第16話 猥談百物語の咄
暑くて寝苦しい夜に、ぴったりのものといえば? そう、怪談じゃな。
人は恐怖を感じると体温が下がる。これは科学的にも証明されておるらしい。納涼にはうってつけよ。
盆の近付くある夜更け。イックーさんと小坊主たちは和尚さまが寝静まるのを待って
皆様もご存じであろうと思われるが念のために説明をしておくと、百物語というのは怪談を話し終えるごとに一本ずつヌイていき、それを百回もくり返す怪談会のことじゃ。百本目をヌイたときには、本物の怪異が訪れ、なにか恐ろしいことが起こるとされておる……
法堂内を照らすろうそくの明かりは、どうにも頼りない。外は、ひたひたと染み込んでくるような夜の闇じゃ。息苦しさを覚えるような、静かな闇じゃ……
「──これは、平アンッの頃の話らしいんだけど……」
早速、小坊主の一人が口を開いた。
「丁度、今日のような、曇りがちな夜に……ある牛飼いのところに、一人の客が訪れたそうだ……見るからに高貴な女性で、どうしてもイキたいところがあると言う……牛飼いは牛車に乗せてやった……でもその女が、一言も喋らなくて……とても、静かなんだ……」
小坊主の話が進む。うす暗いお堂の中でのこと、お互いの顔もぼんやりとしてよくわからない。
「どうも変だ……と、牛飼いは思ったらしい。女がイキたいと言った場所は、とても人の通わないような郊外の草地……」
小坊主の語り口は、たくみであった。
「……着きましたよ、お客さん……牛飼いがそう言って車内を見ると……誰の姿もそこにはなくて……女が座っていた場所は、じっとりと濡れていたそうだ……ウッ!」
小坊主が最後にヌイて、話を締めくくった直後、
「きゃあンッ! こわァいン!」
オカマっぽい小坊主が悲鳴を上げ、イックーさんに抱きついてきおった。
「えっ、あの、やめてくださいよ……わたしはそういう趣味は……!」
緊張していた雰囲気が、少しやわらいだ。
「お……おいおい、チンねん! 腕を上げたなあ!」
「ぞくっとしたよ!」
「ほンと、チビッちゃうかと思ったワ!」
小坊主たちが口々にほめそやす。
「よしじゃあ、次は俺だ……むかしむかし、アレ
小坊主たちは、次々に話をしていったそうな。
「──ウッ!」
「アンッ!」
「ンアーッ!」
……話数が重なっていくにつれて、あたりには栗の花のかおりがうっすらと漂い始めた。
いよいよもって夜の闇は深みを増し、みな、口数が少なくなっていた。広いお堂の隅までは、ろうそくの光は届かぬ……ひたひたとたゆたう影が、なにか得体の知れない気配を帯び始めている……
「……オウッ、クッ……ふぅ、これで九十九話だな」
しばらく沈黙があった。
「……涼しくなってきたな」
「うん……ていうか、寒いくらいだ……」
「……アタシ、怖いワ」
誰かが、もうやめようか、と言った。
十分涼しくなったし、なにも百話まで続けることはないのでは? このまま平和に朝を迎えるのもいいではないか……
……だが、年長者の小坊主が首を振った。
「一度始めたからには、最後までやる。それがしきたりだからな……さあ、イックー、百話目はお前だ」
イックーさんは頷いた。とっておきの話が用意してある。
和尚さまの友人に
気持ち悪いのう。
その勃兵衛から仕入れたとびきりの怖い話、百話目にはふさわしかろう。
「……昔、
イックーさんの唇から、水のように物語が流れ出した。言葉がひたひたとお堂を浸していくように思える……
「ウホいちさんは盲目でしたが、芸の腕前はそれはそれは素晴らしく、鬼をも泣かせると称えられるほどのものでした……」
……ある夜、ウホいちの元に一人の武者がやってきた。自分のお仕えするやんごとなき御方が、ウホいちの技を所望しておるとのこと。
手を引かれるままに向かえば、大勢の人の気配があった。ウホいちが技を披露すると「ウッホォ!」「アッ!」「ンー!」悦びの声が重なっていく……やがて一通りマッサージが終わったとき、貴人の声が告げた。
素晴らしい腕前であった。是非、明日も此処へ来て、ヤッてくれぬか……?
「──夜ごと出かけていくウホいちさん。怪しいと思った和尚さまが若い衆に後を追わせると、ウホいちさんはなんと、墓場の真ん中で墓石をモミモミし続けていたそうです……」
……これは怨霊にとり憑かれておるのだ。このままでは、ウホいちは殺されてしまう……そう思った和尚は一計を案じた。
ウホいちを全裸にすると、その全身に経文を書き込み、お堂の隅に勃たせたのじゃ。よいか、これで怨霊にはお前の姿は見えぬはず。呼び掛けられても返事をしてはならんぞ。御仏がお前を守ってくださるじゃろう……そう言い残して、和尚は村の通夜へと出掛けていった……
「──ウホいち、ウホいち、迎えに来たぞ……いずこにおるか、ウホいち……」
イックーさんの声は、まるで本物の怨霊の声のようだった。
「ウホいち……どこじゃ……声が近付いてきます。ウホいち……」
怨霊は近付いてきたが、ウホいちの姿を見失っておる様子。だが、やがてぽつりと言うた。
「む……これは……?」
怨霊は足を止めた……闇の中にぼんやりと浮かび上がる、ウホいちさんの琵琶を見付けたのじゃ。
琵琶とは……隠語じゃな?
和尚はウホいちさんの琵琶にだけ、経文を書き忘れておったのだ……
「……なんと、口を無くしたかウホいち。これでは返事もできまい……しかし、主上は連れて来いと仰られた。ならば出来得る限りその命に添わねばならぬ。この琵琶だけでも持って帰るとしよう……」
ごくりと、誰かが喉を鳴らした。
「……和尚さまが帰ってきたときには、息も絶え絶えになったウホいちさんが、横たわっていたそうです……くウッ!」
イックーさんがヌイて、話を締めくくった。
……誰も、何も言わなかった。堂内は重苦しい静寂に包まれておった。
ついに百話目が終わってしもうたのじゃ。この後、何かが起きる……大きな恐怖と、かすかな期待……
しばらくの時が過ぎて、誰かがふと溜息を漏らした。
「……何も……起こらないな」
えたいの知れない重苦しい気配が、ふっと遠ざかっていく。
「まあ、そうだよな……そりゃそうだ」
「なんだよ、怖かったのか?」
「ちげーよ!」
楽し気な言葉が交わされる中、がたん! と音がして、みな弾かれたように目を向けた。お堂の入り口が開かれたのだ。
吹き込んでくる風がろうそくの火を揺らし、それにともなって影が揺れる。戸板の横には、一人の小坊主が立っていた。彼が開けたのだろう。
誰かがふと言った……あれ、誰だ? あんなやつ、知らない……
揺らめく風景の中、小坊主は妙に艶めかしい瞳を、イックーさんへと向けた……
「……痛かったワよ、琵琶を取られたときは」
「ひっ……イグッ……!」
強く風が吹き込んで、ろうそくの火が消えて……辺りは……闇……栗の花の香る、ぬばたまの闇じゃ……
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