第5話 真のかぶらやき
「どうもどうもどうも。ありがとうございます。どうもどうも」
キジマがいつもの調子いい感じで、戸口に現れた女性を迎えた。
「あ、すみません。わたしなんかで本当にいいんでしょうか?」
「ええ、もちろん。お待ちしていましたよ」
女性がぺこりとお辞儀をして、キジマにタッパの入ったポリ袋を渡して、店の中へとぐいぐい入ってきた。控えめな言動の割には、行動には意思がみなぎっているようだ。
「当番組の責任者のヨシカワと申します」
ヨシカワは名刺をポケットから出して、女性に差し出した。
あ、はい、と女性は受け取り、代わりに自分の名刺をヨシカワに手渡した。
「家庭料理研究家……、地域美食レポーター、創作郷土料理評論家……」
インクジェットプリンタで打ち出したような、ミシン目の痕がぐるりと四辺に残る安っぽい名刺には、級数の小さな文字で微妙な肩書きがいくつも並んでいた。
「アンドウ・レイと申します。料理の研究の傍ら、千葉崎ネオタウンで喫茶オスカルを経営しております。半年ほど前にこちらに引っ越してきました」
喫茶オスカルの事は名刺では触れていないが、まあいい。ヨシカワは、アンドウ・レイをマジマジと見た。美人……ではないが、取り立てて容姿に不都合があることはない。全体に地味というだけだ。地味というか、顔にもスタイルにもまるっきり華がない。わかりやすくいうと、貧乏臭い。コーディネートもメイクもだ。年齢はまったくわからない。さすがに二十代ということはないと思うが、可能性はある。たぶん三十代だろうとは思うが、確証はない。四十代の可能性は大いにあるが、老け具合によっては三十代でもこのぐらいはいる。むしろ、若作りの五十代かもしれない。わからん。ヨシカワは唸った。というかアンドウ・レイの外観はどうでもよかった。
「アンドウさん、真のかぶらやき、とはなんなんですか?」
「はい、わたくし、以前よりこの街のB級グルメの研究をしておりまして……。先週もスドウさんに提案させていただきましたのよ?」
一同がざっとスドウの方を見るが、スドウはいやいやと手を振りながら、
「あ、いやあれはちょっと本格的すぎるというか、コストがちょっと」
「美味しいものには糸目はつけない主義なんです……」
「でも、ひと串五千円の神戸牛串ってB級グルメというにはちょっと、と申し上げましたよね……。地元の食材じゃないし」
「まあ、それはごもっともですわね……。ですので、代わりのレシピを……」
アンドウ・レイはロハスな感じの草木染めっぽいトートバッグから、A4のペラ紙のレシピを取り出して見せた。創英角ポップ体で大きく「カ・ブ・ラ焼き」と書いてあり、こまごまと材料と調理方法が書いてあった。
「わたくし、あれから『里の駅ちばさき』に行きましてね、地元のお野菜や食材を見て参りましたのよ」
「はあ」
「そこで見つけた地元のお野菜と食材を使ってこのメニューを考案いたしましたの」
「ほうほう」
「下ごしらえだけしてしまえば、調理はとっても簡単ですのよ」
「なるほど」
「キジマさん、タッパーをくださいな」
はいっ、っとキジマがタッパーを袋から出してアンドウ・レイに渡した。
「スドウさん、そのホットプレートを貸していただけるかしら」
「ああ、はい。どうぞ」
スドウが、座敷の席を空けた。ホットプレートは電源が入ったままだったので、すでに熱を帯びていた。アンドウ・レイは、タッパーのフタをあけ、中のドロドロした茶色のペースト状の液体をドバッっとホットプレートにぶちまけた。カレーの香りが店内に立ちこめる。
「これは? カレーですか?」
マリネがレポーターの顔でアンドウ・レイに訊いた。カメラマンのゴローが慌ててカメラを向ける。
「ええ、カブラ焼きのカですから」
「カ?」
「カレーのカです。豚肉を入れていますので、それがブです」
「ラは?」
「それは食べてのお楽しみですわ」
アンドウ・レイがグフフと笑った。少々不気味だったが、それは仕方がない。
カレーだから香りはよいのだが、なんというか見た目がちょっとなあ……。とヨシカワはホットプレートを見つめながら思っていた。アンドウ・レイのへらを使う手つきが雑だからなのか、なんなのか、どうにも汚らしい。カレーの香りがしてなかったら、ちょっと食欲はそそられない感じだ。果たしてテレビの画面に耐えうるものなのかどうか……。まあもんじゃ焼きのこともあるし、大丈夫っちゃ大丈夫だろうけども。
「そろそろよさそうですわね」
アンドウ・レイが少し焼けて焦げ目がついたあたりをへらで削り取って、小皿に盛りつけた。へらについたものをフチでこそげとるものだから、いかにも汚らしい感じに見える。これはあとで撮り直しだなあとヨシカワは思っていた。
「どうぞ召し上がれ」
アンドウ・レイがマリネに小皿を差し出した。
「はい、ありがとうございます。いい香りですね。焼きカレーという感じなのでしょうか。……あれ? なにかつぶつぶが入っていますね」
「ええ、それがラです。さあ召し上がってくださいな」
「そうですね。いただきます」
マリネがひと口箸でつまんで、口に入れた。しばらくモグモグとしている。首をかしげて、もうひと口食べた。しかし、どうもピンとこないらしく、ヨシカワの方を見ている。
「どうした?」
どのみち撮り直しだからと、ヨシカワが声を出した。
「んー。これなんだと思う?」
マリネが、ヨシカワにひと口食べさせた。
マリネを抱いた夜、駅で別れてから小腹を満たそうと思ったヨシカワはココイチにいた。他の店はもう閉まっていたからだ。ワンピース十七巻を何ページか読んだところで、注文したポークカレーが出てきた。
ヨシカワはいつも迷う。福神漬けにするか、ラッキョウにするか。どちらも好きだ。大好きだ。しかし、二人同時はダメだ。どちらかはレポーターに起用しなければならない。マリネとの関係を続けるのか、どうするのか。そして、ヨシカワは職場恋愛をしないという矜持があった。
迷った挙げ句、ヨシカワはラッキョウを選択した。
「ヨシカワさん、それ長くなります?」
「あ、いや、そうでもない」
「ラッキョウですよね」
「え? ああ、そうだなお前はラッキョウだ」
「は?」
い、いやなんでもない、とヨシカワは言葉を飲み込んだ。
「よくおわかりになりましたね。ラはラッキョウのラです。刻んで混ぜています」
アンドウ・レイが得意げに言った。ドヤ顔もまた不気味である。
「なるほど」
「カレーのカ、豚肉のブ,ラッキョウのラでカブラ焼きなのです。いかが?」
理屈は合っている。が、ビジュアル面以外にもう一つ大きな問題があった。
「スドウさん、白飯あります?」
「え? ああ、はいありますあります」
ヨシカワが要求すると、スドウが厨房から皿に盛ったライスを持ってきた。ヨシカワはホットプレートに残ったカブラ焼きを、ライスの上に乗せて、スプーンで食べた。
「ああ、やっぱり」
「え、どういうこと?」
「食ってみろ」
マリネはヨシカワのスプーンでその「カレーライス」を食べた。
「ああ、美味しい。カレーライス」
「まあ、旨いよな。カレーライスとしてだが」
「どういうことかしら?」
アンドウ・レイが訝しげに二人に訊いた。ヨシカワは別のスプーンを取ってアンドウ・レイにカレー皿を差し出した。
「まあ、食べればわかると思います」
勧められるままに、アンドウ・レイもカレーをひと口食べた。
「まあ、美味しいカレーライス。我ながら、ですけれど」
アンドウ・レイはオホホと笑った。「お店で出そうかしら」
「まあ、つまり、カブラ焼きとかって出すより、カレーライスとして普通に食った方が旨いってことですよ。なんだかなあ」
ヨシカワはやれやれという感じで頭を抱えた。そういえば、
「キジマは?」
「いませんね」
「あいつ! また!!」
まったく、と思いながらも、ヨシカワはこの事態をどう収拾するか考えはじめていた。
また、ドライブインの扉がガララと開いた。
「あの、Bグルの人が来てるぞーって友達に聞いたんですけど……」
ヨシカワが声の方を見ると、戸口に小学生らしき集団が来ていた。ざっと十五、六人はいる。真ん中の、リーダーとおぼしき凛々しい少年がはきはきとした声で言った。
「ぼくらのかぶらやきを食べてみてくださいませんか?」
つづく
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