第24話 好きなことでイキてイク咄

 夢漏町むろまちの男子たちのあこがれの職業といえば、産婦人科医やアダルト紙芝居男優などが挙げられるが、春画絵師というのもそれらに並ぶ人気職じゃ。

 しかし、好きなことでイキてイクというのは喜びも多いが、相応の苦しみもあるもの。生活が掛かってくれば責任が生まれる。「やりたいこと」が「やらねばならぬこと」になってしまう……

 さて、ここに一人の男がおった。春先の冷たい川のほとりを所在なげに歩き、ふと立ち止まってはためイキを漏らしておる。

「はあー……困った困った、何も思い付かねえや……」

 名を官能正信かんのうまさのぶという、幕府お抱えの春画絵師じゃ。一時期は当世随一の腕前と讃えられ、その絵を一目見たならば、どんな堅物もたちどころにイッてしまうと評判だった。

 しかし最近は、どうもうまくいかない。将軍さまから依頼された春画も、描いては破り、描いては破りを繰り返しておる。

 ──昔はこんなことはなかった。思うがまま筆を奔らせれば、誰もが前屈みになってしまうような絵が描けた。それなのに今は……

「……ああ、自分でもわかってんだ。最近の俺の絵には艶がねえし、勢いもねえ……でも、どうすりゃいいんだか、とんとわからねえんだ……」

 最近では家にいて、女房どのの顔を見るのもつらい。できた女で、正信の才能を誰よりも信じてくれている。それがつらい。だからこうして、何かと理由を付けて散歩に出ている。

「……ん?」

 俯きながら川原を歩くうちに、ふと紙の束が視界に飛び込んできた。草むらに落ちているそれを拾い上げてみれば……

「おお、こいつは春画じゃねえか! 天然モノか……」

 ざっと目を通してゆくうちに、官能正信はふんどしがきつく締まってイクのを感じた。

「な、なんて凄みのある絵なんだ……ウッ、たまらねえ!」

 こんなに興奮したのは、いつぶりだろうか? 天然モノはいいとは聞いていたが、これほどとは思わなんだ。春画の束を小脇に抱え、前屈みになりながら、官能正信は帰路を急いだ。

 家に帰り着くと、女房どのに声もかけず自室にこもってイッた。

「オアーッ!」

「あら、どうなさったんです?」

 不思議がって部屋を覗いた女房どのに、血走った目でイッた。

「オウッ! こいつを見てくれ!」

「まあ、こんなにたくさん……!」

「すげえだろう? 川原で拾ってきたんだ。こんだけありゃ、一生食うには困らねえぞ!」

 ところが女房どのは、喜ぶどころか眉を顰めよった。

「……あなた、自分の春画は描かないんですか?」

「俺の春画だと? ハッ!」

 官能正信は自虐的に笑った。

「川原にイけば、こんな春画がタダで手に入るんだぞ? そういう時代なんだ。俺の春画なんか誰が買うってんだ?」

「そんな、あなたの春画は三国一の──!」

「ええい、うるせえ! いいから戸を閉めてくれ! 俺はこれからカクんだ……絵は描けねえが、カクんだ!」

 それ以上は聞く耳もたず、官能正信はカキ始めた。とにかくカイた。ひたすらカイた。カイてカイてカキまくった。

「畜生……畜生畜生畜生ッウァー!」

 我知らず、熱いしずくが頬を伝っておった。何もかも忘れたいと願いながらカキ続け、やがて気絶するように眠りにつくのだった……

「──う、うう……ハッ!」

 目が覚めれば夕暮れ、山に帰るカラスの鳴き声と、漂う夕餉の香が郷愁を誘う。意識がはっきりとしてきて、さてもうひとカキと思って、ふと手元を見て驚愕した。

「あ、あれ……おい、俺の春画をどこやった!」

 とんとんとん、包丁の音色が止まった。台所に立っている女房どのが半身に振り向く。

「……春画?」

「たっぷりとあったろう、天然モノが!」

 戸惑うような沈黙があった。

「何の話です?」

「なにって、俺が川辺で拾ってきた春画のことに決まってらあ!」

 女房どのはいぶかしげに、

「あなた、散歩からお帰りになって、すぐに眠ってしまわれたじゃありませんか。夢でもご覧になったのでは?」

「なっ……ゆ、夢? い、いや、そんなはずは……そんなはずはねえ!」

 しかし部屋の中を見渡しても、あんなにカキまくった痕跡は、何一つなかった。家の中を探しても、春画は見付からぬ。ただはいていたふんどしだけが、カピカピになっておった。

「……夢だったってのか? そんな……そんな……!」

 がっくり項垂れる官能正信。

「あんな一級品、それもあんなにたくさん……全部夢だったって? それに俺は、いい年こいて夢で……ああ、恥ずかしい……穴があったら挿入はいりてえ」

 女房どのが苦笑している。

「そんなに落ち込まず、自分でお描きになってくださいな。将軍さまの御依頼の期日も近いんですから」

「馬鹿言っちゃならねえ、こんな精神状態で、仕事なんかできるもんかい!」

 官能正信はそう言ってしばらく仕事に手を付けなかったが、数日も経つと、またふんどしがきつく締まるのを感じ始めた。

 夢の中とはいえ、一度高まった情熱は、そうそう治まらぬ。しかしカこうとしても、おかずがない……

 これは苦しいことじゃぞ。

「う、うう……ええい、畜生ォ!」

 官能正信は、とうとう憤りのままに筆を手に取った。そして描き始めた。とにかく描いた。ひたすら描いた。何もかも忘れるように描いた。描いて描いて描きまくった。

「畜生……畜生畜生畜生ッウァー!」

 我知らず、熱いしずくが頬を伝った。筆とは隠語ではなく、飛び散るのは白い液体ではなく黒い墨汁じゃった。

 ……やがて、一枚の絵が完成した。

 その絵を手に金カク寺へと向かい、将軍さまにお目にかけたところ、 

「ムホォーッ! あっぱれじゃ、官能正信! この乳首石白鶴図ちくびせきはっかくず、傑作中の傑作ではないか! さすがは御用絵師である! クンカカァ!」

「は、ははっ! 畏れ多きこと!」

「これならば報酬も弾もう! 次も期待しておるからな! クンカクンカ!」

「は、あ……ありがたき幸せに御座いまするーッ!」

 大枚を抱え、喜び勇んで家に帰ってみれば、女房どのがなにやら妙な様子であった。両膝を突いて改まっておる。

「あなた、申し訳ありませんでした……」

「お、おう? なんだ、どうした急に」

「……こちらを」

 戸惑う官能正信の目の前に、女房どのは見覚えのある紙の束を差し出した。

「あっ、それは! あの天然モノの春画!」

 女房どのはさめざめと語った。

 この春画を見付けてから、まるで思春期のモンキーの如くカキ始めた夫に危機感を覚え、いても立ってもいられずアンッコク寺へと向かったそうな。このままでは赤玉が出てしまうやもしれぬ……名のあるイキ坊主のイックーさんに、どうしたらよいかと相談しに行ったのじゃ。

 話を聞いたイックーさんは、春画の束を抱えてそそくさと物陰へとイキ、

「ンッグーッ!」

 ひとしきり痙攣してから、次のような知恵を授けてくれた。

「……この春画は、お寺で預かりましょう。旦那さまが目を覚まされたら、わたしの言うとおりにしてください……ふふ、上手くいけば、素晴らしい傑作が出来上がるかもしれませんよ?」

 色気のある絵というものは、まず絵師自らがカキたい絵でなければならぬ。その根底には誰かのため、何かのためではなく、自らの欲望がなければならぬ。

 春画を隠せば、官能正信の発散されぬ欲望が高まり、それはきっと名画を生むだろうと、イックーさんは見抜いておったのじゃ。

「──どうか、お許しくださいませ。あなたの大切なものを勝手に隠してしまって、さぞお怒りのことでしょう」

 平謝りの女房どのへと、官能正信は微笑んでイッた。

「なんのなんの、お前さんのおかげで、いい仕事ができた。ありがてえと思いこそすれ、怒るなんてとんでもねえ!」

「あ、あなた……!」

「これぞ陰徳というものだ。俺が三国一の春画絵師なら、おめえこそ三国一の女房よ!」

 女房どのは涙ぐみながら、

「……もう、我慢なさることはございませぬ。どうぞ、たっぷりとご覧になってくださいまし!」

「お、おお、そうか……!」

 官能正信は一度は春画を受け取ろうとしたが、ふと手を止めた。

「……いや、やめとこう」

「え……?」

 ゆるゆると首を振った。

「また夢精しちまうといけねえ」

 大人になってからすると、なんとも気恥ずかしいものじゃからな。

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