イックーさん

第12話 用法用量を守って正しくお使いくださいという咄

　人として生を受けたならば決して逃れ得ぬくびき、すなわち†原罪（SIN）†……その名を抱きたる男を伴い、イックーさんはトボトボと都への道を歩いておった。

「はあぁ……和尚さまも、あんなに怒らなくても……」

「仕方ないでござるよぉ！　ムシャムシャ」

　またなにか食べておる……

「……それ、なんですか？」

「エクレアでござる」

「……細くないですか？」

「細いエクレア」

　ほんとぉ？

「まあ、お嫁さんが破壊されては、和尚さまも怒るでござろうよ」

「悪かったとは思ってますよ……」

　激怒する和尚さまから、新しいのを買ってこいと命じられ、亀頭屋（きとうや）へと向かっている最中なのである。

　和尚さまは、半分は本気で怒っていたが、もう半分はイックーさんをおもんばかってのことだった。結局イケなかったイックーさんが、亀頭屋でたくさんの卑猥なモノに囲まれれば、元気になるのではないかと画策したのじゃ。

　護衛としてついてきたシンえもんは、そのことを和尚さまから聞いておったので、今日は精一杯気晴らしをさせてしんぜようと息巻いていた。

　やがて亀頭屋へと到着し、予定どおり携帯花魁（おいらん）シリーズの最新型（シリコン製のやつ）を注文してから、色々と物色する二人。

「イックーどのォ！　見てくだされ、これを！」

「いかついですね」

「どうです、使ってみては！」

「いえ、結構です」

「そうでござるか……では、こちらのウィンウィンと動くモノは？」

「ちょっと激しいですね……」

「……む？　これは……なんでござろう？」

「女性同士で使うのでは？」

「ア、ナルほど……使ってみるでござるか！」

「いえ、やめておきます」

　いまいち反応の薄いイックーさんに、シンえもんは眉を落とした。

「……イックーどの、やはり元気がないでござるな」

「いえ、わたしは……そうですね……」

　イックーさんは目を伏せる。

「……わたしは少しだけ、イクことに疲れてしまったのかもしれません」

「おやおやイックーさん？　らしくないことを！」

　と、携帯花魁シリーズを抱えてやってきたのは、卑猥な頭の商人だった。

「亀頭屋さん……」

「あなたからイクことを取ったら、何が残るというのです？　誰はばかることなくイッてこそのイックーさんではないのですか？」

「それは……」

　イックーさんは儚げであった。

「しかし、わたしはもう……以前のようには……」

「……やれやれ、見ていられませんな」

　亀頭屋は首を振ると、携帯花魁シリーズと一緒に小さな錠剤を渡した。

「……これは？」

「おまけに差し上げましょう。倍櫓（ばいやぐら）という、南蛮渡来（なんばんとらい）の妙薬ですぞ。精力を増強し、男の身体にある櫓のサイズを倍にするのです」

「なんと、やぐらを……」

　隠語じゃな。

「もしイキたくないのでしたら、お捨てなされ。イキ心を忘れ、穏やかに過ごすのもよろしいでしょう……しかし、もしあなたが今一度、心の底からイキたいと願うのならば……お飲みなさい」

　イックーさんは、掌の上の倍櫓を見つめた。

「……なぜ、わたしにこれを？」

「ふ、ふ……しなびたきゅうりと元気なきゅうりなら、元気なきゅうりの方がよいでしょう？」

　亀頭屋は肩を揺すって笑った。

「あなたは確かに憎らしい小坊主さまだが、イキ姿は見事なものだ。それがわからぬ亀頭屋ではございません」

　亀頭屋は笑いながら、店の奥へと引っ込んでしまった。

　その後、イックーさんとシンえもんは帰路についたが、シンえもんがウィンウィンと動くモノを買うと言って厳選していたせいで思いのほか時間が遅くなってしまい、都で宿を取ることになった。

　玄関にて『ここではきものをおぬぎください』との張り紙にしたがい、履物（はきもの）を脱いで中に入ったとき、

「……えっ!?」

　イックーさんはたまげた。

　なんということか……老若男女分け隔てなく、客たちが全裸で歩き回っておるではないか。

　インモラルにもほどがあるわい。

「店主、ヌーディストパーティーでも開いておるのでござるか？　モグモグ！」

　シンえもんが目を丸くして尋ねると、店主は弱り顔で言った。

「それが、私どもにもなにがなにやら。うちの宿に入ってくるなり、服を脱ぐ方が続出しておりまして」

「それは、なんとも奇妙な……イックーどの、理由がわかるでござるか？」

「いえ、まったく……」

　シンえもんは目を輝かせた。

「丁度よい、今こそイキどきではないですか！　さあ、賢者の刻に……」

「──やめてください！」

　イックーさんが不意に声を荒らげたので、シンえもんはたじろいだ。

「ど、どうしたでござる？」

「わたしは……わたしはっ……普通にイキたいのです！　皆に見られながらとか、賢者の刻とか、そんなのは普通じゃありません！」

「イックーどの……」

「シンえもんさんは、どうしてわたしにイケとおっしゃるのですか！　この宿のために？　それとも、わたしのイキっぷりを見てあざけりたいのですか！　わたしは、もっと……普通にイキたいのです！」

　シンえもんは目を細めた。

「……普通のイキかたなど、この世にあるのかどうか」

「え？」

「イクときは誰でも、変態なのではござらんか？」

「……！」

「拙者は別に、賢者の刻を期待して申したわけでも、イックーどのを馬鹿にしたわけでもござらんよ」

「で、では、なぜ……？」

「イックーどののイキっぷりに、心底惚れ込んだ。それだけのことでござる」

　その邪気のない微笑みが、イックーさんのかじかんだ心をぬくもらせていく……やがてイックーさんは、懐から倍櫓を取り出すと、躊躇いなく飲んだ。

「イックーどの！」

「……ずるいお人ですよ、あなたは、本当に」

　イックーさんは、憑き物が落ちたかのように微笑むと、その場で袈裟を脱いだ。

「お、おお……それは！」

　シンえもんは目を見張った。イックーさんの全身には、荒縄がきつく巻かれていたからじゃ。

「……イキます」

「おお……！」

　シンえもんは、ウィンウィンと動くモノを取り出した。

「使うでござるか！」

「いえ、これで結構」

　言い置いて走り出すイックーさんに、シンえもんは思わず叫ぶ。

「そのまま……そのまま……イッけえええええぇぇ！」

　イックーさんは目いっぱい助走をしてから跳躍すると、宿の梁に己の長いふんどしの裾を巻き付けるようにして、自ら宙吊りとなった。

　体重で、ふんどしがしまる……

「ハッあ……オオオォォおッ……お、ぐ、グゥ……アアァアアァァァァアアアァァアッグウウウウッッヒッヒイィィアアァァアッ！」

　よし、イッた！

「あ……は、あ……ぐっう……オァ……あ……！」

　虚空にクルクルと回りながら、果てしなき絶頂を迎えるイックーさんの姿を、客たちも見上げておった。

「まあ、あの小坊主さま……イッておられるわ！」

「とんでもねえイキっぷりだ……」

「まるで人間スプリンクラーだ！」

　シンえもんは、頬を伝う熱いしずくを感じていた。

「やはり、別格でござる……あなたは……」

　ひとしきりイったのち、イックーさんは自ら床へと降り立った。

「……謎は全て解けました」

「お、おお！　本当ですか！」

　店主が喜色を浮かべる。

「ええ……」

　イックーさんは玄関に貼られている張り紙を指差した。

「全ての原因は、この張り紙です」

　シンえもんは首を傾げた。

「……此処で履物をお脱ぎください？」

「違います。これは全てひらがな……」

　イックーさんは張り紙を手に取ると、ビリッと破り捨てて言った。

「すなわち、此処では着物をお脱ぎください、という意味になっていたのです！」

「お、おお！」

　張り紙が破られた瞬間、客たちは自らの繰り広げていた痴態を思い出し、慌てて服を着始めたそうな。

「な……なんと素晴らしい小坊主さまだ！」

　店主は大喜びであった。おかげでこの店が風営法違反で摘発される心配もなくなったし、周辺の風紀の乱れも改善されたのだから。

「さすがでござる、モグモグゥ！」

　ウィンウィンと動くモノを振り上げて、シンえもんも喜んだ。

　イックーさんはイクことを思い出し、店の危機も救われた……まさしくこれぞ、ウィンウィン（WIN WIN）の関係ということじゃろうな。