第22話 オォーイエェェッスの咄

 ストリッパーが着衣を一枚一枚脱いでいく様にも似て、山をしていた紅葉が落ちていくと、やがて冬が訪れた。

 時刻は早朝、山道には霜柱が立ち、また布団の中では、イックーさんのシモばしらもっておったそうな。

「わたしは星に、はなちます……ンッ!」

 おやおや、どんな夢を見ておるのやら……

 だが、イックーさんの幸せそうなまどろみは、どたどたと慌ただしい足音に邪魔されることになる。

「──イックー! これイックー!」

「オッホオオォ!?」

 部屋の戸が突然開かれたので、イックーさんは跳ね起きた。

「な、なんですか和尚さま! こんなに朝早くに!」

「大変じゃ! このままではおぬしはこの寺を出ねばならぬぞ!」

「えっ……どういうことです?」

 和尚さまが語るによれば、まだ朝ぼらけのうちに、アンッコク寺に一人の他宗派の僧がやってきたそうな。名の知れたイキ坊主であるイックーさんの噂を聞きつけ、長い旅をしてきたという。是非自分のもとで教えを受けるべきだと言い出した。

「──やつめ、わしを俗物だと嘲りおってのう! イックーに教えを授けるのに相応しいのは自分だと言うのじゃ!」

 まあ俗物ではあると、イックーさんも常から思ってはいる。

「はあ……それで?」

「さすがに温厚なわしもブチキレたわい! やいおぬし、そこまで言うにはさぞかし徳の高い僧なんだろうな、と迫った。そうしたらあやつ、問答勝負をしようと言うんじゃ。勝った方がイックーの本当の師匠だと……」

 イヤな予感がするわい。

「まさか……」

 和尚さまは悔しげに、

「……言い負かされてしもうたわ」

 イックーさんは坊主頭をかかえた。

「なぜ勝手にわたしの身柄を賭けたりしたんです……!」

「ついカッとなって」

 そういうところが俗物なのだと、喉まで出かかったが、イックーさんは我慢した。

「さあイックー、おぬしの知恵のイカしどころじゃぞ! やつを追い返すんじゃ!」

「わたしはただのイキやすいだけの小坊主なのに……」

 和尚さまはイックーさんへと顔を寄せ、ヒソヒソと言った。

「わしはおぬしの母上から、おぬしの養育費にと金子きんすを預かっておる。もしおぬしが改宗でもすることになれば、金子を返せと言われるかもしれぬ……そんなのはいやじゃ! どうにかしてくれ、頼む!」

 イックーさんは慄然りつぜんとした。国中をくまなく探しても、これほどの俗物にはそうそうお目にかかれまい。

 しかしイックーさんにしても、アンッコク寺での暮らしは気に入っている。やるだけのことはやってみようと思い、客間へと向かったのじゃ。

 果たして客間には、一人の男が待っておった。

「オー! アナタがイッグーさんデスね?」

「ヒアアァッ!?」

 その姿を見たイックーさんは、驚いてしもうた……

 にこやかに微笑みながら胡坐をかいている男は、頭頂部をカッパのように剃り上げ、黒衣を羽織っておった。彫りの深い顔立ちや口調から、この国の者ではないとわかる。

「あ、あなたは!?」

「ワタシはカリブト教の宣教師、フランシスコ・ザビエロいいマス」

「ザビエロさん!」

 他宗派とは聞いていたが、まさか異国とつくにの方とは思っていなかった。

「ハイー、初めまシテ」

「ど、どうも……」

 イックーさんは恐る恐る対面に座った。

「ええと……わたしをお誘いに来られたと伺いましたが?」

「そうデス。イッグーさん、アナタはカリブト教徒になるべきデス!」

「あ、すみません、わたしはイッグーではなくイックーですね……イッグーだとちょっとイキすぎてる感あるんで……」

「オー、イックゥさん、すみませんネ!」

「いえ……それで、なぜそこまでわたしを買ってくださっているのですか?」

 身を乗り出すザビエロ。その青みがかった瞳がきらりと輝いた。

「アナタ、とてもイキやすいそうデスネ?」

「え? ええ、まあ……」

 ザビエロは天を抱くように両腕を伸ばし、大仰な仕草でイッた。

「それこそがカリブト教徒としての、またとない資質なのデス!」

 そして、熱をもって語り始めたのじゃ……


 ──遠い遠い、創世の頃の話である。

 大いなる神はまず最初の人であるアッダメを創り、またアッダメのあそこの骨からイクという女を創られた。そして、二人が住まうための楽園もお造りになられた。

 神は楽園の中央にいちじくの木を植えられ、アッダメにこう申し付けられた「これを決して尻に刺してはならない」

 アッダメは言いつけをよく守ったが、あるとき一匹の蛇がイクをそそのかした「いちじくを尻に刺すと、気が狂うほど気持ちええぞ」

 イクはアッダメを誘い、いちじくをかんちょうとした。「ンオオオオォ」「アッイィ」二人はにわかに気持ちよくなってしまった。

「やりおったな」

 神はその姿を見て言われた。

「お前たちはこれから楽園を出なければならない。悪しき快楽を知ったものはこの楽園にはおれぬのだ」

「えっ、そんな!」

「お前たちはこの園の東の荒野にイカなければならぬ。これからはお前たちも子孫も、苦労して快楽を得ることになるだろう」

 そして人はそれ以降、懸命に努力しなければイケなくなった。それまではイキたければイケたのに、道具をつかってイクことを覚えてしまったアッダメとイクは、もう天の快楽からはほど遠くなってしまった……


 語り終えたザビエロは、まだ興奮冷めやらぬ様子で続けた。

「つまりイキやすいというのは、神の国に近いということなのデス! アナタはひょっとしたら、神の子なのかもしれない!」

「え、でもわたし、たまに道具使いますが……」

 イックーさんが言えば、ザビエロは眉毛を下げた。

「それは悪しき快楽デース。やはり和尚さまは、アナタを正しくお導きになりませんネ」

「はあ……」

「このままでは、せっかくの才能がダメになりマス。ワタシとイキまショウ?」

 イックーさんは一瞬……そう、ほんの一瞬だけ悩んだ。アンッコク寺に預けられたのは、やむにやまれぬ御家の事情からじゃ。自分の意志からでも才覚ゆえでもない。これほど強く誘われ、認められたことは、いまだかつてなかった……

 だが、悩んでいたのは一瞬じゃ。

 イックーさんは顔を上げ、きっぱりと言うたそうな。

「すみません、一緒にはイケません」

「オーなぜデスか!?」

「忠臣は二君にクンつかえず、と申します。わたしはいかな神仏にあっても、その心を忘れたくありません。口は一つしかありませんので、あとは指になってしまいますからね」

 この知性……賢者のとき? だが今日はイックーさんはイッておらぬはず……いや、忘れてはいかぬぞ! イックーさんは朝、布団の中で既に放っていたことを!

「オーッゴオォォッド! オーッイエエェェッス!」

 ザビエロはたじろいだが、まだ退かなかった。ひとしきりあえいだ後、ズイッとイックーさんに迫った。

「で、ではイックゥさん、ワタシと問答勝負してクダサーイ! ワタシの出す問答に答えられなければ、アナタは未熟というコトデス! つまり、この寺では十分な教育は受けられていないという証拠デスね!」

「え、えええ、そんな急に……!」

「ではイキまーす!」

 異国の人は強引じゃわい。

「ある町に、住民たちから石を投げつけられている女性がおりマシタ。その女性はエッチな仕事をしていたから、住民たちに蔑まれていたデス。さて、アナタがもしその場に通りかかったら、どうするデスか?」

「えっ……そりゃ止めますよ」

「でも、町の人たちはそう簡単には止まらないのデス。どう止めるデスか?」

 イックーさんは少し考えてから、答えを口にした。

「あなたがたのうちで、一度もよからぬ妄想をしたことのない人だけが、その女性に石を投げてもよい……と、言いますかね」

「オ、オオ、そんな! ゴオオォォォッド!」

 ザビエロは激しくたじろいだ。

「オーイエエェェッス! オオオォッイエーッス……」

 イックーさんが口にしたのはまさしく、カリブト教徒たちが敬愛し崇拝する、神の子の言葉だったからじゃ……

「ど、どうなさいました?」

 イックーさんが心配して言えば、ザビエロは激しくたじろぎながらイッた。

「オッオォ……イックゥさん、アナタは我々カリブト教の教えをご存じだったのデスか……?」

「いえ、存じ上げませんでしたが……」

「オーなんと……なんというコトデスか……オー、アーッス……ッスーッオー……オーッス……アースッオオオォイェス……カムォーン……」

 洋モノじゃな。

 ザビエロは何度かかぶりを振りながら、激しく息を吸っていたが、しばらくのちに諦念の笑みを浮かべてイッた。

「……ふう、ワタシの負けデス、イックゥさん」

「え、今のでイイんですか?」

「ハイ、最高の答えデース」

 なおも首を振り、

「約束どおり、今日のところは引き下がるデス。アナタに教えを授けるなど、おこがましいコトだと思い知りマシタ」

 イックーさんは恐縮してしまう。

「わたしはただのイキやすい小坊主なんですけどねえ……」

「フフフ、でも、アナタを諦められそうにありマセン」

 熱っぽい瞳がイックーさんを見つめた。

「いつの日かまた、アナタを誘いにくるデスよ。これからこの国にカリブト教を布教しにイきます。そしていつかワタシが、立派な宣教師になった頃に」

「それほどまでに、わたしを……」

 ザビエロは微笑みながら立ち上がった。

 窓から差し込む冬の朝日は、爽やかにして清らかである。その清廉な光に向き直ると、ザビエロは胸の前で十字を切った。おもむろに両手を組み、膝をついた姿は、一枚の宗教画イクンの如く荘厳であった。

「全ては、主の御心のままに……Samen」

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