第27話 夢漏町・オブ・ザ・デッドの咄

 童貞相憐どうていあいあわれむということわざにもあるとおり、夢漏町むろまちの男たちにとって、童貞とは哀しみであった。どれほど立派なイキ者でも、男としてのひとつの本懐を果たせぬというのは、つらいことよ。

 イックーさんとてそうじゃ。

 山寺などにおっては出会いもない。月日を経るごとにいよいよ哀しく、いっそ還俗げんぞくしてやろうかと思いつめる日もあったが、同じ境遇の小坊主たちを見てさもしい身の上を慰めておった。自分より年上の小坊主が童貞であるという事実は、イックーさんのささくれた心を、いくらかは救ってくれた。

 しかしある夜更け、イックーさんはふと目を覚まして厠にイッたのだが、帰りの廊下で聞き捨てならぬ声が聞こえてきた。

「あーん、あーんあーん」

 これは……嬌声? しかも女の声のようではないか。

「ンッ!?」

 イックーさんは驚いてイキそうになったが、まてよ? と我慢した。イクときに甲高い声を出す小坊主はたまにいる。騙されるまいぞ、もし小坊主がイッておるだけだったら、後々悲しい気持ちになる。早まってはいかぬ。

 ふんどしを締めなおし、正体を見極めてやろうと、声の聞こえてきた部屋を覗いた。

「ヒッギイィッ!」

 そして、イッた……

 障子を透かす月光の中、影絵の如く浮かび上がるのは、生命のいとなみに他ならなかった。イックーさんがイッたのにも気付かずに耽っておる。

「あーんあーん」

「オウッオウッハオォォ」

 お盛んじゃな。

 イックーさんは気付かれないうちにそそくさと自室に戻ると、マンじりともせずに夜を明かし、翌朝になると、寺の裏にその小坊主を呼び出した。

「……チンねんさん、正直に答えてください」

「なんだよイックー、俺はいつだって正直だぜ? なぜって、一度きりの人生だからさ。自分に正直にイキなきゃROCKじゃねえ、そうだろ?」

 そのとき、イックーさんは確信したそうな。この自信に満ち溢れたオーラ、そして余裕……間違いない、こいつはやっている。

「チンねんさん、わたし、見てしまったんです……昨日の夜のこと」

「えっ!」

「あなた……やりましたね?」

 チンねんは、しまったという顔をしていた。

「あー、いや、それはその……」

「……どうして!」

 イックーさんは突然激昂すると、チンねんの襟首を両手でつかんで揺さぶった。

「あなたはみんなの希望だった! あなたがいるから、まだ大丈夫だって思えたのに! 安心できたのに……この裏切り者! 裏切り者め!」

 チンねんは鼻で笑った。

「アツくなるなよイックー、COOLになれ。傷をなめ合ってばかりじゃ、大人にはなれないんだぜ」

「あんたは汚れちまっただけだ!」

 ROCKじゃな?

 イックーさんの手を振り払うと、チンねんは口の端を持ち上げた。

「フッ……仕方ねえ、教えてやるよ。非モテの代名詞だったこの俺が、どうして大人になることができたのたのかを!」

「なんですって!」

 チンねんは勿体つけながら語った。昨日、川に遊びに行き釣りをしていたところ、人のものと思われる古びた頭蓋骨がかかった。無縁仏であろう。憐憫を感じ、寺に持ち帰って経を上げてやったら、なんと、夜中になって女が部屋にやってきた。

 自分はあの頭蓋骨の主で、経を上げてもらったおかげで成仏できる。でもその前に、今夜はパーリィナイ……女はそう言いながら、チンねんの布団に入ってきたそうな。

 イックーさんは驚愕した。

「え、じゃあ、あの女性は幽霊なのですか! チンねんさんは、幽霊としたのですか!」

「へへ、天にも昇る心地だったぜ」

「なんてことだ……その手があったか、フォオオオォーッ!」

「あっおい、イックー!?」

 イックーさんは疾駆した。もう辛抱たまらぬ。以前キツネで卒業しようとしたときは、初めて目の当たりにするリアルさに逃げ出してしまったが、幽霊ならばほとんど二次元のようなものではないか? これは期待できる。

 釣竿を手に川へと向かうと、祈りながら釣り糸を垂らす。また、別の竿からも糸が垂れておったそうな。

「清楚系がいいです! 黒髪ロングで、おっとりした母性を感じるような……ちょっとドジですぐに慌ててしまうけれど、心の底には芯の強さと優しさを併せ持ち、この世の全ての悲しみからわたしを守ってくれるような、そんな女性が……!」

 夢見すぎ。

 ひたすら待っていたが、なかなかアタリがこない。イライラしているうちに、段々と釣り人が増えてきた。

「やあ小坊主さん、釣れるかい? それともやっぱりボウズかい?」

「うるさい! 黒髪ロングは渡さんぞ!」

 血走った目で叫ぶイックーさん。精神の均衡を失っておる。

「クロカミ……? そんな魚、聞いたこともねえな。この辺りはコイばっかりさ」

「恋ばっかり!? やっぱり!」

「おうとも。鯉こくにして食うと、こいつがたまらねえ」

「恋でコクですって!? ンヒイイィッ!」

 哀れじゃな。

 イックーさんはそれからもずっと待ったが、いっこうにかからぬ。たまに魚はかかるが、すぐにリリースした。欲しいのはコイではない、アイじゃ。

「ああ、もう黒髪ロングじゃなくてもいい……豊満じゃなくてもいい! 普段はツンケンしているけれどそれは背伸びをしているだけで、少し人より不器用だけど本当は一途な性格の、ショートカットの女性でもいいから!」

 これでもかなり譲っておる。

 日も暮れようかという頃、純粋な祈りが天に届いたか、ついにイックーさんの釣竿がしなった。釣り上げてみれば、見事に頭骨だったそうな。嬉しさに、イックーさんの竿もしなった。

「ヒャホッハハハハアァァーッ!」

 狂喜乱舞しながら寺へと戻り、ねんごろに弔ってやった。さあ、これで準備は万端じゃ。

「これイックー! 寺の用もせず、遊び歩いておったな!」

 和尚さまにこっぴどく怒られたが、まるで気にならない。やがて夜になると、自室で布団に入り、悶々としながら待った。

 果たして、皆が寝静まった頃、スーッと襖が開いた。

「お坊さま、お坊さま……」

 黒髪ロングの豊満な美女が、そこにはおったそうな。

「ンアアァッグ、クウゥゥゥーッ!」

 イックーさんはその外見を見ただけでイキそうになったが、そんなもったいないことはできぬ。必死にこらえた。

「ありがとうございました、おかげさまで成仏できます……今夜はパーリィナイ?」

「イエス、パーリィナイッ!」

 おお、ついにこのときが来たのじゃ。イックーさんがわらしの貞操を捨て去るときが……いやはや、感慨深いものじゃて。ずっと見ておるのも無粋ゆえ、あとは二人だけの時間にしてやるとしようか。

 ──さて、そうして夜が明けた。

 朝ぼらけの中、イックーさんが山門の掃除をしているところへ、チンねんがやってきた。

「ようイックー!」

「ああ、チンねんさん……おはようございます」

 チンねんはググッと顔を寄せ、

「おはよう……んで? どうだったんだよ? 釣ったんだろ?」

「ええ、まあ……」

「どんな相手だったんだ? 教えろって!」

「美人でしたよ、わたしの理想どおりの方でした」

 そう返すイックーさんのテンションは、なぜか低かった。

「おお、そりゃよかったじゃねえか! お前もBEAT刻んだんだな! これで大人の仲間入りだぜ! やったな!」

 イックーさんはためイキをついた。

「……いえ、やりませんでした」

「えっ! なぜ!」

 目を丸くするチンねんへと、真顔で言ったそうな。

「処女じゃなかったんで」

 こだわりが強すぎるというのも、哀れなものよ。

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