第18話 妥当な値段の咄

 お盆の時期になると、アンッコク寺も何かと忙しゅうなる。法事を頼まれた和尚さまのお供で、イックーさんも都に行くことが多くなった。

 シンえもんとよく亀頭屋きとうやを覗きに行っているので、最近はイックーさんも、都の刺激に耐性がついてきておる。

 それでもやはり、歓楽街を通りかかったりすると、

「ンッ!」

 イキかけてしまうのじゃ……

「これイックー、大人しく待っておくんじゃぞ。勝手にどこかにイッたりするなよ」

「アッ……わかりました」

 歓楽街近くの檀家さんに立ち寄ったとき、和尚さまはイックーさんを門前に残して屋敷へと入ってイッた。そのまましばらく待っていたが、話が弾んでいるのか、いっこうに出てくる気配がない。

 あまりに暇なのと、繁華街のにぎわいに誘われ、気が付けばイックーさんはそちらにフラフラと向かっておった。

 軽はずみなことよ。

「──可愛い子いるよー可愛い子いるよー二十文ポッキリはい二十文ポッキリ!」

「お兄さんどう? うちに決めちゃいなよ、キャバクラ幕府から続く優良店だよ!」

 客引きたちが先を争って、通行人たちに声がけをしている。

 ちなみにキャバクラ幕府とは、源頼朝勃みなもとのよりあさだちが正常位大将軍となって開いた幕府のことじゃ。それが本当なら、もう二百年近く続いていることになるが……疑わしいな。

「──ハッ!? いつの間に、わたしはこんなところに……?」

 ふと我に返ったイックーさんは気圧され、激しい罪悪感を覚えた。いけない、いけない……戻らなくては、こんなところに素人が居てはいけない……

「おっ! 小坊主さん、どう? スッキリしていかない?」

「ンホオォ!?」

 みるみる客引きたちが群がってきた。まるでサバンナに投げ落とされた生肉のようなものじゃ。

「良い子いるよ! 優良店、だましなし!」

「うちは行き届いてるよ、各種プレイOK! 尼さんも赤ちゃんもイケるよ!」

 イックーさんはすっかりブルッてしもうた。

「あの、でも、わたしは御仏に仕える者ですから……」

「大丈夫大丈夫!」

「まだそういうの経験ないんで……」

「大丈夫大丈夫!」

「病気とかちょっと心配ですし……」

「大丈夫大丈夫! 大乗仏教だいじょうぶっきょう!」

 ダジャレじゃな?

 とにかく根拠を感じさせない勢いだけで、イックーさんを引っ張っていく客引きたち。夢漏町むろまちというのは、とにかく奔放な時代だったのじゃ。

「あ、あの、でも……わたし、お金持ってませんし……!」

 だが、イックーさんがそう言ったとき、客引きたちの動きがピタリと止まった。口々に溜息を漏らす。

「なんでえ、まぎらわしい……」

「よくもこの小坊主、いけしゃあしゃあと」

「貧乏モンがこんなとこ出歩くんじゃねえよ」

「金がねえなら、けえんな」

 客引きたちはすぐさま、散り散りになってイッてしまった。あまりにもあからさまな手のひらがえしに、イックーさんは哀しくなった。

 ……戻ろう。こんなところに来てしまったのが間違いだ。今頃、和尚さまも怒っているかもしれない。

 檀家まで戻ろうとして、ある店の前を通りかかったとき、

「あーん、ああーん……」

 ふと色っぽい声が流れ出してきた。

「オアァーッ!? アッ、あ……お、おぉ」

 イックーさんは、イキかけてしもうた……この声からすれば、中で生命のいとなみが繰り広げられていることは明白であろう。

 イックーさんはついフラフラと店に近づき、聞き耳を立てた。

「あーん、あーんあーん……」

「イッ……アイッ……ンッグ……インッグ!」

 中は覗けないが、漏れてくる声だけで十分イケる。生命のいとなみとは、目で見て楽しいだけではなく、耳で聞くのも風情があるものでな。

「ンッあ、ほ……ほゥ……アアアァァアァァァッヒイイイィー!」

 見よ、イッた。

「ア、ヒ……ふ……」

 イックーさんが余韻に身を震わせておると、さっきからその様子を見ていた店の者が、そそくさと近付いてきた……

「ほっほっほ、これはイックーさん……」

 その卑猥な頭の形には見覚えがあった。

「えっ、亀頭屋さん! どうして!」

「これはわしの店ですぞ。手広くやっておるのでね」

「そうだったんですか……」

「それより……今イキましたね?」

「えっ」

「ごまかしても無駄ですよ。あなたは今、確かにおイキなすった」

「あ、いえ、ごまかすつもりは……」

 亀頭屋さんは、勢いよく手を差し出した。

「だったらお代をいただきましょうか!」

「ヒァー!?」

「音も商売道具なのですぞ。それを聞いてイッておきながらお代を払わぬというのは、泥棒にも等しい行為とは思いませんか?」

 亀頭屋さんは、イックーさんをやり込めたくて仕方がないとみえる。

「さあ、払わぬのなら、役所に突き出しますぞ!」

「……う、う、ううぅぅ」

 イックーさんは半泣きになりながら、巾着を取り出した。少ないおこづかいの中から少しずつ貯めた、大切なお金が入っておる。

「う、う……」

 ちゃりんちゃりん、イックーさんの震える手元から、数枚の貨幣が落ちた。

「おっと、イケませんなあ、銭は大切になさらねば……ほっほっほ」

 亀頭屋さんはニヤニヤと笑いながら、腰を屈めて拾おうとした。もはや勝った気になっておる。

 ……だが、忘れてはならぬぞ。イックーさんが今しがたイッたということを! イッた直後のイックーさんの知性は、まさに賢者よ。

 イックーさんは亀頭屋さんより素早く貨幣を拾い上げると、微笑んでこうイッた。

「今、お金が落ちた音をお聞きになられましたね?」

「なんですと?」

「わたしは、あなたのお店から漏れる音を聞きました。ですから、お金も音で支払うのが道理というものでしょう」

「ヌッ……ぬぐっ……!」

 亀頭屋さんの卑猥な頭が真っ赤に染まり、頭頂部からたらたらと汗を垂らし始めた。

 イックーさんは軽く頭を下げ、

「どうぞ、お納めください」

「ぐ、ぐぐぐ……おのれ、おのれこの……変態! 変態め! 変態のくせに知恵ばかり回る生イキな小坊主めが!」

「ふふ……今日のはなかなかでしたよ。そんなに罵倒しないでください、イッてしまいそうになります」

 亀頭屋の苦しまぎれの罵倒を背に、イックーさんは菩薩の微笑みを浮かべたまま、屋敷へと戻ってイッた。

 ところが門前まで来ても、まだ和尚さまの姿がない。どうしたのか、さすがに遅すぎる……不審に思って屋敷に近づいてみると、障子戸が半分開いておった。

「あーん、ああーん……」

 ……そういえばここの檀家さんは、未亡人だったことを思い出す。イックーさんは渋面になると、ピシャリとわざと音を立てて戸を閉めた。

「あっ! い、イックーか? これはその……!」

 和尚さまの慌てた声に、イックーさんはこう返したそうな。

「まったく、音が漏れてますよ! ちゃんと閉めてください! 音もタダじゃないんですから!」

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