第8話 みんなのかぶらやき


「まずはこの白いのか」

 ヨシカワはスドウが残していった小麦粉水溶液を大きなボウルに移した。単品では不味いが、ベースにするにはちょうどいいかもしれない。量的にも十分だった。


「次は、ナイトウさんの野菜炒め」

「野菜炒めって言うな」

 ナイトウは文句を言いながら蕪菜の炒め物を差し出した。野菜自体は美味いし、オリーブオイルも高級品である。蕪菜を取り出し、包丁で細かく刻んで液体に入れた。深皿に残っていたオリーブオイルもドバッと小麦粉液の中に放り込んだ。


「お母さん、泡立て器かしゃもじください」

「あいよ」

 スドウの母親が厨房から泡立て器を持ってきた。受け取ったヨシカワは小麦粉蕪菜オリーブオイル混合液をしっかりかき混ぜた。


「アンドウさん、カレーください」

「あ、はい」

 アンドウ・レイは残ったカレー(元カ・ブ・ラ・焼き)を差し出した。混合液に混ぜてみたが、薄くなってしまって少し足りないようだった。

「うーん。ちょっと薄いかな」

「あ、まだあります」

 あるんかーいと思ったが礼だけ言って取りに行かせた。アンドウ・レイが自分のクルマまで戻って巨大なタッパーウェアを3つも抱えてくるのが窓から見えた。


「ずいぶん作ったんですね」

「ええ、どういう撮影になるか想像したのですが、ちょっとよくわからなかったので、寸胴に2つほどご用意していました」

 ヨシカワはそれは済まないことをしたと内心思ったが、口には出さなかった。全部入れるとあまりにも多いので、大タッパーの半分ぐらいにしておいた。それでちょうどバランスがいいように見えた。


 小学生の代表のムトウケイゴがヨシカワをじっと見ていた。出番を待っているのだろう。子供たちのレシピの材料はさっき全部焼いてしまったので、餅しか残っていなかった。せめて餅だけでも使うか、ということでキューブ状に切ってある餅を、バラバラとボウルに入れた。

 だが、少年たちのレシピの出番はここではない。アホみたいに高い特製焼き型をどうにかしないと、東京に戻ってからPに大目玉だ。23万だと? ふざけるな。

 さっきは直火でコンロに載せたので焦げたのだろう。ヨシカワは焼き型をホットプレートに置いた。これならいきなり焦げる前に均等に熱が伝わるかもしれない。やってみないとわからないが。

 それを見てムトウケイゴが嬉しそうに笑い、仲間とハイタッチしていた。


「これも使うかね?」

 コウヤマ老人が自作のそばちょこを差し出した。さすがにそれは食えない。ヨシカワはお気持ちだけでと丁重に断った。というか床下の油粘土で焼いたそばちょこはあまり自分では使いたくない。


 焼き型に掌をを寄せると、十分に熱をもっていることがわかった。薄く油を敷き、焼き型のマス目に混合液をするすると流し込んだ。菜箸でコマ1つに餅1つが収まるように調整をしていく。しばらくすると、フチのあたりでジウジウと音を立てはじめた。うっすらとカレーの香りが漂いはじめた。





 高二のGW前日、ヨシカワタケシが小走りで部室に向かおうとしたところを幼なじみのユミが呼び止めた。

「タケちゃん、晩ご飯うちで食べろってママが言ってたよ」

「あ、悪いな」

「いいよ。何がいい?」

 んーと、ちょっと考えるフリをしてタケシはいつもの答えを出した。


「カレー」

「また?」

「いいだろ」

「いいけど」

 ユミはクラスメイトに呼ばれて、じゃねと手を振りながら走っていった。制服のスカートがひらひらと舞って、一瞬ドキリとした。あいつあんなにケツでかかったっけ? タケシはしばらくユミから目が離せなかったが、あとから来たチームメイトに声をかけられ、部室へと向かった。


「マジかよ!」

 レフトのカガワジロウが目を丸くした。練習が終わり、汗を拭きながら着替えている。タケシがユミと話しているのを聞いて、真偽を確かめたのだ。

「おいおいおい据え膳ですかぁ?」

 横で聞いていたライトのブチガミコウヘイが冷やかした。

「いや、別にそういうんじゃねえよ」

 実際、ユミの家で夕食を食べることは珍しいことではない。逆にユミがタケシの家で食事をすることもある。ただ、どちらの親も朝までいないというのが初めてというだけだ。


「おかえり! お風呂にする? カレーにする? それともあ・た・し?」

 セカンドのラクマシンジが半裸にタオルを巻いておどけてみせた。

「ていうかお前、今夜キメなかったら腰抜け認定な」

 キャッチャーのヤジマユウジンが真顔でタケシを指差した。

「だから違うつってんだろが」

 しつけえなあ、と怒ってみせたが、誰よりもその気だったのはヨシカワタケシ本人だった。こいつらにはまだ言っていないが、先週ユミとはキス寸前まで行っている。急に親からのポケベルが鳴らなかったら、そのまま想いを遂げていたはずだ。くそ。


「お前にこれを授けよう」

 それまで黙っていた3年のピッチャー・キタガワコウジが、何か投げてよこした。とっさにキャッチしたタケシの手にはミチコロンドンの小箱が収まっていた。

「うぉ……」

「いらんのか?」

「いえ! 先輩の好意はありがたく頂戴します!」

「ワンフォーオール! オールフォーワン!」

 キタガワはグッと親指を突き立ててみせた。野球部にはあんまり関係ないフレーズだがそれはこの際どうでもよかった。

 ヘイヘイヘイとチームメイトに散々はやし立てられて、タケシは部室を後にした。


 明日からGWだが、練習はある。母親たちはシングルマザー仲間(たぶん5人ぐらい)で別府へ温泉旅行に行った。ユミの母親とタケシの母親は、二人が同じ高校に入ったと知って、久しぶりに会ったのがきっかけで意気投合していた。それからお互いの家を行き来するようにはなっていたが、親が泊まりがけで旅行に行くなんてのは初めてだった。


「がー、美味かったー!」

「マジ? よかった!」

 鍋も釜も空っぽだった。ユミは体育会系男子の食欲に目をまるくしつつ、たくましさも感じていた。タケシは腹をポンポンと叩きながら、壁の時計をチラっと見た。部屋の隅に畳まれていた新聞を広げるとテレビ欄をチェックしはじめた。

「お? 今日の映画『エルム街』?」

「やだそれ怖いやつじゃん?」

「見たいなあ」

 ユミは食器をシンクに片付けながら「見てく?」と言った。


「そうだなあ。今から帰ると最初のところは間に合わない」

「見ていきなよ」

「怖いの?」

 タケシはからかうようにニヤリと笑った。「怖くないもん」と、ユミは口をとがらせた。タケシはチャンネルをロードショーの局に合わせた。ニュースと天気予報が流れて、映画は始まった。10時を回ったあたりで、ユミが悲鳴を上げながらタケシの手をつかんだ。タケシはその手を握り返した。それで、そのまま朝まで手を放さなかった。





「ねえ、そろそろ大丈夫じゃない?」

「おっと。そうだな」

 マリネが言う通り、上手いこと焼けてきたように思ったので、ヨシカワはピックでひっくり返してみた。うっすらと焼き色がつき、ちょうど良く固まっていた。焦げる前にこうして裏返していけばたぶん大丈夫だ。


 途中からコガオマリネにピック作業をやらせ、カメラマンに撮影を再開させた。町民たちは部屋の隅からじっとかぶらやきの様子をうかがっていた。皆がそれぞれの材料を提供している。レシピこそ行き当たりばったりになってしまったが、材料はそれなりに一級品が揃ってはいる。コンセプトさえ間違わなければ、そうそうひどいエサになることはない。


「よし、じゃあマリネ。よろしく頼む」

 どうにか上手いこと焼き上がったようだ。香りもいい。味は多少おかしくても、マリネが巧く誤摩化してくれるだろう。そしたらもうこれが「かぶらやき」で構わない。さしずめ「みんなのかぶらやき」だ。

 仕込み? やらせ? 知るかバカ。世界は元々神様の仕込みで、悪魔のやらせなんだよ。新生・千葉崎名物KABURAYAKI! feat. TY(タケシヨシカワ)だ! ウェーイ!


「ちょっと待ったー!」

 マリネが食レポを開始する出端を挫くように、店の扉がガラッと開いて人影が飛び込んできた。

「誰だ!」

 ヨシカワが怒鳴った。バカヤロウ。撮り直しじゃねえか。


「あ、すいません」

 キジマとスドウが傷だらけの顔、泥だらけの服で現れた。

「お待たせしました。これが千葉崎名産『カブラ』です」

「はぁ?」

 カブラってなんだ。ヨシカワがキジマを見ると、手にした網袋の中に何か入っていた。何か小型の動物のようだ。タヌキかキツネ?


「何を持ってきたんだ? カブラだと?」

「はい」

「生き物のなのか?」

「たぶん」

「たぶんてなんだよ。生きてるのか?」

「いえ、さっき暴れたんで、とどめを刺してあります」

 なんだなんだ。最後に大物が出てきたな。


「これを焼くのか?」

「ええ、まあそういうことですね」

「なんだこの動物? みたいなものは」

 近くで見たが、網の中ではよくわからない。


「こいつは……」

 キジマが言った。

「チュパカブラです」


つづく


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