに、何か関係があるのか?」
「ええ。魔術師は当然として、魔術を実際に何度も目の当たりにした一般人には、何故か修正力が働きにくくなると推測されている。さっきも言った通り、この記憶の改竄に関しては、理由が解明されていない。まあ、私のような立場の者からすれば、不要な混乱を人々にもたらす危険性が低くなるから、ありがたい点は多いわ」
「確かに、あんな化け物が自分たちの住んでいる世界の隣にいて、人々を襲いに来るなんて知ったら、夜も眠れない恐慌に陥るだろうからなぁ……」
自分としても、知る必要が無いならば、知らないままでいたかった悲惨な事実だ。
「そう言えば、繭羽も魔術師……なんだよね。攻魔師だったっけ? ということは、何か魔術を使えたりするのか? たとえば……空中に浮かんだり、何も無い空間から水を創り出したとかさ」
「うーん……。出来なくはないかもしれないけれど、今すぐにその魔術を使うことは出来ないわ。色々と準備をしないと」
「準備? それって、呪文を唱えたり、魔法陣を描いたりとか?」
「そういった体系化された魔術もなくはないけど、実際の魔術は感覚的なものばかりよ。なんて言えば良いのかしら……。こう、本来は嵌(はま)らないパズルのピースの形を無理やり変えて、凹凸(おうとつ)が合うように加工する感じ……って言っても、よく分からないわよね」
「パズルのピースを……加工する?」
創一の頭の中では、詩的な呪文を唱えたり幾何学的な魔法陣を描いて行う魔術の先入観と、パズルピースの加工という工作染みた言葉に、整合性を見出せなかった。
「創一にはあまり必要は無いと思うけれど、私たち魔術師――そして幻魔が扱う魔術について、簡単に説明しておいた方が良いかもしれないわ。創一は、魔術に対してどんな印象を抱いている?」
「印象……って言われてもな。ぱっと思いつくのは、呪文を唱えて火の玉を生み出したり、魔法陣を描いて魔物や悪魔を呼び出したりって感じかな。ついでに言えば、魔術や魔法を使用する度に魔力を消費する印象を持ってる」
「恐らく、それが一般人の思い浮かべる魔術の像だと思うわ。でも、実際の魔術は、それほど簡単でもないし、体系化のなされていないものばかりだわ。みんな自分の好きな魔術を感覚的に扱っている」
「……と言うと?」
「そうね……まずは魔術の基本から説明するわ。幻魔も含めて、魔術師が魔術を使用する際は、まず自分の魂の一部を切り離して、それを炸裂させる。これは破魂術(はこんじゅつ)と呼ばれていて、これを出来るようにする為には、呼吸法や瞑想などの特殊な訓練を積む必要がある。霊的な感覚に対する才能も求められるわ」
「魂を……炸裂?」
「そう。さっき想念に関する説明をしたと思うけれど、想念には、他にもいくつかの特徴がある。それは、相転位すること。想念は霊的な力だから、ある人が現実世界で想念を発すると、その想念は現実に長時間留まれず、すぐに霊的な世界――つまりはパンタレイの方へ転位してしまうわ」
「う、うん……なんとなく想像出来るよ」
「続けるわよ。想念は現実界からパンタレイへ相転位するのだけれど、その際、両界の境界に穴が出来るわ。小さくて、すぐに塞がってしまう穴よ。これを境界に出来た穿孔という意味で、界孔(かいこう)と呼ぶわ。限りなく小さな『カズム』と表現しても良いわ」
「……障子の紙にボールをぶつけて穴が空く感じかな?」
「そうね、そんな感じ。話は戻るけれど、魔術師は自分の魂の一部を切り放し、それを炸裂させる。そうすると、想念の時と同じように、魂も相転位を起こして、両界の境界に大きな界孔をこじ開ける。大きな、と言っても、想念の開ける穴に比べれば大きいという話だけれど。そして、魔術師はパンタレイに繋がる界孔から、異世界の法則を引き出して、現実に適用することにより、魔術を行使する。……ここまでは大丈夫?」
「ん……かなり抽象的な理解しか出来ていないけれど、なんとなく分かったよ。要は、異世界の法則を現実の世界で使っているってことだよね」
「そうね。でも、界孔を開けるだけでは、まだ魔術は使えないわ。だって、界孔がパンタレイのどこに繋がっているか分からないのだもの。どんな異法則が流れ込んで来るか分かったものではないわ。そこで、ここからが大事なところよ。想念の話に戻るけれど、想念には、もう1つ特徴がある。それは、指向性を持っていること。ほら、生霊(いきりょう)って聞いたことがないかしら。誰かのことを強く憎んだりすると、その想いが相手の所へ行って何か悪さをしてしまうという現象よ」
「あ、聞いたことある。ワラ人形に釘を打ちこむ牛の刻参りとかだよね」
「牛の刻参りは類感魔術だけれど……憎しみの想念も飛んでいくから、間違いではないと思うわ。想念には指向性があるから、たとえば、呪文を唱えれば魔法が使える世界を想像すると、その性質を帯びた想念が魔法の世界へ続く界孔を開く」
「じゃあ、そこから魔法の世界の法則を引き出せば、現実でも魔法が使えるってことなのか」
創一は繭羽の話を聞いていて、心躍るものを感じていた。それが本当なら、自分の好きな世界の法則を引き出して、この現実世界で自由に行使出来るということだ。夢物語に憧れる少年少女が願うような話ではないか。
「そうね。でも、それだけで、すぐに魔術が使えると言う訳ではないわ。まず、第一に自分が異法則を引き出したいと思っている世界がパンタレイに存在しなければ駄目。それも、きちんと秩序ある世界でなければ、現実で有効な力を発揮しないわ。だから、基本的には、神話や宗教、民話や童話など、物語が体系的に完成されていて、歴史が古く、多くの人々に知られている世界から異法則を引き出すわ。そういった有名な物語でないと、想念の集積が不十分で、パンタレイの中で確かな世界として存在出来ないのよ」
「そっか。存在しない世界から、何かを引き出せる訳がないもんな」
「その通り。そして、飛ばす想念の性質が具体的でなければならないわ。曖昧な性質を帯びさせると、想念が確かな方向性を失って、適当な所へ界孔を繋げてしまう。だから、具体的な世界を強く想像して、想念に行き先を与えることが大切になるわ」
「それさえやれば、魔術が使えるようになれるのか?」
創一は話を聞いていると、なんだか自分でも魔術が使えるのではないかという気分になってきた。
「いえ、ここまでは下準備。本番はこれから。魂を炸裂させ、任意の異法則を引き出す。そして、これを現実の世界で実現出来るようにする為に、異法則を修飾する必要があるわ」
「異法則を修飾?」
創一は繭羽の説明が抽象的過ぎて全く想像出来なかった。
「ここはかなり感覚的な話になるから、理解しづらいと思うわ。異法則を修飾する理由は、異世界の理をそっくりそのまま現実の理に適用することは出来ないから。この辺りは言語の翻訳に似ているわ」
「ふうん……言わんとしていることは分からなくもないけれど、どうやって、異法則を修飾するんだ?」
「……説明が難しいところね。本当に感覚的な話なのだけれど、自分自身の精神を変容させて、そこに異法則を通すことによって、現実の法則に適用出来るよう加工するわ。異法則も元々は想念であり、魂――精神も想念だから、精神の変容で異法則を加工出来るのよ。この辺りの説明は人によって異なるわ。ある人は『本来は噛み合わない二つの歯車を噛み合わる、中継ぎの歯車となる』とも表現するし、ある人は『左右の手をそれぞれの世界に伸ばして、力の伝達を行う媒介となる』とも表現しているわ。私はパズルのピースを嵌(は)めこむと捉えているわ。とにかく、大切なのは、異法則を修飾する為に、自分の精神を任意に変容させること。ここで、あなたが考えている魔術の呪文や魔法陣が重要になってくるわ」
「え……ここで?」
創一は精神の変容に呪文や魔法陣がどう役に立ってくるのか、直感的に理解出来なかった。
「魔術めいた技を発動する際、呪文に限らず、祝詞や歌、舞踊や印を結ぶのは、自己暗示の為なのよ。それをすることによって、精神に外部からの変容をもたらし、任意の方向へ精神を組み換えて、異法則を修飾する為の変換器として再構成する。こういった自己暗示を行う詠唱や所作は、総称して復号術と呼ばれているわ。それと同様の効果を視覚から得ようとする際に用いられる道具こそ、魔法陣やいくつかの図形と色を組み合わせた象徴図。目で図を見て、そこから受ける印象を心に落とし込むことによって、精神変容をもたらすわ。花畑を思い浮かべれば、心が和らぐでしょう? 要領はそれと一緒よ」
「へえ……。魔法陣って、そういう役割の為にあったのか。ずっと何かを召喚したり、結界を張ったりする為に使われているって思っていたよ」
「いえ、その考えも間違っていないわ。ある異法則が魔法陣を使わなければならない時は、当然、同じような魔法陣を描かなければならないから」
繭羽はそこまで言い終えると、初めてカフェオレを口にした。長く話していて、いくらか喉が渇いたのだろう。
ほのかなカフェオレの甘さに綻(ほころ)ぶ表情は、繭羽が魔術師という常識の外にある存在であっても、やはり年相応の少女なのであることを創一に強く印象付けた。
「そうなのか。難しそうだけれど、話を聞いていると、なんだか僕にも魔術を使えそうになってきたよ」
「きちんと訓練さえ組めば、誰しも魔術は使えるようになるわ。霊的な感性が必要となるから、その人の才能に大きく左右されてしまう部分があることは否めないけれど」
「でも、訓練を積めば、誰しも多少は魔術を使えるようになるんだろう? それって、凄く夢のある話じゃないか。繭羽が刀を振るった時に出た、あの黒い炎……あれも魔術なんだろう? 黒い炎だから、やっぱり地獄の炎だったりするのか?」
「あれは……違うわ。確かに、ある意味では、異法則の力に違いはないけれど……」
不意に、繭羽の表情が曇った。伏せられた目には、強い嫌悪と悲哀が浮かんでいるように感じられた。
「……どうかした?」
「あ、いえ、なんでも……。創一は魔術を便利で夢のような技術のように思っているかもしれないけれど、相応の危険性もあるわ。なにせ、魔術を発動する為に、一部とはいえど、自分の魂を砕くのだもの。それは命を削ることと同義よ。もし、操作を誤って自分の魂の大半を砕くようなことがあれば、間違いなく意識不明は免れないわ。最悪の場合は死に至る。心身相関という言葉があるでしょう? 魂の機能に支障が生じると、当然、肉体にも悪影響が出て来るわ。新陳代謝の機能も悪くなるし、内臓の調子も悪くなってしまう。自律神経が狂い出して、異常な眠気や疲れ、時には鬱の症状だって発生してしまうこともある。そうやって体を壊したり、精神崩壊を起こした魔術師は枚挙に暇が無いわ。万能の術である分だけ……肉体と精神に及ぼす危険性は高くつく」
「……そっか。そうだよな。よくよく考えれば、自分の魂を砕くんだから、なんの代償も払わずに魔術を行使している訳ではないんだよな」
しかし、その代償を払ったとしても、創一は魔術を使ってみたいと思った。そう思わせる程、繭羽が言った魔術に関する説明は、人を魅了するだけの有用性を秘めている。
「それに、さっきも言った通り、魔術は特殊な訓練を積まなければ、実際に使えるようになれないわ。到底、見よう見まねで発動出来るような安易な代物ではない。……さて、一通りのこちら側の事情は説明したつもりなのだけれど、まだ何か不明な点はあるかしら?」
「不明な点……か」
創一は思考を巡らせた。まだ自分が不可解に感じている点で、繭羽に聞いておくべき点はあるだろうか。
「……あ。一つだけ、聞いてもいいかな。気になっていたことがあるんだ」
「何かしら?」
「刀だよ。ほら、繭羽、黒い大きな刀を持っていたじゃないか。あれ、手品みたいに消していたけれど、あれも一種の魔術なのかな?」
「ああ、納刀術式のことね」
繭羽はそう言うと、自分の左手の指先を丸めて筒状にすると、そこに右手を添えた。すると、筒状に丸まっていた左手から、奇術の如く大太刀の柄が出てきた。
繭羽は柄を握ると、刀身を半ばまで引き抜いた。その刀身の色は、明るい蛍光灯の下でも、やはり光を呑み込んでいるような闇を帯びている。
「これのことでしょう?」
「そう、それなんだ。それも魔術なんだろう」
「そうね。まあ、私だけの特殊なものだけれど、魔術に変わりはないわ。これは日本神話における八岐大蛇の話をもとにして組み上げた術式よ。八岐大蛇は有名だから、知っているでしょう?」
「うん。あまり詳しくは知らないけれど。確か、村の人々に生贄を捧げるよう要求した大蛇だよね。それで、どこかの英雄に倒されたっていう話だったかな?」
「そうね。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の策略によって、酒に酔ったところを十柄剣(とつかけん)で斬られたわ。そして、素戔嗚尊は、大蛇の体の中から天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を見つけた。この納刀術式は、自分の体を八岐大蛇に当てはめ、自身の体の内に刀を収めて携帯出来るようにしたものなの」
創一は、改めて繭羽の手にする大太刀を見た。その刀身は、どう見積もっても繭羽の片腕よりも長い。繭羽は大太刀を体の内に収めていると言ったが、それは物のたとえであり、恐らく異次元的なところへ収納しているのだろう。
「凄いな……。そんな大きな刀まで……って、もしかして抜き身のままで体の中に納めているのか?」
創一がそう言うと、繭羽はくすりと微笑んだ。
「いえ、きちんと鞘に納めているわ。見えていないと思うけれど、鞘も体に納めているの。勿論、抜き身のままでも納められるけれど、さすがに抜き身の刃を手のひらに押し立てるのは気分が悪いし……。それに、この刀に限っては……いえ、なんでもないわ」
繭羽は最後だけ何故か言葉を濁すと、大太刀を左手の掌中へ押し込んだ。大太刀が跡形も無く左手の中へ消えてしまう。
創一は眼前で実際の魔術を目の当たりにして、危険とは教えられはしたものの、やはり魔術に対する好奇心が頭をもたげて来るのを感じていた。
「……さてと。魔術の実演もすんだことだし、他に質問が無さそうなら、これでお暇(いとま)させて貰うわ」
繭羽はソファーから立ち上がった。
「ああ、分かった……って、あれ? 護衛は……?」
「護衛? 勿論、行うつもりよ。でも、いつ来るか分からない幻魔を待って、いつまでも創一の部屋にいるわけにはいかないでしょう? 創一には創一の日常があるもの」
「それは、まあ、そうだけれど……。でも、いったいどこで幻魔を待つつもりなんだ?」
「そうね……アパートの空き室にでも身を置ければ良いけれど、さすがに大家に鍵を貸して貰うことは出来ないでしょうし、扉や窓を無理やりこじ開ける訳にもいかないし……。やっぱり屋上で待機しているのが現実的かしら。屋上なら、幻魔が接近してきたら、比較的早く気配を察知出来るし、見晴らしも良さそうだわ」
「屋上って……」
創一は部屋の窓から外の景色を見た。外では、強い雨脚で雨が降り続けている。こんな空模様の中で外に出ていたら、五分もすれば全身ずぶ濡れになってしまうだろう。
「あんなに雨が降っているのに?」
「雨くらい、別にたいしたことではないわ。雨具ならコンビニに行けば手に入るだろうし、ブルーシートでも張れば、充分な雨避けの天幕になるわ。野宿には慣れているから、大丈夫よ」
繭羽の自然な態度を見るに、野宿のような粗野な寝起きの経験を何度も積んだことが窺えた。
創一は、今まで繭羽がどのような暮らしを送ってきたのか、ふと疑問に感じた。自分と同年代のように見えるけれど、繭羽も一般の子供と同じように学校に通っているのだろうか。きちんと帰る家はあるのだろうか。
「野宿に慣れているって言っても……こんな大雨の中だぞ? 下手をすれば、風邪を引いてしまうじゃないか。それに……原因はよく分からないけれど、もしかしたら、僕が幻魔に狙われている理由は、僕自身に責任があるからかもしれないんだ。それなのに、別に義務でもないのに護衛に付いて貰っているのに、その人を雨の降る外に追い出して、一晩中待機させるなんて……」
創一には、そんな待遇を繭羽に求めることが心情的に不可能だった。ましてや、創一には、他人に誠意と思い遣りを尽くそうと努力する、ある個人的な理由がある。
「……まあ、確かに、室内で待機させて貰えるなら、ありがたい申し出……ではあるけれど」
繭羽はそこで言葉を切って、どこか照れを含んだ困った表情を浮かべた。
創一も自分の発言がどのような状況を招くことになるのか察していた。
つまり、繭羽が創一に近くに待機出来て、なおかつ別室や屋上以外の場所で、さらに屋内で控えてもらうという条件を満たす為には――一つ屋根の下どころか、同じ部屋で一晩を明かして貰うことになる。
創一の配慮に対する遠慮とは別に、繭羽が抵抗感を覚えているのも無理からぬことだ。その事情は、創一も理解していた。けれど、未知なる敵から護衛して貰うという大恩を受けている上、自分と同じ年頃の少女に一晩を雨の中で耐え忍ばせるのは、どうしても我慢ならなかった。
「うーん、どうすればいいのかな……」
繭羽が困惑気味に呟いた。その頬は、薄らと紅に染まっている。それを見て、創一も自分の頬が熱くなってくるのを感じた。
(自分で言い出した手前、今更無かったことには出来ないし……。いや、繭羽を追い出そうなんてつもりはないんだ。でも……)
創一の胸中で凄まじい葛藤が繰り広げられる。
自分としては、繭羽と共に自室で一晩を明かすことには、多少の抵抗感を覚えつつも、特に拒絶するつもりは無い。邪魔ではないし、魔術師が近くにいてくれれば、それだけで安心出来る。
けれど、最も重要なことは、繭羽がそれをどう感じているかだ。向こうにしてみれば、護衛対象が近くにいて、更に室内で待機出来る方が都合が良い筈だ。しかし、異性と――ましてや初対面に近い同年代の男と同室で一夜を共にするなど、女性からすれば、かなりの抵抗感を覚えるに違いない。
もし、繭羽がこの自室に留まることを希望しているのであれば、部屋の主という立場上、こちらから申し出た方が良い筈だ。仮に繭羽の抵抗感が強かったとしても、やはり雨中に追い出す訳にはいかない。その時は、繭羽に最大限の配慮を尽くそう。
創一の考えは決まった。
「繭羽、僕は……その、ここにいてもらっても別に――」
ピリリリリ、ピリリリリ――
緊張が漂う部屋の中に、無機質な電子音が鳴り響いた。創一の携帯電話が着信を報せたのだ。
「あ、ごめん。少し待って」
創一はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。着信画面には、春日心陽(かすが こはる)と表示されている。
「心陽(こはる)か。……もしもし?」
『あ、創ちゃん。今、時間は大丈夫?』
「ん……少しだけなら構わないよ」
『あ、ごめん。何か邪魔しちゃったかな』
「いや、ちょっと、その……友達がいるだけだよ。それで、どうかした?」
『あ、うん。たいした用じゃないんだけどね、最近……変な噂が流れてるんだ』
「……変な噂?」
創一は昼間の惨劇を思い出し、妙な胸騒ぎを覚えた。通話設定をスピーカーモードに切り替えて、繭羽にも通話内容が聞こえるようにした。
「噂って、どんな?」
『えっとね、友達から聞いたんだけど……なんか街に変な人が出没しているらしいの。男の人っぽいんだけど、夜中に街中をうろうろしていて、奇声を上げたり、暴れまわったり……とか。噂だから、本当かどうかは分からないけど。創ちゃん、よくコンビニに買い物に行くことが多いみたいだから、夜に出歩く時は気を付けてねって言おうと思って、電話したんだ』
「……そっか。分かった。気を付けるよ。わざわざ教えてくれてありがとう。助かるよ」
『ううん、そんな、お礼なんて。ただ、ちょっと心配になっちゃっただけ』
「その気遣いだけでも十分に嬉しいよ。じゃあ、悪いけど、そろそろ切るね。また明日、学校で」
『うん、また学校で』
創一は通話を終えると、携帯電話を上着のポケットに仕舞い込んだ。
「今の話、聞こえたよね? 街で変な男が出没しているらしいけど……何か心当たりはある? もしかして、ディヴォウラーや幻魔って奴らと関係があるのかな」
「それについては……なんとも言えないわ。実際に調べてみないと。ただ、ディヴォウラーや幻魔が暴れ回ると、そういった噂が流れるようになることは知っているわ」
「あれ? でも、確か世界の修正力って奴で、記憶が改竄されたんじゃなかったっけ?」
「ええ、勿論、記憶は自然と改竄されるわ。でも、記憶を改竄されても……改竄し切れない部分があるのか、曖昧な記憶や印象が人々の間で噂を作り上げることは、よくあることなの。裏を返せば、妙な噂のあるところに、ディヴォウラーが出現しやすい境界の歪みが集積していたり、幻魔が拠点を置いているかもしれない手がかりともなるわ」
「じゃあ、もしかしたら……僕を狙っている幻魔の居場所を掴む手掛かりになるかもしれないってことか」
繭羽は神妙に頷いた。
「街中へ出て調べてみる価値は十分あるわ」
「分かった。とりあえず、今日は雨が降っていて無理だから、明日の放課後にでも……」
創一は『雨』という単語に触れて、繭羽に対する自分の申し出が電話に遮られたことを思い出した。
「ああ、それでなんだけれど……君さえよければ、僕はここで待機して貰っても一向に構わない。その方が安心出来るし、雨の中で待機して貰うことに気兼ねする必要もないから。もちろん、それなりの配慮はするつもりだから、大丈夫。僕は上のロフトで寝るから、君は下で自由にしていて構わない。いつ幻魔が襲ってくるか分からないから、電灯も付けっぱなしでもいい。なんなら、ロフトに繋がる梯子を外しておいたって構わない。この部屋を拠点にするつもりなら、後で合鍵を渡しておくよ。それから――」
創一がさらに話を続けようとすると、繭羽は制止を求めるように両手を半ば突き出した。
「もういいわ。あなたの誠実さは十分分かったから。……なんだか、ここで待機しない方が、かえって創一を疲労させてしまいそうだわ」
繭羽は苦笑を浮かべると、ソファーに座り直した。
「なんか私の方がお願いされて変な感じだから、一度改めましょう」
繭羽はそう言うと、もともと整っている座位を更に改めて、威儀を正す。
「今夜は、この部屋で待機させて頂くことをお願いします」
「も、もちろん! こちらこそ、よろしくお願いします」
創一は思わず背筋を伸ばして一礼した。
初対面の男女が向かい合って御辞儀をするとは、まるでお見合いの席みたいだな。
創一は、内心でそう思った。
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