第26話 ねずみの咄
陽気がよくなってくると、遠出の機会も増える。その日、和尚さまとイックーさんは所用で何ヶ寺かを巡り、すっかり遅くなってしまったので、さる宿場で宿を取ることにした。
ところが今日は、宿がどこも満室らしい。この辺りで一番大きな宿『とら屋』もいっぱいだという。
「うーむ、困ったのう」
「野宿するしかありませんかね……」
和尚さまとイックーさんがそんな会話をしていると、一人の子供が駆け寄ってきた。
「お坊さんたち、宿屋をお探しなら、うちにおいでよ! ねえ、おいでよ!」
「ほう、おぬしの家は宿をしておるんか?」
子供は和尚さまの袖をぐいぐいと引き、
「そうだよ、ご休憩? ご宿泊?」
「いや、わしらそういう関係じゃないから」
子供の熱心さに負けて、ならばと向かってみたが、その『ねずみ屋』という宿、どうにもみすぼらしい。まるでほったて小屋じゃ。向かいに『とら屋』があるので、比べて見ればなおさらみじめというもの。
客室の壁は薄く障子は破れ、敷かれた布団は薄い。なにより和尚さまを憤慨させたのは、アメニティが充実していないことじゃ。
「なんじゃこれは! ひどすぎるわい!」
遠出したときは、持って帰ったアメニティを知り合いへのおみやげ代わりに配っているというのに。
「我慢しましょうよ、野宿よりはマシですし」
イックーさんがたしなめても、和尚さまは収まらぬ。
「一言文句をつけてくれよう!」
はげ頭から湯気を立て、主人の元へと向かったのじゃ。
「──へえ、すいやせん、満足なおもてなしもできずに」
主人は平身低頭であった。見たところ腰を悪くしている様子。
しかし和尚さまは、驚くほど大人げなかった。
「こんな宿では、とてもくつろげたものではないぞ。旅の宿というのは、旅人の憩いの場でなければならん」
「へえ、ごもっともで」
「商いというのは、飽きないものというてな、飽くなき熱心さが大切なのじゃ。もっと真面目に商売せい。女中のひとりもおらぬようでは……」
「うるせえ、なまぐさぼうず!」
和尚さまがずっとぶつぶつ言っているので、とうとう主人の隣にいた子供が言い返した。
子供はときに本質を突くわい。
「クォゾオォ……!」
和尚さまは羅刹となりかけたが、先に主人が怒った。子供の額をぺしりとやり、
「コラッ、お客様になんということを!」
子供は目に涙をためて言う。
「う、だって、だって……おいらたちは一生懸命にやってるのに! 全部、あの番頭が悪いんじゃないか!」
「番頭?」
イックーさんが詳しく事情を訊いてみれば、元々主人は向かいの『とら屋』の大旦那だったという。客の喧嘩に巻き込まれて腰を痛め、臥せっている間に、番頭に店を乗っ取られてしまったそうな。
お情けで残されたのは、元は物置として使っていた、この小屋だけ。元々棲み付いていたねずみにちなんで屋号をつけ、どうにか再び宿屋を始めたが、腰の悪い主人と小さな子供だけでは上手くいかぬ。客足もなく困窮の日々を送っておるとのことじゃ。
「すまんな、お前にばかり苦労をかけて……」
「おいらはいいよ、でも、父ちゃんがつらそうで……ああ、母ちゃんが生きていてくれたらよかったのにな……」
父子の会話に、ばつが悪くなった和尚さまは、イックーさんへとひそひそとイッた。
「……これイックー、なんぞ知恵を出してやれ」
「えっ、無理!」
さすがのイックーさんとて、こんなしんみりした雰囲気ではイケぬ。
「どうにかせい、功徳を積む機会じゃぞ」
「うーん……」
イックーさんはひとしきり唸ってから、
「……ああ、でしたら和尚さま、あれを差し上げたらどうです?」
「あれ?」
「ほら、チン五郎さんがくださったという、木彫りのねずみ……」
「えっ! いやじゃ!」
和尚さまは目を剥いた。
以前、アンッコク寺に、高名な彫刻師である左曲がりチン五郎という人が宿を借りにきたことがある。そのとき、宿賃にと置いていったものじゃ。不思議な力を宿しており、和尚さまは大切にしておった。
「屋号にも合っているし、いいじゃないですか」
「ダメじゃダメじゃ、あれはわしの宝じゃぞ!」
「ほらほら、功徳を積む機会ですよ」
「ぬ、う……くうぅ……」
そう言い返されてしまってはぐうの音も出ない。和尚さまは渋々、小さな木彫りのねずみを取り出して机に置き、少し涙目になりながらイッた。
「……これをご覧なされ」
「おや、これは……ねずみですか」
「へえ、二本の足で勃ってらあ、変なの……」
主人と子供が見つめる前で、なんと木彫りのねずみは、大げさな仕草で動き始めた。
「やあ! ぼく、イッキーマウスだよ! よろしくね! ハハッ!」
あぶないあぶない。
「おお、これはなんともファンタジーな!」
「すっげえ!」
父子が歓声を上げるのに、ねずみは可愛く右手を前後させながら踊り始めた。
「イッキます、イッキます、イッキイッキます! イッキます! イッキます! イッキイッキます! イッキまーす! オッホォッ! 太くて大きい元気モノ……」
和尚さまは咳払いをし、
「これは幸運を招く力をもっておる。おぬしらに進呈いたそう」
「えっ! よろしいのですか! こんな素晴らしいものを!」
「そんな、悪いよ!」
かしこまる二人へと、イックーさんは微笑み、
「お店のシンボルとして、可愛がってあげてください」
「さあ、
イベントの開催を高らかに宣言するイッキーマウス。
「ぬうぅ……あの、やっぱり返して……」
「まあまあ」
惜しがる和尚さまをなだめて部屋に戻り、一泊してから、イックーさんはアンッコク寺へと帰っていったそうな。
それからしばらくして、また外泊の機会があったのでねずみ屋に行くと、見違えるほど立派な宿になっておった。
「──おお、あなたがたは! 恩人のお二人!」
「ようこそ、ねずみ屋へ!」
主人と子供は大喜びで迎えてくれた。
「繁盛しておるようじゃな」
「よかったですね」
和尚さまとイックーさんが言えば、ふと父子は顔を見合わせ、表情を曇らせた。
「おかげさまで、イッキーマウスが評判となりまして……でも……」
「え、なにか問題が?」
イックーさんが尋ねれば、子供が通りの向かいを指差し、
「見てよ、あれ」
目を向けてみれば、向かいの『とら屋』の店先に、大きな木彫りの像が置かれているのが目についた。
「あれは……とらですか?」
「ええ、あっしらに対抗して、高名な先生にお願いして彫ったらしいんです」
「あれが置かれてから、イッキーが怖がってるのか、動かなくなっちゃったんだ。お客さんたちもガッカリして、なんとかしたいんだけど……」
父子が返すのに、和尚さまは訝しげな顔をした。
「ふうむ……しかし、随分と不格好なとらじゃのう? ずんぐりむっくりとして、まるで迫力がないぞ」
イックーさんはイッキーに顔を寄せ、
「ねえイッキー、あんなとらが怖いの? 君の方が全然イケてるよ?」
イッキーは突如動き出すと、両手を口元に当てて、ビックリのポーズを取った。
「えっ! あれ、とらなの? ぼく、くまのピューさんかと思ってた!」
くまは猛獣じゃからな、皆さまも十分ご注意なされや。
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