第18話 妥当な値段の咄
お盆の時期になると、アンッコク寺も何かと忙しゅうなる。法事を頼まれた和尚さまのお供で、イックーさんも都に行くことが多くなった。
シンえもんとよく
それでもやはり、歓楽街を通りかかったりすると、
「ンッ!」
イキかけてしまうのじゃ……
「これイックー、大人しく待っておくんじゃぞ。勝手にどこかにイッたりするなよ」
「アッ……わかりました」
歓楽街近くの檀家さんに立ち寄ったとき、和尚さまはイックーさんを門前に残して屋敷へと入ってイッた。そのまましばらく待っていたが、話が弾んでいるのか、いっこうに出てくる気配がない。
あまりに暇なのと、繁華街のにぎわいに誘われ、気が付けばイックーさんはそちらにフラフラと向かっておった。
軽はずみなことよ。
「──可愛い子いるよー可愛い子いるよー二十文ポッキリはい二十文ポッキリ!」
「お兄さんどう? うちに決めちゃいなよ、キャバクラ幕府から続く優良店だよ!」
客引きたちが先を争って、通行人たちに声がけをしている。
ちなみにキャバクラ幕府とは、
「──ハッ!? いつの間に、わたしはこんなところに……?」
ふと我に返ったイックーさんは気圧され、激しい罪悪感を覚えた。いけない、いけない……戻らなくては、こんなところに素人が居てはいけない……
「おっ! 小坊主さん、どう? スッキリしていかない?」
「ンホオォ!?」
みるみる客引きたちが群がってきた。まるでサバンナに投げ落とされた生肉のようなものじゃ。
「良い子いるよ! 優良店、だましなし!」
「うちは行き届いてるよ、各種プレイOK! 尼さんも赤ちゃんもイケるよ!」
イックーさんはすっかりブルッてしもうた。
「あの、でも、わたしは御仏に仕える者ですから……」
「大丈夫大丈夫!」
「まだそういうの経験ないんで……」
「大丈夫大丈夫!」
「病気とかちょっと心配ですし……」
「大丈夫大丈夫!
ダジャレじゃな?
とにかく根拠を感じさせない勢いだけで、イックーさんを引っ張っていく客引きたち。
「あ、あの、でも……わたし、お金持ってませんし……!」
だが、イックーさんがそう言ったとき、客引きたちの動きがピタリと止まった。口々に溜息を漏らす。
「なんでえ、まぎらわしい……」
「よくもこの小坊主、いけしゃあしゃあと」
「貧乏モンがこんなとこ出歩くんじゃねえよ」
「金がねえなら、けえんな」
客引きたちはすぐさま、散り散りになってイッてしまった。あまりにもあからさまな手のひらがえしに、イックーさんは哀しくなった。
……戻ろう。こんなところに来てしまったのが間違いだ。今頃、和尚さまも怒っているかもしれない。
檀家まで戻ろうとして、ある店の前を通りかかったとき、
「あーん、ああーん……」
ふと色っぽい声が流れ出してきた。
「オアァーッ!? アッ、あ……お、おぉ」
イックーさんは、イキかけてしもうた……この声からすれば、中で生命のいとなみが繰り広げられていることは明白であろう。
イックーさんはついフラフラと店に近づき、聞き耳を立てた。
「あーん、あーんあーん……」
「イッ……アイッ……ンッグ……インッグ!」
中は覗けないが、漏れてくる声だけで十分イケる。生命のいとなみとは、目で見て楽しいだけではなく、耳で聞くのも風情があるものでな。
「ンッあ、ほ……ほゥ……アアアァァアァァァッヒイイイィー!」
見よ、イッた。
「ア、ヒ……ふ……」
イックーさんが余韻に身を震わせておると、さっきからその様子を見ていた店の者が、そそくさと近付いてきた……
「ほっほっほ、これはイックーさん……」
その卑猥な頭の形には見覚えがあった。
「えっ、亀頭屋さん! どうして!」
「これはわしの店ですぞ。手広くやっておるのでね」
「そうだったんですか……」
「それより……今イキましたね?」
「えっ」
「ごまかしても無駄ですよ。あなたは今、確かにおイキなすった」
「あ、いえ、ごまかすつもりは……」
亀頭屋さんは、勢いよく手を差し出した。
「だったらお代をいただきましょうか!」
「ヒァー!?」
「音も商売道具なのですぞ。それを聞いてイッておきながらお代を払わぬというのは、泥棒にも等しい行為とは思いませんか?」
亀頭屋さんは、イックーさんをやり込めたくて仕方がないとみえる。
「さあ、払わぬのなら、役所に突き出しますぞ!」
「……う、う、ううぅぅ」
イックーさんは半泣きになりながら、巾着を取り出した。少ないおこづかいの中から少しずつ貯めた、大切なお金が入っておる。
「う、う……」
ちゃりんちゃりん、イックーさんの震える手元から、数枚の貨幣が落ちた。
「おっと、イケませんなあ、銭は大切になさらねば……ほっほっほ」
亀頭屋さんはニヤニヤと笑いながら、腰を屈めて拾おうとした。もはや勝った気になっておる。
……だが、忘れてはならぬぞ。イックーさんが今しがたイッたということを! イッた直後のイックーさんの知性は、まさに賢者よ。
イックーさんは亀頭屋さんより素早く貨幣を拾い上げると、微笑んでこうイッた。
「今、お金が落ちた音をお聞きになられましたね?」
「なんですと?」
「わたしは、あなたのお店から漏れる音を聞きました。ですから、お金も音で支払うのが道理というものでしょう」
「ヌッ……ぬぐっ……!」
亀頭屋さんの卑猥な頭が真っ赤に染まり、頭頂部からたらたらと汗を垂らし始めた。
イックーさんは軽く頭を下げ、
「どうぞ、お納めください」
「ぐ、ぐぐぐ……おのれ、おのれこの……変態! 変態め! 変態のくせに知恵ばかり回る生イキな小坊主めが!」
「ふふ……今日のはなかなかでしたよ。そんなに罵倒しないでください、イッてしまいそうになります」
亀頭屋の苦しまぎれの罵倒を背に、イックーさんは菩薩の微笑みを浮かべたまま、屋敷へと戻ってイッた。
ところが門前まで来ても、まだ和尚さまの姿がない。どうしたのか、さすがに遅すぎる……不審に思って屋敷に近づいてみると、障子戸が半分開いておった。
「あーん、ああーん……」
……そういえばここの檀家さんは、未亡人だったことを思い出す。イックーさんは渋面になると、ピシャリとわざと音を立てて戸を閉めた。
「あっ! い、イックーか? これはその……!」
和尚さまの慌てた声に、イックーさんはこう返したそうな。
「まったく、音が漏れてますよ! ちゃんと閉めてください! 音もタダじゃないんですから!」
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